表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/137

第二十二世 膝の上から

 天井に張り巡らされた何本もの配管、壁にも剥き出しの配管や謎の計測器や真空管のようなものが並び……星銀(ほしがね)に一歩踏み入れた先は少し錆びた真鍮色と銅色の空間が出来上がっていた。

 外と中では音にも変化が起きており、あの腹に響く駆動音は僅かに感じる程度にまで抑えられ……代わりに時折どこかで蒸気が噴き出す音が聞き取れる。


「どうじゃ、気に入ったか?」


「うん……ところで全然他の人がいないんだね、今はそういう時間とか?」


「いいや?……というより、ここで会うとすればさっきの駅員ぐらいしかありえぬよ」


「それってどういう……?」


「多重空間といってな? 入口は同じでも中で一緒にいられるのは同じ切符を持つ者同士のみなんじゃ、故に今ここは儂とお前様だけの空間というわけじゃ……まぁ先の駅員は別らしいが、呼ばぬ限りは来ぬ」


 なんと便利な……感心し、更に質問をぶつけようと口を開く前に列車内にけたたましいベルの音が鳴り響いた、時刻表などどこにあるのかも分からなかったし見たところで文字が読めないのだが発車時刻が近い事だけは分かる。


「ともかくまずは客室に移動するとしようか、お前様に景色も見せたいしのう」


「……客室?」




「なん……だ、こりゃ……!」


 足音を響かせながら少し歩き、両開きの無骨な金属扉が開いた先に広がっていた豪奢な光景に思わず間の抜けた声が漏れてしまった。

 右の窓沿いの壁には俺が余裕で横に慣れる程に大きなソファ、反対の窓沿いには大きなテーブルを挟むように一人掛け用の座り心地の良さそうなソファが四席……少し小さめではあるが天井からはシャンデリアまで吊り下がっているではないか。


「こんなの殆どホテルじゃん……あの奥の扉は?」


「その先は短い廊下が伸びておって奥がトイレ、脇にシャワー室があったはずじゃぞ」


「……他の車両へは?」


「行けぬ、もちろん他の車両の奴がここへ来る事もな? くふっ……それよりもいつまでそこに立っておるんじゃ、好きな場所に座るがよい」


 少し離れた位置にある棚を開いて中身を物色している墨白に苦笑されてしまったが、一体どこに座れば……キョロキョロと大きなソファとテーブル席を見比べ、窓の外が見たいので一人掛けの席の窓際に腰掛ける事にした、背もたれは柔らかく背中を包んでくれるがお尻の辺りは少し固めになっておりこれなら長時間でも座っていられそうだ。


「さぁ、初めての旅路に乾杯といこうかのう?」


 戻って来た墨白の手には冷気を放つ一本の大きな緑色の瓶とグラスが二つ握られていた。先程物色していたあの棚は冷蔵庫だったらしい、当たり前のように隣に腰掛けた墨白がテーブルの上にグラスを並べ、瓶の口からコルクを引き抜くと中身をグラスへと注いでいく……爽やかに弾ける炭酸の音が耳に心地良い。


「乾杯じゃ、お前様よ」


「……乾杯」


 うっすら青色に色付いた液体に満たされたグラス同士を打ち鳴らすと澄んだ音が室内に響いた、グラスに口をつける墨白にうっかり見惚れそうになる前にハッと意識を取り戻し、慌ててグラスに口をつける。


「あ、美味い」


 口内に流し込まれた液体が触れた舌先から伝わる痺れるような苦みに顔をしかめそうになるが、流れるように喉や鼻先に伝わる僅かな甘味と冷たさすら感じる程に爽やかなミントの香りが合わさる事で舌に残る苦味すらこの少し大人なサイダーの魅力なのだと気付かせてくれる。


「グラナヒスといってな、凍らせた様々な種類のハーブの葉が溶けた水から作った炭酸水じゃ。強い香りを放つものから果実を実らせるものまで本当に様々な種類のものを混ぜておるから人によってはアタリハズレを感じる曲者じゃが、こういうのもたまにはいいじゃろう?」


「同じ味には出会えないって事なんだね、それもなかなか面白……」


 グラスに残った液体を大きな窓から差し込む光に晒し……ふと何気なく窓の外に目をやると、全く知らない景色が滑るように右から左へと流れていた。


「なんじゃ、気付いておらんかったのか? くふっ、この部屋に来た時には既に星銀は走り出しておったぞ?」


「……全っ然気付かなかった」


 走行中の震動を全く感じないというのはたまに聞くが、それでも発車した直後は何かしらの震動を感じるものだ。

 しかしこの星銀はずっと立っていたにも(かかわ)らず本当に何も感じなかった、しかも窓から外を覗き込んでみれば走っているのは地上ではなく空……その証拠とばかりに時々雲の中を突き抜けたように一瞬窓の外が薄暗くなる時がある。


「これ……今どこを走ってるの?」


「キールポケットという世界と世界の狭間じゃな、故に空間や世界の制約に囚われずに世界間を走り抜ける事が出来る……という事らしい、この星銀を造った者も使われている技術すら不明という古の機械じゃから全ては伝聞でしかないがの」


「それ……大丈夫なの?」


「くくっ……さてな? 少なくとも儂が見てきた間で事故は起こっておらぬし、この星銀の操舵者になると自然と操縦方法が脳裏に焼き付くらしいぞ? お前様も志願してみるか?」


「……遠慮しとく」


 ゆっくりと首を振って見つめた窓の外では少し景色が変わり、チラホラと大小様々な岩石が宙に浮いているのが見えた。


「そういえばお前様よ、灰飾(かいり)から貰った袋は開けてみんのか?」


「あ……忘れてた、墨白さんのは? カードみたいなの貰ってたよね?」


「ああ……うむ、見てみるか?」


 腰から下げていた布袋は少しずっしりとした重量を持っているが妙にしっくりくるものだからすっかり存在を忘れていた……腰のベルト穴から括っていた紐を外し、布袋をテーブルの上に置く。


「とは言っても、今見ても何も分からぬがの」


 苦笑する墨白から差し出されたのは手のひらに収まる程度の大きさの小さなカード、銀色に輝いてはいるが本当にそれだけで何かが書かれている訳でも特殊な材質で出来ているようにも見えない……強いて言うなら触った感触は頑丈そうなのに、いやに軽いという点ぐらいか。


「綺麗だけど、なにこれ……?」


「一言で言えば買い物メモじゃな、向こうに着いたらそこに奴が欲しがっておるものが文字として浮かび上がる」


「へぇ……って事は、おつかいを頼まれただけってこと?」


「そういう事じゃな、まぁ奴に借りを返すいい機会じゃわい」


「借り……あの薬の事?」


「いや、あれはあやつから言い出した事じゃ。そうではなく……これじゃ、これ」


 ため息をつき、俺から受け取ったカードを懐に戻した墨白が自分の左の手首を指で叩き、困ったように笑ってみせる。


「鍵じゃよ、ほれ扉を通る時に使ったじゃろう? 事前に用意しておくつもりだったんじゃが、儂とした事がお前様に食べさせる料理やら着せる服やらに気を取られてすっかり忘れておってのう……お前様の傍を離れる訳にもいかんから奴に頼んで用意してもらったんじゃよ」


「なるほど……」


 左腕を軽く浮かせて眺めてみるがやはり触っても鍵の感触を確かめる事は出来ない、アレのお陰で交路(こうろ)世界へ辿り着く事が出来たし旅人になれた暁には使用する機会も更に増えるだろう……今度会った時にでも改めて礼を言った方がよさそうだ。


「しかし……お前様もこの数日でかなり馴染んだのではないか? フィルはともかく、灰飾のやつまでお前様を気にかけるようになるとは……やはり儂の目に狂いは無かったな」


「はは……そこは正直俺も驚いてるよ、っと……これは……墨白さんが買い物する時に使ってたやつと同じ、だよね?」


 照れ隠しにテーブルの上に放置してあった布袋に手を突っ込み、中身を一つ取り出す。

 ずっしりとした重さや時折聞こえる中身のぶつかり合う音で何となく中身は想像していたが……やはりお金だった、配達のお駄賃という事だろうか? 大きさは指二つ分ほどと硬貨にしては少し大きく、銀色のコインの中央に羽根の絵が刻印されている。


「うむ、それが多層(たそう)世界での共通硬貨じゃな。単価はエスタ、袋の中身を全て出してみよ」


「よっと……」


 袋の底を持ってひっくり返し、テーブルの上に中身を放り出すと数枚の硬貨がぶつかり合って小気味良い音を響かせながら外へと飛び出す、蛇の刻印が施されたものや蝶の刻印が彫られたものなど、全部で五種類の硬貨が入っていた。


「全部入れるとはなかなか気が利いておるの、この蝶の刻印が一番価値が安く一エスタ……こっちの大樹が描かれておるのが百、つまりは一番大きな硬貨じゃな」


「結構差があるんだね……この噴水のやつは?」


「それは十エスタじゃな、残りが──」


 安い順に並べて左から蝶、羽根、噴水、蛇ときて大樹……関連性が無くて覚え辛いが、ここで生きていくと決めた以上は必須の知識だろう。


「……さて、それでは楽しい楽しい算数の時間じゃな?」


「えっ?」


 硬貨を一つ手に取り、これはいくらと呟いていると墨白がどこからともなく同じ硬貨をそれぞれ五枚ずつ取り出して並べ、ニヤリと笑った……俺だっていい大人なのだし、算数ぐらいで詰まったりはしないがそれでも勉強の二文字には強い抵抗感を覚えてしまう。




「──では最後に、三百四十四エスタを作ってみよ」


「ええと、これとこれと……こう?」


「……うむ、よかろう!」


 テーブルの上に並べた硬貨をしばらく眺めた墨白が満足そうに頷いた、刻印と数字さえ覚えてしまえば後は殆ど絵合わせパズル……備え付けの菓子やジュースを飲みながら朗らかな雰囲気で行われていた授業も墨白が席から立ち上がった事で何となく終わりを迎えた事が分かり、座り続けたせいか少し固まった筋肉をほぐす為にぐっと腕を伸ばす。


「あ……そういえばこれ、返すね」


「うん?……ああよいよい、お前様の袋にまとめて入れておくといい」


「え、でもこれ……さすがに多くない?」


 この星銀に乗る際に支払ったのが二人で四エスタ、今テーブルにあるのは全ての硬貨が六枚ずつ……お小遣いというにはさすがに額が大きすぎる。


「構うものか、儂が持っておってもお前様が持っておっても同じ事じゃしな。それよりもほれ……頭を使って疲れたじゃろう? そんなものはよう袋にしまって、こっちへおいで」


 反対の窓際に置かれたゆうに四人が座ってもまだ余裕がありそうなソファの端に座った墨白が自らの膝を優しく叩き、小さく開いた口からは小さな牙を覗かせている。


「……ん」


 その誘惑に抗える筈も無い、テーブルの上の硬貨をさっさと袋に放り込んで口を縛ると誘われるがままに墨白の元へと歩き……隣に腰掛ける、すぐに頭を降ろさないのはせめてもの抵抗だ……そんな気持ちは百も承知と伸ばされた白い手によって俺の頭はあっさりと倒れ、膝の上にごろりと沈んでいく。

 一人掛けのソファと違ってこっちのソファはかなり柔らかく体がよく沈む、これで仮眠をとる事も想定されているのかもしれないし更には間近で鼻孔をくすぐる墨白の香りだ……全身が安心感で包まれ、程よく疲労していた事もあり気を抜けば今にも寝てしまいそうだ。


「……今、何を考えておるんじゃ? お前様よ」


 普段であれば抵抗などせずストンと眠りに落ちてもいい、しかし今は……その思いから眠気に負けないようにしっかりと目を開き、優しくこちらを見つめる赤い二つの月を眺める。


「ん……正直、よく分からない」


 右手を伸ばし、不躾に頬に触れるが彼女は僅かに目を細めただけで何も言わずに受け入れてくれている。




『……恐怖?』


『ハイ、現実世界の鬼も多層世界の鬼も根源は同じ……恐怖が肉体を得た姿、それが鬼デス』


『それは……つまり、恐怖っていう感情というか概念というか……そういうものから鬼っていう種族は生まれるって事?』


『そうデス、故に鬼は家族を持たず……必要が無いので(つがい)を作りません、だからこそマスターはアナタに入れ込む墨白サンに心底驚いていたんですよネ』


 中層の屋上でフィルと話した『鬼』という存在、それは恐ろしくも身勝手で……哀しい種族の話だった。


『何か恐ろしいものを見た……アレは大きな翼で空を飛ぶという話が鬼に飛行能力を持たせ、強大な魔法を使うという話が鬼に魔力を与えマス……つまり鬼とは正体不明の恐怖や畏怖そのものなのです。誰かが、もしくは私達が鬼を生み出しているのに勝手に恐怖し……それが分かってもなお恐怖というものが尽きる事はありまセンよね? 故に強大で恐ろしく、不滅……それが鬼、デス』




 ……バカバカしい、少し前のフィルとの話を思い出しながら思わず鼻で笑ってしまう。


「なんじゃこの可愛い指は、くふっ……食ってしまおうか」


 頬に伸ばした俺の手を掴み、小さな牙で挟んで食べるフリをする彼女が恐ろしいだって? そりゃあもし俺を殺そうと思ったなら一瞬だろう、だがそれはフィルにも言える事だし……そもそも小さな刃物一つでも人は死ぬ。

 繰り返しになるが本当にバカバカしい、怖いなら勝手に避ければいいさ……少なくとも、その間はこの膝からの眺めは世界がいくつあろうと俺だけのものだ。

 ──少し重くなってきた瞼に抗おうとしている事に気付いた墨白の手がそっと頭を撫でる感触が、心地良い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ