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第三十一世 浮岩世界

 墨白と共に住む世界──鬼観(きかん)世界の中には交路(こうろ)世界へと続く扉の他にもう一つ……『浮岩(ふがん)世界』という名の世界への扉が存在する、とは言っても俺も今朝食事を終えた際に明かされたばかりなのだが。

 その名の通り扉の先は平面に削られているだけの浮遊する巨大な岩の上部に繋がっているだけの世界、周囲にも大小様々な岩が浮遊しているが足場と呼べる場所はここだけ……鬼観世界に比べてもかなり小規模だがこれから行う事にはもってこいという事で案内してくれた。


「……どうじゃ? キツイとか、何か違和感があるとかは無いかのう?」


「全然、いつもの作務衣より着込んでる筈なのに……こっちの方が体が軽い気すらしてるよ」


 風重(かざね)から送られてきた旅人用の装備……一見すると単なる革製の衣服のようにしか見えなかったがこれが本当に凄かった! 吸い付くようにフィットするので動きを一切阻害しないし脇の下などの弱点部分には柔軟性のある金属で補強されており、身に着けているだけでも強くなったような気がしてくる。

 グッと握りしめた両手のグローブには指先以外にも手の甲にも金属のプレートで覆われているのだがこのプレートが手首の方に向けて少し厚みが増しており、側面には左右で三つずつ長方形の小さな穴が開いている。


「よしよし、ではこれを……すまぬが、少し屈んでくれるか?」


「あ、うん」


 そう言って膝を曲げた俺の首元に手を伸ばし、取り付けたのは顎から鎖骨辺りまでを覆うように吸着する伸縮自在な黒い布……触った感触はゴムのようだが金属に触れた時のようにひんやりと冷たく、ぴったりと首元を覆っているのに一度取り付けた後はまるで何も無いかのように違和感も消え、少しも息苦しくない。


「これが……なんだっけ、フレーム?」


「うむ、マスクフレームじゃな。さ、これで最後じゃ」


 手渡されたのは大きく開いたブーメランのような形をした金属パーツ……渡されたところでこれをどうするのかと覗き込むように顔の前に持ってくるとまるで金属に磁石を近付けた時のように首元のフレームに金属パーツがくっついた、すると次の瞬間には顔……というより頭部が何か金魚鉢のようなものに覆われ、更にそれを覆うように黒いフード付きのコートが姿を表したではないか!


「どわっ!?……なに、俺いまどうなってる!?」


「くふっ、よく似合っておるぞ? ほれ、自分でも見てみるがよい」


 墨白が手をかざすと岩の地面の上に大きな姿見が現れた。鏡の向こうでは淡く光る緑色の線の入った黒いフード付きのコートに身を包み、黄色く光るハニカムタイル模様の入ったマスクで頭部を覆う男が一人立っている。


「おお、なにそれカッコいい……え、これ俺!?」


「決まっておるじゃろう、ここには儂とお前様しかおらんのじゃからな」


 ケラケラと笑う墨白をよそに鏡の男は指をさすポーズをしたり頭を両手で抱えてグネグネと腰を動かしたり……どうやら俺である事は間違いなさそうだ。


「マスクの調子はどうじゃ? 視界が狭いとか、息苦しいとか……何かあるかのう?」


「いや……全然、よく見えるし……息も全然苦しくないよ」


 キョロキョロと見回したり頭を激しく振ってみたりもしたが極端に視界がブレたりする事は無く、更に何度も深呼吸をしてみたが息苦しいどころかマスクの内側が曇るなんて事も無い。


「これが、旅人の装備なの? 墨白さんも同じ物を持ってたり?」


「いいや? それはお前様専用の特注品じゃよ、ちなみにその外見はおぬしが寝ている内に風重の奴に伝えておいたものを参考にしてもらった、そういう見た目のものを昔よく見ておったじゃろう?」


 ようやくこの姿に対する既視感に合点がいった……確かに言われてみればこの姿は昔……いや、割と最近まで好きだった特撮ヒーローそっくりだ、しかも完成度のせいかこっちの方がカッコいいとすら思える。


「ホントによく覚えてるね……俺ですら忘れかけてたのに」


「くふっ、当然じゃろう?……とはいえ装備はともかく魔具(まぐ)に関してはよく使われておるものも多い、ではそろそろそっちの説明も始めるかのう?」


 俺が頷くのを見ると墨白もまた頷き返し、長く息を吐き出すと白い指を一本ピンと伸ばしてみせる。


「よいか? 儂ら旅人の目的は未到達の世界の扉を潜り、その先にある世界の鍵を回収し無事に帰還する事……言ってしまえばそれだけじゃが、何が最も危険かは分かっておるな?」


「扉の先の世界が未到達だからこそ、だよね? 何でもありだし、何が待ってるか分からないから対策が難しい点とか」


「その通り……嵐や毒沼程度ならともかく、煮えたぎる蝋が溢れてきたり酸が噴き出したり……などという事もあり得る」


 つまりは全てが未知で未開、玄関が溢れる程の道具があったとしても全てに対策するのは恐らく無理だろう。


「……ちなみに、扉を通ったけど戻らない人もいる……ん、だよね?」


「うむ……扉は一組が侵入すると固く閉じてしまい途中で出る事は例え魔法を使っても出来ぬゆえ、そういった事も起こりえる……いや、事実として儂が知っておるだけでも十数件はあった筈じゃ」


「……十数件? 意外と少ないんだね、もっといるのかと……」


「大半は事故じゃからなぁ……旅人でない者が誤って扉を開いてしもうたり、未開世界を軽んじた新人じゃったり……まぁそれはともかく、今回お前様に一番覚えて欲しいのはこれから話す『より安全な扉を選ぶ』方法についてじゃ」


「安全な扉を……? そんな方法があるの?」


 気が付けば地面に腰をおろし、墨白の話に聞き入っていた……大事な話をしているのは分かっているが学校の真似事をしているようで、少し楽しい。


「二つある、一つは『鍵見(かぎみ)』という力を持った者がおってな? そやつらはどうも扉の向こうの世界を僅かな範囲じゃが見通せるらしいのじゃ、じゃからそやつらが見た世界には既に名前があり、それを参考に装備を整える事も出来る。そしてもう一つは扉の石じゃ。ここへの扉もそうじゃが、交路世界へ渡った時にも見た扉を覚えておるかの?」


「確か……赤い石が嵌ってた、よね?」


 大きな井戸のような場所をおり、底にあった扉には確かに赤い石が嵌っていた……恐らくはその事を言っているのだろう。


「うむ、あの石は世界石と呼ばれておってな? 扉の先の世界の危険性の指標ともなっておる。色は五色あり危険性の少ない方から白・緑・青・黄色・紫と続いておるのじゃ」


「何でそんな丁寧な仕組みに……それに、それだと赤色が無くない?」


「諸説あるが……世界は常に主を望み続けておるのじゃがそれが長い時をかけて叶わぬと酷い歪みが生じ始め、結果として危険性が高まるといわれておる。そしてどの世界でも旅人が鍵を手にし、世界を支配下におくと全ての石は赤く染まる」


「つまり……危険な世界っていうのはそれだけ放置され続けた世界ってこと?」


「そういうことじゃな、扉はなにも世界が生まれた瞬間に発生するわけではないからのう。主を待ち続け、ようやくどこかの世界と扉で繋がった頃には歪みが広がり、より誰も寄り付かん世界になっておるなど皮肉もいいところじゃがな」


 話を一旦区切って小さく息を吐き、墨白も腰をおろした……その説で言うならば彼女の住む鬼観世界もこの浮岩世界も、無事に主を見つけることが出来て幸運だったと言えるだろう。


「白から紫まで変色して……そこから更に何かに変わる事ってあるの?」


「いいや、紫となった世界の歪みっぷりは言ってしまえば限界寸前……そこから更にある程度の時間が経過すればどこかしらから崩壊が始まり、やがて世界そのものの存在が消え失せる」


「え……じゃあ例えば、その時に中に旅人がいたら……?」


「……無論、同じ結末を辿るじゃろうな。じゃからこそ如何に熟練の旅人であっても紫の扉を通るなどという事は先ず無い、死期の近い者が最後の挑戦と入ったなどという噂話を耳にした事はあるが……さて、な」


「その紫の扉って……挑戦以外に攻略する利点みたいなのってあるの?」


「無事に戻れる事を前提で言うのであれば……利点しか無いと言えるじゃろうな。歪みの中で生じたものは唯一無二故にどの世界でも貴重じゃし、金に換えれば途方もない額になる事は間違いない」


 一攫千金と言えば聞こえはいいし夢のある話だ、ずっと俺は旅人の事を開拓者か調査隊のようなものだと思っていたがトレジャーハンターの方が意味としては近いのかもしれない。


「価値は低いが比較的安全な白の世界、腕に自信を覚えてきたら緑や青と段階を上げてもよいが……安全は何物にも代えられん、長く旅人をやっておっても白の世界にしか行かぬという者もおるぐらいじゃしのう」


「なるほどね……行くなら白の世界、か」


「待て待て、例えばじゃからな? その装備はあくまでも安全の為じゃし、知らぬというのは最も危険じゃから今こうして教えておるだけで……!」


「わ、分かってる分かってるって……! でもさすがにそこまで聞いたら知りたくなっちゃうって、白の世界も行った事あるんだよね? どんなところだった?」


 焦った様子で両肩に掴みかかる墨白をどうにか落ち着かせ、話の続きを促してみる……風重の仕事にも興味が無いわけではないが、やはり俺の心は旅人というものに惹かれてしまっている……危険性はもちろん承知だが、墨白と共に未知を歩くという魅力に抗える気がしない。

 もちろん今すぐという話ではないが、こうして話を聞いて自分が墨白と共にそこにいる事を妄想するだけでも楽しい。


「う……む、そうじゃな……覚えておる世界で言えば、蜂蜜……かの」


「……え?」


「蜂蜜じゃ蜂蜜! 森の中じゃったが地面からも木の枝からも際限無く蜂蜜の降り注ぐ世界でな? 土や空気までもがべたついておって……ああ今思い出しても腹立たしい」


 蜂蜜だって? 粘度の高い濁った液体を彼女の白い肌に不躾に垂らし、飛ばしたというのか?……その光景はさぞや煽情的だろうが許せない、過ぎた話だろうが何だろうが俺だって墨白をべとべとにした事は無いというのに! 固く握りしめた拳が震えているのは決して、決して羨ましかったりその光景を見損ねた事に対する怒りではない……燃え滾るのは純然たる怒り、ああ怒りであろうとも!


「あまりにも面倒じゃったからな、全ての気を焼き払いながら進んだのじゃが……お前様? さては聞いておらぬな?」

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