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第十九世 最上層から見えたモノ

平和に秩序、平穏……言い方なんて何でもいいが、そういったものを守ろうと思う者達が生み出す副産物をルールという。

 今回最初に害を与えてきたのは地面に転がっている三匹のトカゲだが一匹は頭部の三分一程を吹き飛ばされ、他の二匹は脇腹に風通しの良さそうな大きな穴が開いており急所は外しているのだろうが誰の目にも明らかに致命傷……人間の法に照らし合わせるなら明らかに過剰だ、こっちの法がどうなっているのかなんて分からないがこのままではフィルが俺のせいで何らかの罰を受ける事になってしまうだろう。

 そうある種の確信を持っていたせいかどうかは分からないが死んでいるとすら思っていた三匹のトカゲがふらつきながらも立ち上がり、憎々しげな視線こそこちらに向けていたものの何も言わずに立ち去って行くのをただ呆然と眺めている事しか出来なかった。


「……生きてたんだ」


「彼らは頑丈な上にそれなりの再生力を持っていますからネ、とはいえ家に帰る頃には毒も回り始めるでしょうからしばらくは熱と激痛に苦しむ事にはなると思いますヨ」


「毒って……それ死なないの?」


「ンー……量は加減しましたし、多分大丈夫なんじゃないでしょうカ」


 首を傾け少し考えているかのような素振りを見せているが至極どうでもいい事のようだ、それはそうと俺には気になっている事がもう一つ……自らの鼓動を聞かせる為にフィルの手を引き寄せたのはいいものの、未だに彼女が離れる気配を見せてくれないのだ。

 せめて一歩だけでも離れてくれたらそれをきっかけに今掴んでいる彼女の手を離す事も出来るのだが、俺から離れるのはどうにも悪い気がして未だに新たな行動を起こせずにいる。


「……アッ」


 どうやら俺の気持ちに気付いてくれたらしく、フィルが一歩離れてくれた。

 強く押し当てていたせいか残っている彼女の手の感触が無くなるのは惜しいが、これで良かったのだと自分に言い聞かせていると不意に右の手首がフィルに掴まれた、何事かと目を丸くしながら顔を上げて彼女の顔を見ると少し恥ずかしそうに笑みを浮かべている。


「人間サンばかりだとズルいですよね、ワタシのも……」


 ゆっくりと彼女の胸元へと引き寄せられる俺の右手、男ってやつはこういう時になんと無力な事か。


「いや、俺はっ……ん?」


 助平心と墨白への裏切りの間で心を揺さぶられているとフィルの少し後ろ辺りに円状に青く光る何かが浮かんでいるのが見えた、二重三重と徐々に形を変えるその円を思わず指差すとフィルも俺の異変に気付いたようだ。


「人間サン? 何を見て……あ」


『バカ、ここで魔法を使ったらわざわざ私と直接会ってる意味が無いだろう!』


『ええいうるさい! おおフィルよ、悪いが今すぐあやつの元へ向かってはくれぬか!』


「……墨白さん?」


 振り返ったフィルが手を伸ばして青い円に触れると聞いた事の無い声とよく知っている声が何やら争う声が噴き出してきた、音だけなので状況が掴み辛い上に揉み合っているのか雑音も混ざっており聞き取り辛い。


『お前様!? 無事か!? 怪我などしておらぬか!?』


「う、うん。フィルが助けてくれたから無事だけど、何で分かったの?」


『うぐっ……そ、それはじゃな……』


『無事だと分かったならもういいだろう! キミもごめんね、私も近い内にちゃんと挨拶しに行くからさ! それじゃあまたね!』


 言い淀む墨白に被せるようにもう一人の女性が話を区切る言葉を最後に青い円は消え去り、並んで呆然とする俺達だけが取り残された。


「ちなみに今のって……魔法?」


「そうデスね、離れた位置に居ても特定の相手とお話が出来る魔法デス。人間サンの異常に局内から飛び出そうとしたのかもしれませんネ、騒ぎになっていないといいのですガ……」


 どうやらあの手首と合わせて魔法を目の当たりにするのは二回目らしい、しかしどちらも慌ただしかったせいかイマイチ魔法を知ったという実感が無い。

 しかしフィルの『騒ぎ』という言葉が耳に届いた瞬間に俺の意識は現実へと引き戻され、慌てて周囲を見回す……無機質な金属製の通路にはあちこちにこびり付いたトカゲ達の肉片や血溜まり、相変わらずこの階層は静かで誰かが下から上がってくる気配も無い。


「……とにかく急いでここを離れなきゃ、灰飾(かいり)さんの店への近道とか知らない?」


「そこの階段が一番早いですけド……どうしたんですカ急に、何をそんなに慌てているんデス……?」


「だってすぐにでも警備局とかって人が来るかもしれないし……いや、墨白さんと一緒にいた人が警備局の隊長さんなんだったか……ああくそ、なんで忘れてたんだ俺は!」


 頭を抱え、なんてバカなんだと何度も自分を罵る俺の顔を不安そうに覗き込むフィルに口早に今がどんな状況であるかを説明する、俺を助ける為とはいえあのトカゲ達に対しての仕打ちは明らかにやり過ぎだ……ここでの刑罰がどんなものなのか俺には分からないがフィルにそんな目に遭わせるわけにもいかない、だから急いで灰飾の店に戻って隠れつつ何か良い知恵が無いかどうか聞かなければ──語気を強めながら詰め寄り、一方的に捲し立てる俺の言葉を遮る事無く聞き入っていたフィルだったが言いたい事を言い終え、息を荒く肩を怒らせながら近道だと教えてくれた階段へと向かう俺の腕を掴んでゆっくりと首を振る。


「それなら、こっちに行きまショウ」




 俺には交路(こうろ)世界での土地勘など無い、故に何か考えがありそうなフィルについて来たものの……階段を上がり、辿り着いた先は第八層……つまりは最上層、辺りを見回しても落下防止のフェンスに囲まれており、誰もいなければどこかへと繋がる道も無い……唯一、小さな自動販売機のような機械が寂しく佇んでいるだけだ。


「フィル、ここからどうやって店に戻るの……?」


「ふふ、せっかく人間サンとのお散歩なんですからまだまだ戻りませんヨ?」


 呆気に取られる俺をよそにフィルは屋上に点在する地面から少し盛り上がり、長方形に広く伸びる鉄板の上に腰掛けると俺の方を見ながら隣を軽く叩き、座るよう促す。


「……フィル、さっきも言ったけど今はそんな場合じゃ──」


 呑気に笑みを浮かべるフィルに少しだけ腹が立ちながら噛みつくが彼女は笑みを絶やす事無くまっすぐに俺を見つめている……訳が分からない、困惑しながらも梃子でも動かなそうな彼女にとうとう根負けし、隣まで移動すると同じように鉄板の上に腰掛ける。

 ソーラーパネルにそっくりな点在する黒い鉄板、冷たいし座り心地はお世辞にも良いとは言えないが非常に頑丈なようで二人乗ってもビクともしない。俺達の間を吹き抜ける風は下に比べると少し強く、ひんやりと冷たいが静かだし何となく落ち着く……まるで秘密基地にでもいるかのような不思議な安心感でどこか懐かしさすら感じる。

 こんな状況でなければ辺りが暗くなり、寒くなってくるか腹が減るまでのんびり過ごすのも悪くないかもしれないとすら思える、そんな場所だった。


「今、ワタシはすっごく嬉しいんデス」


「……え?」


 後ろ手に両手をつき、浮かせた両足を順番にパタパタと動かしながら笑顔で言い放つその言葉が理解出来ずに首を傾げてしまう。


「人間サンが心配してくれて、ワタシの為に何かしてくれようとしてくれてる……胸がポカポカ、今凄く温かい気持ちデス」


「そりゃ……せっかく友達になれたんだし、俺を守ったせいで酷い目に遭うなんて……嫌だし」


 フィルは言葉もそうだが視線でも相手をまっすぐに見つめるのでこっちが思わず怯んでしまう、妙な照れくささを感じながらも自分の思いを口にするとフィルはもう一度ニコリと笑い、姿勢を正すと両手を膝の上に乗せた。


「大丈夫ですヨ、人間サンの世界のルールではアナタの言う通りかもしれませんガ……あの程度でどうこうなったりはしまセン、というより……誰に言ってもアナタに手を出す方が悪いと言われるでしょうネ」


「ん……どういう意味?」


 最後の言葉の意味が分からず首を傾げると、フィルが小さく笑って自らの鼻を軽くトントンと叩いてみせる。


「彼ら……蜥蜴(リザード)種は若い時は大体三十日周期での脱皮を繰り返す事で成長するのですが、脱皮直後は力が有り余っているせいでさっきのように気性が荒くなり数日の間、鼻が利かなくなります。だカラ人間サンの鬼の匂いに気付かなかったんでショウ」


「鬼……それって、墨白さんの?……そんな匂い、する?」


 作務衣の袖に鼻を当てて匂いを嗅いでみるが……やはりというかさっぱり分からない、そんな俺の動きが面白かったのかフィルに笑われてしまった。


「ふふっ! そういう意味ではなく、ンー……気配とかマーキング……? とにかく普通は一目人間サンを見たら誰の庇護下にあるのか分かるハズなんですよネ、それに脱皮直後の蜥蜴種は不要なトラブルを避ける為に本来は巣穴や家から出ない決まりになっているのデ、そういう意味でも彼らの自業自得デス」


「なるほどね……はぁ、良かった……!」


 最初は俺を安心させる為の嘘なのかとも思ったが彼女の口振りからすると本当の事のようだ、全身から不安や緊張が一気に抜けて両手を上に上げながらベンチ代わりの金属板の上に寝転ぶ。


「……あ、もう一つ聞きたいんだけどさ? フィルはさっき、一体どこから……え?」


 見上げた空、雲一つ無い青空の遥か向こうにうっすらと何かが見えた。

 何か、というよりはどこかと言った方が正しいか……ここと同じように奥行きの長い陸地が空の向こうで悠然と浮かんでいるではないか!

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