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第十三話:碧

ねえ、碧。

私はおかしいと思う?

これから、殺人者になろうとしている。

なんの計画も思い浮かばない。

どうして、いじめられていたその時には死ななかったのに、私と出会った後に死を選んだの?

木庭のせいで、死に向かったわけではないのかしら?

それでも、碧に苦しみを与えた木庭を、私は許せない。

これは私の自己満足のためなのかしら。

碧、あなたの名前を思うのは、私の勝手な理由づけかな。

こんなふうに、話かけても、なんの返事ももらえないこと、わかってるわ。

もうずっと、語りかけすぎている。

やめよう。

やめよう。

やめよう。

私のなかの碧になってしまう。

都合よく、作り上げた碧になってしまう。

それはいやよ。


そう言えば、いまごろふと思い出した。

ひろみはいじめの話をしたとき、秘密の話もしてくれたっけ。

なんて言ってたんだっけ。

思い出したい。

思い出したい。

“秘密協定”

―俺もアオも家族についての秘密があるんだ。

―アオは“自分にも秘密があるって。

―辛いって。それをいってしまうかもしれない。だから、お前も僕に言えばいい。”って。

―結局アオの秘密が何かは聞かなかったけど


秘密?

私、そんなことも知らなかった。

知りたかった。知りたかったよ、碧。“抱え込まないで。”なんて、私もばかにしていた言葉だったっけ。でも、私たち、すごくわかっていたけれど、まだ知らないところもたくさんあったね。現実的なことも、もっともっと話して、分かり合えたのにね。どうしてそれをしなかったんだろうね。わかるようでわからないわ。どうしてかな。

わからないわ。

そんなことを考えていたら、いつの間にか私は眠りに落ちて、夢をみた。

いつもの夢に似ていたけれど、それは悲しくはなくて、ただ薄いブルーに包まれたようなそんな中にぼんやりとただいる夢だった。

起きたら泣いていた。泣いて迎える朝はこれで何回目なのだろう。

もう、私の心なのかどうかすらわからなくなりそうだ。


でもその日私の目覚めの涙には、なんだか温かさが残っていた。

なのに無性に心がさみしくなった。

どうして?


私はおかしい。

碧のことを出して、なにかに八つ当たりしたいだけなのかな。

木庭を殺してしまうなんて、できるはずない。

でも・・・・・

おさまらないのよ。どうしたらいいの?こんなに混乱しそうな状態、わからないのに。木庭への復讐を思えば、バランスが保てるような気がする。

なんて、これも含めてもう、私はおかしいのだとやっぱり思う。


今日も目覚めて、着替えて、飲み込みたくもないごはんを口にねじ込んで、お母さんに元気を見せて、お父さんに笑顔を向けて、学校へ向かう。

そうしてなんでもない風に装って・・・・・。

もう、疲れた。何もしたくない。

こうしてみて初めて気付いたんだけれど、正常も異常もないんじゃないのかな。

私がしていることは異常なのに、正常だもの。正常のふりをした異常。

これじゃあ、誰も、精神病も見破れないし、殺人を未然に防ぐなんてできないはずだよ。誰もわからないんだから、本人だって、たまに分からなくなるのに。

それでも私は体を起こして、着替えて、飲み込みたくもないご飯を口にねじ込んで、お母さんに元気に「いってきます」を言って、お父さんに笑顔を見せた。

でも、私の足は、学校へ向かわなかった。

気がついたら、泣いていた。

とうとうおかしくなったんだと、本気で思った。

泣きながら歩けば、変人だ。周りの人が、「なんだこいつ」という視線を投げかけているのがわかる。

でも、どうしよう。とまらないの。涙が。

何なの?これは。泣きながらも、私の足は動き続けた。

碧、もう一度でいい。

私を笑わせて。

あなたが笑えば、私も笑えるから。


気がつくと、碧の家まで来ていた。

ほとんど病気だな、これは・・・・。なんて思った。

だって、碧の家に来たのは、クラスメイト全員で参加したお葬式の日、一回きりだ。その日も、事実を受け入れたくなくて目をそらして、碧の“ただのクラスメイト”を演じるのに必死で、記憶がほとんどないような感じだった。それなのに、私はその場所を明確に覚えていたの?

どうしよう。

もう、家に帰ろうかな。

でも、帰ったら、また聞かれるんだ。「学校で何かあるの?」

もう、だまって。

私にかまわないで。放っておいて。

いやだいやだいやだ。

誰にも何も話したくない。すべて、私の中にしまっておきたいのよ。

私の中に大切なものをすべてしまいこんで、その中で呼吸をしたい。誰にも何も言わせたくない。現実から目をうまく逸らして、夢の中だけに生きていたいの。お願いだから、そうさせて?もう、現実に連れてこないで。ずっと夢の中にいたいの。


明けない夜を願った。眠ってしまってずっと夢ならいいと思った。あなたのいない現実なんてありえない。ならこれはやっぱり悪夢だ。


ずっとずっとそう思っているの。


ガチャ


そんなことを考えていたら、目の前の扉が開いた。

黒い着物を着た女の人が目を赤くしてこちらを見ている。

「あ・・・」

思わず口が開いた。

「あの・・私・・・」

「アオコさん?」

「え?」

「アオコさんでしょ?」

「あ、はい。そうですけど。」

「よかった。」

そう言ってほっとしたような顔をした。

「あがってください。」

どうして、私のことを知っているんだろう。

一言も話さないで私は広い家の中を歩き、線香をあげた。

碧の家がこんなに立派だなんて知らなかった。

だけど、碧のぬくもりも香りも、この家にはない。どうして?

「アオコさん、こちらへ来てくださる?」

と連れていかれたのは二階の端の部屋。

扉が開かれた瞬間、私は倒れそうだった。

そこは碧の部屋だった。

無機質なように碧を感じないこの広い家とは正反対に、この部屋には碧がいっぱい詰まってる。碧の香りがした。

「アオコさん、アオと仲良くしてくださっていたのよね?ここのものすべて、アオコさんに見てほしいんですって。それだけ、たったそれだけが書き残してあったの。それだけが・・・・」

最後まで言えないような声だった。

私はただぼんやり見ていた。息をしていないような気持ちになった。

「どうぞ。」

と言われて、中に入った。

すうっと息を吸いこんだ。瞬間涙があふれた。

ねえ、碧。どうしよう。

ここに今いる?


「どうぞ、ゆっくりいらっしゃって。私、お茶入れてきますから。」

私の涙を見てか、自分の涙のためか、碧のお母さんは部屋から出て行った。


こんなに、こんなにたくさんの碧を、あなたを、もらっていいの?

どうしよう、涙が止まらない。

碧は私に何を残したかなんて、考えなくてもよかった。

すべてだった。

失っていなかった。

私は碧をすべて手にしたのだ。

彼のすべてを。そうそう得られない、誰か他人のすべてを、私に残した。


机の椅子に座ってぼんやり部屋を眺めていた。息を吸っては吐いた。いつも苦しいその行為はここでは薬のように癒してくれて、お菓子のように甘かった。

机につっぷして窓の外を見ていると、窓から風が入ってきて、私を包んでいった。変なの。涙がまた出てきた。感傷的にでもなっているのかな。

碧もこの景色を眺めて、そうして毎日を過ごしてきたのよね?

生きてきたんだよね?

心が休まった。もうずっと苦しかった心が、羽の上にでも浮いたようなそんな感じがした。


ここのすべてを見て感じる間、私はまた碧と共に生きるんだろう。

立派な机。

鍵付きの引き出し。


はっと思った。

いつだったか、手品の仕掛けで鍵を私に渡してきたことがあった。彼はそれを「あげる」と言った。私の鍵。心の鍵。碧に出会って、束の間の休息があって、碧の死が固い固い鍵になって、私の心は閉じたけれど、あの鍵はここにある。私の胸にペンダントとして掛っていた。

急いでペンダントを取った。そして引出しの鍵に入れた。

いつになくドキドキした。碧をまるで愛してるみたいに、碧の心を覗くような気持ちだった。鍵を回す手が震えた。かちゃと小さな音がした。

ぎっと引っ張り出すと、そこにはたくさんのメモ紙と写真とそれからノートが何冊も。なんの変哲もない大学ノート。表紙には日付しか書かれていない。日記?

たくさんのメモ用紙を取り上げて読むと、そこには走り書きで『もう聞きたくない。』とか『母さん、ごめんね。』とか『笑えてくる。そう、笑いだ。自分を笑ってあげようよ。』とか書いてあるかと思うと、しっかりした文字で詩が書いてあることもあった。ほとんどは碧の自作のようだったけれど、ところどころに詩人のものがあった。金子みすずの『明るい方へ』だったり、中原中也の『汚れっちまった悲しみに』だったり、他のには吉野弘と書いてあったけれど、私はその詩人を知らなかった。蜉蝣の話を碧から聞いたことがあったっけ。それはきっとこの詩を読んで私に話したんだわ。


その詩たちは私の心に寄り添うようにいてくれた。碧が私と共にいてくれるように。

写真はなんてことのないものだった。道端のお花だったり、この家だったり、私の写真もあった。そして、あの階段の写真も。階段の写真はほかに比べかなりの数だった。まるで上っていく様がわかるように。


そうして、最後まで上って、あの場所についてから、私はノートを開いた。一番初めの中学一年生時の日付。


碧の文字は綺麗で、だけれども癖があった。




十一月十八日

僕の記録。

僕の生きた証。

誰のものでもない、僕の証。

これを残してなんになる?誰が読む?

誰も僕を必要とはしないよ。

特に母さん。

なのに、母さんの日記を読んで、僕は日記をつけ始める。おかしなことだね。

笑っちゃうね。

僕の悲しい事実をここに書いたら、認めてしまう気がして、ここにも書けない。僕の事実は僕の中にしか存在できないのかな。

誰か助けてなんて誰に向かって言う言葉なんだ?

誰かって誰だ?




十一月二十日

 ぼんやりとしていて、とても早く時間が過ぎ去ったような気もするけれど、同時に一秒も進んでないような気がした。ずっと苦痛のなかに置き去りになっている気持ちもする。

あれから、あの屋根裏へは行っていない。母さんと父さんの顔を見るのが怖い。会いたくない。

だけれど、必死で弁解をして、自分の存在の怖さを、恐ろしさをすべてを取り繕いたい気持ちもした。

僕はどうしたらいいの?


これは誰への問いかけなの?



十一月二十五日

もう、この記録に頼るしかないような気持ちがするんだ。

どうして?

どうして????


息が苦しいよ。

“悲しみのために押しつぶされないで”

なんて自分で書いて自分で癒されて、自分でまたその言葉を笑って。

どうしたらいい?

どうしたら・・・・・・・・・・・・




十一月三十日、この日の日記は書きなぐってあった。



うるさい!

黙れ!

この世界の何が僕に何をしてくれたんだ?


この世界を生きることなんてできない。

腐ってる。腐ってるんだ。

僕をその中で生きさせたいのか!!!!!

うるさいから、もう黙れ!



碧が考えていたことは何?

何がこんなに碧を追い詰めてるの?


ページを数枚飛ばした。


四月五日

手紙と父さんと母さんと。僕をこんなにも苦しめるなら、もうそのすべてがなくなってしまえばいいのに。

僕を愛しているだって?父さん、笑っちゃうよ。

父さんが愛しているのは愛人の“あの人”だけだ。じゃなかったら、僕に“あの人”の名前なんかつけないよ。

母さんはきっと気づいてる。だから疑う。それでも信じたがっている。父さんを愛しているから?愛ってなんだ。ずいぶん都合のいいものだな。

愛なんてもの、ただの自己正当化のいい理由にしか聞こえない。僕はそれを信じない。

僕はもらってきた子供だって?

僕は父さんの愛人の子供だって?

そうだろ?

どんなに愛だとかなんだとかいっても、事実はその一点に終結してしまう。

父さんは僕を追い詰めてることに気づいていない。父さんは自分の美しい思い出を振り返るように僕に語って聞かせただけで、僕のことを少しも思いやってなんていなかった。僕の“本当の母さん”とかいう碧からも僕は少しも愛だとかいうものを感じない。

僕はもう、なにもいらない。すべてをかなぐり捨てて、このまま消えてしまいたい。これが遺書代わりにでもなって。

でも、怖くて死ねないんだ。どうしたらいい?

手首に刃を当てても怖くてしょうがない。どうしたらいい????

このまま凍結して生き続けるしかないのか・・・・。

生きることがそのまま地獄になるとはおかしなことだ。




碧が養子だった?それを碧は知っていたの?なんてことなの。碧のあの悲しい笑顔はここから来ていたの?

養子ってだけじゃないんだもの。愛人の子?自分の存在を疑っちゃっている。自分自身の存在に嫌悪感すら持っている。



五月十二日

毎日、疲れる。

神様が、もしもいるなら、彼は僕を殺したいのかもしれない。

それなのに、殺さないで自分で死ぬように仕向けてる。

この上ない苦痛を浴びせかけて。

なんて、神様なんていないぜ。


母さん、ごめんね。

僕みたいなのがいて、ごめんね。母さんにこの名前を呼ばせるのがつらい。


五月十六日

今日は少しだけ気分がいい。風が気持ちよくて部屋の窓から入り込む風にあたって一日中すごした。

もし生まれ変わるなら、こういうものになりたい。

でも、もう生まれ変わるのもごめんだな。


五月二十日

生きている。今日も。きっと明日も道化を続けるんだ。

母さんに罪悪感を抱きながら、この命が続いている。どうしたらいいかなんてもう考えるのやめよう。

ひろみに話そうと思っても話せない。口が震えて話せない。詰まる。


母さんは、僕を愛している?

愛なんて信じていないくせに、ほしがる僕はどうかしている。



六月十九日

ああ、もう疲れた。

誰か言って、もう休んでいいよって。


六月二十日

梅雨は心が休まる。どうしてだろうな。雨の音が僕を包んで、消してくれる。

目を閉じて、今日はゆっくり休めそうだ。


六月三十日

今日は期末テストの答案が配られた。ひろみと木庭の危ういやりとりが感じられた。怖かった。ひろみに釘をさしといたけれど、どうだか。何もなく終わるといいけれど。

ひろみをこれ以上大変な位置に置きたくないんだよ。あいつは純粋に母親が好きだから。


七月十一日

思考性なんてなくなっちゃえばいいんだ。僕も。

人間が人間であるのには、思考がきっと必要だ。裏を返せば、思考がなければただのサル、ただの動物と同じなんだもんな。

だったら、早くなくしてしまいたい。僕を苦しめる、僕の思考を閉じ込めて壊したい。なのに、どうせ壊れないんだろ。知ってるよ。



碧の言葉はいちいち私を包み込んだ。碧になんどもなんども恋した気分だ。

一番最後のノートの最終ページを見た。


七月一日

青子

青子に出会えて、すべてを知った気がする。青子が笑うのだけがうれしかった。

青子がいてくれるところで、僕は僕になれた。

青子が笑っていればすべてがずっとずっと明るいんじゃないかと思う。

だから、僕の最後の道化をあの子にあげたいんだ。

みんなが笑う僕の死を。

木庭が教えてくれた唯一の役立つこと。


1回だけしか出来ない僕の道化。

きみの笑顔のためだけの道化。

笑ってほしい。

死ぬって怖いと感じていた。僕が家族のなかで異質なやつだと知っても、悲しくても、いじめられて本当につらくても、怖くて死ねなかったけど、今はとても穏やかだ。僕は死ぬことに対して、とても幸せを感じているんだ。

死は逃げでもなく、生きることの放棄でもない。今僕の決心した死は笑顔のための死なんだから。僕は幸せです。



青子にこれを読んでもらいたいと思うのは、ただの僕のわがままです。そして、僕の大好きなものたちを、青子にあげたいと思うのも僕のわがままです。

でも、そうすれば、僕は青子とずっといっしょにいられると思うんだ。それを青子もわかってくれるよね?

もう一度だけ書かせて。

ねえ、青子。

僕は、幸せです。



涙が止まらない。

碧が死んだのは、私のため?

私の、笑顔のため?

そんな。

そんな・・・・。

碧が私を思ってくれていた。


その前のページをぱらぱらとめくると、私たちのなんでもない思い出が綴ってある。それでも、それはとても愛しいこの世のすべてだ。

わかってる。わかってるよ。


涙がとまらない。


碧、碧、碧!!!!

私、あなたを殺してしまったの???

ああ、憎むべきは自分自身だったの????

それでも、その気持ちを芽生えさせた木庭への憎しみがあふれ出して、このままじゃ、苦しい。


碧、あなたをすべて手に入れた私は、この先も生きていかなければならないかしら。あなたと一緒に生きたいよ。

生きたかったよ。



私は碧のその引出しの中身を鞄につめた。そして「また来ます。」と挨拶をして碧の家をでた。


木庭に復讐を。

その気持ちは変わらなかった。むしろ強くなった。これは単なる八つ当たりだ。

でも、それでも、碧をいじめたという、その事実は変わらない。あいつに復讐を。力じゃ敵わないのなんて知っている。だから力で行うのは無理だ。だけれど毒は手に入らない。あいつに近寄らなければならない。

女の子を雇おう。かわいいくておバカな女の子。援助交際でもしていそうな女の子をひっかけて、援助交際以上のお金をあげる。そしてあいつに近寄らせて、あいつの飲み物に入れてもらう。

毒は簡単だ。塩素系の洗剤を入れる。あれで死ぬかしら?死ななかったら何回かに分けるしかない。

でも臭うかしら。

なんて考えるだけでも心が晴れるな。

私は狂っている?


いったいどうしたら正常なのかしら。

誰かそれがわかる人いらっしゃる???


その後、家に帰った。

お母さんに案の定驚かれて、おろおろされたけれど、具合が悪かったといって事なきを得た。(むしろそれゆえに、リンゴを持ってきたり、飲み物をもってきたりとやたらと世話をやいてくれた。)それから部屋に籠って、ヘッドフォンでピンクフロイドを聞きながら碧の記録を読みふけった。碧がこの世界に絶望していたことを知った。けれど、彼には絶望だけでなくて、ちゃんと人に対する愛情が残っていた。この世界にまだ絶望しきれていなかったのかもしれない。

今思う。碧を守りたかった。ひろみに対する感情や、家族に対する思い、お母さんに対する思い。碧はこの世界を愛しいとまだ感じていたんじゃないのかな。


ヘッドフォンで音楽を聴いていると、ひとりになれて落ち着く。この世界にひとりのような気持ちになって、私を責めるものがなくなる。なんて、私は何に責められているというのかしら。ヘッドフォンで音楽を聞いていればどんな人ごみのなかでも“ひとり”になれると、“孤独”になれるとどこかで聞いたっけ。

それでも、この部屋でヘッドフォンでピンクフロイドを聞いて、碧の記憶をたどれば、私は決して“ひとり”じゃなくなる。碧と“ふたり”だけになる。あの頃みたいに。

そうすればするほど、どうしても拭えない思いが、浮かんでは消えてくれないんだ。

碧にあってやっと生きようと思えたのに、こんなにも、こんなにも碧と生きたかったのに、どうして私は彼を失ったんだろう。


あといくつ失えばいい?

あとどれくらい、私の望みを押しつぶして、うちのめせば気がすむ?


だけど、なら、私が望まなければいい、それだけのことだ。


なんて、そんなにまで世界が私中心のわけはないんだけれど、なら、なおさらのこと、なぜ私からばかり、大切なものは奪われるんだ。


もう、いい加減にしたいの。

ここから消えれば、なにもなくなる?

私の苦しみも、絶望も、悲しみも、すべてきれいに消してくれる?

私が木庭に行う復讐よりも、もっともっと簡単なことがある。

それは私が死ぬことだ。

たとえ死んでから碧に会えなくても、それでも、私は消えて、私のこの醜い感情も、思いも、苦しみもいっしょに消えてくれる。

そうでしょう?わかっている。

死ぬことは逃げることでも、生きることの放棄でもないと、碧も言ったね。

私は、私は今、生きることを放棄しようとしているかしら。

ああ、でも、碧からもらったものたちをおいて死んでしまうことも苦しい。

ねえ、生きるのも、死ぬのも苦しい。生きるのも、死ぬのも一緒っていうのは、こういうこと?


“それらしく”なんてできなかった。心の中で見下して優越感をもって、自分は違うと思い続けた。そうして、その仲間いりを忌み嫌ったばかりに、私は死のうとした。それはスタンスのための死?

死ねなかった。無様だった。自分は“自殺を図ったかわいそうな子”を“それらしく”演じることができた。

誰もそれを見破るなんてできなかった。

でも、私はそれを望んでいた。また、心の中で見下した。「お前らにわかってたまるか。」

なのに、どうして何度かそのことに涙したんだろう。

心を凍らせてもなお、勝手に溶けだした。


碧に出会ってから、全く心は油断した。和らいだ。たとえ、その時だけでも、私は“幸福とは何か”を知っている気でいた。

いっしょにいることが、どうしてこんなにも“幸福”なのか、とても不思議だった。彼に出会って、私は涙を初めて流した。あんなにも、生きていることを愛しく思えたときはない。それがどうしてかも、私はまだ、言葉にできない。

どれだけの生きる理由を彼につなげていたのか、どれだけの私の思いを彼にそそいでいたのか、わからないけれど、もうあれほど何かを愛おしいとも、望むこともできないだろうな。

そうして思った。碧のためなら死んでもいいと、思った。古いつまらない映画のセリフのようなことを、本気で思って、実感したんだ。

私の目は開いた。

私のことよりも、碧のことが気になった。

なのに、どうして、碧が、死んでしまったのだろう。

私はもっともっと気づけたはずだ。私が心を休めているばかりではいけなかったのに。私の方がずっとずっと強くなって、碧を守ってあげるべきだった。

何をしていたんだろう。あの幸福にうずくまって、その時が続くことだけを思って、ただ存在していたなんて。

もう、触れられないのに、手がその先に碧を求めて、私の皮膚のすべてがあの空気をほしがって、呼吸はそこでしかしたくないと苦しがる。

もう、届かないのに、何度も何度もその名前を口にして、あの声を待ってしまう。

思い出せなくなりたくない。もう、忘れ始めている。いや、忘れていない。

思い出せば、思い出すほど、いいように記憶を造り変えそうで怖いのに、なのに、思い出していないと忘れてしまいそうで、やっぱり怖い。


それを理解している気でいるけれど、これを口にすることはできなかった。

つまりまだ何一つ、私は認めることができないでいる。

すぐまた別の何かをひっぱり出してきて、またそらす。

誰もそれに気づかないでほしいと思いながら、すべてに気づく誰かを、碧を待っている。とんだヒロインだ。


ずっと頭の中がごちゃごちゃしているのに、それを見ないふりして、それはそれはすっきりした様子で過ごしてきた。それが可能だったのは、碧の死が鍵になって、すべてを凍らせられたから。

だけど、足りなくなってきた。

今は、傷つかない心と体がほしいの。

嘘、もうずっとほしいの。

凍らせるだけじゃたりなくなった。

もっともっと強くなるには、全く傷つかない体がほしいんだ。

どうしたら手に入る?

どうしたら手に入る?

私だけのための私だけの祈り。

私だけのための私だけの歌を。

私だけのための私だけの思い。

どれも、するのは、私だけだって、そんなことずいぶん前から知っているの。


傷つかないからだとこころがほしいの。

そうして、どんな人にも平等に接したいんだ。

そうして、誰にでも同じ笑顔を振りまいて、自分の株はウナギ登り。

こんなことがしたいのか?

違う。

私は碧に逢いたいだけだ。

それがどうしてこんなに難しくなったの?


涙が流れ始めたのがわかった。だって頬が濡れている。


「泣かないで。」

 

だあれ?


「泣かないで。」


あお?


「キミをそんなに泣かせるためにしたかったんじゃないんだ。」


しってるよ。ごめんね。ないてばかりで。


「謝らなくていいんだよ。もうずっと、たくさん謝ってきたね。僕も、青子も。」


あおも?


「そうだよ。もう、謝らなくていいんだよ。」


だって、わたしは、わるいこだから。せかいをみくだして、いやなことばかりいって。だから、みんながおこって、わたしをころそうとしてくるんだ。


「違うよ、青子。青子は知っているでしょう?知っている分、優しくすることもできるんだよ。他の人よりずっとずっとやさしくなり得るんだよ。」


でも、わたしはそんなにつよくないの。

どうして、わたしだけがやさしくしていなければならないの?

だれもわたしにきづかないのに。


「青子、それもキミは知っているよ。強い、強くなっているよ。そもそも強いも弱いもないことを、青子は知っている。それはとても強いことなんだよ。」


だから、あおこがやさしくするべきなの?


「それをキミも望んでいたんだ。ずっとずっと。優しく強くなりたいと。なのに、いつのまにか青子の心はそのために一人ぼっちになった。そうでしょう?僕もそうだったから。それでも、僕は思うんだ。」


なあに?


「だから、僕はキミに出会えたんだ。青子に。こんなふうに出会えて、互いを鎖のように思えることが、そんなにあると思う?そして、それに気づけて時をすごせるなんてことができると思う?あんな人たちに?」


ううん。


「それでも、あの人たちが、青子より幸福だと思う?」


ううん。


「ほうらね。やっぱり知っていた。」


うん。でも、碧にいまきいてわかったの。


「僕だって同じだよ。青子に逢って、わかったんだから。」


そうかな?


「そうだよ。」


そうだね。


「それにね、僕も、青子も、もう一人じゃない。気づかれないと嘆かなくていいんだ。青子が僕を思ってくれて、僕が青子を見ているから。」


本当?


「うん。」

「それに、青子と僕が出会ったのは、この世界だ。」


あ。碧の笑顔が。待って。待って。もう一度だけ触れさせて。

もう一度だけ・・・・・


碧が私にキスをした。



「もう、泣かないで。」






目が開いた。


どこからが夢なんだろう、と思ってクスッと笑ってしまった。

頬には涙の跡があった。


昨日カーテンを閉め忘れた窓から光が降り注いでいた。


息をした。


夢も現実も一緒で、生も死も同じことだった。


私は澄み切ったような気持ちになった。

「ねえ、碧」

何度も心で呼びかけたことを口に出した。初めて出せた。


今日はお母さんにおはようを言おう。

お父さんにありがとうの気持ちを言えるように。

学校にいって、みんなの気持ちを無視しなくても大丈夫だわ。

強くあれることに気付いたから。

誰もそれに気づかなくても、碧は知っている。


夢?


どっちでもいいのよ。



もし、この世界に終わりがきても、きっとここのみんなは繰り返すだろう。戦いを、破壊を、醜さを人らしさとして、寂しくもないとそれすらに気づかないんだ。




碧は多少狂っていたかもしれません。

私を笑わせるために死ぬなんて。

でも、狂わせたのは誰?何?

友達?いじめ?家族?社会?世の中?

誰にもわからない。

もし、これが理由ならこの地球上の何億人もの人が狂っていることになるもの。

なら、碧がそうであったように、

私も人間であるのだわ。

狂っているのよ。

異常なんだわ。

そうして生きていくのでしょう?

碧、

私生きていくよ。



大丈夫。碧、私はやっとわかったから。


永遠の意味がわかったの。

そう。

どんなに形が変わっても、変わらないことがあるって。自分のこととして受け止めることがやっとできるようになったの。

ねえ。わたしが大切にするものは、一番の大切は、わたしが死ぬまで、死んでからも、何も変わらない。

たとえ、わたしも、あなたも死んでしまっても、ここで出会ったこと、してきたこと、描いた願いや、大切さは、何一つ、嘘にも、幻にもならない。

永遠をもっているから。


形にこだわって、逢えないと嘆いたのは、それに気づいていなかったからだわ。

今は、はっきりとわかる。

「形がかわっても、変わらないということ。」があるってことが。

言葉にしたら、これだけちゃちになってしまうけれど、その実感はこんなにも強いものだったわ。


ねえ。もう少しだけ待っていて。

宇宙はひろいから、いっしょにいこうね。

それまで、あなたは、世界をみていて。

あんまり外に出なかったから、知らないこともたくさんあるでしょう??

わたしも、がんばっていろんなものを見ていくから。

そして、いつか、また逢うときには、いっしょに宇宙を見に行こう?

約束。

永遠をもった、約束。

わかっているの。

また出逢うって。

永遠に。



愛している

たとえ、あなたを地球に返さなければならなくなったのだとしても。

なにも変わらない。

愛している。

ずっと。

ずっと。

愛なんて、気易く私のような小娘が語るなと誰かがきっと言うわ。

でも、私は知ったから。

愛なんて、ただのマスメディアの作りものか、宗教の産物だと思っていたけれど、そうじゃないこと。


私がいつか、地球に返るとき、あなたとまた一緒になれる。

そしたら、戻ってこよう?ここに、もう一度。

わかってる。

大丈夫。それまでがんばるから。


ねえ、碧。

もう語りかけるのをおかしいともやめたいとも思わない。


もう二度と会えないけど、

空が青いのと同じように

あなたがここにいること

わかるから。

そう思ったら、息ができるわ。

きっと碧もそうでしょう?

そうしてきっとまた出逢う。

同じあおに飛んで。



すべては同じことだった。

すべては同列で、区別も差別もできない。

海と空が同じように。

















強くなるは、あなたがいるから。


優しくなるは、あなたが知っているから。


生きているは、あなたと共にあるから。


もう、ひとりじゃない。


ううん。


ずっとずっとひとりではなかった。











空にはあなたの色が広がって。

いつだって思い出させる。

あなたといた幸せを。

あなたがいた幸せを。

あなたがいる幸せを。


あなたとわたしをつなぐたった一つの、青。









青子の物語 完



ブルーストーリーズ  完


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