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プロローグ

「どういうつもりよ!」


 その日も、ヴォーカス公爵家の令嬢ルシアナ・マクラスの怒声が王都にある公爵邸に響き渡った。


「こんな服じゃパーティに外に出られないじゃない!」


 十六歳の少女とは思えない怒声とともに、紅茶の入っていないカップが投げられ、侍女の前に転がる。

 カップを投げた令嬢のドレスには紅茶の染みがついていた。

 といっても、ほんの小さな染みで、凝視しないと、いや凝視したとしても言われないと気付かない程の小さな染みだ。


「申し訳ありません、お嬢様」


 カップを投げられた侍従の少女は謝罪して頭を下げるが、ルシアナは許そうとはしない。


「謝って済む問題じゃないわよ。どうしてくれるのよ」


 どうするもこうするも、そもそも、紅茶を零したのはその侍従ではない。

 ルシアナが紅茶の飲んでいるときに手を滑らせて零してしまったのだ。

 誰がどう見てもルシアナが悪いのだが、彼女が言うには、「こんな飲みにくいカップを持ってきたあなたが悪いのよ!」である。


「どうせ殿下もいらっしゃらないでしょうし、本日のパーティは欠席することにします。あなたは責任をもって連絡をしておきなさい。ちゃんと、自分が悪いと言うのよ」


 そう言って、ルシアナは椅子から立ち上がろうとする。

 怒られたばかりの侍従は急いで椅子を引き、彼女が立ち上がるのを補助すると、


「遅いわ」


 とまた怒られた。

 帰っていくルシアナを見送る侍従一同は、側仕えと一緒に彼女が部屋から去ったのを見て、息をついた。


 怒られていた侍従以外は、自分に対してあの叱責が飛んでこないことに対する安堵と、あのような女性が公爵家の令嬢で、王太子妃になるかもしれないという将来の不安、なにより、怒られた少女に対する同情による吐息だった。


「マリア、大丈夫?」

「ええ、大丈夫です」


 そう言って控えめに笑ったのは、ルシアナに怒られていた侍従――マリアである。

 公爵家には七歳の時に侍従見習いとして雇われ、それ以来ルシアナの側仕え候補として彼女の側にいる、茶色い髪に、目立たないがわずかにそばかすのある地味な女の子である。


「お嬢様も昔はあんなんじゃなかったんだけど、王太子と婚約が決まってから急に偉そうになっちゃって。今回だってマリアは何も悪くないのに」

「本当に私は大丈夫です。それより、本日のパーティに欠席を報せる連絡を――」

「それは私がするから大丈夫よ」

「でも、なんでお嬢様はマリアにばっかりあんなに強く当たるのかしら。紅茶の中身が入っていなかったからよかったけど、もしも中身が入っていたら火傷しちゃうわよ」

「マリア、もし今の仕事を辞めたいって思うなら、私に相談してね。次の働き先、探してあげるから。前の侍従長の伝手もあるし」

「ありがとうございます、侍女長。でも、本当に大丈夫ですから」


 マリアがそう言った時、先ほど閉じられた扉が開いた。

 ルシアナが戻ってきたのだ。


「マリア、なにしてるの! 連絡が終わったら私の部屋に来なさい」

「かしこまりました」


 ルシアナは言うことだけ言って、自分の部屋へと戻った。

 そして、残された侍女たちは、再度息を漏らす。


「いまの聞かれていなかったかしら?」

「大丈夫だと思うわよ。あのお嬢様のことだから、聞かれていたらただじゃすまなかったわ」

「マリアを呼んでどうするつもりかしら」


 侍従たちの視線がマリアに刺さる。

 侍従たちにとって、ルシアナとマリアの関係は酷く歪な物に見えた。

 ルシアナは昔からマリアを側仕え候補として側に置いているが、決してその「候補」が外れることはない。側仕えにするつもりがないのなら、他の人間を側仕え候補として側に置いてみてはどうかと侍従長が進言したこともあったそうなのだが、ルシアナはそれを絶対に認めなかった。

 その理由として、侍従たちは「ルシアナお嬢様は、マリアを虐めるために側仕え候補として働かせているのよ」とのことである。

 いま、マリアに向けられている視線の意味に気付きながら、彼女は笑顔を浮かべて言う。


「それでは、行って参ります」


 そして、ルシアナのいる部屋へと向かった。

 残った侍女たちは、マリアに向けられる仕打ちを想像し、さらに同情を深めたのだった。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ルシアナは、最近、側仕えを自分の部屋に入れない。

 その代わり、彼女の世話をするのが側仕え候補のマリアであった。

 本来の側仕えの仕事を、新人の侍女が行う。

 それは、側仕えにとっておもしろくない話であるはずだが、側仕えの女性たちがマリアに向けられる視線は、同情と憐みで満ちていた。

 彼女がどんな目に遭うか。


「お嬢様、失礼します」

「遅いわよ! なにしてるの、早く入りなさい」


 扉をノックするだけでこの叱責である。

 それでも、マリアは怯むことなく、湯気が出ている水差しを持って中に入った。

 そして――中に入ると、ルシアナが待ち構えていた。


「扉を閉めなさい」

「はい」


 マリアは扉を閉めた。

 途端に、先ほどまで三角だった目心配そうにマリアに駆け寄る。

 その顔は先ほど怒っていた時と違い、本当に心配そうにマリアを見ていた。


「マリア、大丈夫だったっ!? カップ当たらなかった!?」

「大丈夫です、当たっていません、お嬢様。本当に大丈夫ですから、声を抑えてください。外に聞かれたら計画が台無しです」


 計画という言葉を聞いて、ルシアナは口を手でふさぐ。

 そして、ルシアナはそっと扉に聞き耳を立て、側仕えに聞かれていないか確かめた。

 気付かれていないようだ。


「お嬢様、なんで紅茶を飲みほしたのですか?」

「だって、紅茶の中身がマリアにかかったら火傷しちゃうじゃない」

「私の事は気遣い無用だと申したはずです。多少の火傷は気にしませんし、その方がお嬢様にとって都合がいいはずです」

「でも、マリアは私にとって、掛け替えのない共犯者(・・・)なのよ」

「その気持ちだけで十分です」


 マリアはそう言って、涙目になっているルシアナの頭を撫でた。

 撫でられたルシアナは少し恥ずかしくなり、咳をする。


「それじゃあ、マリア、準備をするわね」


 ルシアナはそう言うと、ドレスを脱いだ。

 紅茶がついている服が嫌だからではない。最初から、彼女はドレスについたあるかどうかもはっきりとわからない紅茶の染みなんて気にしていなかった。

 ルシアナが服を脱いでいる間に、マリアは持ってきた水差しに入っているお湯を、銀色の器に注ぐ。

 肌着姿になったルシアナは、そのお湯で顔を洗って、厚い化粧を落とした。

 化粧が落ちた彼女の姿は、お湯の温度でほんのり赤みを帯びた健康的な肌の色になる。


「ふぅ、すっきり」

「お嬢様、早く着替えてください」

「わかってるわ」


 ルシアナはマリアの手伝いを受けることなく、クローゼットの奥から取り出した服に着替えた。

 それは旅の修道女がよく着る修行用のローブであった。

 綺麗に洗ってはいるが、ところどころ繕った痕もあり、貴族が着る服としては生地も薄い。

 最後に、鈍色の腕輪を付けると、髪の色が金色から薄い灰色へと変わった。


「じゃあ、出かけてくるわね。夕食の時間までには戻るけれど、もし遅れたら――」

「お嬢様は部屋で食事をすると仰っていたと伝えておきます」

「うん、お願いね、マリア」


 ルシアナはそう言うと、本棚を横に押した。

 本棚の向こう側にあったのは、隠し通路である。

 緊急時の避難通路として作られており、屋敷の外れにある食糧庫まで繋がっている。

 本来、避難通路は滅多に使われないため、湿気がたまっていて黴臭いのだが、ここ最近は二日に一度、多ければ三日や四日連続で使っているため、そのような不快な感じはしない。

 マリアも手入れをしてくれているからだ。


 ルシアナは食糧庫に出ると、そのまま様子を窺う。

 裏門を見張っていたのは、昔から公爵家に仕えるトーマスという名前の初老の男だった。


「トーマスさん、こんにちは」

「ルシアナお嬢様、今日もおでかけですか?」

「ええ、ごめんね。夕方には戻るから」

「はい、いってらっしゃいませ」


 ルシアナはトーマスに礼を言って、裏門から裏通りに出る。

 そして、彼女が向かったのは、街の――王都の大通りへと向かった。

 時間に間に合うように一生懸命に走るルシアナを見かけて、街の人は、


「シアちゃん! 今日も元気だね!」

「シアちゃん、この前は魔法ありがとうね。おかげでうちの爺さんもすっかりよくなったよ」

「シアちゃん、美味しいオレンジが入ったんだ。一個持っていきな」


 と笑顔で声を掛けた。

 ルシアナは笑顔で、「こんにちは、おじさん」「でもまだ無理しないでくださいね」「ありがとうございます、いただきます」とそれぞれ応えながら、オレンジを受け取り、目的の建物に入った。


 公爵の屋敷の食堂の半分くらいの広さ、つまり住居としては十分に広いその場所に、いかにも凶悪面の男たちがたむろしている。

 何やら難しい話をしていたり、昼間から酒を飲んでいたりと様々だが、そんなところに入ってきたルシアナを見て、男たちは一様に顔を変えて、


「おぉ、シアの嬢ちゃん。今日は遅かったな」

「なんだ、また隣の爺さんの話し相手にでもなっていたのか?」

「どうだ? かけつけ一杯!」


 笑顔で出迎えた。

 現在十六歳の彼女だが、物心ついたときからここに通っているルシアナにとって、ここにいる常連の男たちは全員顔見知りであった。


「こんにちは、みんな。ファル様は来てますか?」

「いや、まだ来てないな」

「そうですか……あ、お酒はダメだって言ったじゃないですか。まだ傷が完全に治ってないんですから」


 ルシアナはそう言って、昼間から酒を飲んでいた男からジョッキを取り上げた。


「そんな、頼むよ、一杯だけ」

「ダメです。そんな我儘言うと、もう怪我をしても回復魔法掛けてあげませんよ」

「ちっ、シアちゃんには敵わないな」


 そう言って、男はルシアナが脇に置いたエールが入っているジョッキを仲間の前に置いた。


「シアさん、いらっしゃい」


 ルシアナを、青みがかった銀髪の女性が出迎えた。


「エリーさん、こんにちは。今日もにぎやかですね」

「本当に嫌になるわよ。冒険者なら冒険者らしく、しっかり仕事をしてもらわないと。このままだと冒険者ギルドじゃなくて酒場になっちゃうわ」

「それは困りますよ」


 ルシアナはそう言って笑った。

 冒険者ギルド。

 魔物を退治したり行商人の護衛をしたり、他にも様々な雑用を請け負う冒険者。その冒険者の互助組織組合が、冒険者ギルドだった。


「それで、シアちゃん。ちょっとお願いがあるんだけど」

「なんですか、エリーさん。改まって」

「ギルドの正職員になってくれない?」

「それ、前にも断りましたよね」

「条件が違うの! 前に出した条件は週五日、五時間勤務で給料は週に銀貨七枚だったけど、今回は週三日でいいから!」


 給料は七日に一度訪れる祝福の日に支払われるのが一般的で、週に銀貨七枚というのは、ギルド職員の平均的な給与である。ただし、彼らには有給制度はもちろん、週休制度というものも存在しない。休めば休む分だけ給料が減る。

 週に三日の出勤で給料が七枚というのは、実質、冒険者ギルドの職員の平均給与の倍以上と言っていいだろう。

 といっても、公爵令嬢のルシアナは給料は必要ないので、魅力は全く感じない。


「すみません、私はお世話になっている教会のおつとめがありますから」

「うぅ、ギルド長から絶対にシアちゃんを頷かせろって、せっつかれてるんだけど」

「ご愁傷様です。自由を愛する冒険者を相手にするんですから、慣れてください」


 ウソ泣きをするエリーの頭を撫でながらルシアナは笑顔で言った。

 とその時、蝶番の軋む音とともに、足音が聞こえた。

 ルシアナが顔を上げると、そこにいたのは見知った男の人だった。

 外から光が差し込んでいるとはいえ、油をケチったランプの淡い光に照らされても尚輝く金色の髪の男性だった。

 年齢は二十代後半だとルシアナは聞いていたが、それより若く見える風貌をしている。


「シア、来ていたのか」


 サファイアのような碧色の瞳がルシアナを見据え、彼は笑顔になった。


「はい、今来たところです、ファル様」


 彼はルシアナと今日、臨時のパーティを組むことになったバルシファルという名前の冒険者だ。

 ルシアナは屋敷を抜け出さないといけないため、裏門に人が集まるときや公務がある日は冒険者ギルドに顔を出すことができない。そのため、特定の人間と正式にパーティを組むことができず、こうして臨時のパーティを組んで街の外に出ることが多い。

 そんなルシアナが、最近よく同じパーティになるのが、このバルシファルだった。


「シアちゃん、俺もいるんだけど」


 そう言って、赤髪の二十歳くらいの青年が拗ねるように言う。


「あ、ファル様に隠れて見えなかった。こんにちは、サンタさん」 


 バルシファルの身長が百八十センチ程度あるのに対し、サンタの身長は百六十センチと少し小柄であった。

 しかも、バルシファルの後ろにいて、本当に気付かなかった。

 そして、気付かなかった人物がもう一人、

 黒髪の少年――身長はバルシファルとサンタの間くらい、年齢はルシアナと同じくらいだろうか?――が機嫌悪そうに立っていた。


「ファル様、その人は?」

「彼はカールだ。今回、急遽同じパーティで戦うことになった」

「そうなんですか。初めまして、シアです。主に回復魔法で皆さんの援護をさせていただきます」

「……そうか」


 不愛想な少年だというのが、ルシアナのカールに対する第一印象だった。

 どうせなら、女の子でも連れてきたら話し相手になれたかな? と思ったルシアナだったが、その女の子とバルシファルが仲良さそうに話している光景が目に浮かんで、やっぱり男の子でよかったと思い直した。



「シアちゃん、一応、カール君はリーダーのお弟子さんなんで、剣術は一通り使えますよ」

「そうなんですか」


 バルシファルに弟子がいたことをルシアナは聞いたことがなかった。


(同じ流派でも、髪の色が違うからあの人とは別人ね)


 ルシアナはじっとカールの顔を見ると、その視線に気付いたのか、カールは眉間に皺を寄せた。


「何見てるんだ」

「別に、なんでもありません。それでは、ファル様。今日の仕事はどうなさるのですか?」

「もちろん、いつも通りだよ。依頼を受けているからね」


 その言葉に、ルシアナは少し安心した。

 これで中止となったら、せっかく屋敷から抜け出す手伝いをしてくれたマリアに申し訳が立たない。


「準備はできているかい?」

「はい。問題ありません」

「なら、行こうか」


 ルシアナたちは冒険者ギルドを出て、王都の外に向かう。

 王都の南側は、街道が整備されていて、その周囲には何もない。

 本来、このような大都市の周囲は小麦畑が広がっているのが普通なのだが、成長した小麦の陰に賊が隠れたり、小麦畑を燃やして利用されるのを防ぐため、まるで芝生のような草原が広がっているのみだ。

 もっとも、それは王都の城壁から一キロの範囲だけで、それより先には小麦畑や葡萄園が広がっている。


 依頼は、その葡萄園に最近ゴブリンが出没しているから、その退治をするというものだ。

 普段、王都周辺の魔物退治は騎士団の魔物討伐隊が行っているのだが、もうすぐ王城で春の式典が執り行われるため、騎士たちはその準備と警備に追われ、結果、魔物退治の依頼が冒険者に回ってくる。


「いたぞ、ゴブリンだ。サンタはシアを守れ。カールは俺と一緒に行くぞ。できるな?」

「当然だ」


 いつも通り、前で戦うのはバルシファルの仕事。

 そして、今回はカールも一緒だった。


 バルシファルが剣を抜き、七体いるゴブリンの群れに突撃する。

 白銀の剣を抜き、目にもとまらぬ早業で戦いながら、しかし必ず多対一にならないように立ち回るその姿は冒険者として一流だ。


(やっぱりファル様は凄い。あの戦い方、あの剣筋、あの時見た冒険者様と同じ――)


 ルシアナはバルシファルに見とれていたが、直ぐに隣で戦うカールの旗色が悪いことに気付く。

 三体のゴブリンに囲まれていた。 

 最初に斬りかかった一体のゴブリンが最期の力で逃げようとし、それをカールが追い詰めてとどめを刺したまではよかったが、その場所が悪かったようだ。


 カールの死角となる位置からゴブリンが襲い掛かる。


「カールくん、後ろ――」


 注意しようとルシアナが声を出したところで、ちょうどバルシファルが救援に回った。

 すでに彼は五体のゴブリンを倒していた。


 そして、カールも残り二体相手に善戦をし、少し腕のあたりに傷を負ったものの、二体のゴブリンを倒すことができた。

 計十体のゴブリン、うち七体をバルシファルが、三体をカールが討伐し終えた。


「大したことなかったな」


 カールがそう言って、剣についた血を拭い、鞘に納めた。


「おい、回復魔法を頼む」


 そう言って、彼は腕の袖を捲った。

 小さな痣ができている。


「はい、王都に帰ったら回復しますね」


 ルシアナはそう言って、ここで回復魔法を使うことを断った。


「今、回復しろ。そのためにここに来てるんだろ?」

「その程度の傷なら、戦いに影響はないでしょ? まだ仕事は終わりではありません。これから他のゴブリンと戦うんです。その時、万が一大怪我を負って、いま回復魔法を使ったせいで魔力が足りずに死なせてしまったらどうするんですか?」

「ここにはたかがゴブリンしかいない。そんな大怪我を負うわけがないだろ」

「ファル様がいなかったら、後ろから殴られていましたよね? たかがゴブリン相手に」

「ちっ、お前、俺様を誰だと――」

「新人冒険者のカールくんです」


 ルシアナがそう言うと、カールの顔が徐々に赤くなっていく。


「仕方ありません、腕を出してください」


 ルシアナはそう言うと、カールが自分で腕を出す前にその手を握り、そして、傷口に手を当てて言った。


「いたいのいたいの飛んでいけ」

「……なんのつもりだ?」

「頑張れるお呪いです」

「回復魔法はどうした?」

「帰るときにかけてあげます」


 そう言ってルシアナが笑顔を浮かべると、カールは毒気が抜かれたようにため息をつく。


「わかった。いい加減に手を離してくれ」


 その反応は、女の子に慣れていない初心な少年そのものだった。

 ルシアナはそれが少し可愛く思えたが、しかし、同時に思った。


(やっぱりあの冒険者とは全然違うな)


 そして、ルシアナは再度、バルシファルの先ほどの剣技を見て思いを馳せる。

 あの動き、あの戦い方、あの剣の鋭さ。


(あれこそまさしく、私が死ぬ前(・・・)に見た理想の冒険者そのものの姿だわ)


 人生は一度しかないと言われるが、彼女――ルシアナ・マクラスにとって今の自分は二度目の人生を歩んでいることを自覚していた。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 かつて、彼女は今と同じルシアナとしての人生を歩んでいた。

 我儘で自分勝手で傲慢で、それでいてプライドだけは人一倍ある女性であった。

 婚約者が王太子であるシャルド殿下であることを、まるで自分が偉いかのように自慢して、侍女に暴力を振るうことも日常茶飯事だった。

 そんな彼女の人生が大きく変わったのは、教会のお告げにより聖女が誕生したときである。

 ルシアナは直接会ったことはないのだが、その聖女は、ルシアナは悪しき女であり、王家に迎えたら必ず破滅するという予言を伝えた。

 教会の権力は王家にも匹敵する

 その教会が認めた聖女の言葉を国王は無視することができず、それがきっかけで、ルシアナはシャルド殿下から婚約破棄された。十六歳の冬の話だ。

 そして、ルシアナはそれが原因で、公爵家を追放され、修道院に入れられる。

 王太子から婚約破棄されたと知られたルシアナを嫁に貰おうとする奇特な王族や貴族がいるはずもなく、これまでのわがまま放題で屋敷の中には味方となってくれる者もいなかったため、当たり前の話だった。

 そして、彼女は結局、辺境の修道院に入れられた。


 最初は自分を追放した教会に世話になるなんて嫌だと思っていたルシアナだったが、優しい修道院長や他の修道女にほだされ、彼女は変わっていった。

 毎日神に祈り、僅かに使えた回復魔法で傷ついた人を助け、感謝されることに喜びを覚えた。

 婚約者に会おうともせず、それどころか一方的に婚約破棄した王太子への恨みも、そう助言した聖女への恨みもほとんどなくなり、むしろ今の生活に喜びを見出したある日のこと。

 近くの村に怪我人がいると聞いて向かっている途中、ルシアナは人攫いによって誘拐された。


 最初は、回復魔法を使える自分を高値で売るために誘拐したのだと悟ったが、彼女を攫って洞窟の奥に連れ込んだ人攫いの長らしい男はこう言った。


「雇い主はどうも貴様に生きて貰いたくないらしい。できれば死体も見つからず、惨たらしく死んでほしいそうだ。恨むなら俺の雇い主を恨むんだな」


 そう言って、洞窟の奥で彼女の胸を短剣で刺した。

 その時だ。


 聞こえたのは人攫いの男の断末魔の叫び声だった。

 金色の髪の剣士が、人攫いたちを切り伏せ、こちらに駆けてきた。

 その剣筋はとても速く、無駄がない。

 意識が朦朧としていた彼女には美しい舞いのように思えた。


「ちっ」


 ルシアナを攫った男は舌打ちをし、予め用意していたらしい別の脱出口から逃げ出した。


「大丈夫か、しっかりしろ!」


 剣士はそう言ってルシアナの上半身を支えるように抱きかかえたが、もうこの時、彼女は視力もほとんど失っていた。

 そして、声も発することができず、回復魔法を使うこともできない。

 もっとも、心臓にまで達していたであろうその傷では回復魔法を使ったところで意味はなかっただろうが。


「あなたは……一体」

「冒険者だ。助けに来た。絶対に君を……」


(わたしを……)


 もう声は出なかった。

 もう耳も聞こえなかった。

 もう何も見えなくなった。

 ただ、彼女の頬に落ちた水滴が、男の汗ではなく、涙であることだけはわかった。


(あぁ、私のために泣いてくれる人がまだいたんだ)


 ルシアナは願った。

 もしも生きて帰ることができたら、この冒険者に感謝したい。

 そして、顔を見て、お礼を言いたいと。


 だが、その願いは決して叶うことはなかった。

 彼女の命はそこで尽きた。


 はずだった。

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