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第三十四世 フィルの秘密

「言ってしまえばこれは全部少年のせいだよ」


 食事時を過ぎたのか他の客はすっかりいなくなり、店を閉めた灰飾(かいり)とフィルが遅い昼食を持って俺達の向かいの席に座った。

 フィルはまだまだ元気いっぱいといった様子だが灰飾は見るからに疲れ切っており、そんな彼女に急な繁盛の理由を聞くとこんな返事が返ってきたので思わず目を丸くしてしまう。


「え、俺……ですか?」


「そ、少年が流底(るてい)世界に向かってからというもの……次に来た時にもっと美味い物を食べさせるんだーってフィルが張り切って料理の研究に勤しんでね、それはいいんだが、どこから匂いを嗅ぎつけたのか是非食わせてくれって客が日増しに増えてね……今じゃこの有様さ」


 そんな理由だったとは……チラリとフィルの方に目をやると照れくさそうに目を逸らして俺が頼んだ物とは違うプカをちぎって口に運ぼうとし、ふとプカを更に戻して視線をこちらに戻した。


「ア、あの……料理は、お口に合いましたカ?」


「もちろん、凄く美味しくてびっくりしたよ……特にあの透明なスープ、あれって何を使ってるの?」


「ヨかった……! あれはデスネ、コルキという綺麗な水でしか育たない水草を塩漬けにしたものを……」


 相当試行錯誤したのだろう、一生懸命に話す彼女の話の内容はあっちへ飛んだりこっちへ飛んだりで要領を得なかったがそれだけ俺の為に頑張ってくれたのだと思うと胸が温かくなり、呼吸を忘れていたのか途中で言葉を区切って深呼吸をするまで誰も話を遮ろうとはしなかった。


「はい、どうどう……沢山お話したいんだろうけど、先にご飯食べちゃいな? 少年たちの用事も聞いてないんだしさ」


「そうでしタ……すみまセン」


「なにを謝ることがある、おぬしらに会いに来るのも目的に含まれておるんじゃからな……のう、お前様よ?」


「うん、会えて嬉しいよ」


「……ハイ、ワタシもです」


 はにかみながらしっとりと笑うフィルに思わずドキリとしてしまい、慌ててキンと冷えたハーブ水を流し込む……よし、ニヤケてしまった事はバレてはいない筈だ。


「コホン……七釘(なぎ)さんに会いに来たんですよ、この前は会えなかったし……未開の世界扉を見せるついでに顔合わせでも、って墨白さんが」


 流底世界でも漂流物が流れ着く事自体は止められないが流れ着く先はある程度コントロール出来ていたようにこの交差(こうさ)世界でも未開の世界扉の現れるエリアは上層の一部に限定されているらしく、そこを管理しているのが警備隊長……つまりは未だ声しか聞いた事の無い七釘という人物という事になる、まさに一石二鳥……どうだとばかりに並んで鼻を鳴らす俺達だったが灰飾とフィルの表情は明るくない。


「あー……墨白? 七釘には連絡してみたのかい?」


「いいや? どうせここで飯を食ってからでよいと思っておったが……どうかしたのか?」


 困ったように笑う二人を訝し気に見つめ、墨白が空中に円を描いた……青く光るその円には見覚えがある、以前フィルと一緒にいた時に墨白からかかってきた通話魔法だ。


「あやつ……まさか今ここにおらぬのか?」


「そうなんだよ、数日前から出てるみたいでね……忙しいんだろうけど、相変わらず間の悪いやつだわホント」


 一言も声を発する事無く消え去った青い円に目を見開いた墨白が問い掛けると灰飾がやはり困ったような表情で肩をすくめた、ここにいない……以前の俺達と同じように別の世界へ行っているという事か。


「じゃあ……どうしよう? 七釘さんって人がいないと扉のある場所に入れないんだよね?」


「うむ……他の連中に言えば儂だけで入る事は出来るが、おぬしはまだ旅人ではないしのう……残念じゃが、今回は見送るほかあるまい」


 要するに今日の予定は全て白紙になってしまったということか、残念だがこういう事もあるだろう。




 鬼とネクロマンサー、料理を口に運びながら日常会話に花を咲かせる二人を見ているとふとした疑問が浮かんでくる……何もかもが違う二人だが、どうやって知り合ったのだろう?


「そうだ……少年にはコイツの礼を言わないとね」


「お礼……?」


 口に運ぼうと持ち上げたハーブ水の入ったグラスをテーブルの上に戻し、首を傾げてしまう……そんな俺の前に灰飾が掲げたのは一本の小瓶だった、中にはドロリとした黄色い液体が詰まっている。


万年百合(まんねんゆり)朝露(あさつゆ)を元に作った薬だよ、少年が探してきてくれたんだろう?」


「……ああ!」


 ようやく合点がいき頷く、万年百合の朝露……流底世界に向かう際に灰飾が墨白に頼んだ物の中の一つだ、正直なところどこで買ったのかなどの記憶が無いのが気になるところだが……あれで間違い無かったなら良かった。


「無事に買えてよかったです、お店の人もどこも在庫が無いって言ってましたし……」


「アタシもそう、こっちでも無いって言われて正直焦ってたんだよね……少年はこの薬、何の薬だと思う?」


 手渡された薬の瓶を眺めてみるが……分かる筈が無い、一見すると溶かしたバターのようにも見えるが液体の粘度の高さはバターのそれではない。


「飲み薬……ではないですよね、塗り薬なら……火傷とか?」


「それはね、フィル用の薬だよ」


「……え?」


 薬の瓶から顔を上げ、フィルの方へ目をやると俺の方を見ていた彼女が小さく頷いた。


「何かの病気とか?……まさか怪我したの!?」


「だ、大丈夫デス! 病気も怪我もしてませんヨ!」


 慌てて立ち上がり、テーブルから見える彼女の上半身を眺めてみるが……確かに怪我をしている様子は無いし、体調も悪そうには見えない。


「落ち着きなって、この薬を必要としているのは怪我でも病気でもなく……フィルの体自身さ」


「……どういう事ですか?」


 怪我でも病気でもないのは良かったが、謎はまだ残っている。

 席に座り直し、ハーブ水を流し込むが喉を通る爽やかさは今のこの状況では何の慰めにもならない。


「少年、フィルのようなグーラ……というよりアンデッドには二つの寿命が存在するんだ、少年は『死蝋(しろう)』って分かるかい?」


「しろう……?」


 反射的に首を振る、そんな言葉は今まで一度たりとも聞いた事が無い。


「死蝋はその名の通り死者の肉体が腐るのではなく蝋のように変化した物でね、放っておけばやがて全身を蝋が覆って肉体の機能が完全に停止する……とはいえこれは現れる先からナイフとか適当な刃物で削れば簡単に取れるからさほど問題じゃあない、だから問題はもう一つの方……」


 指を一本立てる灰飾を見つめながら……ふと横目にフィルを見てみると表情が暗い、墨白がずっと静かなのも気になる。


「──あの!」


 思わず声を上げて灰飾の話を遮ってしまった、灰飾はもちろんフィルも墨白も驚いた様子で俺の方を見ている。


「あの……えと、それって聞かなきゃダメ……ですかね? 嫌とかじゃなくてその、フィルの秘密……みたいなもの、ですよね? だからその、灰飾さんから聞いちゃうのってどうかなって……」


 どうしてこうビシッと言葉が出てこないのか、モゴモゴと掴みどころの無い言葉を並べ……終いには言葉に詰まってしまった。


「……だそうじゃがフィル、おぬしはどう思う?」


 ようやく口を開いた墨白が俺の言葉に助け舟を加えてフィルをまっすぐに見つめた……視線の集まる彼女はきゅっと唇を閉じ、テーブルに投げ出されたままだった俺の手の指先を軽く握る。


「……大丈夫デス、ワタシの事……人間サンにもっと知って欲しいですカラ」


 指先を握る手に力を込めたり抜いたりを繰り返し、顔を上げた彼女はニコリと笑った。


「人間サンも知っての通りワタシはアンデッド……元はただの死体デス、今はこうして歩く事も手を握る事も出来ますが……この体ハ、常に腐り続けているんデス」

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