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第十八世 蛇骨の槍

「大通りに出たら左側にある二番目の階段を上がる……多分、あれ……か?」


 店を出た俺は土地勘も何も無い場所での配達を安請け合いした事を早くも後悔していた、フィルが何度も根気よく説明してくれたのでそれを元に自分で書いたメモを配達物と一緒に貸してもらったベルト付きのポーチのポケットから取り出して何度もメモと大通りを見比べる……恐らくは間違っていない筈だが、自分で書いたものとなるとどうしてこう自信が持てないのか。

 屋台と屋台の隙間から不自然に伸びる黒い螺旋階段の終わりを追うように見上げ……今度は最初に感動した筈の交路世界(こうろせかい)の構造にも文句を言いたくなってくる、気分としてはそう……古民家なんかを見た時に大きさなどで感動するが、生活するにあたってのアレコレを考えてる内にげんなりとしてくるあの現象に似ているかもしれない。


「あちこちに階段が伸びてるんだから……全部くっつけてくれりゃいいのに、さ!」


 とにかくいつまでもこのミルフィーユのように重なる巨大鉄板通路の層を見上げていてもキリが無い、灰飾(かいり)の話によればこの層は八層まであって目標は七層だというのだから兎にも角にも上に行かなければ始まらない事だけは分かる。

 目的の階層まで上って、見た目は細いパイプの束だという配送チューブを見つけてポーチの中身のカプセルを中へ放り込む……本当に、話だけをまとめれば子供でも出来そうなお使いに聞こえてくるのだから質が悪い。


「……にしても、ホント凄い光景だな」


 少し階段を上がったところでふと足を止め、階段の手摺を掴みながら下を覗き込むと今日も大通りは大盛況、沢山の行き交う人々の群れ……猫や狼のような頭部をした者や尻尾に翼も当たり前、パッと見ただけなら人間は誰もが仮装行列だと言うだろうが実際は違う、あれら全てが別の種族なのだ。

 更に言えば誰もがお互いを気にしている様子は無い、あそこにいる人たちは誰もが互いを『そういうものだ』と受け入れているのだろう、髪型や服装が奇抜なだけで奇異の目で見る人間とは認識そのものが違うのだ。どちらが良いとか悪いではなく、この景色を見ているだけで自分が知らない場所へ来たのだと嫌でも実感させられるし、いずれこの景色にも慣れてしまうのだろう。


「さーて、ぼちぼち頑張りますかね」


 小さく鼻で笑い手摺を指で軽く叩くと小気味の良い金属音が鳴り響き、その音に後押しされるように再び階段を上り始める……何層にも連なる通路はどの層も様々な店や屋台が並んでいるせいで見通しが悪く、道中香ばしい匂いの漂うお店に誘惑されたり時折現れる手摺の無い通路にビビったり、すれ違った人の凄まじい獣臭に顔をしかめたり……しかしそんな喧騒も階段を上がるにつれて遠くなり、七層へと降り立った俺の視界には誰一人として映る事は無く、奥の方から吹き抜けた風が何の障害にぶつかる事無く脇を抜けていった。

 何かの拍子に別の世界へ来てしまったのかという不安が沸き上がり、慌てて後方の手摺から下を覗き込むとそこには変わらず沢山の人々が大通りをひしめく姿が見え、思わずホッと息を吐く。


「何でここだけこんな……」


 ボソリと呟きながら改めて見通しの良い七層を見回し……誰もいない理由はすぐに分かった。

 何よりもまず店が無い、元々は店だったのであろう空間は残っているが中身は空っぽのものばかり……まるで廃墟街を歩いているかのような気持ちになりながら通りを奥へと進むと目的のものであろう姿が目に留まった、四列に連結されたパイプ……太さは大型のペットボトルよりも一回りほど大きく、四本のパイプそれぞれに取っ手付きの蓋とフィルの説明にもあった記号が刻まれている。


「これ、大丈夫なんだよな……?」


 ポーチからカプセルを一つ取り出し、記号を確認しながら蓋を開けた……まではいいのだが本当に入れていいものか躊躇してしまう。

 それもその筈、このパイプ……そこそこの長さはあるがどう見てもどこにも繋がっていないのだ、上下に二メートル程伸びて……先が無い、このままカプセルを放り込んでも落下するのが目に見えている。

 教えてもらったのはここでいい筈だ、本当にここか? 思考が延々と回り続けるが答えは一向に出ず、しかしとしてポーチを膨らませたまま帰る訳にもいかず……とうとう煮詰まった俺の答えはカプセルを一つ握りしめるとパイプの蓋を開き、カプセルを手に乗せたまま中に突っ込んでみるというものだった。


「お?……おぉ」


 パイプの中で手に乗ったカプセルはすぐにふわりと浮き上がり……別の空間へ消失するかのように一瞬だけ光り、消えた。

 抜き出した手を確認するが何も異常は無さそうだ、それならば……と残りの三つのカプセルも取り出すと指定のパイプへ放り込んで消失を確認し……両手でグッと握り拳を作る、任務完了だ! やっている事は配送どころかポストに投函しただけのようなものだが全身には謎の充足感が満ちている。


「そういえば……あれって何なんだろ?」


 やるべき事を終え、少し心に余裕の出来た俺は通路の奥の方へと目を向ける……七層に辿り着いた時から遠目に見えてはいた謎のエリア、少し遠いがここからでも金属製の貯水タンクのようなものが並んでいるのがよく見える、思っているよりも大きいかもしれない。




「近くで見ても……分かんねぇなぁ」


 どうやらこの七層は他に比べて奥行きが長いらしい、大きく突き出し吹き抜けとなっている通路の先端には等間隔に並んだタンクが六……いや五基、それぞれのタンクの傍に立っている三つのボタンが付いた装置の位置からしてもう一基あってもおかしくないが、今ここにあるのは五基だけだ。

 そのボタンも何かが書いてある訳でも無く赤に緑に黄色と色分けされているだけ、これでは何が何やら分からない。


「ま、帰ってからフィルか灰飾さんにでも聞けばいいか……ん?」


 あとはのんびり見学でもして帰ろうとして振り返ると通路の向こうからこちらにやってくる三人組が見えた、三人ともトカゲか恐竜のような頭部をしてジャンパーのような分厚い上着を身に着けている。

 人気の無い七層……しかも全員が俺の事を見ていると分かった瞬間背筋が寒くなるのを感じ、さっさと立ち去ろうにも一番近い階段は吹き抜けの手前、トカゲ頭の三人組はとっくに通り過ぎている。


「やぁお兄さん、もしかしてだけどさ……キミ、人間だったりする?」


 一番先頭に立つ緑色のジャンパーを着たトカゲ頭が話しかけてきた、口調は気さくだがどこか嫌な感じがする。


「そうですけど……何か?」


「ほらな、やっぱりだ! だから言ったろ!?」


 俺の返事を聞くなり後ろにいた紫色のジャンパーを着たトカゲ頭が嬉しそうに叫び、飛び跳ねた。

 反して緑ともう一人の青いジャンパーのトカゲ頭は顔を手で覆い、懐から数枚のコインを取り出して紫ジャンパーのトカゲ頭へ手渡している。


「チッ……マジかよ、人間なんざとんと見ねぇしこっちに来る奴なんかいるわけねぇと思ってたんだがなぁ……」


「悪いね、こいつがキミを見かけたって言うもんだから……まぁちょっとした賭けをしてたのさ」


 相変わらず気さくな口調のトカゲ頭が説明してくれたお陰でどういう事かは理解出来た、道中でも見かけないとは思っていたがやはり人間は珍しいらしい。


「……そうでしたか。じゃあ、俺はこれで」


 何でもいい、とにかくここから立ち去りたい一心でトカゲ達の横を通り過ぎようとすると青ジャンパーのトカゲ頭が俺の肩を掴んだ、鋭い爪が肉に食い込んで痺れるような痛みが走る。


「待ちなよ、今賭けに負けちゃったせいで無くなっちゃってさ……分かるだろ?」


 今日は最悪の一日になりそうだと全身の細胞が告げている、どうして俺の人生ってやつは良い事があると同じくらい悪い事が起きて幸運の値を平均に戻そうとするのか、ただでさえそもそもの平均値が低いというのに……この状況よりも自分に付き纏う不運そのものを呪う言葉を吐きそうになり、ふと考え直して僅かに口元に笑みを作る。


「分かりません、それに俺……ここでのお金なんて持ってませんし」


「あぁ……?」


 俺の肩を掴むトカゲ頭の硬そうな表皮に筋が浮かぶ、笑ってしまったのは感情がバグった訳でも諦めた訳でも無い……こんな些事(さじ)程度で墨白らと出会えた幸運が帳消しになると一瞬でも頭を掠めた事そのものがバカバカしく思えてしまったのだ、俺はこの後どうなる? 暴力を振るわれようと大怪我をさせられようと、そんな結末に納得がいく筈も無いが仮に死んだって自信を持って言える……俺は世界一幸運な男だったと!


「てめぇ、人間の癖に……」


 牙を剝いて凄まれたがこっちだってトカゲ如きの戯言にこれ以上耳を傾ける気にもなれなかった、そういえばこの交路世界にも雨が降ったりするのだろうか?……ぼんやりとそんな事を考えながら空を見上げていると先程まで眺めていたタンクが一基、空からゆっくりと降りてきているのが見えた。

 確かにここにある五基のタンクにも固定具のようなものが付いているようには見えなかった、であればあんな風に上下に移動する事もあるか……本当に、この世界は初めて体験する事ばかりで飽きさせてくれない。


「……アナタ達、人間さんに何をしてるんですカ?」


「え……?」


 俺を掴んでいるトカゲ頭の手が振りかぶり、鋭い爪が日の光に反射しているのを呆けながら見つめているとトカゲ達の背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「あ? 何だお前、アンデッドか?」


「ゾンビか?……気持ちわりぃな、見逃してやるからさっさとどっか行けよ」


 トカゲ達が道の端に寄って視界が開けたお陰で声の主の姿をハッキリ目にする事が出来た……フィルだ、一緒に店を出た時と変わらぬ姿だが見た事も無い程に冷たい視線を俺を掴むトカゲ頭に向けている。


「では彼を今すぐに離してくださイ、その方はワタシの大切なお客様なので一緒に帰りマス」


「客ぅ?……お前まさか渦留(うずど)まりの、あの陰気な店の関係者か?」


 フィルは何も答えない、それよりも何なのだろうこの……腹の底から湧き上がる嫌悪感と、怒りは。

 笑顔の素敵な彼女の事を気持ち悪いと言ったな? あの温かい場所の事を陰気と言ったな?


「ふざけるなっ……訂正しろ!」


 現実世界で何度も吐き捨てた言葉、あの頃は中身も無くただ感情に言葉を乗せただけの空虚な言葉だったが……今初めて誰かの為に叫んだかもしれない。

 俺を肩を掴むトカゲの手を両手で掴み、全身の力を振り絞って振りほどこうともがくが……ビクともしない、どんなに頑張ってもこいつの手から抜け出す事は出来ないとすぐに分かったがそれでも諦める事は出来ず、とうとうトカゲの腕を殴りつける。


「っつう……!」


「なんだこいつ急に……目障りだな、大人しくしてろや」


 硬い、まるでコンクリートの地面を殴っているかのようだ。

 無力だ、振りほどけないどころか小さな痛みを与える事も出来ず殴りつけた右手はズキズキと痛む……あっさりと片手で持ち上げられて大きく揺さぶれてぶらりと吊るされ、こんな情けない姿をフィルに見せる事になるなんて悔しさや恥ずかしさから涙が出そうだ。


「……優しい子なんだよその子は、あの店だって温かいし……ケーキが凄く美味しいんだ、だから……バカにすんな……!」


 最後の方は涙声になっていたかもしれない、しかしすっかり竦んでしまった体では睨みつけながら恨み言を言うのが精一杯だった。


「なんなんだよコイツ……おい嬢ちゃん、コイツを返して欲しかったら代わりに金を寄越すかさっさと消え……あ?」


 青いトカゲ頭と同じく俺も目を丸くして呆けてしまった、先程まで少し離れた位置にいた筈のフィルが音も無くすぐ目の前という距離まで詰めているではないか。


「……ごめんなさい人間サン、どうにかアナタを怖がらせず穏便な解決方法が無いかと考えていたせいで判断が遅れてしまいましタ……出来れバ、少しだけ目を閉じてくれたら嬉しいデス」


「てめ、何を」


 尚も暴言を吐こうとするトカゲ頭に向かって右の手のひらをかざしたと思った次の瞬間、フィルの手から白い棘……いや、鋭利な骨の槍が飛び出してトカゲ頭の頭部の一部を吹き飛ばしたではないか! 呆ける事しか出来ない俺とは違ってさすがの動物的な反射神経と言うべきか、すぐさま飛びかかった紫と緑のトカゲ頭に対しては一瞥もする事無く左右の脇腹辺りから飛び出した長く鞭のようにしなる骨の槍が同じく彼らの脇腹を貫き、辺りに肉片を撒き散らしながら弾き飛ばす。


「が……あ……」


 それぞれの槍がフィルの体へ戻っていくのを見守り、周囲をぐるりと見回す……地面に転がる彼らは全員揃って重傷だが辛うじて息はある、三本の攻撃は全て急所を避けて撃ち込まれたらしい。

 よろよろと立ち上がりフィルの方を見るが彼女は俯いたまま顔を上げない、一歩一歩ふらつきながら近付くと足音に気付いたのかようやくゆっくりと顔を上げてこちらを見た、その表情には困惑と不安がありありと浮かんでいる。


「……人間サン」


 フィルは何かを求めている、それは分かるが……それしか分からない、しかも悩めば悩むほど彼女を不安にさせてしまう。

 これが正解なのかなど分からない、俺の出した結論は……彼女の右手をしっかりと掴み、その手のひらを俺の胸に当てる事だった。


「あー……ホント助かった、分かる? まーだ心臓バクバクいってら」


 あんなにも堅牢だったトカゲの皮膚をいとも容易く貫いた骨の槍を射出した自らの右手と俺の顔を交互に見比べるフィル、その瞳はハッキリと『怖くないの?』と問い掛けてきている。

 実際の所どうなのかと問われても上手く言葉には出来ないが自分でも不思議なぐらいに怖くない、ひんやりと冷たい手を握りしめながらどうにかこの気持ちが伝われとまっすぐに目の前の少女の見つめていると強張っていた腕や肩から力が抜け……やがて彼女の顔が優しく俺の胸に沈んだ。


「えへへ……本当に凄くドキドキ、してますネ」


「……でしょ?」


 顔を少しだけ上げてこちらを見上げたフィルに笑顔で返す、正直今はもう一連の緊張からとは違う理由で鼓動を早めているのだが……きっと誤魔化せている筈だと信じたい。

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