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残像

作者: 松原あさと

 発車を知らせるベルが駅のホームから聞こえたと思うと、しばらくして列車は大きな振動とともに富山駅を出発した。

 日本海沿いに走るこの鉄道線が、まだ「北陸本線」と呼ばれていた頃、私は富山発糸魚川行きの、この「不思議な列車」に乗った。

 外は雪が降っていた。

 私が乗ったのは、三両編成の最も後ろの車両だったと思う。古めかしい対面式の座席は、座るとひどく沈みこむ、くたびれたものだった。

 車内の乗客は少なく、一つ隣の座席に高校生の女の子が座って文庫本を読んでいるのが、曇ったガラスの内側にやや反射している。通路を挟んだ座席には、お父さんと男の子の親子が座っていた。


 現在、この鉄道線は新幹線の開業により第三セクターという経営方式にとって変わられ、銀色の現代的な列車が走っている。私が当時乗った車両は、所謂「国鉄型」といわれているもので、鋼鉄製の車体がモーターを唸らせながら北陸を駆けていた。

 私は毎年冬になると旅に出る。なぜ冬かといっても、特別に季節を選んでいるわけではない。春は会社や家族の行事などで旅している暇などなく、また夏は盆休みでたくさんの人手があるから旅には向かない。旅に出られない時期を削っていくと冬の年末の時期に落ち着くわけである。

 この時期の旅は、学生が故郷に帰省するタイミングに重るため、大きな鞄を手にどこか都会風な格好をした若者と、各駅に停まる列車の中で同じ空間を過ごすことになる。始発の大きな駅からたくさんの人が乗り込み、町外れを過ぎ山を越え、うら寂しい駅で停車していく列車から、一人また一人と乗客が降りていき、最後は旅人だけが残る。その寂しさが旅の醍醐味でもあった。

 今回の旅は、私の祖父が住む山陰を旅したあと、京都から北上し、北陸を通って東京に帰る行程を組んでいた。もっとも、北陸では観光している時間はなく、ただ時間どおりに動く列車から流れていく景色を眺め、富山までやってきたのである。

 

 陽も沈み外の景色を眺めることができなくなった私は、持ってきた本があることを思い出し、それを鞄から出して読み始めることにした。

 富山駅を出た列車はしばらく走り、次の駅に停車した。

 通路を挟んだ座席にいた男の子が、駅に停車する直前から席を立ち、小走りに通路の向こうへ消えていった。

 列車で読書をしていると、集中できるようでできないものである。ちょっとした人の動きが気になり、しばしば本から目を離す。この時もそうで、通路の向こうに走る男の子を見てから読書に戻った。

 ほどなく列車は再び走り出した。この駅で乗ってきた人はごく僅かだった。

 私はまた本から目を離すことになった。例の隣の男の子が座席に戻ってきたのである。帰りも小走りだ。お父さんと旅をしているのだろうか。それともどこかに出掛けた帰りなのか。濃いオレンジ色のパーカーを来て、小さなリュックサックと脱ぎ散らかした上着を席に置き、お菓子を食べながら分厚いマンガ本を読んでいるその男の子が、やけに気になった。

 かたやお父さんは、新書サイズの本を富山駅からずっと読んでいる。私のようにチラチラと目を逸らさず、ずっとだ。男の子より少し大きな青いリュックサックは、網棚の上に置いてあった。

 なぜこの親子が気になったか、その理由はすぐ思い当たった。幼い頃の私とその父に似ているのである。

 旅好きの父と私は、物心着いてからよく二人で旅に出た。二人の旅は、なぜか冬が多く、天気がすぐれない日が多かった。極寒のホームで列車を待ち、ようやく到着した列車の、温かい車内に入った時の匂いは今でもよく憶えている。父は座席でビールを飲みながら読書をし、私はマンガ本を読んでいた。そして、列車が駅に停まるたびに扉の近くまで行き、扉が開いたり閉まったりする動作に見とれていた。いつも親子二人で寝てしまい、降りる駅で慌てて荷物を持って降りることも度々あった。

 幼い頃の記憶が、列車の親子と重なり、なんとも言えない懐かしさがこみ上げた。今回の旅で北陸を通る行程を組んで正解だったと思いながら、再び読書を始めた。

 次の駅、またその次の駅でも男の子は席を立って小走りでどこかに行き、列車が再び走り出すと戻ってきた。カメラでも持って、空いた扉から駅のホームでも写しているのか、その時はそう思っていた。

 列車は富山郊外の街を抜け、泊駅を過ぎると、大きく日本海側に弧を描き、海岸線沿いに走る。ここからは、長く暗い断続的なトンネル区間となる。トンネルを抜ければ左から右へ線を描くような雪が舞っていた。雪が空から降るというよりは、舞っている状態である。列車の外に目を向けると、曇りガラスに男の子と、舞い上がる雪しか見えない。

 あと30分ほどで終着の糸魚川駅に着く。どうやら、ひどい雪の中でも、時間どおりに運転されているようである。

 市振の駅を出発し、「次は親不知駅」と車掌の放送が流れた。親不知駅は、険しい山から海岸線に続く傾斜の僅かな平坦地に小さな駅が建っている。ホームの目の前は高速道路の高架橋がそびえ立っているが、その橋脚は海面上である。そのぐらい海が目の前の、人家のない寂しい駅に次は停車する。

 親不知の駅に近づいてくると、やはり男の子が小走りで通路を駆けていった。私もその気持ちはわかる。もはや、私は男の子に、幼い私の残像を重ね合わせていた。

 親不知駅にどのぐらい停車しただろうか。車両に乗ってくる人は居なかった。何もない小さな駅であるので、すぐに出発したはずである。列車はモーター音を唸らせながら加速を続け、すぐトンネルに入った。

 しばらく読書を続けていた私は、あることに気がついた。曇りガラスの向こう側に、男の子が居ないのである。親不知駅の直前に通路を駆けていってから、座席には戻ってきていないようで、富山駅を出てから初めての状況に、少し気になってしまった自分がいた。かといってお父さんのほうは、なにも気にすることはなく、本を読み続けている。まるで親子ではないような落ち着きぶりである。私の父だったら、心配して車内を探したりするだろうが。

 列車は何も知らないかのごとく走り続け、次の青海駅を出発した。やはり男の子は戻ってこない。私はいよいよこれは何かあったのではないかと考え出した。親不知の駅で誤ってホームに降りたところに列車の扉が閉まり、乗り遅れたのではないか。いやはや、お母さんが駅まで迎えにきたりなにかで親不知駅で降りたのか。それにしても男の子の荷物は全て座席に置いたままで、上着などは寄りかかっていたためか、「人のかたち」が残っている。この雪の中、極寒のホームに上着を羽織らずに降りて行くだろうか。私は本など読んでいられなくなってしまった。

 列車はやたら大袈裟な厳つい音を響かせながら、終着の糸魚川駅に到着した。乗っている人たちは、皆、先を急ぐように座席からから立ち上がり、扉に向かう。明るくなった窓の外を見ると、雪は雨に変わっていた。

 私はここから越後湯沢まで抜ける特急に乗り継ぐ予定で、僅か数分の乗換えである。男の子の行方が気になるものの、荷物をまとめ座席から立ち上がった。

 その時、男の子のお父さんが立ち上がり、網棚の上から青いリュックサックをおろし、肩に担ぎ上げた。そのまま私の目の前を歩き、私と一緒にホームに降りる。男の子の荷物が見えてないかのように、そのままの状態のまま座席に置かれている。

 私は何を見ているのか。目の前にいるこの男性は、男の子の父親ではないのか。車内で二人は何か話していたはずである。いや、話していないかもしれない。ただ、曇りガラスの向こう側で、男の子がお父さんにお菓子を渡していたのは目にしている。やはり家族なんだろうと思う。ではなぜ男の子は消えてしまったのか。男の子が消えたのにお父さんは探さないのか。なぜ荷物を置いて立ち去るのか。男の子が食べていたお菓子ですら、そのままである。

 私の頭の中は混乱した。ホームに降りて跨線橋の階段で立ち止まり、もう一度振り返って見た座席には、男の子の荷物がそのまま置かれていた。それが妙に生々しく思えたことを今でも記憶している。

 

 旅を終え自宅に帰り着くと、家族や友人達にこの列車での話をした。皆、「それは不思議だ」と口を揃え、さまざまな仮説が出たり消えたりした。中には「荷物は男の子のものではない」「トイレにずっと入っている」といった説まで出た。「そりゃ男の子の幽霊を見たんじゃないか」と言う友人もいた。


 今でも、ふとした時にこの列車でのことを思い出す。

 今振り返れば、あの親子は私自身と父に似ていた。消えた男の子、あれは私なのか。荷物を置いたまま、私の前を歩いていた男性は、私の父なのか。

 今ではもう、二人の顔は思い出せない。だが、二人は生身の人間で、確かに私の目の前に座っていた。

 私自身の幼い記憶が作り出した、幻の産物ではないはずである。





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― 新着の感想 ―
[一言] 富山出身なので、車窓からの風景を思い浮かべながら読ませていただきました。 親不知の言い伝えに由来した怪談なのでしょうか。 物語の余韻がよかったです。
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