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第六十二世 石棺を漕ぐ

 鍵の気配を頼りに天窓に描かれた水面に沈む街を進み、突き当りで見つけたトンネルへと足を踏み入れた途端に周囲の雰囲気が一変した。

 先程までの炎で温められていた空気はどこへやら……幅の狭いトンネルの壁はしっとりと濡れ、奥から時折吹き付ける風は身震いするほどに冷たく、早々に地下に降りた事を後悔し始めていた。燃え揺れる水泡(ヴェパル・ボニー)のお陰で視界を確保できる程度の明かりはあるが、恐らく窓であったであろう四角く切り抜かれた穴から覗き込んでも深い闇が広がるばかりで何も見えない。


「大丈夫か、お前様よ?」


「平気……だけどここ寒いね、さっきのところは暖かかったのに。墨白さんこそ、平気なの?」


「問題無い、未開世界において寒暖差が激しいのはよくある事じゃからのう」


 薄着の筈だが震える俺と違って墨白はピンピンとしている、鬼である事を盾にされたら何も言えないが彼女の口振りからするに本当に様々な世界を見てきた故の耐性なのだろう。


「……あの、さ。墨白さんってそもそもどうして旅人になろうって思ったの?」


「儂か? ふぅむ……どう言ったらよいか」


 何気なく振った話題のつもりだったが、顎に手を当てたまま考え込んでしまった。

 墨白の事であれば出来る事なら全部知りたいと思ってはいるが、それでも誰にでも探られたくない箇所はあるだろう……どうやらその一つに指先が触れてしまったのかもしれない。


「あ、もし答えたくないとかなら全然……ん?」


 慌てて別の話題を探していると突如足元から何かが跳ねるような音が響いた、何事かと視線を下に向けると……何の事は無い、それまで乾いた石畳だった地面にうっすらと水が張っているだけだ。

 ……しかしそう思ったのも最初だけ。段々と深さを増し、地面に張った水が足首に迫ろうという頃には嫌な予感が警鐘へと変わって脳内で鳴り響いていた。


「案ずるでない、もうじき道を抜ける……引き返すでもよいが、儂ならひとっ飛びで……」


 トンネルの終わりが近付き、奥から差し込む青色の光に目を細めながら広い空間へと飛び出すと……二人揃って間抜けのように口を開いて眼前に広がる光景に目を奪われてしまう。

 背の高い壁面が脇に佇み、二つの壁を繋ぐ橋が階層ごとにある点は以前の緑の炎の街と同じだが、壁面に刻まれた幾何学的な文様や足元に広がる波紋一つ起きていない白く濁った水面など……どこか静寂を強いているかのような雰囲気に呑まれ、質問をする事すら憚られる。


「これは……歓迎されてるのかな?」


「さてなぁ、真意は分からぬが……確かなのは歩いて渡るのは無理、という事じゃな」


 小さく息を吐いた墨白がおもむろに足元の水の中へと手を入れ、引き抜かれた彼女の手の中には拳ほどの大きさの石が握られていた。

 それを目の前に広がる静寂の水面へと投げ入れる……が、いつまで待っても石が水底を叩く音が聞こえてこない。


「……どうする? 一応泳げるけど……結構距離ありそうだよね」


「そうさなぁ……とはいえこれだけ状況が整っておるのじゃ、何かきっと……ふむ、しばし待っておれ」


「え?……あ、ちょっと!」


 止める間もなく墨白が水の中へと飛び込み、辺りは再び静寂に包まれた……後を追おうかとも思ったが待っていろという彼女の言葉に素直に従い、座る場所など無いので壁に寄り掛かって辺りを改めて見回してみる。

 この場所の神秘性というか厳かな雰囲気は言うまでもないが、炎の街と違ってここの壁面からは苔以外にも植物も多く生えているようだ。群生する緑豊かな葉に紫や赤などの花も生えており、どこか寂し気な空間に暖かい色を添えている。


「──そうだ、ここの雰囲気……なんかどこかで感じた事があると思ったら……うおわっ!?」


 とある思い付きが頭を掠め、寄り掛かっていた壁から立ち上がると同時に水面から墨白が飛び出してきた! しかも身一つではなく、その手に抱えているものにも見覚えがある……石で出来た大きな長方形の容器、今しがた頭を掠めたこの場所が墓地と空気が酷似している事を考えると……おのずと答えは決まってくる。


「せ、石棺(せきかん)?」


「うむ、お前様がここを街ごと流れ着いたのではないかと言っておったじゃろう? 儂も未開世界にしては無秩序ではないと思っておってな、もしやと思って潜ってみたが……予想が当たって良かったわい」


 人間一人が余裕で入る程の大きな石棺を軽々と脇に置き、その縁をポンポンと叩いてみせた。


「どうやらここは葬儀の為の場所だったようじゃな、どういう死生観での葬儀かは知らぬが……これを浮かせれば舟代わりになるじゃろう?」


「そうかもしれないけど……で、でもこれ……中身は?」


「安心せい、似たようなものはいくつも沈んでおったがどれも空じゃったよ。死んでおるとはいえ中身は生き物じゃからな、世界は越えられんかったらしい」


 つまり、この石棺の中身は元の世界で放り出されているという事だろうか……ゾッとするような光景が脳裏に浮かびかけたが、首を振って嫌な想像を振り払う。


「あ……それより乾かさなきゃ、髪とか服とか……今、何か魔具(まぐ)を出すから」


「うん?……ああよいよい、であればそれを貸してくれるかのう?」


 それと言って指差したのは燭台に火をつけた例の水泡、照明など無い筈なのに周りが昼間のように明るいのですっかり存在を忘れていた。


「いいけど、これでどうやって……」


 半信半疑になりながらも宙を漂う水泡を墨白の元へ近付けると、指先を赤く光らせた彼女が水泡を操って自らの周囲をぐるぐると回らせ始めた……するとみるみる水滴の滴っていた髪からも水を吸った着物からも水分が抜け、最後に髪に指を通して広げる頃にはすっかり乾ききっていた。


「これでよし……と。ん? どうした、儂に見惚れたか?」


「いや、それはいつもだけ……じゃなくて! 便利そうだし、俺にも出来るかなってさ!」


「くくっ……コツさえ掴めばお前様にも問題無く出来るじゃろうて、まぁ数回ほど火傷はするじゃろうがな」


 喉を鳴らしながら笑う墨白が石棺の縁に腰掛け、手で数度叩いてみせた……乗れ、という事だろう。


「少し見ただけじゃがこの水路はかなり長い、恐らくは例の大穴まで続いておる……話の続きは船旅をしながらにしようかのう?」


 せっかく用意してくれたのだし、これに乗るのが最善なのは分かるが……バチでも当たらないだろうか? などと考えてもみたがそもそも悪霊すら裸足で逃げ出すであろう鬼の仕業なのだ、誰がバチを当てられようか。


「……おお、意外と広い」


 石棺の中は存外に広く、問題無く足を広げられる上に意外と座り心地も悪くはない……俺が乗り込んだのを確認すると墨白も反対側の縁に腰掛け、向かい合う形で座った。


「さて、それでは向かうとしようか」


 墨白が指を鳴らすと彼女の両脇に大きなオールのようなものが現れ、ゆっくりと水面を漕ぐと石棺が発進し始めた……これはどういう魔法なのか、何故石棺は沈まないのかと当初の俺であれば彼女を質問攻めにしていたところだが今なら断言出来る、聞くだけ野暮というやつだ。

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