第十話:まわり
『青子さん。聞こえますか?青子さん???』
『おかしいですね。そろそろ目を覚ましても、いいころなんですが・・・。経過は?』
『特に異常は見られません。』
『まあ、致死量寸前までの血液をなくした後ですので、なかなか、身体も、本調子にはもどれないのかもしれません。術後の経過には個人差もありますので。ゆっくりと見守ってあげてください・・・・・』
なあに・・・・?
ぼんやりと会話が聞こえる。。。
わたし、ドラマを見てる途中で寝ちゃってたのかな??
「ん・・・・」
「先生!!!」
「青子!!!」
目に、ライトがあたる。
眩しい。
なんなの?????
「高橋さん。わかりますか。」
「あ・・・・」
声が、出ない。
「あ、まだ、しゃべらないで下さい。呼吸を助ける管が入っているので。話していることが、理解できたら、瞬きを一回してくれるかな?」
ゆっくり瞬きをした。
「あなたは、高橋青子さんですよね?」
再び瞬きをした。
「今いるところは、病院です。」
また瞬きをする。
「いま、青子さんの、身体は、一時、大量の血液を失ってしまったために、正常に機能するのが難しくなっています。しかし、これから、徐々に元通りになって、元気になれますから、」
ゆっくりとまぶたを閉じた。
「頑張りましょうね。」
瞬きはしたくなかった。
ああ。そうか、わたし、死ねなかったんだわ。どこにも、いけないんじゃないかしら。死ぬことすら、赦されなかった。
ぶざまだ。
でも、一回だけ、瞬きをしてみせた。
病院?本当だ、まっしろ。
ぼんやりとした視界は真っ白だった。病院の特有のこの空気感も。
わかる。生きてしまっている。夢でも、天国でも、地獄ですらない。
わたしは生きてしまっている。
「青子、お母さんよ。わかる?大丈夫よ。お母さんがついてる。お父さんだって、お兄ちゃんだって、みんな青子の味方よ。」
??????
え?何言ってるの?お母さん?
「なんにも、心配しなくていいから。お母さん達にまかせてね。大丈夫。お母さん、強いんだから!!!」
と、ニッコリして見せている。
あ。そうか、わたしが自殺したから・・・・・。
正確には、自殺未遂をしたから、お母さん達、わたしに何か苦しいことや悩みがあるんじゃないかと思ってるんだわ。そう、たとえばいじめとか?
「いじ・・・」とお母さんの唇が言おうとした。
するとお父さんが、お母さんの肩をぐっとにぎった。
お母さんはお父さんの気持ちを察して口をつぐんだ。
きっと、「いじめがあったの?」とお母さんは聞きたかったのだろう。しかし、お父さんは、そんなことを聞くのはまだ、早い、と思ったのだろう。
でも、どっちも的はずれだ。
わたしは、いじめられてもいないし、いま、そんなことを聞かれても、また傷つくとか、自殺したくなるとか、そんなことはない。
だって、わたしが死にたかったのは、明確な理由なんてないもの。
しいて言うなら、この世の中、社会すべてがいやだったからだもの。それ以外に理由なんかない。すべてが嫌だったんだ。
でも、そんなこと、考えてもいないんでしょう?
だって、そんなこと、テレビでも、新聞でも、週刊誌でも、やってないもんね?あのね、いま、もう一度自殺したいとは思わないよ。だって、わたし、死ぬことも赦されなかったんだから。もう、あきらめるよ。
うふふ。大丈夫、もう、自殺なんかしないから。そのかわり、わたし、別にもう、この世の中に未練もない。だから、死んだように生きるわ。気にしないで、大丈夫、うまくやるわ。
ね?お母さん、お父さん。
と、言ってやりたかった。
けど、忌まわしくも、わたしを生へと結びつける管のせいで、一言も発せられなかった。こんなもんだ、とまた思った。
わたしの、意志など関係ない。人は生きることが最善で一番の目的。そう、疑いもしない。本当のことなのかと、疑問にも思わない。絶対の答え。
それから、わたしは二ヶ月くらい入院して、一ヶ月自宅で安静にすることになった。入院中、お母さんは毎日やってきた。いいお母さんのように、かいがいしく、世話をして、看護婦さんや、同室の患者さんとも親しくなっているようだった。
お母さん、私のそばにこないで。前からそんなに、気にも留めてなかったくせに、どうして、今になって、そんなにそばにくるの?ほっておいて。平気だから。もう、自殺なんかしない。大丈夫だから、ほっておいて。そう、言いたかった。
でも、わかってる。そんなことをしたら、お母さんは自分のしている“正しいこと”を感謝や評価しない娘に悲しみ、怒り、そうして、泣くんだ。だから、言わない。一度「お母さん、もう、だいぶ体調も良くなったし、そんなに来なくてもいいよ。お母さんだって、毎日来るのは大変でしょ?そりゃあ、お母さんが来てくれるのはうれしいけど、でも、いつまでも私のことばかりじゃ、お母さんの体がもたなくなっちゃうよ。」と、やんわり評価しつつ、拒もうとしたけど、逆効果だった。お母さんは「いいのいいの。」といって、うれしそうに、それからも毎日通い続けた。
お父さんもお兄ちゃんも週末にやってきて、本や漫画、ゲームなどを持ってきて、しかもそれは、こころがあったかくなるようないいお話ばっかりだった。
うんざり。私、こんな話好きじゃないの知ってるよね?
本なんか、ミステリー以外読んだことないし、漫画はグロ系のほうが好き。どろどろの恋愛とかだって好き。知ってるよね?少なくともお兄ちゃんは。
どうかしちゃったの????
わかってる。
私のせい。私が自殺なんかしたから、どうかしちゃったと思われてんのね?
そうそう。なら、私にも役割が待っている。
ちゃんと、「もう、自殺なんかしない。私のことこんなに見て大切に思ってくれる人たちがいるんだから!」って、態度にしめすこと。つまり、読みたくもない本を読んで、感動したふりをして、それを、的確に言葉にしてみせる。
自殺の代償はおっきいな。
わかってたはずなのに。
いらいらする。
もう、こっちにこないで。話かけないでよ!そばによらないで!!
バカみたいなことが、次から次に降りかかってくる。
誰もそれがおかしなことだとは、思わない。
私は幸せな子だ、と。
こうしていると、自分と他人の間というものを、実感する。
決して他人は自分ではないという、当たり前の事実。
なのに、初めて感じたような気分だった。
自分と他人の圧倒的な違いが見えるようだわ。
それはいつでも明確なはずなのに、なぜかいつも忘れてしまっている。
「他人は自分ではない。」
だから?
意思疎通?
何それ。
ああ、うまくやっていくんだっけ??
自分の意思を示すこと。
大事なこと。
私はこれが苦手なんだ。
何も言いたくない。
私は私だけが知っていればいい。
こんなにも“まわり”を意識したことが、これまであったかな??
うまくムシして、私もだましてきたのに・・・・・
ああ、一変してしまったんだ。
私の自殺のせいで。
こんなにも、もろい自分と他人の間のもの。
これを世の中の人は絆と呼んで、賛美する。
でも、ほら、見て?
私は誰ともつながっていなかった。
こんなことで、悲しむとでも思う?
むしろ、おかしくて笑っちゃうわ。
だから自殺なんかしようとしたんだったのに・・・・・。
“まわり”はそんなことすら、わからないのよ。
自分は他人とは違う。
それだけのことが、どれだけ人の人生を難しくさせて、混乱させているんだろう。
そして、それに気付いている人と、気付いてない人とで、どれだけ不平等になるか。
わたし、時々思うの。
周りの人の気持ちを読み取れてしまうたびに、自分を憎いと思うの。
わかってしまってから、無視はできない。
そんなことをしては、本当にひどい人になってしまう。
それとも、私は善人ぶっているのかな?
気づかなければ、他の人のように気付かないでいられればどんなにいいんだろう。
それとも、みんな分からないふりをしているのかな?
私もその術を学んで身につけるべきなのかもしれない。
でもまあ、今に始まったことじゃない。
平等なんて、どこにも存在しない、きれいな理想だ。
そう、そんな理想でできている、素敵な世界なんだって。
この世の中は・・・・。
でも、私、もう、まわりを信じられない。
私のことなんて、わかってなかった。
わかってたはずなのに・・・・。
どうしてこんなに、悲しい気持ちになるの????
私と他人。
私とまわり。
それがこんなにも、遠いんだ。
人を信じるのは難しい。
そんな言葉が頭に残った。