表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/137

第十四世 ピュア・アンデッド

 目が開かない、体が動かない……普通ならばここは焦る場面なのだろうが俺にはこの感覚に覚えがある、半覚醒というやつだ。

 頭は起きているのに体は寝ている状態と言えば分かりやすいか、以前仕事でクタクタになって寝た時に定期的にこの状態になり、最初はこれが金縛りかと心底恐怖したのをよく覚えている……最近は無かったので今では少し懐かしい気すらしてくる、この状態からの回復方法は至って簡単でもう一度眠るか大きな音を聞けばすぐに目が覚める。例えばスマホのアラームなどが鳴れば一発だが……こっちにスマホなど持って来ていないので大きな音を聞く可能性は望み薄だろう。


「……しっかしどうなってるんだろうねぇ、拒絶反応が出たのはほんの数秒だけでその後は延々と眠り姫だ、少年用に弱めているとはいえこの反応の少なさは……薬が効いてない訳でも無さそうだし、墨白……この中で人間に一番詳しいのはアンタだけど、何か知らない?」


「知らぬ、それに儂は人間に詳しい訳ではなくこやつを好いておるだけじゃ」


 どうやら墨白と灰飾(かいり)が俺の状態について話しているようだ、あまり心配を掛けたくもないしさっさと起きたいものだ、それにしても先程からの後頭部から伝わるこの柔らかい感触は……何にしても俺がどうにか出来る訳でもないし、もうしばらくはこうしている(ほか)なさそうだ……やましいことなどない、これは仕方のない事だと言える。


「はいはい御馳走様、ホントこの少年の何がアンタをそこまで変えたんだか……ま、アタシも割と気に入ったけどさ……にしても、コレはどういう事さ? いくらこの少年が好きだからってこれはさすがにやり過ぎ……」


「……貴様、こやつが起きている時に同じ事を口走ったらその下らぬ事しか言わぬ舌を引っこ抜くぞ?」


「はーいはい、内蔵系は再生まで時間掛かるんだから勘弁してくださーい」


 話の内容はとてつもなく気になるがそれよりも人の頭上で喧嘩するのは是非ともやめて欲しい、それともこれが彼女らなりの日常会話というやつなのだろうか? 今にも血の雨が降り始めそうだが……そんな事を考えていると少し離れた位置からこちらへと近づくパタパタという足音が耳に届いた。


「あの、人間さんにこれを嗅がせてみませんカ?」


「これは……クカロガ、か?」


「いいねぇ、そんなの嗅いだら死者だって一発で飛び起きるよ!」


 心底嬉しそうな灰飾に反して墨白は少し引き気味だ、一体これから俺は何を嗅がされるのか……心の準備を待ってくれる筈も無く、近くで何かの蓋を開く音がする。


「ふ……ぐ、ずんっ!?」


 体が跳ねた、ついでに変な声も出た。

 今まで碌に鍛えた事の無い腹筋を全力で使いながら上半身が勢いよく起き上がり、心配そうにこちらを覗き込んでいた墨白と顔面同士で衝突しそうになったがそこはさすが鬼の反射神経と言うべきか……ひらりと俺の頭突きを躱し、どうにか無事に起き上がる事が出来たが……酷い臭いだ、飲み残したまま変色したペットボトルのお茶や夏場の三角コーナーすら可愛く思えてくる。


「おはよう少年、お目覚め加減はどうかな?」


「バッチリ覚めましたよ……最悪の目覚めですけどね、何ですかそれ……おえ」


 膝立ちになりながらニコニコと笑っているフィルが手に持っている物を指差す……大きさは野球ボールより少し小さいぐらいか、色は真っ黒で爬虫類の皮膚のように妙にゴツゴツとしている。


「クカロガじゃ、特定の沼にしか生えぬ木の果実でな? 栄養価も高く強壮効果もあるんじゃが……いかんせんこの臭いじゃろ、専ら薬……いわゆる精力剤なんかの材料に使われとる」


「でも空気に触れるとすぐに変質して臭いが消えるんデス、もう何も臭わないでショウ?」


「……ホントだ」


 切れ込みが入っていたのか捻じるように切り離された果実の半身を差し出され、拒否するのも悪いので恐る恐る鼻を近付ける……確かに最初に嗅いだような臭いは消え、僅かに漢方のような臭いだけが残っている。


「それよりも……ほれお前様よ、はようここへ帰っておいで」


 墨白の声に振り向くと『おいで』とばかりに自らの膝を軽く叩いている、一瞬だけ全身がぎしりと止まるが誘惑には勝てず……灰飾やフィルの生暖かい視線に耐えながら再び上半身を倒す、頭を撫でる為に少し前に屈んだ際に墨白の着ている着物が鼻先に当たり鼻腔いっぱいにもはや慣れ親しんだ白檀(びゃくだん)に似た匂いが広がる。


「くふっ、そんなに押し付けては鼻が潰れてしまうぞ?」


 無意識の内に墨白の香りを追いかけて帯と着物の隙間に鼻を押し込んでいたらしい、これではまるで母親に甘える赤子ではないか。

 慌てて腕を突っ張って顔を仰け反らせるが墨白の膝枕はまるで朝のまどろみの中で最高の快楽を与えてくれる布団のように離れがたく、頭を膝から離せない……これが小さな子供や犬猫であるならば微笑ましい構図になるのだろうが残念ながら俺は立派な成人男性だ、キツイ構図になっている事は想像に難くない。


「はいはい、仲が良いのは結構だけど……そろそろアタシに診せてくれるかな? ああ起きなくてもいいよ、そうそう顔だけこっちに向けてくれたらいい」


 今すぐにでも逃げ出したい程の恥で全身が熱い、しかしそんな俺の様子を気にも留める様子も無く灰飾の診察は始まった。青と緑の炎が二か所のコブの中で燃える砂時計のような形をした硝子瓶を見せたり、何やらメーターの付いた聴診器のようなものを胸に当てたり……使っている道具は特殊だがやっている事は普通に病院で受けた診察と似ているような気がする、最後に俺の額に手を当てたまま何かを探るようにジッとこちらを見つめ……何かを諦めたように短く息を吐いて手を離すと、肩をすくめながらニコリと笑顔を浮かべた。


「ん、薬は問題無く少年と混ざり合ったみたいだね。ただ……やっぱり拒絶反応が極端に少なかった理由は分からないな、少年は薬を飲んだ後に痛みはあったかい? 他にも例えば、悪夢を見たとかさ?」


「悪夢ですか?……ん、と」


 確かに何か夢を見た気はする、とはいえ悪夢という程の嫌な感じも無ければ目が覚めた後も恐怖感は無かった……口元を手で覆いながらもう少し考え、やはり思い当たらないので首を横に振る。


「いえ、何か夢は見た気がしますけど……それぐらいですね、でも拒絶反応が無かったなら……その方がいいんじゃ?」


「くふっ、お前様の言う通りじゃな。とはいえ楽観視も出来ぬ、安静の為にも今日はここに泊まらせてもらうが……構わんか?」


「もちろん、後でフィルに部屋まで案内させるよ」


 二つ返事で灰飾が頷き、今夜の宿泊が決定した。

 ならばもう少し時間はある筈だ、あの薬がなんだったのか聞こうと口を開きかけ……今しがた名前の出たフィルの姿が無い事に気が付いた。


「灰飾さん、そういえばあの子はどこに?」


「ん? ああ、さっき奥の調理場に向かったから今頃お茶の用意をしてるんじゃないかな? ほら、注文をしてすぐに薬のせいで眠ったろう?」


「……そうだった」


 灰飾の言葉に思わず顔を手で覆う、フィルがどのタイミングで俺が眠ってしまった事に気付いたのかは分からないが、中断させた上に今改めてお湯に沸かし直したり料理を温めたりしているのかもしれない……その後ろ姿を想像するだけで罪悪感が胸に広がる、それに彼女に対してはもう一つ引っ掛かっている事もある。


「あの……俺も調理場に少しだけ入っても、いいですか?」


「調理場に? いいけどどうして……へぇ?」


 目を丸くした灰飾が首を傾げかけ……何かを察したのかニヤリと笑って俺の腹を叩いた、遠慮なく叩くものだから一瞬息が止まる程に痛い。


「いいよ、行っておいで!」


「はい!」


 急に起き上がったものだから少しふらついたがテーブルに手をついて頭を振り、改めて調理場へと小走りで向かう……ただ一人、墨白だけが状況をよく分かっていないのか最後まで首を傾げていた。




「フィル!」


「人間サン? どうしてこんなところに……って、急に動いて大丈夫なんデスか!?」


 ゴシック調のドレスの上に白いエプロンを着けたフィルが俺を見るなり弾けたように駆け寄ってきた、また倒れるとでも思われたのか両肩に手を乗せて支えてくれている。

 グッと近付いたフィルの顔や漂ってくる彼女の香りに思わず胸が高鳴ったが冷静さを取り戻す為に一度咳払いをして顔を上げ、調理場の中をぐるりと見回してみる……広い調理場だ。見た事のある道具もあれば用途の分からないものまであり、火の点いたコンロの上では銀色のドリップポットとスープの入った鍋が薄く白い湯気を上げている。


「忙しそうだね……手短に済ませるから」


「ハイ……?」


 状況が飲み込めないのかとりあえず反射的に頷いたフィルから一歩後ろに下がって距離をとり……腰を折って頭を下げた。

 謝罪自体は何十回とやってきたし言葉だけなら更にその十倍は口にしてきた、そんな俺でも今のように……本当に心から悪いと思って頭を下げたのはもしかしたら人生で初めてかもしれない。許して欲しいからとか頭を下げれば丸く収まるとか……そんな風に打算的な考えは一切無く、俺は今ただ悪い事をしたから頭を下げている。


「ごめん、最初にフィルの事を見た時にジロジロ見て……困らせたと思う、本当にごめん」


 声量を落としつつもしっかりとフィルには伝わるように謝罪の内容を明確に……かなり昔にビジネス本で見た謝罪の仕方、だったか? まさか役に立つのが今になってからだとは思わなかった。

 ……頭の中で十秒を数えてもフィルは何も言わない、勿論謝ったからといって必ず許してもらえるなどとは思っていないが胸にもう一つの不安がよぎる……この謝罪はあくまでも人間のものだ、グーラである彼女にとって失礼に当たるかどうかをすっかり失念していたではないか。


「あの……うおっ!?」


 これが正式な謝罪である事を説明しようと閉じていた目を開くといつの間にかしゃがんでいたフィルと目が合った、膝の上で両腕を組んだ姿勢のまま嬉しそうにニコニコと笑っている。


「アハ、やっと目が合いましたネ!」


 驚いて仰け反る俺に鈴の鳴るような声で笑い、背を向けてコンロの前まで行くと先程よりも強く湯気を噴き始めたドリップポットの火を止め、隣の鍋をかき混ぜた。


「……あの、フィル? 俺は本当に……」


「アンデッドに嫌悪感を抱かない種族なんていませんヨ、最初は誰もが人間さんのように驚き……いずれ慣れるか、二度と店の扉を開かなくなりまス」


 手を止めてくるりと振り向いたフィルの瞳は少し潤み、頬が赤い。


「慣れるといっても仲良くしてくれる訳ではありませんヨ? 良くて無関心、私もそんな事にはすっかり慣れてしまいましたガ……人間サンのようにまっすぐに私を見てくれるのって、こんなに嬉しい事だったんですネ」


 恥ずかしいのか不安なのか、おずおずと伸ばされた左手をしっかりと掴んで握り返すと一瞬だけフィルの肩が小さく跳ね、顔いっぱいに何ともしおらしい笑顔の花が咲き誇った。

 アンデッドといえばホラー映画に出てくるモンスターのような異形という発想しか浮かばないが目の前にいるのはただの一人の少女……つるつるとした手袋の感触は心地よく、時々キュッと力が入るのが何とも可愛らしい。


「墨白さんがアナタの事を好きになった理由が分かった気がしまス……席で待っててくださイ、いっちばん美味しいお茶とケーキをお腹いっぱいご馳走しますカラ!」


「それは楽しみだよ、気合入れて食べなきゃね!」


 お互いにグッと小さく握り拳を作って笑い合い、席へと戻った俺を待っていたのは目を細めて愉快そうにニヤニヤと笑う灰飾と、少しむくれた墨白だった事は言うまでもない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ