第三話:ひろみ
あれから、父さんの手紙を何通か読んだり、母さんの日記を読んだりして、いくつかのことが分かった。父さんは『あの人』を愛していたこと。『あの人』に手紙で告白して一度振られたこと。それでもあきらめずに手紙を出しつづけてつき合うことになったこと。母さんはそれを知って悲しみのどん底に落ちて、自分を見失って、外見も内面も『あの人』のように変えていき、今のような女性になったこと。
でも、なぜ父さんと母さんが結婚することになったのかは、わからないままだった。もっと調べなきゃならないんだけど、なかなか屋根裏にいけなかった。テストがあったし、そんなに頻繁に行っても怪しまれるんじゃないかと思って怖かったからだ。
「アオっ!!」
下校のとき下駄箱でひろみが話し掛けてきた。
「テストさぁ〜どうだった??俺マジやべー!高校行けんのかって感じ。」
「僕結構良かったよ。」といってにやっと笑ってみせた。
テスト・・・・正直言って今回のテストはめちゃめちゃ勉強した。結果がいいのも当たり前なくらい。あれを知ってから、なんとなく僕はイイコでいなければならないという気持ちになっていた。僕が養子だという事実。母さんの憎んだ女の名を持つこと。すべてが僕の首を締め付けていた。勉強に集中するとそれが少しだがゆるまる感じがした。だから・・・・いやでも結果はいいものとなった。
「マジで!?ありえねぇー。なんだよ!!なんか目覚めちゃったわけ???」
「別にそんなんじゃ・・・」
ひろみにだって秀作にだってあのことは言えるわけがなかった。友達だ。こいつらは本当に友達だ。でも、自分が養子だなんて父さんと母さんの過去なんて言えるわけがない。言うつもりもさらさらないんだ。僕が友達に求めるものは、平常心の保てること。楽しいこと。そういうことなのに、僕が養子だなんてことを、父さんと母さんの過去を、カミングアウトすれば、僕が『友達』に求めることは、すべて得られなくなるだろう。
「やらしー。自分だけ必死に勉強しちゃってさぁ。」
ひろみのこういうトコ、ムカツクな・・・。
「ま、今度勉強やるときは誘ってよ!!いっしょにやってよ!!」
と頼むというポーズ付きで言ってきた。
ひろみのこういうとこが好きで友達やってんだよな。なんか自分の気持ち押し込めないで何でも言うけど、相手をあんまりムッとさせすぎないっていうか、結果的にひろみはいい奴なんだなってわかるし。
「おー。秀作も呼んで三人でやろうぜ。泊りがけとかでー。」
「マジかよー泊りがけは勘弁だな。寝ないってことじゃん。俺寝ないと死ぬね。」
「一晩くらい寝なくても平気だよ。」
「そぉかー・・・あっ!!俺今日ピアノだった!!やっべ・・・遅れちゃうよ。先帰るな。じゃーなー」
・・・・・・・・・。ホントはっきり言ってすっぱり帰りやがった。
ま、いいけど。
ひろみは僕と秀作とはうちとけていたが、他の奴らとはあんまりうちとけてないようだった。ひろみも自分の意見は、はっきり言うが、家の事となるとほとんど黙ったりする。なんかあるのか?
今は人の家の心配をしてる場合じゃないや。自分のことでせいいっぱいだ。
今日は久しぶりに屋根裏にいって父さんの手紙をもっと読んでみよう。
「ただいまぁー」
「おかえり。アオ。今日はね、おやつとってもおいしいの買ってきたのよ。」
「買ってきたの??めずらしいね。」
母さんはおやつをほとんど手作りしていた。
「ちょっと出かける用事があったものだから、ついでにおいしいって聞いてたケーキを買ってきたの。」
「どこ行ってきたの??」
「・・・・。お友達のお墓参りよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。お墓参り・・・・・・・・・・・・。
心臓が速くなりだした。
もしかして、『あの人』の?????
聞きたいけど、聞けるわけない。聞けない。平常心を、平常心を保たなくちゃ。
「どうしたの?アオ?」
「なんでもないよ。あまりにおなかすいちゃって。ケーキはやく食べたいな。」
「じゃあ、着替えておりてらっしゃい。」
「うん。」
どうしよう。どうしよう。
こんなことで動揺して、これから先どうするんだ?
ケーキなんか食べる気にもならないよ。
“母さん、母さんは僕のことを憎んでる?”
怖くてきけないよ。すべて話してしまいたいけど、ダメだ。
誰か・・・・・・・・・・・・・・・。
トゥルルルルルー
電話?
二階で着替えていると一階で電話が鳴った。
「アーオー、ひろみくんよー。電話ー」
ひろみ?
着替えをすまして、トコトコ階段をおり受話器をとった。
「もしもし?」
「あっ・・・・アオ?俺。ひろみ。あのさぁ・・・・これから会って話せない??犬の散歩するからさ、そのついでに公園ででも。」
「いいけど・・・」
「じゃ、いつもの公園な。」
ひろみ、なんだか泣きそうな声だったな。
なんかあったのか???会って話したいなんて・・・。今までなかったのに。
ま、こっちとしてもよかった。
気まずい思いで食べたくもないケーキを食べずにすむし。
「母さん。なんかひろみ、急な用事らしくて、今から公園いってくんね。」
「わかった。ケーキ取っとくわね。」
「姉さん達が食べたがってたらあげてもいいよ。」
「わかったわ。いってらっしゃい。」
“いつもの公園”とは、僕の家から歩いて十分くらいのところで、ひろみの家からも十分くらいのところにある、本当に小さい公園だ。
公園につくと、すでにひろみとひろみの犬のハルの姿があった。
「ひろみ!!」
「あっアオ!悪いな、いきなり。」
「ひろみがそんなこというのめずらしくない?どしたの????」
「あ・・・のさぁ、俺しばらく遊べなくなるわ。」
「なんで?習い事忙しくなんの??」
「いや、習い事は全部やめた。」
「じゃ、遊べるじゃん!」
「代わりに、塾行くんだ。毎日。」
「塾???毎日???ひろみ、そんなにテスト悪かったのかよ。」
「めちゃわる・・・・・・・・・・・」
そういうと、ひろみは泣いていた。
なにがなんだかわからなかった。
小さくまるまって声を押し殺して涙を流すひろみがいた。
いつもへらへら笑って、なんでも言っているひろみとは全く別の人物のようだ。
よく見ると、ひろみの頬は真っ赤だった。泣いているからではないだろう。おそらく誰かにぶたれたのだ。父さんにぶたれたことのある僕はわかった。
「どうしたんだよ?」
「・・・・・・・・・・。」
「言えよ。そのために僕呼んだんだろ?僕、口かたいし。な?」
「・・・・・・・・・。おっ俺・・・・母さんにぶたれてる。・・・・もうずっとなんだ。・・・・・・・・・。ひっく、習い事も母さんに無理やりいくつもいくつもやらされて、そんなんじゃ、勉強なんかできるわけないのに・・・・・。もうずっと、俺、成績悪いし、テスト悪いし、それで、それで・・・・・・・・・・・・・・。」
「それって・・・虐待なんじゃないのか?」
「ちっちがう!!母さんは、できない僕をできるようにするためにやってくれてるんだ。・・・・。」
「・・・・・・。そうか・・・・・・。」
何もいえなかった。
いつものひろみとあまりに違うこんな痛々しいひろみに何を言って慰められるのか、言葉が出なかった。ひろみは悲しいほど両親が好きなのだ。
僕が養子だったら、父さんと母さんを恨むかな???
そんなことをふと思った。たぶん、恨まない。それより、僕自身を恨むだろう。
僕が、『青』という文字を書いてぶたれたあの日、僕は頬の痛みに涙を流しながら、自分はなんてバカな奴なんだということにも涙を流していたのだ。
親は僕たちにとって、絶対的な存在だ。きっと、親は子供にとってのすべてなんだ。価値基準を覚えるのも親の下でだし。親のことはすべて肯定的にみてしまいがちになる。だから、ひろみはこんなにも両親の言うことを懸命にきいて、ここで涙を流しても、きちんと塾に行くだろう。成績も上げるだろう。
どうか、この気持ちを少しでもひろみのお母さんがわかってくれますように・・・・・・・。
「ひろみ・・・・・・・。僕にも誰にもいえないことがある。家族のことだけど、それ以上はいえない。今それがとてもつらくて、眠れない日も何日もあるし、泣くこともある。そういう時、誰かにいて欲しいと思う。だから、お前も僕を頼っていいよ。何を言ってもいいよ。僕も、いつか何もかもを、ひろみに話してしまうかもしれない。それでもいいならいつでも頼って・・・・・・。」
「ありがとう。」
そう言って僕らは別れてそれぞれの家に帰った。
ひろみも大変だな。あいつはだから、あんなにへらへらしてたんだ。
家に着く頃には僕の心はとても穏やかになっていた。苦しいことが半減した気持ちだった。
ケーキはきちんと残っていた。“とても”とはいえないけど、おいしかった。ひろみの悲しい告白が、僕には“ひとりじゃない”と言ってくれたように感じた。ひろみもそう感じてくれてればいいなと思った。