第五十一世 鬼の翼
体が重い……頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられているかのようで気分が悪く、自分が立っているのか座っているのかさえ分からない。
「少年をテーブルの上に寝かせる、場所を開けて! 早く!」
誰かに持ち上げられているのか全身がふわりと浮き上がるような浮遊感、全身が熱を持っているからか少しひんやりとした場所に寝かされて心地が良い。
「少年! 聞こえるかい少年!」
「……灰飾さん?」
視界が二重にも三重にもダブっているせいで見え辛いが……あの赤い髪には見覚えがある。
「灰飾さん、俺……どうなって……?」
「なんてこと無い! ちょっと気分が悪くなっただけさ、すぐに治してあげるけど治療中は暇だから喋り続けて! なんでもいいから!」
なんでもいいと言われても……それが一番困るのだ、こっちに来てからはよく話すようになったので忘れていたが俺は本来お喋りな方ではない、いや……話す相手がいなかっただけなのかもしれないが。
「自分が自分じゃなくなってるみたいだ……墨白さん、俺まだ……ここにいる?」
「たわけた事をぬかすな! お前様はずっとおる! この先もずっとな!」
俺の手を握り、銀色の髪が揺れている……視界が定まらなくて目を開けているのも辛いが、こうして手を握っているくれているだけでも安心する。
「がっ……!?」
しかし気が休まったのも束の間、激痛と共に叩きつけるかのような鼓動が全身に鳴り響き、墨白の手を振り払ってしまう。
全身が熱い、両手で頭を抱えて叫ぶが鼓動の音が激しさを増すばかりで自分の声すら聞こえない……乾いた喉がひりつき、痛む。
「っち……少年の自我がズレかけてる……! 墨白、手持ちの薬じゃ足りない! 急いでアタシらを店に飛ばしてくれ!」
「分かった! 流転する……っ!?」
赤い光を携えながら片手を伸ばした墨白と俺との間に青白い稲光が走った……耳を塞ぎたくなるような轟音だが、不思議と見覚えがある気がする。
「墨白の魔力が弾かれた……!? 貴方、その手!」
「騒ぐな! 少し焼かれただけじゃ!」
「ふ、ざけるなよ……これじゃあ運べないどころか触る事すら……! そんなに彼を殺したいってのか、少年が何をしたってのさ……クソッたれが!」
灰飾がイラついた様子で本棚を殴りつけた、ほんの数分前まであれほど楽しかった食事の場が一変してしまった……もう少し体が自由なら俺も恨み言の一つでも吐きたいところだ。
「……時間が惜しい。灰飾とフィル、それに風重は今すぐ店に戻れ……七釘、おぬしは今の儂の魔力を感じて騒いでおるであろう他の客を宥めてこい」
「で、でも戻って来るまで彼の体力がもつかどうか……」
「こやつは儂が連れて行く……だから、頼む……!」
「っ……行きましょうマスター! 風重さんモ! 人間サンは墨白さんが絶対に連れて来てくれマス!」
「……絶対だ、絶対に連れて来ないと二度とウチで飯食わせないからな」
最初に駆け出したフィルに続いて灰飾と風重が部屋から飛び出し、最後まで何か手伝おうとしていた七釘も他の客へ事情を説明する為に部屋を後にし……最後に俺と墨白、二人だけが残った。
「全く……当然の事を大袈裟に言いおってからに、のう……お前様よ?」
墨白の手が首に触れた……すると触れた箇所から白い煙が上がり、彼女の表情が一瞬歪む。
「これ……神聖属性の……駄目だ、俺に触っちゃ……」
「案ずるでない、儂は鬼じゃぞ? この程度の熱で儂を焼き切ろうなぞ、片腹痛いわい」
もう片方の手を足の下へと滑り込ませ、俺の全身を持ち上げると肉の焼ける音が更に強くなった……顔を逸らそうにも体が言う事を聞かず、嫌な臭いが鼻を掠める。
「だ……めだって、離して……」
「いいや離さぬ、お前様は儂の夫……決して誰にも渡しはせぬ」
両手で俺を抱えたまま部屋の扉を蹴り飛ばし、月や星々の輝く通路へと出た……通路には異変に気付いた他の客もおり、尋常ではない気配の墨白を恐れてか端に寄ってこちらを見ながら何事かと声をひそめて話している。
そんな事は気にも留めず出口に向かって歩いているが明らかに墨白の動きが鈍い……表情にはおくびにも出さないが、今もなお蝕んでいるであろう神聖の熱は彼女の体を焼き、苦しめているに違いない。
「全く……一体何人の阿呆がお前様を儂から奪い去ろうとしておるのか、本当にたわけた話じゃ……何がこようとも、何をしようともそんな思惑は間違っても叶いはせぬというのに」
ようやく出口まで辿り着くと七釘が俺達を待っており、扉を開けてくれた……薄暗い店内から出たせいか、少し目が眩む。
「……俺、さ」
「うん?」
「俺……ここへ来る前の最後は、あんなだったけど……今は、絶対に死にたくないって……思ってる」
「……くふふっ! なんじゃ、お前様まで熱に浮かされたか?」
空から差し込む光が一瞬で陰った、何事かと目だけで視線を上げると……墨白の背中から大きな翼が生え、俺を覆うように広げていた。
鳥などのものとは違う、先端と側面には鋭い爪のようなものが生えた飛膜付きの蝙蝠のような翼……力強く、見る者を畏怖させるに十分な迫力を誇っている。
「無論じゃ、忘れておるようじゃが……お前様は鬼に魅入られておるんじゃぞ? 生涯生命の輪から外れ、儂の元から離れる事なぞ決して出来ぬ」
「……はは、じゃあ俺は……世界一の幸せ者だね」
「くふっ、さすがは我が夫よ」
ニヤリと笑い、大きく羽ばたいたかと思うと俺達の体が浮き上がり……空に吸い込まれるかのように飛び立った。
頬を掠める風も凄まじい勢いで流れていく景色も、全身で感じる浮遊感も全てがゆりかごの中のようで状況は最悪の筈なのに気分が良い……意識が朦朧としていたせいか気分が良いと言いながらどこかで気絶したのかは分からないが、次に気が付いた時には灰飾の店の客用テーブルを並べて作った即席のベッドの上に寝かされていた。
「……灰飾よ、必ず助けろ……儂は少し休む」
「はぁ……言われなくても、アンタら程堂々とベタベタしないだけでアタシだって少年の事は気に入ってるんだからね……っと!」
勢いよく胸に細長い注射器のようなものが突き立てられ、反射的に肺の中の空気を一気に吐き出す……大きく体が仰け反り、ベッドから落ちかけた俺の体を風重とフィルが左右から支えてくれた。
しかし今の俺の体は墨白の体を焼く程の神聖属性の熱に満ちている、特に危険であろうフィルの手を振り払おうと片手を僅かに浮かせるが……軽く左右に振るだけで力尽き、同時に意識も混濁する渦の底へと落ちて行った。




