第九十一世 ベルゼガ・ポー
──ラキの襲来、そして七釘が警備局へ向かってから四日が過ぎた。
灰飾とは通信魔法で何度か連絡を取っているようだが店には一度も足を運ぶ事は無く、段々と焦れてきた俺は気分転換も兼ねて墨白と共に上層へ向かう為に昇降機へと乗り込んでいた。
「七釘さん、大丈夫かな?」
「あやつのことじゃ、心配はいらぬと思うが……今回は状況が特殊じゃからな、話がこじれておるのかもしれぬ」
総隊長の失踪など前代未聞だろう、スフィアで呼び込んだ人間を使用して功績を集めるという不正があった事も踏まえると……俺の見通しは少し、いやかなり甘かったかもしれない。
昇降機が上層に到着したのか停止し、扉が開いた……頬を撫でる暖かい風に誘われるがままに昇降機から一歩踏み出して辺りを見渡す……視界いっぱいに広がる青空と中層以下では見られない背の高い建物たち、やはりこの景色はいつ見てもどこか心が躍る。
「さってと……今日は何だっけ? 浄水用のフィルターに……ランタンのオイル?」
「うむ、それに食材や調味料が数点と……あとはまぁ適当にじゃな。恐らくあの店で全て揃うじゃろう」
頷いた墨白が指差したのは少し離れた位置にある百貨店のような大きな建物……中央をまっすぐに伸びる大通りを左右に割きつつ道の中央に鎮座し、まるで己の存在感を誇示するかのように偉そうに踏ん反り返っている。
そう、今日は七釘の様子を見に来た訳ではない……というか、次の総隊長が決まるまで医療棟以外の警備局内へは立ち入りが禁止されているようなので、今日は大人しく買い出しに来ただけ……本音を言えばもし今日もパトロールに出ているなら少しだけでも、と思ったが墨白が言うには七釘の魔力は警備局の中をウロウロしているらしい。
「とはいえ向こうも儂の魔力には気付いておる筈じゃ、何かあれば言ってくるじゃろ」
「いいなぁ……俺もなんかこう、出来ないの? 墨白さんしか気付いてもらってない訳でしょ?」
「う、む……まぁ、なんじゃ? 儂がここにおるという事はお前様も一緒じゃろうと、多分……分かるじゃろ」
「……魔具の魔力とかで伝わらないかな?」
「確かに魔具には魔力がこもっておるが……お前様の魔具はほれ、風重の魔力が宿っておるじゃろう?」
「そうだった……」
これでは墨白と風重が一緒にいると思われるだけだ……堪らずがっくりと項垂れる、スマホなどの通話機器の存在しないこの世界では会う以外に意思疎通が取れない事のなんと不便な事か。
「仕方ない……きっと大丈夫だよね、七釘さんだし」
「うむうむ、おっと……忘れるところじゃった」
「ん?」
七釘と会う事は一旦諦めて百貨店への道を歩いていると不意に墨白が立ち止まり、脇に伸びる細い路地へと入っていった……何事かとついて行くと、懐から取り出した赤い布を額から生えた二本の角に巻いている。
「……何してるの?」
「面倒じゃがこのままではろくに買い物が出来ぬでな……これでよし、じゃ」
「っ……!? 角が、消えた……?」
二枚の布を角に巻いた墨白が指を鳴らすと一瞬の閃光と共に角が消え、白銀の髪も灰飾のような真っ赤なものへと変化していた……思わず角のあった位置を触ってみるが肌の感触しか無く、髪も指通りがよく何の違和感もない。
「ふふん、どうじゃ?」
「どう……って、角……消しちゃったの?」
「角だけではないぞ? お前様には感じられぬじゃろうが、魔力もかなり抑えておる。通りだけならともかく、あの姿のままでは周りに無用な警戒をさせてしまうからのう。どうじゃ? 似合っておるか?」
今日墨白が身に纏っているのは彼岸花のような花弁の細い花の描かれた黒地の着物……いつもの白銀の髪だとどこか儚げな印象だったが、赤となるとガラッと印象が変わる。
「似合ってる……あとめっちゃ強そう、なんかこう……極道の女って感じ」
「……ゴクドーとは、なんじゃ?」
俺も勢いで言ったので詳しいわけではないが、大雑把に説明すると彼女も気に入ったのかケラケラと笑い出してしまった、黒の着物というと喪服のイメージが強いが……やはり綺麗だし、格好いい。
元々墨白の顔が良いというのもあるが、赤髪のせいでいつもの妖艶さよりも力強さが増しており……そこまで考えてハッとする。
「そうか! だから黒い着物……『今日がお前の葬式だ』って事か!」
「う、む? 楽しそうなところ悪いが……何を言っておるんじゃ、お前様よ?」
両手を打ち鳴らし、素晴らしい発想だと自らを賞賛するが墨白には首を傾げられてしまった。これを説明するのはちょっとどころではなく恥ずかしいので何でもないと誤魔化し、墨白の背中を押しながら路地から出た……脳内で黒いセーラー服を着せていた事も合わせて、墓まで持っていくとしよう。
「ふぉ……わ、なんっ……じゃこりゃ」
百貨店の扉を押し開き、先に墨白を通してから中へと自分も足を踏み入れると……まさに別世界へと繋がっていた。
天井が高く、果てが見えない程の奥行の通路の両端に店舗が並び、まるで街の中にもう一つ街があるような不思議な光景が広がっていた……入り口側から見えるだけでも服や薬品、調理器具と思われる道具など様々な品が店舗に張られたショーケースの向こうに並び、この煌びやかな景色のどこを見ればいいのかまるで分からない。
「『ベルゼガ・ポー』という、どうじゃ? ここでなら何でも揃いそうじゃろう?」
「そりゃこんだけ色々あれば揃うだろうけど……これじゃ、どこに何があるやら」
大通りを模しているのかとも思ったが上を見上げてみれば二階も、更には展望席のような三階まであるではないか……これは、適当な店に入っていたら間違いなくあっさりと一日が終わってしまう。
「さて、どこか気になる店はあるか? くふ、お前様の好きに巡ってみるがよい」
「いや、いやいや……さすがにこの広さだし、目的の物がある店が分かるならとりあえずそこから回ろうよ?」
時間やペース配分を考えても間違いなくそれがベスト、それは分かっているのだが……よく考えてもみれば、俺は自分で立てた予定を全う出来た事など無かった。
気が付けば通路に点在する水が球体状に吹き出す噴水を眺め、頑丈そうな革のベルトを吟味してみたりいくつも並んだ水槽の中で揺れる虹色の草を墨白と顔を並べて延々と見つめ……壁には定期的に変わる絵が広がるばかりで窓が無いので外の様子が分からないが、目的の店に辿り着くまでにかなりの時間を費やしてしまったと思う。
「……すっかり堪能してしまった」
「くふふっ、よいではないか! こういうのをデート、と言うのじゃろう?」
「まぁその……うん」
目的の一つであるランタンのオイルが並ぶ棚の前で墨白がニヤリと笑い、思わず頬が熱くなる……青春だけではないが、彼女と一緒にいると今まで逃した全てを順番に取り戻しているかのような気持ちになってくる。
「そ、それよりオイルって凄い種類があるんだね……どう違うの?」
「大抵は香りじゃな、匂いのせぬ普通のオイルはこの辺り……こっちはオイルの色に炎が変化するオイルじゃな」
「色々あるんだね……このフィルターもそうだけど」
片手で抱えている黒いキューブの一つを摘まみ上げると墨白が頷いた、浄水フィルターと聞いていたのでてっきりコーヒーのフィルターのように紙なのだとばかり思っていたが……これはどう見ても金属で出来ている。
「一言にフィルターといっても色々あるからのう、薬品用や鉱石用のフィルターなんてのもあるぞ?」
「うへ……一人で買いに来てたら頭を抱えるところだったよ」
「そうなっておるお前様を眺めるのも楽しそうじゃったかもしれぬな、くふふっ……では会計してくるゆえ、お前様はこの辺りを適当に見ていてくれるかのう?」
「ん、分かった」
俺の抱えていたフィルターを受け取り、オイルの瓶をひょいと四本ほど抱えると少し離れた会計所へと向かって行った……付いて行きたいが、人も多く邪魔になってしまうので仕方ない。
「さて、じゃあどこを……ん?」
あまり遠くに行くわけにもいかず、なんならこのままオイルを眺めていようかと周りを見回すと一件の店が目に留まった……今いる店の丁度向かい、何やら光る物が沢山並べられた黒い箱に詰められている。
「これって……宝石、だよな?」
箱の中の石を一つ拾い上げて眺めてみる……森林を映したかのような深い緑、宝石には詳しくないのでか細い知識でしかないが俺でも知っている名前で言うとエメラルドのように見える。しかもこの箱だけではなく、他の箱にも青や赤など思わず目を奪われるような美しい宝石たちが乱雑に詰められているではないか。
「なんでこんな、傷ついちゃうんじゃ……?」
「……宝石に興味がおありですか?」
店員に掴まってしまったかと振り向くと、そこに立っていたのは一人の女性だった。七釘と同じかそれ以上に背が高く、長く綺麗な腰まで伸びた黒髪……手に握っているエメラルドに負けず劣らずの輝きをもつ薄い紫色の瞳が一瞬、ギラリと光った。




