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第二十世 鬼

「フィ、フィル……あれって……何?」


「ンー……と?」


 目を見開きながら遥か上空を指差す俺の手に頬がくっつくぐらい顔を近付けたフィルが指先を追うように視線を向け、やがて俺が何を言いたいのか分かったのか小首を傾げて小さく声を上げた……それよりも首を傾げたせいで俺の指先が完全に彼女の髪の中に埋まっているのだが、気にならないのだろうか?


「もしかしテ、上層の事を言ってます? てっきりもう知っているんだと思ってまシタ」


「上層……で、でもあれさ……逆さまじゃない?」


 そう、ただでさえ今いるこの場所だって何とかいう金属板で空中に浮いているのだから同じような場所があっても驚きこそすれ、理解は出来るだろう。

 しかしフィルが上層だと言ったあの場所は明らかに上下が反対になってしまっており、辛うじて捉えられるシルエットからもここと同じような通路の層が下を向いてしまっている。


「ハイ、この空の途中から上はこう……グルッと反対になってるんデスヨ、なので一部の飛行能力をもった種族か昇降機を使ってしか上層には上がれません」


「昇降機……あ、じゃああのタンクが?」


「デスデス、この交路(こうろ)世界は今いる中層を含めて三つの層で成り立っているんですヨ!……あ、ちなみに三つの層の名前は位置関係を表しているだけですからどこは治安が良いとか悪いとか、そういうのは無いので安心してくださいネ?」


 腕を引かれてフィルに起こされ、中層の最上層である八層の手摺を伝ってぐるりと歩き回りながら下を覗き込んでいくと、どうにかギリギリ遥か下に地面の見える位置があった……あれが下層という事らしい。


「大まかな特徴としては警備局があるのが上層で屋台や大通りで一番賑わっていて駅があるのがこの中層、酒場や少し変わった物を売っている露店が多いのが下層って感じデスネ!」


「なるほど……って、駅?」


 俺の返事にフィルが待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑った、確かに墨白から駅のような特徴を持っている世界だとは聞いていたがそれは世界を繋ぐ扉の事だけを指しているのだと思っていた、しかしフィルの口振りからすると本当に駅という場所が存在しているらしい。


「ハイ、この中層には星銀(ほしがね)という世界間を走る列車の停まる駅がありマス。残念ながら今日は見る事は出来なさそうですが、男の子は間違いなく好きだとマスターが言っていたのでゼヒ楽しみにしていてくださいネ!」


「星銀……へぇ……!」


 世界を走る列車と聞き、寄り掛かっていた手摺から姿勢を正した俺を見てフィルが満足そうに笑みを浮かべている。

 その表情に何だか恥ずかしくなり再び手摺に寄り掛かるが胸の内でワクワクしている事はどうにも隠せそうにない……考えてもみて欲しい、列車や飛行機であれば好みが分かれたり無関心な者もそりゃあいるだろう、しかし多層世界という規模になれば列車だってただの列車ではないに決まっている、辛うじて想像出来るのは巨大な機械の塊ということ……これが嫌いな男子など存在する筈が無い!




「どっちがいいですカ? 人間サン!」


「フィル……それ、俺が読めないの分かってて言ってるよね?」


「エヘヘッ」


 この最上層は眺めもいいし静かだし、ゆっくりと話をするには最適だが吹き抜ける風が少々冷たい。ずっと座っていたせいもあってか身震いしてしまった俺を見たフィルが唯一この最上層にある露店である自動販売機へと向かい、戻って来た彼女の手には二つの缶が握られていた。

 赤い缶と緑の缶、側面には何か書いてあるが相変わらず俺には読めない……更にはいつもならすぐに教えてくれる筈の彼女はニコニコと笑うばかり、ちょっとした悪戯のつもりだろうか?……悪戯というにはあまりにも可愛らしく、思わずこっちまで頬が緩みながらわざとらしく大げさに悩むフリをして結局赤い缶の方を貰う事にした。


「缶の上の方にある……そうデス、そのスイッチでロックを外せるので蓋が開きマス」


「おお、なんてハイテクな……ん、この匂いって……」


 缶というよりは最早小型の水筒のようだ、ぎこちないながらも慎重に蓋を外すと温かい湯気と共に嗅いだ事のある香りが鼻孔をくすぐった。


「気付きましタ? 少し種類は違いますケド、それもピュアハーブティーなんですヨ」


「へぇ……いただきます」


 火傷しないように何度か息を吹きかけてほんの少量を飲んでみる……身に覚えのある喉を通る際の目の覚めるような爽やかさと甘味、言われてみればフィルに淹れてもらったものよりも甘みが強いかもしれない。

 胃がじんわりと熱くなり、吐き出した息がほんのり白く色付く……最高の時間だ、現実世界で生きていた頃もこういうものに僅かでも興味を向けていれば少しぐらいは好きな時間を作れていたかもしれない。


「そういえばさ、あの空のどっかで……上下が反対になるって言ってたよね?」


 缶を片手に空を指差すとフィルが小さく頷いた、ほんのりと甘い匂いを漂わせる缶から口を離して吐いた彼女の息もまた、白く色付いている。


「ハイ、マスターが言うには……ン、と……水面か水底に物体が触れると突き抜けるまでの間はその二つの位置関係が逆転する、だったと思いマス」


「はー……なるほど」


 両手を合わせてくるくると回しながら頑張って説明するフィルに思わず吹き出しそうになりながらもその内容に思わず納得のため息が漏れる、つまり水底に向かって沈むし水面に向かって浮かぶ事はあっても逆は無いという事らしい。

 つまり例えば今俺に翼があってこの場から飛び上がった先で境界に手を伸ばして触れ、その瞬間から飛ぶのをやめた場合俺は上層に向かって落下する結果になるというわけだ、てっきり下手に境界線に触れようものならグロテスクな結果が待っているとばかり思っていただけにそんな事は無いのだと分かってホッとする。


「それデモ、慣れていないと飛行中に平衡感覚がおかしくなって墜落しちゃう人もたまーにいるみたいですけどネ」


「あはは、それは痛そうだ」


 反射的に笑ったはいいものの、もし墜落した先が地面じゃなかったらどうなるのだろう? そんな考えが頭を掠めたが、一日に何度も背筋を冷やす思いをしたくないので無理矢理頭の隅へと追いやる事にする。


「でも昇降機も便利ですけど、墨白さんや七釘(なぎ)さんのように上手に空を飛べたらなーって思う時って人間サンもありません?」


「思う思う、もし瞬間移動が出来たらとか空を飛べたらなんて話題は小さい頃から……墨白さんも? え、鬼って……飛べるの?」


 七釘という人はガルダ……よく分からないが恐らくは鳥人間のような種族なのだろうという事は分かったので飛べる事に不思議は無いが墨白さんはただの鬼だ、ただの鬼という言い方もあれだが……とにかく、空を飛べるとはさすがに予想外が過ぎる。


「もちろんデス、だって鬼ですヨ?」


「ん、いや鬼だから……え?」


 どうにも話が噛み合わない、ポカンと数秒見つめ合ったまま何と切り出せばいいか考え……ゆっくりと思考をまとめて言葉にしていく。


「あの、こっちでの鬼ってどういう種族の事なのか……教えてくれる?」


「エ……現実世界にも鬼っているんですよネ? 人間サンも知っているのデハ?」


「いないよ!? あ、いや……どう言ったらいいかな」


 驚きからか缶を両手で握ったまま目を丸くするフィルに現実世界での鬼について思いつくままに説明していく、物語……主に童話や童謡に登場するいわゆる悪役である事や伝承などで登場する妖怪という存在である事、赤い肌や青い肌を持ちトラ柄のパンツを履いて金棒を振り回す暴れん坊という事までとにかく鬼という存在について知っている事を一から十まで話していく内にフィルの表情は同じぐらいの回数変化しただろうか、驚いたり怪訝なものだったり……返事を待つまでもなく、俺の鬼についての知識は少なくともこっちとは大きく違うのだと分かる。


「……随分と間違ってるみたいだね、こっちの鬼と俺の知ってる鬼って」


「ア……イエ、間違っているというより名前が同じなだけでそもそも違う存在と言った方が正しいのかもしれません……ですが、根付いている大まかな認識だけは間違いなく伝わっているんだと思いマス」


「大まかな認識?」


「力が強いとか弱いとか、外見や雰囲気など……不思議な事に例え実在しなくても種族の特徴というのは世界を跨いでもある程度認識の型に嵌める事が出来るんです、ワタシ……グーラを知らない人間サンでもある程度どういう存在か認識出来たように」


「確かに……フィルも俺の事を人間としてすんなり受け入れてくれたもんね」


 言われてみれば鬼やアンデッド、さっきのトカゲに至るまで初めて見る筈なのに俺は何の疑問も無くある程度こういう存在だろうという円の中に入れてしまっている、これは実はかなり奇妙な現象なのではないだろうか?


「ワタシは頭がよくないのでどうしてそんな事が起きるのかは分かりませんが、それでも鬼の存在しない人間サンの世界でも……こっちと同じ存在として認識されているのだと思いましタ」


 いつもならハキハキと喋るフィルが妙に口ごもっており本当に言ってもいいものか悩んでいるかのようにも見える、それでも俺は知りたいと……墨白という存在を認識したいと目で強く訴えると両手を合わせて目を逸らし、指をもじもじと動かすフィルが小さく呟いた。


「鬼という種族を一言で表すナラ……恐怖、デス」




「おかえりーご両人、特に少年は災難だったみたいだねぇ」


 店の玄関を抜けるとカウンターの向こうから顔を覗かせながら灰飾(かいり)が手を振っているのが見えた、たった二日を共にしただけだというのにこの店や灰飾を見ただけで『帰ってきた』と体が勝手に安心感を得てしまっている。


「フィル、戻ったばっかりで悪いんだけど薬品棚の在庫を数えてくれるかな? 次の注文に足りるか不安でさ」


「ア……分かりましタ! デハ、すぐ始めますね!」


「じゃあ俺も……」


「少年はこっち、そこに座ってくれる?」


 パタパタと玄関から扇状に伸びる階段を下りていくフィルについて行こうとするが灰飾がそれを手で制し、自分の真正面の席を指差した。


「傷の具合を見せてごらん、痛むんだろう?」


「……気付いてたんですか」


 フィルが奥へと引っ込むのを見送った灰飾が俺の右肩辺りを指差してニヤリと笑う……歩く姿勢か座る時に少し庇ったのを見抜かれたのだろうか、やはりこの人は飄々(ひょうひょう)としているようで色々なところをよく見ている。


「あの子にに言わなかったのは正解だね、あの子はどうにも……少年の事になると歯止めが効かないというか、少しやり過ぎる」


 確かに……あれだけの力があるのであれば俺を力づくで奪い返してその場から去る事も出来ただろうが……そうはせずに『怒り』で行動した彼女を灰飾はやりすぎだと言っているのかもしれないがあの瞬間、助けられて嬉しいという感情ともう一つ……トカゲ達の血肉を骨の槍で撒き散らして圧倒する彼女を、俺は綺麗だと感じてしまっていた。

 しかしそんな事を今は言っても仕方がない、感情を胸の奥に仕舞いながら曖昧に笑っておくことにする。


「ふーむ……聞いていた通り、少年を襲ったのは脱皮直後の蜥蜴(リザード)種で間違い無いね……痛みはどんな感じだい?」


 服を脱ぎ、患部を灰飾に診せると背後で納得したかのように頷いている気配がする。

 激痛という程では無いが爪が食い込んだ辺りを中心に疼くような痛みが広がり、未だに治まらない。


「痺れるような疼くような感じ……ですかね」


「りょーかい」


 気の抜けるような返事と共に背後で何かの蓋が開くような音、続いて鼻に刺さるような臭いが漂ってきた……薬瓶か何かを開けたらしい。


「あいつらの爪には弱いけど毒があるからね、少し刺激的な臭いだけどすぐに消えるから我慢してくれよ?」


 俺の返事を待つ事無く薬が塗りたくられ、粘つく感触が少し不快だが塗られた端から痛みが消えていくのを感じる、塗り広げられた薬をしばらく放置し……お湯で濡らしたタオルで拭き取る頃には痛みは完全に消え、肩が少し軽くなっていた。


「おぉ……もう全然痛くない、ありがとう灰飾さん……!」


「はーいはい、そもそも今回は想定してなかったこっちの不手際みたいなもんだしね? 悪かったね、怖かったろう?」


「いえそんな……あ、その」


「ん? どうしたんだい?」


 怖かった、という言葉に先程のフィルとの会話を思い出し灰飾にも問うべきか迷ってしまう。

 しかしここで口を閉ざしても他に問い掛ける事の出来る相手がいる訳もなく、意を決して顔を上げる。


「あの、灰飾さん……は、墨白さんの事……怖いと思いますか?」


「……どうやら、随分と話が盛り上がったみたいじゃないか」


 薬瓶を棚に戻そうとしていた灰飾の手が止まり、瓶を戻すのを止めて目の前のテーブルに置き……こちらを見つめながら言葉を探しているようにも見える。


「──アタシは」


「無事かお前様よ!」


 意を決して僅かに開きかけた彼女の言葉を遮るように墨白が店内に飛び込み、俺を見つけるなり抱き締めるとそのまま床へと転がった。

 床一面が柔らかいカーペットで本当に良かった……墨白に無事を伝えつつ灰飾の方へチラリと視線を向けると、今までに見た事が無い優しい笑みを浮かべていた。

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