第四十一世 二つの魔法
どうにかしなければ、早く何とかしなければと刻一刻と遠くなっていく光に向かって手を伸ばしながら必死に脳を回転させる。
「っ……届けぇ!」
装填されたままになっていた銀の旅人の先端をかぎ爪のように変化させて勢いよく穴の縁へと伸ばす……やはり冷静になれる筈などなかった、俺が軽く足を踏み入れただけで崩れたのだから落ちずに残ったとはいえ縁のレンガも脆いに決まっている、もう少し冷静になれたならば穴から離れた位置に槍状に変化させたものを突きたて、刺さった部分を傘のように広げればぶら下がって耐える方法を選ぶ事も出来ただろう……そうすれば一人で脱出する事は出来ないにしろ灯歪が辿り着くまでの時間や、策を練る為の時間を稼げたに違いない……数秒か、もって数分だろうがあるのと無いのとでは大違いだ。
──そんな後悔を引っ掻けた端から崩れていくレンガを見つめながら何度も繰り返す、今からでももう一度伸ばすか? 一度銀の旅人を戻して……誰に言われなくても分かっている、その頃にはきっと届かない位置まで落ちてしまっているだろう。
「……?」
後悔と謝罪の言葉を心の中で繰り返していると、ふとおかしな事に気が付いた……異様に落ちる速度が遅いのだ。
最初は死の瞬間はスローになるという現象が俺にも起きたのだと思っていた、しかしそれにしては崩れ落ちたレンガは俺を次々に通り過ぎて行ったし特に意識がぼんやりとしている訳でもない。
改めて自分の全身を見てみると……ぼんやりとだが赤く光っている、灯歪の魔法かとも思ったがそれだと今まさに辿り着き、焦った様子でこちらを覗き込む彼女の表情の説明がつかない。
「無事かい!?」
「うん……そう、みたい?」
無事とは言ったものの極めてゆっくりとはいえ落下している事には違いない、どうにか浮けないかと手足をバタつかせてみるがそういう効果は無いようだ。
「それは……! あの鬼の魔法か、良かった……少しは役に立つじゃないか」
鬼の魔法と聞いてようやく自分の身に何が起こっているのかを理解した……この魔法は墨白がかけてくれていた加護の中の一つらしい、その事に気が付くと全身を覆うこの赤い光がどこか温かいものに感じてくる。
「で、でも灯歪……これ、飛べたりはしないみたいなんだ」
「飛行は便利だけどそれはそれで危ないからね……待ってて、すぐに助けるから!」
もう一度彼女の目の前で手足をバタつかせてみるが織り込み済みなのか特に焦った様子も無く灯歪が頷いた、依然として空中に放り出されて落下中である事には変わりないが、墨白の加護の発動に加えて灯歪の到着で気が緩んだのか焦りで沸騰しかけていた脳の熱が少しずつ落ち着いていくのを感じる。
他にも何か情報は無いかとくるくると回って気付いたのだがやはりあの大木は更に下から生えたものらしい、崩れた穴から差し込む光に照らされて太い蔓の巻き付く更に太い幹が悠然とそびえ立っているのが見える。
「氷の聖鎖!」
右手を前に突き出した灯歪が魔法を唱えると金色に光る鎖が二本スカートの裾から飛び出した、素早くこちらへ向かって来る鎖に向けて思わず手を伸ばす。
「……なっ!?」
一瞬の出来事で俺も灯歪も反応出来なかったが見間違いではない、俺の指先が灯歪の鎖に触れた瞬間……全身を纏っていた赤い光が更に強くなり、鎖を消し飛ばしてしまったのだ!
「あのっ……バカ鬼! ボクの魔法まで打ち消すなんて見境無しかい!?」
「お、わっ……うわああ!」
更に悪い事は続く、鎖を打ち消した赤い光だったが段々と薄くなったかと思うと次の瞬間には消え去り、俺の体は再び空中に放り出されてしまう。
「くっ……!」
「……灯歪!?」
思わず目を閉じてしまっていたが全身にかかる俺のものではない重みに反射的に目を開くと灯歪も穴へと飛び込み、俺の体にしがみついていた。
「何してるの!? これじゃあ灯歪まで……!」
「君を見捨てるわけないだろう!」
声を張り上げる灯歪の全身を先程までとは比べ物にならないほど強い金色の光が包み込む……がその光もすぐに息を吹きかけられたロウソクのように消えてしまう。
「浮遊する……っ、十指の……ああもう! 打ち消されたせいで魔力が上手く練れない!」
「ひ、灯歪……」
恐らくだが先程の出来事のせいで魔法が使えないのだろう、常にどこか余裕があるように笑っている彼女の焦る姿を見ていると普段よりも加速的に不安が増してくる。
「っ……大丈夫、絶対に君は助けるから……!」
しっかりと抱き着く灯歪のスカートの裾から太いワイヤーのようなものが四本、大木に向かって飛び出す……しかし最初に到達した一本は大木に巻き付く蔓によって弾かれてしまう、よく見れば全てのワイヤーの先端に彼女の持っていたナイフが装着してある。
二本目は刺さったが刺さりが甘かったのかすぐに抜け、続けて三本目と四本目が刺さるも勢いを殺し切れなかったのかそのまま大木を切り裂きながら数メートル程降下し、最初に抜けてしまった二本を改めて突きたて……そこでようやく止まった。
「はっ……はっ……無事かい?」
「俺は平気……だけど灯歪、血が……!」
ナイフで切り裂いた際に跳ねた木片が掠めたのだろう、灯歪の頬に出来た一筋の切り傷からは血が滴り落ちている。
「ああ……こんなのなんてこと無いよ、それより……落ち着いて聞いてくれるかい?」
「な……なに?」
かつてない真剣な表情に思わず怯んでいると頭上で小さく何かが割れるような音が鳴った、何事か確認したいが今の俺は灯歪と四本のワイヤーによって大木に縛り付けられている姿勢なので首を振って見る事しか出来ない。
「動かないで!」
「っ!」
しかしそれすら灯歪に静止され、大人しく彼女へと視線を戻す。
「大きな声を出してごめんね……でも聞いて欲しい、今はどうにか止まってるけどナイフの耐久が長くはもちそうにない……打ち消された魔力が戻るまで耐えたかったけど、それも難しそうなんだ。普段から手入れを怠った罰だね、あはは……」
「そんな……っ!?」
灯歪は何も悪くない、その言葉が喉まで出かかったところで頭上で硝子の割れるような軽い音が鳴り響き……俺達のバランスが崩れた、大きく揺られながらも灯歪が被膜を調べた際に使った青い宝石の嵌ったナイフを取り出し、丁度俺の脇腹辺りの幹に突き立てる。
「それ……灯歪用って言ってたし、大事な物なんじゃ……?」
「冗談言わないでくれよ、君より大事な物なんてある訳無いじゃないか……それより今の、聞こえたかい?」
「な……に?」
耳をすませてみるが何も聞こえない、聞こえるのは不安なのか焦っているのか早鐘を打つ自分と灯歪の鼓動だけだ。
「かなり高いけどちゃんと下には地面があるみたいだ……ただの奈落ならお手上げだったけど、これなら何とかなりそうだよ」
なんと言う事だ、助けられるばかりの俺とは違って灯歪は折れたナイフの破片の行く末まで意識を向けていたらしい。
「……いいかい、落ち着いて聞くんだよ? このままじゃあ二人揃って地面に叩きつけられる事になる、だからナイフが折れる前に君をこのワイヤーで包んで守ってあげる……ワイヤーとそのスーツがあれば悪くても手か足が一本折れる程度で済む筈だよ、完璧に守ってあげられなくて悪いけど……」
「灯歪は、灯歪はどうするのさ……?」
「……ふふっ、言ったろう? ボクは酷く曖昧な存在なのさ、だから消えたところで世界には何の影響も与えないし……君の記憶にも残らない、あの鬼から君を取り返せなかった事だけは心残りだけど……それでも、こうして君の温もりを覚えたまま消えられるなら本望さ」
「何言って……!」
駄目だ、そんな結末は認められる訳がない。
反論したいが少し動くだけでもワイヤーや嫌な軋みの音を上げる……時間が無い、別の結末が良いなら錆び付いた脳を回転させろと心の中で叫び、全身を無理やり奮い立たせる。
「……灯歪、俺の左腰にあるケースって……届く?」
「……何だって?」
ぽかんとした表情で灯歪が俺を見上げる……無謀だし稚拙な作戦なのは百も承知だが彼女にこんな表情をさせる事が出来たのが妙に嬉しい、自信など無いが……それでも彼女を真似てニヤリと笑ってみせる。
「今度はさ……俺の事、信じてもらおうかなって」




