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第十六世 神と人

「何者って言われても……俺はただの」


「ただの人間、そんなのは一目見た時から分かってる。アタシが聞きたいのはどうしてただの人間に過ぎない少年が墨白をあんな風に変えられたのかって事なんだよね」


 俺の言葉はぴしゃりと撥ね除けられ、再び口を閉じた灰飾(かいり)のまっすぐな視線に胸を貫かれる。

 何故俺なんかが墨白に好かれているのかなんて知る筈が無い、むしろこっちが聞きたいぐらいだ……しかし返答はそれでいいのか? 以前のように人間同士の言い合いなら間違いは無いだろうが目の前にいるのは喉を貫かれても平然としているような相手だ、さすがに殺されるような事は無いと信じたいが……いつの間にか部屋中にピンと張り詰めた雰囲気にすっかり飲まれたのかいつまでも言葉が出ない俺を灰飾は静かに見つめ、やがて焦れたように自らの長い赤髪を乱暴に掻いて天井に向けて呻いた。


「あー……もう、なんなのさこの感じは……!」


 理由は分からないが灰飾も困惑しているように見えた、やがて顔を下げた彼女の手がこちらにグッと伸ばされ思わず全身に力が入る……が彼女の手が掴んだのはテーブルに置かれたカップだった、俺が飲み残した半分程の中身を一気に飲み干すと長く息を吐き出し……優しくカップをテーブルへと戻した。


「責めるような言い方をしたのは悪かったよ少年、でも本当に分からないんだよ……突然変わった墨白もそうだしフィルだって今じゃ少年にベタ甘だ、そりゃ客商売だからある程度の愛想は持ち合わせてるよ? でもあんな風に気合入れて料理を作ったり美味しそうに食べる少年を見て笑う姿なんてアタシは見た事が無い、それにアタシ自身……こうして少年に詰め寄ってる今の状況が嫌で嫌で、胸がなんか……おかしいんだよ」


 呻くように言葉を漏らす灰飾が自らの豊満な胸元を掴み、がっくりと項垂れた……その姿は非常に弱々しく、今のこの状況も怒りや嫌悪ではなく純粋な困惑からだという事がいやでも伝わってくる。

 彼女に答えを示せるなら、さっきまでの楽しい雰囲気を取り戻せるなら何を答えたって構わない……しかし事実として本当に何も無いのだ。俺なりに生きていて、気が付いたら墨白の元にいた……本当にそれだけなのだから。


「……質問を変えよう、少年のこっちへ来る前……つまり墨白と出会うまでの人生ってやつはどんな風だったんだい? アタシは墨白から嫌ってほど聞かされてるから大まかな事は知ってるけど、少年の口から聞きたいな」


「俺の……人生ですか? 別に聞いても面白い事なんて何も……」


「いいから、それに墨白からの最後の連絡からすると……君は随分早くに死んだらしいじゃないか? 人の寿命が短いのは知ってるけど、その点だけは少年は特殊な筈だろう?」


 確かに……確かに俺は自分の手で人生を終わらせた、特殊と言えば特殊なのかもしれないが……しかしそれだけだ、俺は結局何者にもなれなかっただけ、特殊ではあっても特別ではない。


「とりあえず……俺が人間としての生を一回経験してみて分かったのは、人間の一生って勝ちか緩やかな負けか大負けしか無いって事ですかね」


「……どういう意味だい?」


 顔を上げて首を傾げる灰飾にどこから話そうかと天井を見つめ……すぐに何から話したところで情けない男の一生にしかならないと理解し、深くため息をつく。


「お茶……もう一杯もらえます?」




 温かいお茶を流し込んだ俺の喉は絶好調となり、気が付けば聞くに堪えない話を延々と話し続けていた……自分で聞いていても改めて本当に情けない。

 学校は友人や家族の勧めで決めたはいいがすぐに勉強について行けず勉強を頑張った時に限って風邪を引いたりを繰り返してズルズルと成績は下がり続け、このままでは駄目だと意を決して会社に入社したはいいものの謎の倦怠感や他の欲求に負けてはどこも長く続かず、仕事にこなれてきても年齢のせいか人員整理の選択肢から外れた事は無かった……ようやく興味を持てた職種にもやはり年齢や資格の面で引っ掛かり、そこまでいってようやく後悔という言葉の真の意味に気付くというお粗末な男……それが俺だ。

 いじめられた訳ではないしブラック企業ってやつに入ってしまった訳でもない、ただ流してくれている間は流され続けて、流れが止まった事にも気付かず僅かな負けを勝ちだと勘違いしては自分はまだ負けてないと言い張って……勝負もせずに負け続けた、という言葉で締めくくるまで灰飾は一言も挟まずに聞き続け……話が終わったのだと理解すると椅子に座り直して足を組み、自らのこめかみを指でトントンと叩き始めた。


「なるほど……ね」


「あはは……だから何も面白くないって言ったでしょ?」


「いや、得る物はあったよ?」


 愛想笑いをしながらカップに手を伸ばすと灰飾がきょとんとした顔でこちらを見つめた、一体今のつまらない話のどこに得る物などあったと言うのか分からずこっちまできょとんとしてしまう。


「はい……? どこが、ですか?」


「答えって訳じゃないけど……まずは少年の異常な運の悪さだ、少年は流されて生きてきたと言っていたけれど……それでも多少の選択肢はあった筈だ、流してもらう為に友人や家族に聞くとかね?」


「それはまぁ……確かに?」


「でも少年は全ての選択肢において言わばハズレばかりを選んでいるようにアタシは感じた、これは運が悪いというより……どこか作為的なものを感じる、例えば選択肢そのものが両方ともハズレとかね」


「作為的って、誰がそんな事を……?」


 意味が分からない、誰かが……もしくは何かが俺の人生に細工をしたとでも言っているのか? あり得ない、魔法やらよく分からない薬やらが存在しているこっちの世界であればいざ知れず、科学と悪だくみでぶくぶくと育ったあの現実世界にそんな事が出来るとはとても思えない。


「? そりゃ神だろう?」


「は……神? 神ってあの、神様のことですか?」


「そりゃそうさ、人間を作ったのは彼らなんだから他に誰がいるっていうんだい?」


 お互いに目を合わせて首を傾げる、確かに神話や聖書の中ならそういう事になっているのだろうが……はいそうですか、と納得できる訳が無い。


「いや……ええ? 本気で言ってます?」


「もちろん、もしかして……その辺りの話はまだアイツから聞いてないのかい?」


 力強く頷いてみせると灰飾が参ったとばかりに天井を見上げて両手を伸ばした、彼女の反応の意味は分からないが先程までの張り詰めた空気はすっかり解れたらしい。


「アイツ……だから少年以外にも少しぐらい興味持てって言ってんのに……! というかそのせいで今少年が混乱してるんだろうが……ああもう!」


「あの、多分造物主とかそういう話ですよね?……あれってマジの話だったんですか?」


「そ、とは言っても別に珍しい話じゃないけどね? 現実世界の鍵を手にしたのが神っていう名前の種族で、何を思ったか人間っていう種族を世界の中で作り上げて……で、鍵の持ち主を代替わりしながら今に至るまで管理し続けてるってわけ」


「あれ、でも前に墨白さんは世界の中で生き物を作るのは面倒みたいな事を言ってましたけど……」


 何の話をしていた時だったか……よく思い出せないが確かに言っていた、だから墨白の住む鬼観世界(きかんせかい)には大きな屋敷や植物はあっても虫一匹存在しないのだと。


「面倒どころの話じゃないよ、例えば食べる為に肉塊が欲しいと思って作るってのは滅茶苦茶簡単だよ? でも同じ肉をもつ動物や魚を作り出した瞬間……生態系が生まれて一気に広がるんだ、例えば魚なら捕食対象である虫が勝手に生み出されるしその虫が必要な植物やなにやら……一つ命を作り出してから眠りこけてみなよ、目が覚める頃には周囲の景色がまるっと変わってる筈さ」


 文字通りの食物連鎖とでもいうべきか、それが一つ生まれた瞬間に広がるのだとすれば……確かに途方もない事になるのは間違いないだろう、げんなりとした表情を浮かべる俺を見て灰飾がケラケラと笑う。


「とはいえ結局は一つの世界程度の話だから別にタブーって訳でも無い、最初の神って奴が余程変わった奴だったのは間違いないけどね? まぁとにかく、少年たち人間が神によって作られたってのは何となく理解出来たかな?……作られたってのは言い方が悪いか、他の種族同様生まれたってわけさ」


 母なる海、母なる現実世界……いや、母なる神ということか。

 喫茶店の奥にあるネクロマンサーの工房、火にあぶられた硝子瓶の中の薬液が茹だって白い煙を上げるこの部屋で人間のルーツについて学ぶ事になるとは思ってもいなかったし……未だに半信半疑だが、これで灰飾の言いたい事も少しは理解出来た。


「……で、話は戻して今度は少年の話だ。アタシの見立てでは少年は現実世界で明らかに何かの干渉を受けて一生を歩んでる、何を選んでも選ばなくても悪い方へ進むように……まるで」


「まるで俺が早く死を選ぶように、ですね?」


「……そういうこと」


 灰飾がしっかりと俺の目を見据えて頷く、ショックというよりも訳が分からない。

 神ってやつが今の人間にどこまで干渉出来るのかは知らないが何故俺を不幸にする? 深い意味など無く運の悪い人間を作り、いつ死ぬかの娯楽の対象にでもされたのだろうか?……ここから先は想像するしかないが、良い想像など浮かぶ筈も無い。


「ま……この仮説が正しかったところで墨白達に好かれる理由にはならないんだけどね、それにこっちに来た時点で現実世界との因果は途切れている筈だし……そっちについては少年の何かがアタシ達のツボを突いてるって事にでもしておこうか」


 乱暴に頭を撫でられ、少し痛かったが歯を見せてニカッと笑う彼女の笑みからは信頼のようなものを感じて悪い気はしなかった。




「ふぅ……」


 出た時と同じく、後ろ手に音が出ないように扉を閉めて部屋へと戻る。

 結局あの後就寝前の見回りに来たフィルも交えて談笑し、随分と長居してしまった……こっちの世界にはどこにも時計が無いのが困りものだが、そもそも人間が時間に縛られ過ぎているのかもしれない。

 そんな事を考えながらベッドへと戻ろうとするが明るい部屋から来たので天井からの星明りがあっても辺りがよく見えない、手を前に突き出して部屋の構造を思い出しながらよろよろと歩き……やがて爪先がベッドに当たった。

 ホッとしたのも束の間、墨白を起こしてしまったかという不安が胸に浮かんで耳をすますが……何も聞こえない、確かに部屋を出る時に確かめた時も寝息は静かだったが……静かすぎる、もし起こしてしまったなら謝ろうと心に決めて闇に向かって手を伸ばしてベッドの上へ落とすが何も指先に触れない、動揺しながらももう一度手を伸ばし……。


「……っ!?」


 触れた、触れたというか……人差し指が何かの中に入った! 指先にぬらぬらとした液体が付着し、空気に触れただけでひんやりと冷たい。


「お前様よ、随分と楽しそうだったではないか?……のう?」


「墨白さ──」


 返事をする間もなく素早く伸ばされた手によってあっという間に布団に飲み込まれ、気が付けばベッドの上に仰向けに寝かされた俺の上に馬乗りになった墨白が二つの赤い瞳を怪しく光らせながらこちらを見降ろしている。


「お、起きてたんだ……」


「たわけ、お前様がいくら気を付けようと足音は雷よりもよく響くし匂いが薄くなったのも分かるわい」


 少しだけ目を細めて俺の右手を掴んで持ち上げると自らの顔の前へと持っていき人差し指に噛みついた、手加減をしてくれているので痛くは無いが鋭い牙が指に食い込んで少しだけむず痒い。


「……で? 儂を一人寂しく置いて行った非情なお前様は、あやつと楽しそうに何を話しておったんじゃ?」


「た、大した事じゃないよ……なんか、墨白さんがその……俺を気に入ってくれたのが灰飾さんはずっと不思議だったらしくてさ、俺が何者なのかとか色々と確認したかったみたい」


「あやつがそんな事を?……ふん、普段はからかうか興味が無いような事ばかり言っておったくせに……しかしまぁ、言われてみれば不思議に思われても無理はないかもしれんか」


 俺の手を今度は自らの頬に当てながら考え込み、やがて納得したのか小さくため息をついた。


「……昔の墨白さんは何にも興味が無さそうだったって言ってたよ、だから俺が墨白さんに何かしたんじゃないかって可能性も考えてたみたいで、最初に墨白さんの事が本当に好きなのかって聞かれた時は答えに困っちゃったよ」


「ほう?」


 墨白の目がギラリと光り、口が滑ったと後悔したが時既に遅し……両の手首を掴まれて布団に押し付けられ、垂れた白銀の毛先が顔に触れるぐらい彼女の顔がグッと近付く。


「それで……お前様は何と答えたのかのう? 返答によっては……そうじゃのう、この喉笛を噛み千切ってくれようか?」


「え?……う、いっ!?」


 彼女の顔が首元に沈んだかと思うと次の瞬間にはこうしてやると言わんばかりに首に甘噛みし始めたではないか、くすぐったいのもそうだが体の中心を稲妻のようにゾクゾクとした快感が走り、思わず体が跳ねあがってしまうがそんな俺の力では振りほどける訳もなく、むしろより密着してしまったせいで早まっていく鼓動は恐らく墨白にも聞こえてしまっているだろう。


「ほれほれ、早く答えぬか。お前様が答えるまで、いつまでも離してやらぬぞ?」


「め……めっちゃ好きって言いました!……んぐっ!?」


 なんと間抜けな咆哮だろうか、更に言うなら離して欲しいなど一片たりとも思ってはいないのだが羞恥と興奮の波に押されて考える暇も無く言葉が口から溢れていた……これでこの時間も終わりかと残念に思う気持ちが胸を掠めるよりも早く墨白の口が俺の口を塞ぎ、驚きで再び体が跳ねる。

 どのくらい唇を重ねていただろうか? 頼りない全身の筋肉が限界を迎えてベッドに沈んだ辺りでようやく離され、二つの口を繋いでいた唾液の糸がぷちんと切れた拍子に頬に垂れ落ちたがそんな事よりも妖艶な表情でこちらをまっすぐに見つめる彼女から目が逸らせない。


「儂もじゃ、お前様よ」


 ──これだ。彼女の言葉や仕草、指先が触れただけでも心の奥の大事な部分を鷲掴みにされているような感覚に陥る……早い話が、俺はすっかり目の前の彼女にハマッてしまっているのだ。

 俺の言葉に満足そうに笑ってはいるが彼女のねちっこい愛撫は延々と続き……結局この晩、殆ど眠る事は出来なかった。

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