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第三十世 熱にうかされて

 体というのは不思議なもので自分は朝が弱いと思っていても休みの日には早く目が覚めたり、徹夜はキツイと言いながらも何かに熱中していればいつの間にか日の出が近い時間になっていたりする。

 気の持ちようというのはあまりにも乱暴な結論だが、それでも睡眠と精神面というのは少なからず関係があると思う。


「くぁ……ふぅ」


 畳ベッドの独特な寝心地にも新しい枕にも随分と慣れた、寝癖で爆発気味の髪を直そうともせずに大きなあくびをかましてゆっくりと部屋を見回す……相変わらず広さのわりに何も無い部屋だが、棚に数個置かれた小さな置物をぼうっと眺め……口の端を歪める。

 耳が取れている狛犬や指の欠けた龍の像など、どれも風重(かざね)の研究所から貰って来た物ばかり……ガラクタだと言ってしまえばそれまでだが、俺の物が部屋にあるだけでここが俺の部屋であるとより強く認識出来る気がする。


「……さて、どうすっかな」


 温水も出るがあえて冷水で顔を洗って目を完全に覚まし、脱衣所も兼ねた洗面所から出てふと首を傾げる……体感だが時間的にはまだ早い、墨白が起き出すのもまだ先だろう。


「適当にブラブラしますかね……っと」


 すっかり着慣れた黒い作務衣に袖を通して腰紐を結ぶ、ちなみに部屋の押し入れには墨白が用意してくれた洋服なども沢山あるのだが……しばらく着続けていたせいか、こっちの方がしっくりくるようになってしまった。

 ──流底(るてい)世界から戻って今日で五日ほど経っただろうか? この大きな屋敷に居ても最初の頃のようなどこか夢心地といったフワフワした気持ちはすっかり薄れており墨白が隣で笑い、時折からかわれながら寝食を共にする毎日をどこか当然のように感じ始めていた。


「……ああ、そうか。今幸せなのか、俺」


 その一文字に込められた想いや情景は美しく、誰もが羨望するものだが一言口にしてしまえばなんとチープなことか。

 あてもなく歩き回っていた廊下の中央に腰をおろし、どこかの畳から香るい草の匂いを堪能しながら思わず鼻で笑ってしまう……まさか俺がこんな気持ちになる日が来ようとは。

 この屋敷のどこにいても怒られる事は無い、分からない事は何でも教えてくれるし調理中の墨白の背後から驚かせようと迫っても振り向いて料理の味見をさせてくれるだけ……不思議や驚きはあっても不安というものをここ最近感じていない気がする、チープだろうがなんだろうがこれを幸せと言わずになんと言おう?


「……そうだ、墨白さん」


 座ったまま振り向き、廊下の曲がり角を見つめる……来た道を戻って二つ程角を曲がればそこは墨白の部屋だ、これまで同衾する事もあれば俺のベッドにいつの間にか潜り込んでいる事もあったが……逆の経験は無い。


「いや……いやいや、さすがにか?」


 立ち上がりこそすれ、首を振って誰に向けてでもない言葉を呟きながら一向に足は進まない。

 思い立ったのはいいが、墨白が俺のベッドに潜り込む事があるからといって俺が同じ事をしてもいいものなのだろうか?……分からない、なにせ圧倒的に経験値が足りないのだから。

 いつもいつも誘惑してくる彼女もそんなことをすればさすがに怒るだろうか、ヘラヘラと笑ってイタズラだという事にすれば誤魔化せるだろうか?……どうにか欲求に従いつつも受け入れてもらえそうな方法を模索しつつ、ふとある事に気が付く。


「……俺、意外と墨白さんの事知らないな」


 鬼である事や洋服よりも和服派であること、和食も洋食もいけるが辛い物が苦手な事ぐらいは知っているが……胸を張って俺の事なら何でも言っていると豪語する彼女のように俺は胸を張れない、初めての事ばかりである程度は仕方ないとはいえ……そろそろこんな俺を伴侶だと言ってくれる彼女の為にも何か行動したり知識をつけたりするべきだろう。


「すー……ふぅ」


 そう、これはお互いの事をより深く知る為に必要な事なのだ。

 墨白の部屋の襖の前に立ち、組んだ手の指を忙しなく動かし続けながら自分に何度もそう言い聞かせる……そういえば俺の部屋はドアだがここは襖なんだなとか、襖の隙間からいつも彼女の着物から漂っているお香の香りがするとか余計な思考がノイズのように湧き上がり邪魔だ、わざと音が鳴るように唾を飲み込み……一瞬だけ思考が明瞭になった隙を突いて襖の取っ手に手をかける。


「……っ」


 手に力を込めて極力音が鳴らないように襖を開くといつも嗅いでいる彼女自身のものとお香の香りが混ざり合って部屋に充満し、更に濃厚になったものが鼻を掠めた。

 誘惑が塊となったかのような香りの暴力に早くも脳の一部が痺れてクラクラとしてくる、世の中にどれだけの種類の精力剤があるのか知らないがこの部屋を超えるものはまず無いだろう……襖を閉じる事も忘れてフラフラと部屋の中へと足を踏み入れ、鼻先でつい匂いの更に濃い場所はどこかと探してしまう。

 やはりと言うべきか純和風というよりはモダンな雰囲気の漂う色合い……少し驚いたのは襖をあけてすぐに一段床が上がっており、玄関のようになっている点だがスリッパなどは履いていないので(つまづ)かないようにだけ気を付けて足を踏み入れる。

 入口の向かいには俺の部屋にあるものと同じ丸く切りぬかれた障子窓から日が射している、刺すような日差しは失礼な侵入者を叱っているようにも感じるがそれはきっと俺の心のどこかにある罪悪感が錯覚させているのだろう、日光の眩しさから目を細めて顔を背けながら部屋をぐるりと見回す……右の襖は恐らく洗面所や脱衣所だろう、となると左かと目を向けると開け放たれた襖に区切られた部屋が奥へ二部屋程続いている。


「ふっ……ふっ」


 足に力を込めながら一歩、また一歩と部屋の奥へと歩いて行く……畳の床を照らす和柄の提灯や着物が大きく広げられて壁に掛けられたりしているが部屋の中は物が基本的に少ない、故に入り口側からでも見えていた木目の美しい衝立の向こう……そこに彼女が寝ているに違いない、何度か目にした彼女の寝顔を思い出すと無意識に喉が鳴る……緊張からかすっかり喉がカラカラだ。


「……すぅ」


 いた、俺と同じ畳ベッドに掛けられた色違いの布団の中で彼女は乱れる事無く呼吸を続けている。

 正直なところを言えばいつの間にか後ろに回り込まれているだとか衝立を越えて覗いた瞬間に布団に引き込まれるだとか、そういう展開を想像していただけにこの状況は逆に意外で全身がぎしりと軋み、固まってしまう。

 少しだけ開いた口、布団が少し捲れたせいで乱れた肌着の隙間からいつもよりも胸元が開いてしまっている……情欲の波が溢れんばかりに押し寄せ、鼓動が早まり頭の中でドクドクと鳴り響くがここまで来て臆病者の自分が顔を出してしまった……空中でわきわきと指を動かすだけで、ここからどうすればいいのか分からない……! 布団をなおす?……バカをいえ、ここへ来た目的を思い出せ!……いや、そもそもの目的も不純だった!


「……ん」


 気が付けばベッドの前で膝立ちになり、墨白の唇を人差し指で押していた。

 弾力があり、表面はしっとりと濡れている……指を離し、しばらく見つめてみるが起きる気配が無い……灰飾(かいり)の店の時とはまるで違う、こんなにも無防備な彼女は初めて見た。

 乱れた髪も時折ぴくりと動く小さな手も、はだけた衣の奥の白い肌も全てが魅力的で……今この瞬間においては全てが俺の思うままにする事が出来る、沸騰した頭でまともな思考が出来る筈が無く……無意識に浮かせた手がはだけた胸元に向かい、ふと手が止まる。

 急に聖人になったわけでは勿論無い、墨白が小さく唸った拍子に視線が反射的に顔へと向かい……二本の角が目に留まったのだ、肌と同じく真っ白な角……しかしあの瞬間、俺に向けて放たれた銃弾を受け止めた際にはこの角は鋭く真っ赤なものへと変化し……背筋が寒くなるほどの殺気を間違いなく帯びていた。


「ふっ……うん……」


 角に触れると墨白が小さく息を漏らした、ただの吐息にここまで色気を含ませられるものなのかと驚きながらも角をなぞったり軽く押し込んでみたり……肌とはまた違ったハリがあるが浅く指が沈むくらいには柔らかい、中にも骨が通っているのか不思議だったが触った感覚からして複数の軟骨が連なっているように感じる。

 布団の上に放り出された片手も持ち上げて眺めてみる、その爪は鋭いし俺のものよりも遥かに硬いが指でなぞっても切れたりする予感はせず……感触は金属製のコップの縁に似ているかもしれない、どちらにしてもあの時見た黒ずんだ爪と同じとは到底思えない。


「……ん、お前様……?」


 なんてことだ、先程まで感じていた全能感が小さな呟き一つでどこかへ飛んで行ってしまった。


「あ、いやこれは……!」


 あたふたと両手を動かしながらもごもごと言い訳を並べる俺をぼうっとした目でしばらく見つめた墨白だったが、やがて小さく納得したかのような声を上げてのそりと起き上がった。


「ふぁ……儂はお前様が赤子の頃から見ておったからのう、伴侶と言いながらもついつい幼子のように接しておったか……くふっ」


 掛けていた布団を隅へと追いやりベッドから足を下ろすとその両足で軽く俺の体を挟んだ、困惑する俺を見るその瞳にはまどろみは一切感じられずいつもの蠱惑的な色を宿している。


「え、あの……墨白さん?」


「よいよい、恥ずかしがることも罪悪感を感じる必要も無い。お前様は男じゃ、理由などそれで充分じゃし……儂は嬉しい」


 確かにかなりはだけていたし意味はほとんど無かったかもしれない……しかし腰に巻かれた紐を解き、両手で肌着を開いたともなれば話は変わってくる……俺に一つ言える事があるとすれば、目の前で煽情的な姿を晒している彼女は寝る時に下着を着けないタイプだという事か。


「さぁ、お前様の好きにするがよい」


 この状況、この言動に抗える者などいるのだろうか? 仮にいたとしてもそれは俺ではない事は間違いない、肌着を開いたままの姿勢でまっすぐにこちらを見つめ続ける墨白に誘われるままに片手を太腿の上に置き、ゆっくり顔を近付ける……大きくはないが、ぷっくりと膨らむあの果実だけが今のこの喉の渇きを癒してくれる気がする──。

 あと数ミリ、もう少しで舌先が届くというところで朝の静寂と湿っぽい熱気に包まれた二人の世界を破壊する騒音が鳴り響いた、あまりに想定外な出来事にお互いに目を丸くしたまま見つめ合ってしまう。


「な……なに、今の音?」


「わ、からぬ……恐らくは玄関の辺り、よもやとは思うが……」


 何か思い当たる事があるのか立ち上がり、部屋を出ようとする墨白について行く事にする……騒音で吹き飛ばされながらも僅かに残っていた熱気も廊下のひんやりとした空気にあっさりと消し飛ばされてしまった、もどかしい気持ちと少しムッとした気持ちを抱えながら玄関への橋を渡り……先に扉を開けていた墨白の隣に並んで目の前の光景に唖然としてしまう。

 真っ先に目につくのは上下で揃った頑丈そうな衣服や手袋にブーツ、大小のケースが連なった使い勝手の良さそうなサイドポーチ……それ以外は何が何やら分からない、液体や粉末の入った小瓶に用途の分からない杭のようなものまでとにかく様々な道具や装備が玄関の脇に置かれた台の上に溢れていた。


「おぬし、どうやら随分と風重のやつに気に入られたらしいのう」


「……あっ!」


 その言葉を聞いてようやく旅人用の道具を風重に頼んでいた事を思い出す。確かに頼んでいた、頼んでいたが……さすがに数が多すぎやしないだろうか? もう一度道具の山に視線を向けていると何かが山から転がり落ち、足元までやって来た……拾い上げてみると透明な円形のケースに一枚のピンクに色付いた花弁が収められている。


伝言花(ワードフラワー)じゃな、どうせお前様宛じゃろうし開けてみるがよい」


 そう言われてもどうやって開けたものかと思ったがケースを上下に捻ると簡単に蓋が外れ、中の花弁を取り出す事が出来た。


『はぁい二人共、これが聞けてるって事は無事に届いたみたいね? 良かったわ、とりあえず頼まれてた物と……思いつくままに魔具(まぐ)とか薬も送ったから墨白、しっかり全部彼に教えてあげてね?』


「……構わぬが、多すぎるじゃろ」


 げんなりとする墨白を見て俺も苦笑しつつ頷く、とりあえず今日まではどうにかなっていたが山盛りの道具に多層世界における文字……覚える事が尽きない事を喜ぶべきか悲しむべきか……。


『ああそうだ、私から人間君にもう一つ……いい? 高価な物も安価な物もあるけど道具は所詮道具よ、使えばアナタの命を助ける事も困難を乗り越える事も出来るんだから出し惜しみはしないこと、取っておいたってその辺の石ころと何も変わらないんだから。足りなくなったら最優先で回してあげるからいつでも連絡して、またこっちに来たら一緒にプカレットを食べるわよ!……それじゃあまたね!』


「……だって、一緒に食べる?」


「無論、御免(こうむ)る」


 嵐のような伝言から唯一抜き取れた言葉を墨白に問い掛け……目を見合わせて一緒に喉を鳴らして笑う、それにしても本当に凄い量だ……硝子瓶などもあるので割れてないか心配になり床に転がっているものを一つ手に取ってみるが見た目より頑丈なのか傷一つ無い。


「服とかは分かるんだけど……魔具って何?……というか、どれ?」


「くくっ、どれも何も手に持っているそれや転がっておる全てが魔具じゃよ。魔具とはその名の通りそれ自体が魔力を帯びておる道具の事じゃ、用途は様々……ありがたく使わせてもらうとしようか」


「魔力……って事は! 俺にも魔法が使えるようになるってこと!?」


 握りしめた小瓶の中に詰まっているのは一味唐辛子の中身にそっくりだが、これで魔法が使えるとなれば話は別だ。


「疑似的に、ではあるがな。よしよし……とりあえずまずは飯にして、それから一つずつ説明するとしようかの」


 食事の際も赤い粉の詰まった小瓶を傍らに置いていたせいか苦笑されてしまったが構うものか、これで何が出来るようになるのか……今から楽しみで胸が破裂しそうだ!

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