第四十四世 泣き虫警備隊長殿
「お……お、お……?」
書いて字の如く面食らってしまった、生まれてこの方涙を溢れさせながら土下座をする女性など見たことが無い上にそれが俺に向けられているというのだから……こっちまで頭が真っ白になってしまう。
「相変わらず泣き虫よのう……ほれ、そこで泣きじゃくってもこやつが困惑するだけじゃろうが! せめて名前ぐらい名乗らんか!」
「あ、うん……ぐすっ、そうだね……すぅ……はぁ……」
最初にこちらを見つめた鋭い眼光はどこへやら、涙やら色んな体液でぐしゃぐしゃな顔を両手で拭う……のはいいのだが両手に着けているのは金属製のガントレットだろう、涙を拭うのには間違いなく適していないだろうし誤って切ったりしないか見ているだけでハラハラしてしまう。
「わ、私……私の名前は七釘、そこにいる墨白達の友人でこの警備局の隊長の一人を務めて……主に、世界扉のかん、管理を……」
「う、うん……うん?」
説明の途中で押し黙ってしまった……どうしたのかと墨白の方をチラリと見ると肩をすくめている。
「……ま、頑張った方じゃの」
「そうね、聞こえたと思うけど……彼女が七釘、貴方に紹介してなかった私達の友人の最後の一人で種族はガルダよ、普段から色々と雑用を押し付けられてるから忙しくしてるけど……主な業務は世界扉の管理、付け加えるなら今回の事で最も胸を痛めてる一人よ」
「ほんっとうに申し訳ないぃ! 少し離れていた時とはいえ、今回の事は全て私の責任で……!」
「いや、別に七釘さんのせいだなんて……ていうか墨白さん、何で七釘さんが土下座なんて知ってるのさ?」
「ん? ああ……あやつがお前様に謝りたいと言うので、現実世界での最上位の謝罪の姿勢を教えておいたのじゃよ」
それだけ聞いてあんなにも綺麗な土下座が出来るなら大したものだ、彼女には才能があるのかもしれない……土下座の才能って何だって話だが。
「……墨白さん、ちょっと肩貸してくれる?」
墨白に支えられながら慎重にベッドから足をおろす……少しふらつくが、歩くには問題無さそうだ。
「ちょ、何して……駄目じゃないか! ベッドで寝てなきゃ!」
「いいから、七釘さんはそこにいて」
両手を激しく動かしながら分かりやすく慌てる七釘にそのままでいるよう声を掛けると驚くほど静かにその場で正座し始めた、相変わらず表情には心配の色が浮かんでいるが……墨白さん達とは違った意味で変わった人物のようだ。
「……ちなみに儂は正座は教えておらぬぞ?」
「分かってる、多分灰飾さんでしょ」
ボソボソと話しながらようやく七釘の目の前まで辿り着くとそのまま床に腰をおろす……彼女が正座なのにこっちがあぐらなのは勘弁して欲しい、そこまでさせるつもりは無かったのだが墨白もついて来ていた風重も両隣に腰をおろしたので少し申し訳なくなってくる。
「とりあえず……七釘さんが謝る必要は無いです、ただ色々聞きたいんですけど……いいですか?」
「もちろんだ、何でも聞いて欲しい」
何度も頷く七釘を見て何となく真面目だとか何とか言われていた理由に納得してしまった、要するに彼女には表裏があまり無いのだ……確かに頭にバが付きそうなぐらい素直というか真っ直ぐな人は人間でもそうそういないだろう、それだけに色々と雑用を押し付けられているという点が気にもかかるが……今それを口にするのは余計なお世話というやつだ。
「俺……あの世界の核、鍵を手にしてからここまでの記憶が無いんですけど……どうなったんですか?」
「うん、未開世界の鍵を手にする時の事は覚えてるかな? あの世界についての情報が一度にわーっと詰め込まれた感じがしたと思うんだけど、君の脳は一時的にパニックになっちゃったみたいでね……それで意識が途切れたんだと思う、私達は扉の外で倒れてる君を発見してここまで運んで……軽い怪我をしてたみたいだったから治療して、意識が戻るまでここで保護してたんだよ」
なるほど……未開世界には最初に一組が入ると扉が閉まると聞いていたのでその点が不思議だったが、どうやら最初に手にした時は外に吐き出されるらしい……まだまだ分からない事だらけ、というか元はと言えば全部あの男のせいなのだが。
「……俺をあの世界に落とした男は、どうなりましたか?」
「捕まえたよ、どうにか……まぁ、無事に……ね?」
ジトリと七釘が見つめるので不思議に思い俺も視線を追うと、明らかに墨白が視線を逸らしている。
「……何があったの?」
「はぁ……殺しかけたのよ、私は灰飾から聞いた分しか知らないけど……星銀を見に行く途中で襲われたのよね? でも不自然なところで貴方の匂いが途切れてる事に気が付いた墨白が匂いを辿って……あの男を見つけたの、最初は問い詰めるだけのつもりだったらしいけど……」
「……けど?」
「怯えたのかなんなのか知らないけど男が逃げ出したのよ、墨白に鉄の棒か何かを投げつけてね……しかもそこに貴方の血が僅かに着いてたみたいで、それに気付いた途端もう大変よ……逃げる男の足を切り裂いて逃げられなくしただけならともかく、話を聞く前に首を飛ばそうとしてね……灰飾とフィルが止めたからどうにか狙いが逸れて耳を飛ばしただけで済んだけど、危うく何も分からなくなるところだったわ」
……なるほど、それは無事ではあっても言葉に困る訳だ。
「な、なんじゃお前様よ?」
気が付けば墨白の頬をつまんでいた、不躾に撫でまわし耳をなぞってみたり……普通なら怒ってもいいところだが、彼女はされるがままで時折くすぐったそうに目を細めるだけだ。
「俺の為に怒ってくれるのは嬉しいけど……ね?」
「……分かっておる、今回は儂もやり過ぎたと反省しておるわい」
「はぁー……! 話を聞いてまさかとは思ってたけど、墨白がここまで丸くなってるなんて……」
「ホント、長生きしてみるものよね……こんな牙の抜けた姿を見られるならこの先ももっと面白いものが見られそうだし、ね」
目を丸くする七釘に風重が同意して頬に手を添えながら笑みを浮かべた、このやり取りも何度聞いた事か……俺は今の墨白しか知らないが、誰から見ても意外な姿らしい。
「ええいうるさいわい!……今はそんな事よりも、今後の事について話すべきじゃろうが!」
「せっかく墨白の珍しい姿が見られるまたと無い機会だったのに……まぁでもそうだね、君もここから早く出たいだろうし……始めよっか」
懐から手のひらサイズの何かを取り出した七釘が俺達の丁度間の床の上に置いた、外見は台座付きの水晶玉のようだが玉の部分が周囲全ての光を吸い込んでいるかのように黒い。
「これは言葉噛みといってね、この玉に手をかざした者同士の会話を記録するんだけど……発した言葉の内容を裏付けてくれる魔具なんだ、これを使いながら君に今回起きた事を全部話して欲しい」
……なるほど、要するにこれは嘘発見器のようなものという事か。
どれほどの精度なのかは分からないが、曖昧な言葉を避けた方がいいというさっきの会話はこれの事を指していたのだろう……だが記憶に問題は無い、ダブりを感じる記憶の件は気になるが矛盾も違和感もなく一連の出来事を話せる筈だ。
「やり直しは出来るけど、全部記録に残るから出来るだけ一発で決めよっか……」
「……はいっ」
全員の顔を見回し、一度深呼吸すると頷いた……それを見た七釘が黒い玉に向けて手をかざす、すると玉の中心が淡い紫色に光り出し……全員の視線が一点に集中していると不意に七釘の背後の扉が開き、一人の老齢な男性が姿を表した。




