緊張の味と後からの惚気
その日、ルシアナは久しぶりに王城に出向いた。
普段はシャルドからお茶の誘いを受けるのだが、今回はルシアナからの願いだった。
もちろん、婚約者だからと言って会いたいと言ったその日に会えるわけではなく、念入りに手紙で打ち合わせをしてのお茶会である。
ルシアナは久しぶりにスコーンを焼いて、待ち合わせより少し早い時間に王城を訪れた。
(いませんね)
昔、王城に訪れたときは騎士見習いの少年カールと一緒に茂みの裏でスコーンを食べたことを思い出す。
もしも会えたら渡そうと思ってスコーンを焼いて持ってきたのだが、無駄になってしまった。
シャルドにカールと言う名前の騎士見習いは元気にしているか聞きたいところだが、悪役令嬢の名をほしいままにしている(と本人は思っている)ルシアナが彼に目をかけているなんて噂になったら、いろいろと迷惑が掛かるかもしれない。
なので、ルシアナは彼のことは忘れることにして、一人で茂みの奥に隠れる。
ルシアナにとってシャルドはお互い婚約破棄させたい同志である。なので、彼の前で悪役令嬢を演じる必要はないのだが、当然この場に来るのはシャルドだけではなく、レジー子爵や付き人も同行する。
彼らの前では悪役令嬢を演じなければ、スムーズな婚約破棄など実現しない。
もしもバルシファルが金の貴公子であるのなら、公爵家を追放されなくても問題なくなったが、婚約破棄は成し遂げなければならない。
お互いが婚約破棄を望むだけでは婚約破棄できないのが、王家や貴族の柵なのだ。
待つこと十数分、シャルドがやってきた。
(少し顔つきが変わった?)
シャルドの見た目はルシアナの記憶の彼に比べて少し大人びて見えた。
背があまり伸びていないが、しかし全体的にどこか引き締まって見える。
金色の髪が眩く、どこかバルシファルを思い出させる。
(二人は叔父と甥の関係ですし、似てても不思議ではありませんね)
シャルドの母であるフレイア王妃は、バルシファルの姉である。
ルシアナはそれをバルシファル本人から聞いた。
さて、そろそろ行くかとルシアナはそっと茂みを出る。
「お久しぶりです、シャルド殿下。お待たせしてしまいましたかしら?」
「いいや、今来たところだ」
「そうですか。あ、お茶菓子は結構ですわ。スコーンを焼いてきましたから。紅茶だけ淹れて下さる?」
メイドたちが用意したお茶菓子を無理言って下げさせる。
貴族が料理をするなんてはしたない&殿下にそんな見すぼらしいものを食べさせるなんて作戦だ。
(ごめんなさい、せっかく用意してくれたのに。よかったらあなたたちで食べて)
ルシアナは心の中で謝罪しながら、スコーンを皿に置く。
シャルドはそれを無言で一つつまんで食べた。
特に感想もなにもない。
「それでシャルド殿下。今日の話ですが――」
「待て――皆、少し下がっていろ。俺はルシアナと二人で話がある」
シャルドはそう言うと近くにいたメイドやレジーに下がるように言った。
皆が頭を下げて席を離れる。
「ルシアナ、何が言いたいか理解している」
「そうですか、それは話が早いですわね」
「ああ――だが、もう少し待ってくれないだろうか? 無理を言っているのは理解しているが」
「待つ? どうしてです?」
「俺はまだ弱いままだ。このままでは――」
「私がお礼を言うのに、殿下が弱いままだと問題がありますの?」
「……待て、一体なんのために今日来たんだ?」
わかっていたんじゃなかったのかと、ルシアナはシャルドに説明をした。
今日、彼女がここに来たのは最近のお礼を直接言うためだ。
ルシアナは記憶回復薬を飲んで思い出した前世の記憶から、今起きているけれど発覚していない事件を解決してもらったり、これから起きるであろう事件を未然に防いでもらったりと手紙でお願いしてきた。
今日はその礼を言うために来たのだ。
「……なんだ、そっちだったのか。俺はてっきり、約束の件かと思った」
とシャルドは安堵したように息を漏らす。
「約束?」
ルシアナが尋ねると、シャルドは一瞬「余計なことを言ってしまった」といったような表情を浮かべて、そして覚悟を決めたように口を開いた。
「言っただろう。婚約破棄は俺が十五歳になるまで待ってくれと。そして、もうすぐルシアナは十五歳になる」
ルシアナは聞いた。
シャルドは好きな冒険者の女性がいる。
その女性と結ばれたい。
そのためにはルシアナと婚約破棄する必要があるのだが、しかしいま婚約破棄してしまうと他の貴族の女性を婚約者に宛がわれてしまう。それは当時悪役令嬢の名がまだ広がっていなかったルシアナにとっても同じ。
だから、お互いが十五歳になるまで、婚約破棄はやめよう。
そう約束していたのだ。
しかし――
「ああ、そのことでしたか。それでしたらシャルド殿下から婚約破棄を言い渡さない限り、特に動くつもりはありませんでしたわ」
「なんだと? それはどういう――」
「というのも、私、これから王立魔法学院で清く正しい悪役令嬢を演じなければなりませんの。そのためには、シャルド殿下の婚約者という肩書きがあったほうが便利だと思いましたの」
「は? それはどういう……清く正しい悪役令嬢?」
「はい。悪役令嬢の立場を最大限に利用して、その傍若無人さで貴族たちを正しい道に導くのです」
それがルシアナの計画その1である。
もちろん、シャルドはその内容1ミリも理解できていないが。
「なので、婚約破棄は私が学院を卒業したあとで全然かまいませんわ」
「婚約破棄したいのはしたいのだな」
「ええ、お互いのために」
ルシアナはそう言ってシャルドに手を差し出して共犯の握手を求めるも、彼はフンといってその手を取らなかった。
(ああ、なるほど! どこに目があるかわかりませんからね。私が手を差し出して殿下がそれを無下にする。いいです、婚約破棄の流れがビンビン来ています)
とルシアナはとても満足げに頷き、悔しそうな表情でも浮かべるべきだっただろうかと少し考えた。
どちらにせよ、今日のお茶会はルシアナにとってとても有意義な時間となった。
※※※
ルシアナが帰ったあと、彼はレジーに言葉を漏らす。
「……婚約破棄を言い渡されるかと思った」
「立場上、ルシアナ様から婚約破棄の申し出はできませんよ」
知っている。
たとえ彼女がそれを望んでも、シャルドの力、トラリア王家の力があればそんな意志はいくらでも潰せる。
だが、シャルドはそれが怖い。
望まぬ彼女を縛り付けることが。
「約束だったからな」
ルシアナに認められる男になる。
それだけのために彼は今日まで剣を振ってきた。
本当なら、十五になるまでにバルシファルを超えて堂々と結婚を申し込むつもりだったのだが、結局二人の差が無くなることはなかった。
「まったく、難儀な方だ。殿下、こちらのスコーンは片付けてもよろしいですか?」
「いや、これは食べる。さっきは緊張して味がわからなかったからな」
何しろ、ルシアナの焼いたスコーンはシャルドが唯一好きな甘い菓子だったはずだ。
初めて会った時の彼女を思い出し、そしてさっき会ったルシアナを再度思い出す。
そして――
「ルシアナ、美人になっていたな」
シャルドは今更ながら、ルシアナの変化に気付いた。
初めて会ったときは幼さの残る天使のような少女だったが、十五に近付いた彼女は美しい大人の女性だった。
その姿はまるで女神のようだと彼は思う。
「惚気は本人に伝えないと意味がないですよ」
「……それが言えるくらいならこんな苦労はしていない」
シャルドはそう言ってスコーンを食べた。
とても美味しかった。
「ところで、殿下。例のルシアナ様の謎の情報の源はおわかりになりました?」
「……安心して聞くのを忘れていた」
シャルドはレジーに怒られた。