猛烈な変化
ステラから薬の苦味を抑える薬を貰ったルシアナは町へと戻り、修道服に着替え、町の中で薬の成分について調べることにした。
開拓村に戻らないのは、薬を調べる設備が村だと整っていないからだ。
公爵令嬢のルシアナが滞在していることになっている町には、薬師ギルドの支部もあり、王都で特別な身分証を発行してもらっているルシアナは、そこの設備を利用することができる他、様々な資料の閲覧も許可されている。
マリアには宿の部屋で、開拓村での出来事を羊皮紙に書き記す仕事を任せ、ルシアナとキール、そして一部の護衛だけで薬師ギルドに向かった。
「シア様、よくぞおいでくださいました」
そう言って、薬師ギルドのギルド長がルシアナを出迎える。
「お噂は予てより伺っています。なんでも、王都の聖女様だとか」
「それは間違いです! 絶対に広めないでください! 聖女は国と教会の両方に認められて初めて名乗ることのできる身分です!」
広めようとしていたルシアナの悪評がステラの耳にまで届いていなかったことに安堵したが、逆に広がってほしくない聖女の噂がこんなところにまで届いていることに、ルシアナは辟易した。
「王都から卸されるシア様が作ったポーションで我々も多くの方を救うことができました。聖女を名乗っても文句を言う者はいないと思いますが」
「私が嫌なんです! 私が文句を言います!」
聖女は教会の教えにより、同時代に複数の人間がなることはない。
三年後、ミレーユが聖女に認められることが決まっているので、そうなったとき、ルシアナが聖女の名を騙っていたという噂が広められたら困る。
「そうですか……残念です。それで、今日はどのような御用でしょうか?」
「ある薬について調べたいのです。この薬なのですが――」
「魔法薬……ではなさそうですね。魔力が全く感じられません」
「はい。子供用の熱冷ましの苦味を抑える薬みたいなのですが、何か心当たりはありますでしょうか?」
「あぁ、あの薬は非常に苦いですからね。ですが、苦味を消す方法は聞いたことがありませんね。私も職員にあたってみましょう……あの、それで薬の作り方がわかれば――」
是非作り方を教えてほしいというのだろう。
子供用の熱冷ましの薬が苦い魔法薬の代表になっているが、他の大人が飲む薬でも苦い薬は多い。
そして、薬が苦いというのは、今も昔も薬師ギルドに寄せられるクレームの代表であった。
その苦味を緩和できる薬があるとするのなら、確かに情報が欲しいだろう。
だが、ルシアナは首を横に振って言う。
「いえ、どうもこの薬は公爵家嫡子のカイト様が関わっているそうなので、調べることはできても私の一存で製法を広めることはできません」
「そうですか……公爵家が関わっているのでしたら、確かに難しいですね。それを踏まえて、職員にも聞いて参りましょう」
そう言って、薬師ギルドのギルド長は笑ってルシアナを薬師ギルドが保有する部屋へと案内する。
そこは薬の実験に使うための部屋で、ギルドの口座に銀貨千枚以上を保有するギルド会員ならお金を払えば誰でも使うことができる。消耗品だと実費を負担しないといけないが、触媒として利用するだけの魔石などは使っても壊さない限りお金を払う必要がないため、重宝されている。壊してしまった場合は当然弁償となり、ギルドの口座から引き落とされる。口座の資金が金貨十枚以上あることを条件にしているのはそのためだ。一応、同額の資産を保有する人間が保証人になればギルド口座の資金が足りなくても使用することができるが、ルシアナは薬師ギルドの口座の中にも大金を預けているので問題なかった。
ルシアナは部屋の使用料として銀貨一枚を支払い、早速薬の成分を調べてみる。
キールは護衛として一緒に中にいるが、手伝えることがないため、周囲を警戒しながらも中を見てまわった。
「魔石って色んな種類があるんだな」
「他の大陸や遠海にいる魔物の魔石は珍しいですからね。銀貨千枚以上の価値のある魔石は無いと思いますが、触らないでくださいね」
ルシアナはガラスの板にステラから貰った薬液を垂らして言う。
「遠海の魔物か。一度戦ってみたいな」
「遠くの海に行くのはやめたほうがいいですよ。海の先には、滝の水を上ってやってくる龍がいるって聞いたことがありますし、世界の果ての滝の向こうには悪魔の住む世界があるって言いますから」
「悪魔か……確かに関わりたくはないな」
悪魔は魔物ではないが、この世界の理とは異なる世界の住人であり、会った者は必ず死ぬだと言われている。
その正体は神に反逆した天使の成れの果てだとか、はたまた数千、数万の不死生物の集合体だと言われているが、その真偽は定かではない。
教会の教えでは、人が死んだとき、天に還るのを妨げる邪悪な存在だと言われていて、ルシアナもキールもその存在を信じている。
とはいえ、神に守られているこの世界の中では出会うことがないそうだが。
「悪魔にも魔石ってあるのか?」
「さぁ、魔物ではありませんのでわかりません。悪魔の爪と呼ばれるものでしたら、遠い国の国宝としてお城に保管されているそうですが。この国でも昔、見つけた物には金貨一万枚で買い取るって富豪が宣言したそうですが――」
「悪魔も爪切りをするのか? 悪魔の巣に行けば落ちてたりするのかな?」
「その悪魔の爪を求めて悪魔の巣に向かおうと旅に出た冒険者は、誰ひとり帰ってないそうですよ。その代わり、その富豪のところには多種多様の魔物の爪が集められたとか」
「富豪を騙そうとしてたのか」
「ええ。ですが、この話には続きがありまして、傍にいた魔物鑑定士によって全ての爪は偽物だと鑑定され、偽物の悪魔の爪は詐欺の証拠品として没収したそうなのですが、その富豪は大の魔物の爪コレクターだそうで、お陰でお金を銅貨一枚も使わずに、多種多様の様々な魔物の爪を集めることができたと喜んでいました。中には、買えば金貨数百枚はする火竜の爪まであったとか」
「なるほどな――富豪の方が一枚上手だったって話か」
「そういうことですね」
ルシアナはそう言って、ガラス板の上にある薬液にどの属性の魔力が含まれているかどうか調べるための試験薬を垂らす。
変化がないということは、やはり魔力は込められていないのだろう。
ただし、別の板に垂らした薬に別の試験薬を垂らす。
「色が変わりましたね」
「色が変わったらどうなんだ?」
「魔力液かどうかを判断するための薬です」
魔力液は魔法薬を作るための基本素材であり、全ての魔法薬の元となる薬である。
それが使われているのに、魔法は一切込められていない。
むしろ、これは薬ではなく、ただの魔力液であると言われたほうが納得できる結果だった。
「ステラの婆さんが渡す薬を間違えたとか?」
「いえ、侍従長に限ってそれはあり得ません」
「だったら、ただの魔力液が、実は苦味を消す効果があるとか?」
「……キールさん、試してみますか? 魔力液ならここでいくらでも買えますし、大人が飲んでも害はないけれど、とても苦い子供用の熱冷まし薬もありますから」
「いや、言ってみただけで、そんなわけがないってのはわかる」
キールの言う通り、魔力液にそんな効果はない。
「そうですね、ちょっと試してみますか」
「魔力液を飲むのか?」
「いえ、そうではなく、この薬を半分飲んで、記憶回復ポーションを飲んでみます」
「ポーションって、全部飲まないと効果が出ないんじゃなかったか?」
「それは魔法薬の話です。これは魔法薬ではないのですし、ステラから聞いた話でも、全部飲む必要はないと言っていました。ただ、飲む量が極端に少ないと、苦味を抑える力が弱くなるとか」
「……いや、それなら最初に俺が飲む。ステラの婆さんのことは信用してるが、それでも薬が劣化してないとも限らないし、毒見は必要だろ?」
「いえ、しかし――」
「ここでシア様にもしものことがあったら、俺は一生自分を許せねぇ。頼む、熱冷ましの薬なら売ってるんだろ?」
「……そうですね。では、お願いします」
キールの熱意に押され、ルシアナは頷いた。
そして、薬師ギルドの職員に言って、魔力液を購入。
熱冷ましの薬は買うのではなく、ルシアナが作ることにした。
作り慣れている薬の一つなので、手間はそれほどかからない。
「完成しました。キールさん、では先に、苦味を抑える薬の服用をお願いします」
キールが飲むのは、ステラから貰った薬の四分の一程度だ。
最初にキールがそれを飲む。
薬には味がないが、ドロっとしているのはわかる。
まるで片栗粉を混ぜた水を飲んでいるみたいだとキールが言った。
「キールさん、熱冷ましの薬を飲んだことはありますか?」
「いや、ねぇ。ガキの頃に熱が出て薬を飲むなんて、金持ちくらいだろ?」
「そうでしたね。相当苦いから、この薬の効果がなかったら――」
「なかったら……?」
「我慢してください」
「だったら言うなよ」
そう言って、キールは苦笑した。
そして、熱冷ましの薬を見ると、意を決し――熱冷ましの薬を飲む。
途端にその味が口の中に広がったのか、キールが渋い顔をした。
「やっぱり苦いですか」
「いや、苦くない」
「でも……」
「甘い……甘すぎて口の中が混乱してる」
そう言って、キールは水を一気に飲んだ。
そして、ルシアナは思い出した。
「そうです! 私も熱冷ましの薬を飲んだ時、とっても甘かったんです! いま思い出しました!」
「こんな強烈な甘さを忘れてたのかよ……まぁ、薬が本物だってのと、毒はないっていうのは判明したな」
「遅効性の毒じゃなかったらですけど。というより、食中毒だと二日待たないとわかりませんよ?」
「え? そうなのか?」
「一応、解毒魔法を掛けておきますね。毒キノコにも効果がありますから折り紙付きですよ」
薬を貰ったのが六年も前ということなので、念のためにキールに解毒魔法を掛ける。
そして、いよいよ記憶回復ポーションを飲むときがやってきた。
ただ、この苦味を取る――というより苦味を甘味に変える薬が、記憶回復ポーションに効果が出るとは限らない。
本当なら、キールにこちらで実験をしてほしかったのだが、記憶回復ポーションの作り置きが少ないため、こっちはぶっつけ本番となる。
ルシアナは持ってきていた記憶回復ポーションの魔力を調整し、この薬を飲んだ時の記憶を呼び戻すことにする。熱が出たのは、ルシアナの五歳の誕生日の前々日で、熱冷ましの薬を飲んだのはその前日だったので、その日の夜の記憶を呼び起こせるように調整する。
ただ、その計算が面倒で、準備に二時間ほどかかった。
そしてキールが飲んだ量と同じ量の苦味を甘味に変える薬を飲み、ルシアナはいよいよ記憶回復ポーションを口に含む。
途端――ルシアナの頭の中に強烈な過去の記憶と、そして口の中に猛烈な甘味が広がった。
猛烈に甘いのにカロリーゼロ
世界初の人工甘味料誕生の瞬間であった