第十七世 醜い心と宝石菓子
「おはようございマス! よく眠れ……ましたカ?」
「あはは……」
トロンとしたままの目を擦り、ようやく起きて下へと降りて来た俺達にカウンター越しに灰飾と談笑していたフィルが真っ先に気付き、駆け寄って来て迎えてくれた。
俺の様子を不思議に思ったのか小首を傾げるフィルはどうにか誤魔化せそうだが、カウンターに肘をついてニヤニヤと笑う灰飾の視線がチクチクと刺さって痛い。
「慣れぬ場所に立て続けに来たからのう、疲れが遅れて出たんじゃろうよ」
「なるほど……! では元気の出るご飯、頑張って作って来ますネ!」
「ん、楽しみにしてるね」
俺の返事に嬉しそうに手を振って満面の笑みを浮かべながら調理場へと小走りで向かうフィルを手を振って見送る、彼女の好みなのか相変わらずよく似合うゴシック調のドレスを身に纏っているが今日の服はフリルやリボンが多くあしらわれており、昨日のどちらかと言えばシックなものよりも可愛らしい印象を受ける。
「久方ぶりに見たが相変わらず純朴な子じゃのう、くふっ……誰ぞの悪い影響を受けておらんようで良かったわい」
「そりゃあねぇ? アタシみたいないーい女になるにはほら、まだあの子は若いからさー?」
「……はんっ、よく言うわい」
嫌味をどこ吹く風と受け流す灰飾に面白く無さそうに息を吐く墨白がカウンター席に腰掛けたので俺も続いて腰掛ける、ぐるりと辺りを見回し……ふと一つの疑問が湧いた。
「あの、店を開けてないのって俺達が来てるからですよね?……大丈夫なんですか?」
「へーきへーき、元々道楽だし……本業はほら、アッチだから」
「ああ……なるほど」
そう言って昨晩談笑したカウンターの奥を親指で後ろ手に指す灰飾に納得して反射的に声が漏れた、どうやら余計な心配だったようだ。
「それで墨白、今日の予定はやっぱ少年のアレ?」
「うむ、面倒じゃが……まぁさっさと済ませた方がよかろう」
「アレ……って?」
何やら伝わり合っている二人に首を傾げていると墨白の手がこちらに伸びて指先でテーブルの上に置いてある俺の左手首をトントンと叩いた、ちょうど世界を通る鍵が巻き付いた位置だ。
「その鍵の存在証明じゃよ、他の世界へ渡る時や扉をくぐる際など色々と登録しておいた方が便利でな、まぁ……旅人へと第一歩とでもいうところかのう」
「こっちにもそんな役所みたいなところがあるんだ……」
「警備局と呼ばれておる、お前様に分かりやすく言うなら警察と役所が一緒になっておるような感じじゃな……くふっ、そんなに分かりやすく嫌そうな顔をするでない」
げんなりとした表情を浮かべた俺の肩を墨白がポンポンと叩いた、別に具体的な理由がある訳でも無いがお役所というのはどうも好きになれない。
「でもどうするのさ? 少年の登録は必要だろうけど、警備局に行くのかい?……アンタが?」
「まさか、また七釘にでも頼むわい……どうせ相変わらずバカ真面目に働いておるんじゃろう?」
「そういやこの前巡回してるのを見たけど……久しく飛んでないだろ、追いつけるのかい?」
「ほざけ、儂を誰だと思っておる」
また新しい名前が出てきた、地名か何かとも思ったが話を聞くに人物の名前のようだ、しかし毎回質問で会話を途切れさせるのもどうかと思い躊躇していると俺と墨白の前に温かい湯気を上げるカップが目の前に置かれた、どうやらフィルがお茶を持って来てくれたようだ……お礼を言うとお盆を両手で抱えて浮かべる笑顔がまた可愛らしい。
「七釘さんはガルダという翼をもつ種族なんでス、その中でも四翼と呼ばれる四枚の翼をもっている上に警備隊の隊長も務めている方で……とっても立派な方なんですヨ!」
「四枚羽根!? すっごいね……絶対格好良いじゃん、そんなの……!」
四枚の翼を広げて飛ぶなんてゲームで言えばラスボス級のキャラの特徴だ、感想に力が入るのも仕方ないだろう……しかし墨白達三人は俺の反応に意外そうにポカンと目を丸くし、やがて誰からともなく笑いだしてしまった。
「くく……そうだったね、少年ならそっちだよねぇ」
「え、何? 俺今なんか変な事言った?」
三人の顔を順番に見るが笑いながら首を振るだけで何故笑うのか理由を教えてくれない、やがて墨白の手が優しく俺の背中を擦る。
「すまぬがこれに関してはお前様に余計な印象を持って欲しくない、じゃが良ければ同じ事を奴にも直接言ってやってくれぬか?……もちろん奴を見ても同じ感想を抱いたら、で構わぬ」
「それは……いいけど、一体どういう……ん?」
「ハーイ! ご飯の準備が出来ましたヨー!」
どこかスッキリしない気持ちはどこへやら、何とも食欲を誘う芳醇な香りとフィルの声の方に導かれるままに視線を移すと奥のテーブル席に四人分の料理が所狭しと並べられ、あそこだけが輝いて見えるではないか!
「ほほう……これは、豪勢じゃのう」
四人掛けのソファ席に俺とフィルが向かい合うように座り隣には墨白が、灰飾は席に向かっている最中に何かを思い出したのか『先に食べていてくれ』と言い残して店の奥へと向かってしまった。
待っていようかとも思っていたがせっかく作ってくれた料理を冷ましてしまうのも悪いし、何より他の二人が食べる気満々なので俺も素直に食欲に従う事にする。
真っ先に目を引くのは大皿に乗った料理だろう、ナンのような柔らかい生地にたっぷりと包まれた肉や野菜はどちらも食べやすいように切ってあるのが嬉しい、脇に添えられた底の深い器にはポタージュのようなものが注がれており、さぁどちらから手をつけようかと迷っていると大皿の脇にもう一皿が添えられた……ハッとして顔を上げるとフィルが悪戯っぽく笑っている。
「これって……昨日の?」
「ハイ、元々人間サンの為に作った物ですし……気に入ってくれてたみたいだったのデ」
皿の上に乗っているのは言ってしまえば一切れのケーキだが、もちろんただのケーキではない。
スポンジも紫なら間に挟まっているクリームも紫、極めつけは表面に敷き詰められた紫水晶の地面を彷彿とさせるゴツゴツとしたゼリーだ、最初に見た時はフォークが通るのかすら不安だったが不器用な俺でも崩れる事無く切り分ける事ができ、一口でも頬張れば今まで食べてきたケーキは何だったのかと目が覚めたような気分になる。
真っ先に殴ってくるのはきめ細かく濃厚な甘味のクリーム、それをザクザクとした触感のスポンジが程よく中和し……噛み砕いた紫水晶のゼリーから溢れる芳醇な葡萄の香りと爽やかさがクリームのしつこさを流し切り、お陰で最後まで飽きる事も舌がダレる事も無く食べ切る事が出来るという逸品だ。
「うん……やっぱり美味しい」
デザートが食後など誰が決めた、と言わんばかりに真っ先にケーキの皿を取ると逸る気持ちを抑えながら一口分を頬張る……口の中で爽やかな甘味と僅かな酸味を含んだ果汁が広がり、寝不足の頭をスッキリと晴らしてくれる。
そこにフィルの淹れてくれた温かいハーブティーも加わり本格的に稼働し始めたお腹が悲鳴を上げ始めた、スパイスの効いた肉を頬張り瑞々しい野菜も次々に口に放り込み……ポタージュは濃厚なクリームとジャガイモに似た味が舌の上で広がり、優しく美味の応酬に胃が喜んでいるのが分かる。
……食べている最中は気にしないようにしていたのだが、フィルが自分の分には殆ど手をつけずにこっちを見ている気がして料理にイマイチ集中出来なかった……半分程食べ終えた辺りでハーブティーの入ったカップを傾けながらチラリと視線を向けると嬉しそうに笑みを浮かべる彼女と目が合った、作法か何かで失礼があったのかと不安だったが……どうやら杞憂だったようだ、とはいえ俺の食べている姿なんかを見て何が面白いのだろう?
「いやー、お待たせお待たせ」
灰飾が戻って来た頃には俺はすっかり食べ終え、ゆっくりと食べ進めていた墨白やフィルもそろそろ落ち着いてきたかという頃合いだった。
「遅いぞ、一体何をしに行っておったんじゃ?」
「いやー……それがちょっと、ね」
申し訳ない、とすっかり冷めてしまった料理の並ぶ席に座ってナン生地に包まれた野菜の欠片を摘まみ出して口に放り込み……長い赤髪を乱暴に掻きながら困ったような笑みを浮かべる。
「悪いんだけど墨白、今日一日でいいから少年を借りられないかな?」
「……は?」
俺と墨白が同時に口をポカンと開き、フィルも聞いていないのか不思議そうにしている。
この反応は灰飾にとっても想定内だったらしく、噛みつかれる前にと早口で事情を話し始めた……どうやら急ぎの注文をいくつか忘れていたらしく、今日は買い出しのみの予定だったので人手が足りないという事らしい。
「薬の材料はこの中じゃフィルにしか分からないし、この層以外にはアタシが届ける。だから少年にはこれらを配送チューブに放り込んで欲しいんだよね……どうかな、お願い出来ない?」
フィルがお皿を下げてくれたお陰で出来たスペースに四本のカプセル状の容器が並んだ、どれも色は銀色で大きさは十センチほどだろうか? ラベルが張ってあるが相変わらず読めない。
「ここに刻印があるだろう? 同じ刻印のあるチューブに入れてくれたら相手に届くからさ」
「刻印……なるほど」
確かにラベルの文字は読めないが隅に刻印が押されている、とはいっても渦の周りの点の位置が違うだけなので間違えないようにしなければ……それぞれの刻印を見比べていると墨白が呆れたようにため息をついた。
「貴様、断られる事を考えておらんな?」
「あら、バレた?……でもほら、少年の鍵は誰が手配したんだっけ?」
「ぐぬっ……!」
ジトリと睨んで噛みつくが思わぬ手痛い反撃に墨白が一瞬怯み、その隙を逃すまいと灰飾がぐっと身を乗り出して墨白に詰め寄る。
「ずーっと一人の世界に引きこもってるからいざって時にやり方を忘れるんだよー? これで貸し借り無しって事でいいからさ、ね?」
「ま、まぁまぁ……墨白さん、色々と世話になってるんだし俺なら大丈夫だよ? ここにも慣れておきたいしさ」
「お前様……ぬぅ、仕方あるまい……」
「よっし決まり! 助かったー!」
墨白が頷いたのを見るやいなや盛大に指を鳴らし、安心したように席に座り直すとフィルの料理を頬張り始めた……想定外のハプニングだし一人であの街を歩く事に不安が無いと言えば嘘になるが、同時に少しだけワクワクしている自分もいる。
「では儂は先に出る、出来るだけ早く戻るがくれぐれも……」
「分かってるって! 少年の事は任せて、さっさと行ってきなって」
俺と灰飾を順番に見つめた後、渋々といった様子で玄関に向かう為に階段を上り始めた墨白を追いかけたのは見送りの為でもあり……一つだけ、引っ掛かっている事があるからでもあった。
しかし口にするにはあまりにも……ハッキリ言ってしまえば気持ち悪いと思われても仕方の無いものだったのでモヤモヤとした気持ちを抱えながら押し黙り、遂には出口の取っ手に墨白の手が掛かった。
「……お前様?」
反射的に手を伸ばして墨白の肩を掴んでいたらしい、不思議そうにこちらを見つめる彼女に何か言わねばと言葉を必死に探す。
「いや、その……気を付けて、ね?」
「……ほう?」
しばらくジッと見つめ……何かに気付いたのか目を細めた墨白が俺にかがむよう手で合図をした、反射的にその場にしゃがみ込むと抱きつくように彼女の唇がそっと耳元に近付き……囁いた。
「安心せい、七釘は灰飾よりも背が高く勇ましいが立派に女子じゃよ。儂の知人はもう一人おるがそやつも同じく、な?……それに今日はともかくいずれ二人共お前様と会う事になるじゃろうて、これで少しは安心してくれたかのう?」
「う……ん」
見事に言い当てられた俺は頷きながらその場に呆ける事しか出来ず、ニコリと笑って出掛けて行った墨白が扉を閉めた後もしばらく扉を見つめている事しか出来ない……駄目だ、もう彼女の声が聞きたくなってきた。




