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第七十二世 海蛇の企み

「よい……しょっと」


 昇降機から風重(かざね)と共に降り立つと足元で金属の板とブーツの踵がぶつかり、小気味のよい音を鳴り響かると全身をやや強めの風が吹き抜けた……下層も中層も同じ空の中にある筈なのにいつもここは風が強い気がする、ぐるりと辺りを見回すがさすがは中層第八層、相変わらず店も無ければ人もおらず……障害物となるものが無いせいだろうか? 視界はどこよりも広いが、少し寂し気な景色が広がっている。


「……ん?」


「どうしたの?」


「いや、ほら……上からも昇降機が降りてきてるから、動いてるところを見るの珍しいなって」


「ホントね、でもまぁ当然私たち以外にも利用客はいる……っていうか、墨白達じゃない?」


「あ、そっか」


 確かにその可能性もある、違ったなら時間を多少ロスするが……もし早めに合流出来れば話をいち早く聞く事も出来る、どちらのパターンでも対応出来るようにややゆっくりと歩きながら降りてくる昇降機にチラチラと視線を向けているとカプセル状の機体は俺達と同じ中層で止まり、扉が開いた……やはり墨白達だったかと早々に振り返ってしまったせいで、昇降機から降りて来た人物とバッチリ目が合ってしまった。


「む……? ふっ、どうやら店まで向かう手間が省けたようだな」


 蓄えた髭を撫でつけながら大柄な老紳士はニヤリと笑い、鈍い足音を響かせながらゆっくりとこちらへ向かって歩いて来る……嫌味な程に権威を振りかざされているかのような気分になる羽織を纏い、シワ一つ無い軍服の胸ポケットには勲章のように葉巻が専用の固定具で数本刺さっている。


「最悪……なんてタイミングよ」


 背後でボソリと風重が毒づいた、俺も同感だ……出来る事ならあの顔は二度と見たくないと思っていたというのに。


「……うん? なんだ、逢引の途中だったのかね? 申し訳ないが、私もそこの彼に用事があるのだが……少し借りても構わないかね?」


「なら私も同席させてもらうわよ、また彼に鉄屑を飛ばされちゃ敵わないもの」


「鉄屑?……ああ、あの時の話か。いや参ったな……鬼といい君といい、冗談の分からぬ輩はこれだから困る……時に、君は……」


「──悪いんだけど、先に店に戻ってくれないかな? ほらこれ、届けないとみんな困るだろうし!」


 値踏みするような視線を風重に向けた事に気付いた瞬間ハッとし、男の視線を遮るように立ちながらポーチから取り出した適当な魔具(まぐ)を予備の小型ポーチに詰めて風重に押し付けた……ただでさえ彼女は微妙な立場なのだ、何か根回しはされているのかもしれないが……何にしてもあの男に余計な情報を渡したくない。


「……貴方とあの男を二人きりになんて出来ないわ」


「大丈夫、俺は二つも未開世界から戻ったんだよ? 装備もあるし、鉄球の十個やニ十個ぐらい飛ばされたって平気だって」


「でもっ……!」


「頼むよ……ここで俺達が揃って行方が分からなくなるより、風重だけでも戻ってみんなに状況を説明してくれた方が皆に余計な心配させずに済むでしょ?」


 残ると言い張る風重を早口でどうにか宥めると、二度三度唇を浅く噛み締め……小さく頷いた。


「……総隊長だろうとなんだろうと、彼を少しでも傷付けたら許さないから。貴方も、先に戻ってるけど……早く帰って来てね?」


「っ……うん、分かった」


「くくく……あれしきの事で随分と嫌われたものだな、私も」


 別れ際に頬に添えられた彼女の指先によって俺の耳に何かが押し込まれたが……喉を鳴らして笑っている様子を見るにあの男は気付かなかったようだ。


『聞こえる? 以前貴方に教えてもらった漂流物……イヤホン、だったかしら? 見よう見真似で作ってみたんだけど……聞こえてたら、あいつに何か話を振ってみて』


「それで……わざわざ俺なんかに、何の用だったんですか?」


「ふっ……まぁそう焦るな、ここは少々風が強い……そこの廃屋で話をしようじゃないか」


『……感度良好、すぐみんなと合流するからね』




「……どこも閉じられてますね」


 昇降機の並ぶ第八層は以前は栄えていたのだろうが今は店の跡地であろうスペースが多く、そのいずれの扉部分も金属の板が打ち付けられている……とてもじゃないが、道具無しには開かないだろう。


「なに、私が許可を出すのだ……この交路(こうろ)世界において私が入れぬ場所など存在しない」


「どういう──」


 疑問を挟む間も無く老紳士が扉の前に立ったかと思うと勢いよく扉を蹴り破った……長らく掃除などされていなかったのだろう、凄まじい埃が風に乗って立ち上り、思わず咳き込んでしまう。

 見た目に言動、そして性格がここまで統一されているのも珍しい……まるで傲慢が服を着て歩いているような男だ、この調子で店に辿り着かれなくて本当に良かった。


「ゴホッ! ゴホッ……!……ひどい埃だ」


「全くだ、このような空気の悪い場所で悪いが……少々内密な話でね、人に聞かれたくはないのだよ」


 床に散らばる木材だろうが尖った金属片だろうがお構いなしに踏み荒らしながら建物内に入ると適当に転がっていた椅子を二つ、向かい合わせに置くと片方に自らが深く腰掛けた。


「かけたまえ、ここの冷風は老骨にも響くが……君の体も頑丈というわけではないだろう?」


「……そうですね」


 相変わらず立ち上る埃に咽そうになるので口元を腕で覆いながら用意された椅子に腰掛けると、イヤホンの奥で聞き慣れたドアベルの音が鳴り響いた。


『おお来たか……待て風重、あやつはどうした!?』


『八層で獅龍(したつ)と鉢合わせたのよ、これで状況が聞けるから……あ、ちょっと! 精密なんだから慎重に扱いなさいよ!』


『お前様!? 無事か!? 返事をするのじゃ!』


 風重を守る事を優先しただけなので作戦などある筈も無く、不安で押し潰されそうだったが墨白の声を聞くだけで何とかなりそうな気がしてくるから不思議だ……思わず緩みそうになる口元を浅く嚙み、目の前の老紳士に視線を向ける……それにしても、シタツというのがこの男の名前だろうか?


『今は返事が出来るわけないっての! それより静かにして、聞こえないでしょ! 灰飾(かいり)、フィルもこっちに来て!』


『ぐぬっ……!』


「さて……何から話したものか……おっと、そういえばまだ君には名乗っていなかったか。私は獅龍、警備局の総隊長であり……言うなればこの交路世界の指導者のようなものだ、この世界に住む全ての種族を導き……守る立場にある」


「そんな御方が俺に二度も会ってくれるなんて……しかも俺、ただの人間ですよ? かなり珍しい事なのでは?」


「ふあっははは!……くく、そうだな。そうかもしれん」


 ……今日は警戒するべき相手がいないからか、随分とご機嫌のようだ。野心家という話だし、仰々しい外見がそのままプライドの表れになっているのだろう……扱いやすいとは言えないが、掴みどころが無いよりは余程いい。


「だが……それもその筈と言えるだろうな、君は……ただの人間というにはあまりにも優秀過ぎる」


「俺がですか?」


「ああ、鬼のみならず気丈なあの小娘を従え……頻繁にあの店、渦留(うずど)まりに出入りしているそうじゃないか? ただの客……ではないのだろう?」


 相変わらず引っ掛かる物言いだが灰飾の店はそもそも墨白が懇意にしている場所だ、そんな墨白と常に一緒にいる俺が出入りしたところで不審ではない筈……要領を得ない物言いでただ俺をイラつかせるのが目的なら、大成功だ。


「……彼女らには随分と助けられていますし、大切な友人ですよ」


「なるほど……では君が早々に二つの世界から帰還したのも、大切な友人とやらのお陰かね?」


「ええ、二度目なんて優秀な同伴者もいましたからね」


「なるほどなるほど……聞けば随分と早い帰還だったそうじゃないか、それも同伴者の力かね?」


「っ……もちろん、ですよ」


 しまった……一瞬だが、答えに詰まってしまった。

 俺の鍵を見る力の存在にまで気付かれている訳は無いが、この手の男は僅かでも何かがあると感じ取ればしつこいのは目に見えている……俺だけならまだいいが、他の皆に迷惑をかける訳にはいかない。


「ふぅむ……私には理解出来ないが、君達人間の中にはそうやって謙遜する事を美学とする者もいるというが……君もそうなのかね?」


「美学などとはとても……本当に俺の力なんて微々たるものなんです、偶然と……用意してもらった魔具のお陰ですから」


『……いいかお前様よ、手短に話すぞ? 今回儂らが取り逃がしたやつも人間じゃった、儂の顔を覚えておったようでな……突然逃げ出したので追いかけたのじゃが、やつは路地に逃げた途端に何かの魔具を使ってその場に世界扉を出現させ、中へ飛び込みおったのじゃ』


「……!」


 世界扉を出現させる魔具なんてものがあるのか……であれば墨白達から逃げ切れたのも理解出来る、理解出来るが……あまりにも危険な方法ではないだろうか?


「そうかね……だがやはり私には君が何か光る物を持っているように見えて仕方ない、そこでどうかな……一つ、提案があるのだが」


 大きく咳払いをすると老紳士はゆっくりと片手を浮かせ……俺の目を見て僅かに笑みを浮かべた、どこか勝ち誇ったかのような……嫌な笑みだ。


『七釘がその扉とそやつが扱っておったレコードスフィアを調べておるが……今はその事はよい、問題は今回逃げた者とお前様を未開世界へ蹴落とした阿呆がどちらも人間じゃという点ともう一つ……この二人から同じ臭いがしたんじゃ、その臭いとは──』


「……私の元で、働いてみないかね?」


『何を隠そう今お前様の目の前におる奴の臭いじゃ、そやつは何かの魔法で人間を操っておるのやもしれぬ! 儂らもすぐに──』


 老紳士の浮かせた手にグッと力がこもったかと思うと、埃だらけの空気を裂くような鋭い音が鳴り響いて墨白の声を遮った。

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