開拓村最後の戦い
その日の早朝、冒険者たちにルシアナが立てた作戦が発表された。
これまで、冒険者や村人たちは小麦畑を守るように戦ってきた。
魔物に小麦畑を荒らされることにより、墓守の黴が暴走し、魔物が大量に押し寄せてきたら困るからである。
しかし、今回のルシアナの考えでは、もっとも魔物をおびき寄せる香りがきつい小麦畑の近くで魔物を足止めにし、味覚改変の呪法薬で魔物を一網打尽にするという計画である。
団長を始めとした青年団はもちろん、ルシアナの正体を知っている族長や神獣も同意し、さらに今回の案をシアも支持していると伝えたら他の森の民もその作戦に頷く。
つまり、村人たち全員の同意を得たわけだが、乗り気でないのは冒険者たちだ。
彼らにとって、ルシアナは依頼主ではあるものの、戦いの素人の貴族令嬢である。
ただでさえ、彼らの戦いはギリギリである。
彼らがいままで戦っていた場所には、魔物の進行を防ぐ障害物等も設置しており、その後ろに隠れた森の民が矢で冒険たちを援護していた。
だが、小麦畑の周辺ではそのような戦いを想定していない。
「ルシアナ様よ、話はわかるが、今まで通りの場所で戦うのはダメなのか? 昨日はその場所でもリザードマンを気絶させることができたんだろ?」
「リザードマンは魔物の中でも匂いに敏感な魔物よ。他の魔物に同じような効果があるとも限らないわ。下手したら僅かな悪臭に怒りをあらわにし、暴走しかねないの。それにミストポーションのように呪法薬を拡散させるとなると、短時間で強烈な匂いが必要になるのよ。素人にはそんなこともわからないのかしら?」
強面の冒険者に睨みつけられるも、ルシアナは一歩も怯むことなく、逆に煽るように言った。
確かにルシアナを睨みつける冒険者の顔は怖いが、顔の怖さだけなら、ルシアナに飴玉をくれるワーグナーの方が遥かに上だ。
それに、ここでルシアナが一歩でも怯めば、それは彼女が自分の作戦に自信がないと思われかねない。
だから、彼女は一歩も退かない。
むしろ、退いたのは睨みつけた冒険者の方だ。
彼は自分の顔の怖さを知っている。
子供に笑いかけただけで泣かれた回数も両手両足だけでなく、全ての歯の数まで合わせても数えきれない。
顔が怖いというだけで護衛依頼を断られたことさえある。
そんな彼に睨みつけられて、平然としているどころか言い返すことができる胆力に。
「本当にうまくいくと思っているのか?」
「あら、私のことを誰だと思っていますの? シャルド皇太子の婚約者。行く行くはこの国の王妃となるルシアナ・マクラスよ? 国を守る立場になる私が、こんな小さな村一つ、守れないと本気で思っているのかしら?」
ルシアナはそう言って、宣言する。
「私を信じてついてきなさい! そうすれば、あなたたちに勝利という褒章を与えるわ!」
その言葉を聞いて、冒険者が全員賛成し、ルシアナの案に賛成する――と思っていた。
「いや、やはりリスクが高すぎるだろ。薬を試したこともないんだろ?」
「というか、呪法薬だっけ? そんな薬本当にあるのか? 聞いたことないぞ」
「ルシアナ様、俺たちを騙してるんじゃないだろうな?」
だが、冒険者たちは乗り気じゃない。
このままではダメだ。
ルシアナは思っている。
確かに、今日も、昨日のように戦うことはできる。
だが、恐らく、戦いは昨日より厳しいものになる。
いままで死者が出ていないのが奇跡なのだ。
ルシアナが、公爵家の命令で強制的に自分の作戦を実行させようか? しかし、それで彼らが本当に命令を聞くだろうか? と頭を悩ませていたときだった。
「わふ」
「うむ、それがいいですな」
神獣が何か吠え、それに族長が頷いた。
「一言よろしいですか?」
「なんだ、村長さん。いくらあんたの頼みでも、今回は――」
「神獣様といま話し合いました。今回のルシアナ様の作戦、万が一失敗した場合、私は村を棄てても構わないと思っています」
――え?
それを聞いて一番驚いたのは、恐らく自分だろうとルシアナは思った。
「元々、我々は村を棄てる覚悟でした。公爵家のカイト様が我々を救うための案を用意してくださり、それに縋るしかないと思っていたのです。しかし、ルシアナ様のご助力により、冒険者の皆様がいらっしゃってくださり、一縷の希望を持つことができました。ですが、現在はこの村だけでなく、他の村も危ない状況にあります。もしもルシアナ様の作った呪法薬が効果を発揮すれば、それらの村を救うこともできます。そして、それが効果がないのであれば、全ての村を救うことはできないでしょう。我々は自分の村を棄て、残りの村を救いたい」
そして、族長はルシアナを見て言った。
「ルシアナ様、今回の作戦、もしも失敗した場合、冒険者の皆様には他の村の支援に向かっていただきたいと思っています。しかし、その場合も報酬は約束の額、お支払いしていただきたい。我儘な願いですが、どうかお願いいたします」
そう言って族長は膝を突き、ルシアナに頭を下げる。
それに倣うように、他の村人たちもまた同じように膝を突いて頭を下げた。
それが村人全員の総意であると言わんかのように。
ルシアナは頷く。
「ええ、わかりました。このルシアナ・マクラスが、ヴォーカス公爵家の名に於いて約束しましょう。冒険者の皆様もそれで問題ありませんか?」
「……つまり、今日一日、小麦畑を守り切ればいいってわけだな。そうすれば、戦況が好転するか、もしくはこの糞みたいな戦いから解放されて、少しはマシな場所に配置換えってわけか」
「今日一日ではないわ。魔物が集まり始めるのが今から数時間後、午前十時くらいで、ピークに達するのが午後二時くらい。それまでの間――だいたい三時間くらいよ」
「三時間――気楽に言うが、いつもと違う状況での戦いは厳しい」
強面の男はそう言うと、振り返り、仲間の男たちに言い放つ。
「おい、お前ら。前線に設置してた障害物のうち、動かせるものを小麦畑の前に動かせ。時間がないからさっさとしろ」
彼に言われ、彼の仲間だけでなく、他の冒険者も動き始めた。
「時間がないぞ。もっと早く言ってくれれば」
「バカ、昨日のうちに言われても俺たちは疲れて動けなかったよ」
「違いない。まぁ、これが最後だっていうなら死ぬ気でやってやる!」
冒険者たちが動き出す。
強面の男も話に乗った。
「私の案に乗ってくださるの?」
「勘違いするな。俺がお嬢様の案に反対したのは失敗したときのリスクが高すぎるからだ。だが、いまは失敗しても俺たちにとっては好転するっていうじゃねぇか。なら、話に乗らない理由は見つからない」
男はそう言って準備を始めた。
そして、三時間後。
冒険者たちは驚きの報告を受ける。
「……昨日の三倍だってっ!?」
魔物の棲む森の近くに偵察にいっていた俊足の冒険者、ユンダからの報告によると、魔物の数はおおよそ昨日の三倍か、それ以上の数になるそうだ。
「なんで急に――まさか、俺たちの作戦に気付いて邪魔を――」
「そんなわけがないわ。温度よ」
驚く冒険者にルシアナが言う。
今日の温度は、昨日より数度高い。
その数度の違いにより、小麦の花が急激に開花したのだ。
開花状況に応じて魔物が増えることはわかっていたが、あまりにも急すぎる変化に、ルシアナは理解する。
今回の戦い、失敗すれば村を棄てるという条件を出した彼女だったが、なんてことはない。
最初から、今日を乗り切れなければ、村を棄てるしか道は残されていなかったのだ。
そして――戦いが始まる。