シアの薬屋さん(前編)
「ルークさん、機嫌がいいですね」
ルシアナは、その日、シアとして冒険者ギルドで仕事をしていた。
いつものようにポーション作りである。
そして、これもまたいつものように、冒険者ギルド長のルークがルシアナの作業を見ていたのだが、彼の機嫌がいつもよりよさそうな気がした。
「わかるかい、シアくん。まぁ、他人の不幸を笑うというのも、それをネタに話を盛り上げるというのも決して良くないんだけどね。でも、君にも関係のあることだから教えておくよ」
「はぁ……」
「薬師ギルドのギルド長が更迭されたんだ」
薬師ギルドのギルド長は、以前、海の民がレッドリザードマンに襲われたとき、ルシアナがポーションを使って治療をしているところを止めさせに来た人物である。
確かに、ルシアナにとって全くの無関係な話ではないが、しかし、関係ある無しでいえば、無い方が近い。
「なんで――」
「モーズ侯爵領の事件のことは耳に入っているだろ? 彼はモーズ侯爵と親類でね、その煽りを受けたという話さ」
「いえ、そうではなくて、なんで私に関係のある話なんですか?」
「それはもちろん、ギルド長交代のゴタゴタを利用して、ポーションを冒険者ギルドで販売してもいいということになったからだよ」
「それは……おめでとうございま……す?」
「もちろん、正式に販売する以上、薬師ギルドが定期的にポーションの品質のチェックを行うことになるが」
そのポーションの品質を調べるための調査費用が、薬師ギルドの定期的な収入になるらしい。
「シアくん、君の作っているポーションなら大丈夫だろう。これからも、冒険者ギルドの職員として、頑張ってくれ」
「頷きませんよ。私は冒険者ギルドの職員ではありませんから」
「残念、頷いてくれたら即採用だったのに」
七歳の女の子相手に、だまし討ちのような真似をして何を考えているんだ、とルシアナはため息をつく。といっても、冗談半分で言っているのはわかっているので、特に怒りはしない。
「まぁ、そういうことだから、暇な時はいつでもポーション作りに来てくれ。それと、傷薬以外の魔法薬もあったら」
「魔法薬ですか? 一応、他にも二、三十くらい作ることができますよ」
「二、三十種類以上も?」
「はい。ファインロード修道院は周辺に診療院がありませんでしたから、腰痛専用とか冷え性専用の回復魔法といったマイナーな回復魔法を覚えさせられたんです。近くの薬師ギルドも規模が小さいですから、そういう回復魔法に対応している需要の低いポーションは販売していなくて、自由に販売していいことになっていたんですよね」
「その中で、需要の高いポーションはあるかい?」
「それなら、最下級ポーション、最下級解毒ポーションですね」
「最下級? なんでまた――それだと小さな傷すら治せないだろ」
「湿布薬と二日酔いの薬になるんです。通常の解毒ポーションより魔力の消費も必要な魔力液も少なくて、普段使いできる値段で売れます」
魔法薬というものは非常に高い。
例えば、ルシアナが現在作っている下級ポーションですら、販売しようとすれば庶民の一日分の収入が丸々消し飛ぶ値段だ。そのため、大怪我でもしない限り、普段から使うことはない。
滅多に使うものではないから、滅多に売れない。
最下級ポーションは薬瓶さえ用意してもらえればその値段は三十分の一まで抑えられる。
「そんな便利な薬がなんで王都に売ってないんだい?」
「魔力の調整が難しいんです。ポーションを作るには、聖属性の魔力による回復魔法が必要なんですが、複数属性持ちの人が作った場合、僅かですが、他の属性の魔力が混じってしまうんです。下級ポーション以上ならそれでも問題ないんですけど、最下級ポーションだと、その属性が無視できない量になってしまうんですよね」
例えば、火属性と聖属性の魔力を持つ人間がポーションを作った場合、下級ポーションだと聖属性の魔力が九十七、火属性の魔力が三くらいの割合になってしまう。これくらいなら、品質としては問題ない。
だが、最下級ポーションの場合、聖属性の魔力が八、火属性の魔力が二くらいになってしまう。火属性の割合が二十パーセントを超えると、魔法薬としての品質を維持できなくなってしまう。
「そのため、最下級ポーションを作るには、聖属性しか持っていない人の力が必要なんです」
あと、ポーションについて、勘違いしている人も多いので言っておくと、中級ポーションを薄めても下級ポーションにはならないし、下級ポーションを薄めても最下級ポーションにはならない。
ポーションというものは術式を込める、たとえば下級ポーションならヒールという魔法を込めている薬であり、それは、一本全部を飲む、もしくは一本全部を患部に当てることによりヒールと同等の効果が発動する薬だ。
つまり、水で薄めたところで、飲まなければいけない量が増えるだけ。
仲間と一緒に半分ずつ飲んだり、二回に分けて飲むというのは論外。
それだとなんの効果も発動しない。
「なるほど、確かに聖属性しか持っていない人間は少ない。単独属性持ちは希少だからね。材料費は安くても、それを作れる人間がいないというわけか」
「…………」
「…………」
ルークがじっとルシアナを見るので、彼女はすっと顔を背ける。
決して、何かを誤魔化しているのではなく、
(近い、近いです。ルークさん、顔が近い)
久しぶりに男性への免疫のない淑女モードが発動しただけであったが、ルークは、その所作で、ルシアナが聖属性の単独魔法の使い手であることを隠そうとしていると思った。
「シアくん、まずは最下級ポーションを作ってもらえるだろうか?」
「……はい、わかりました」
別に修道院時代はいつも作っていたことだから、ルシアナは別に嫌ではない。
バルシファルが早く来ないかなとは思っていたが。
ルークが用意した魔力液を瓶に入れる。
その量は極僅かだ。
「なるほど、その程度なら確かに安く販売できるね。魔石は何を用意しようか? 冒険者ギルドだから、多種多様の石を用意しているよ」
「いえ、必要ありません」
確かに魔石があれば効率よく魔力を魔力液に浸透させることができるが、この程度の魔力液なら魔力を浸透させるのに三秒もかからない。三秒が一秒になったところで、大した違いはないし、流す魔力も少ないので魔石による効果の恩恵も期待できない。むしろ、瓶に入れて取り出す時間の方が手間となる。
「インフェリア―ヒール」
僅かに瓶の中の魔力液が光った。
そして――
「これでいいですね」
「もう!?」
「はい。水で薄めて終わりです」
そう言って、ルシアナは蒸留水を入れて蓋をした。
ルークがその瓶を見て、ランプの光に透かして見るが、首を傾げる。
「あまり美しくはないね」
「最下級ポーションですから。使う時は飲むのではなく、布に浸して患部に貼りつけた後、動かないように包帯で固定して使ってください」
そう言っている間に、次々と最下級ポーションを完成させていった。
「ルークさん、これでいいでしょうか? 最下級解毒ポーションも作りますか?」
「いや、それより、この最下級ポーションを使っているところを見てみたい。シアくん、一緒に往診に行こう」
「え!? 私、ファル様をここで待ちたいんですけれど」
「初めて使う薬だからね。間違えた使い方をしてしまったら君にも、何より患者にも申し訳が立たない。どうか力を貸してほしい」
そう言って、ルークはルシアナの手を握った。
その途端、ルシアナの顔が真っ赤になる。
「わかりました、わかりましたから手を離して(ズルい、手、ギュっ、はズルいです!)」
とことん、男性に免疫のないルシアナであった。