第十三世 シアター・タイム
「映画館なんて何年振りだろうな……」
暗い室内、今俺が腰掛けている物と同じゆったりとした座席が何列にも並び……目の前には少し離れた位置に巨大なスクリーン、ぼそりと呟いた言葉は埃っぽい空気の中に溶け込んでいく。
ここはどこなのか? 一体何が起きたのか、今すぐにでも立ち上がって辺りを調べたいが両手足には鎖付きの枷、ご丁寧に首元にまで鎖で座席と固定されており身動きが取れない。
「……誰かー! 誰かいますかー!」
声を張って呼びかけてみるが返事は無い、それにしても不思議だ……普通ならもっと焦ったり混乱したりしそうなものだが状況に反して心は穏やかで、恐怖も不安も浮かんでこない。
「誰か……」
「しー……上映中はお静かに、だよ」
とはいえこのまま待っていても現状が改善する事は無さそうだと判断しもう一度声を上げようとするとすぐ傍で声が聞こえた、首をうまく動かせないので目だけで周囲をグルグルと見回し……見つけた、ほんの数秒前までは周囲と同じ暗闇だった筈のその場所に最初からいましたと言わんばかりの表情で一人の少女が立っている。
背丈は低く墨白と同じぐらいだろうか? 白いフリルのついた黒いローブを身に纏い、指抜きの黒く長い手袋に黒いタイツ……そんな今にも闇に溶けていきそうな服装のせいか、両端を赤いリボンで細く結んだくすんだ金髪がよく目立つ。
「……君は、誰?」
「まぁー……そうなっちゃうか、実際に会うのはこれが初めてだもんね」
当然の問いかけだったが金髪の少女はどこか寂しそうに笑い、目の前まで歩いて来るとそっと俺の頭を撫でた。
彼女の全身から発せられる鼻の奥がざらつく甘い香りも優しくこちらを見つめる髪と同じ澄んだ金の瞳も、俺はどちらも知らない筈なのにこの全身を満たす安心感は何なのだろう? どうにかして脱出せねばと考えているのは上っ面だけの理性のみ、その他の全てが……細胞の一つに至るまでが無意識に彼女を信用してしまっている、一体彼女の何がそう感じさせるのか。
「ボクは灯歪……ああでも君が次に目覚める頃には忘れてる筈だから無理に覚えなくていいよ、また次に会った時に……ううん、何度でもボクの事を教えてあげる」
「灯歪……は、墨白さんの知り合いなのか?」
「っ……」
灰飾の作ったあの薬を飲んだ事は覚えている、そして次に目覚めたこの場所にいるのだからてっきり例の健康診断に関わる知人の一人かと思ったが……大きく見開かれたその目を見る限り違うらしい。
「……違うよ、僕は……おっと、そろそろ始まるみたいだ」
驚きで開かれた瞳からはすぐに力が抜け、再び優しく俺の頭を撫でていると正面のスクリーンにパッと明かりがついた。
「始まるって……何が? それに、ここはどこ……?」
「深層心理、状況に適応させる為に型に押し込んだ君の中のイメージ……言い方は色々あるけど、ただの夢って言った方が分かりやすいね。そしてこれから始まるのは君が飲んだ薬の効能だよ、本当はボクが似たような事をしてあげたかったけど……この薬は間違いなく君の力になるから今回は譲ってあげる事にしたんだ」
隣の座席に腰掛けた灯歪が子供に言い聞かせるように説明してくれたが、理解出来るような出来ないような……そんな俺の雰囲気を察したのかクスクスと笑う声が聞こえる。
「もう一度言うけどここはただの夢、君の体は今もあの喫茶店で横になって鬼やネクロマンサー達が今か今かと備えてる筈さ。夢の世界ってやつは曖昧だからボクもこうして入る事が出来た、やーっと君の力になれるよ!」
「備えてるって何に……」
最後まで言い終わらない内にスクリーンに何かの映像が映り始めた。どこかの田園風景や深い森の奥で滝が激しく降り注ぐ姿、ゆっくりと流れる川の中を泳ぐ魚……と、次々に映像が切り替わっていく。
「これが……何?」
「──君はこっちに来てから色々なものを見ただろう? 鬼をはじめとした多数の種族、理解を超えた世界の姿……そのどれを一つ取っても現実世界には存在しないものだ」
この金髪の少女は現実世界を知っている? 思わず彼女の方を向こうとして気付いたが……首が動かない、手や足をジタバタと動かす事は出来るが首だけはピクリとも動かずスクリーンから目が離せない。
「うぐ……ぐ……」
そうこうしている内にモニターに映る映像も段々と妙なものが増えてきた、海の上に浮かぶ小屋や橋の上を歩く茸のような頭部をした女性……最初は気のせいかと思っていたが、映像が切り替わるにつれて目の奥で脈打つような頭痛がどんどんと耐え難いものになっていく。
「……落ち着いて、大丈夫だから」
「っ……! はぁ、はぁ……!」
灯歪が俺の手を握り、優しく声を掛けた瞬間……奥歯を噛み締める程の痛みがすっと消え、相変わらずスクリーンから目は離せないが頭痛が再発する気配は無い。
「ゆっくり息を吸って……吐いて。そうそう、上手だね」
「今のは……何?」
「薬の効果だよ、本来はもっと痛む筈だし君の体は大暴れする予定だったろうに……あの鬼達は今頃目を白黒させてるんじゃないかな?」
隣でケラケラと笑う声がするが、何が面白いのか俺にはさっぱり分からない。
「それで……なに、あの薬は酷い頭痛を起こす薬だったって事?」
「ん? ああ説明が途中だったね、ごめんごめん……ちゃんと説明するから怒らないで、ね?」
話について行けず俺が拗ねている事に気が付いたのか灯歪が謝った、感触しか分からないので想像でしかないが握った手を頬に当てている気がする。
「……ん」
「ありがとう、それで続きだけど……君はこれからもっと現実世界に無いものを目の当たりにする事になるんだけど、ボクや……鬼達が恐れているのはネクロマンサーも言っていたように異常が正常でもある何でもありの他世界の環境と……もう一つにズレがあるんだ、ある意味ではこっちの方が一番問題かもしれないね」
「ズレ?」
「そう、今の君はまだ知らない種族や世界を見ても新鮮という気持ちが勝っているけど……これが常になってくるとどんどん君の中の基準と周囲がズレてきて、いずれ限界を迎えると……人は一種の発狂状態になっちゃうんだ、人間という種族は理解出来ないものや現象に特に強い恐怖を覚えるからね」
「発狂って……まさかそんな、じゃあこの映像は……?」
灯歪の言う通り人間が理解の及ばないものに対して恐怖を感じるのは事実だ、幽霊などの怪奇現象……いわゆるオカルトがそれにあたるだろう。
そう言われて改めて映像を見てみると確かにどこか不気味だったり寂しいといった印象の受ける映像が多い気もする、今映っているのは……教会だろうか? 床や壁、柱や神を象った像まで苔むしており以前は立派でさぞや綺麗であったであろうステンドグラスは見るも無残に割れてしまっている。
「わざと君の中の常識とズレているものを見せているのさ、さっきまでの頭痛も君の中で起きた拒絶反応の一つ……物理的に守る事ならいくらでも出来るけど、精神面に関しては君自身に適応してもらうしか無いからね」
「……なんていうか、スパルタだね」
「あははっ! 気持ちは分かるけど、あの程度の頭痛に抑えられているなんてなかなか優秀な薬だよ。薬無しだったらどうなるか……なんて、知りたくないだろう?」
恐怖に飲まれて発狂、あの頭痛以上の苦しみ……どれも言葉だけ聞くと笑い飛ばしてしまいそうだがそれこそ人間が抱きがちな油断、もしくは傲慢さなのかもしれない。
どちらにしても苦しい目になんて遭わないに越した事はない、瞬きを使って頷きを表すと灯歪がホッとしたように息を吐き、再び握った手を頬に当てた。
「うん、ボクも君がそんな目に遭うなんて嫌だよ」
「とにかく……この映像を見たら、例えば幽霊を見ても怖くなくなるっていう事でいいんだよね?」
「ふふっ、幽霊だって? 可愛い事を言うんじゃないか、でも……そうだね、怖くなくなるというより一つの存在としてキチンと理解出来るようになる……例えば大きな虫を見つけちゃった時と同じぐらいの恐怖になるんじゃないかな」
「……俺、虫苦手なんだけど?」
「あははは! うん、知ってるよ?……よく知ってる」
口を尖らせてげんなりする俺に灯歪がお腹を抱えて笑っている気配がする、それにしても『知っている』と言ったか?……その言葉が何を指しているのかは分からないが意外と現実世界の存在は認知されているようだ、それとも人間という種族についてと言った方が正しいのだろうか?……ぼんやりとそんな事を考えていると突然首や手足の鎖が砕け散り、体を自由に動かせるようになった。
「お、外れたね? 君を縛り付けていたあの鎖は今まで君の中にあった常識、自分を今のままで保とうとする意識の表れ。それが外れたって事は……おめでとう、君の中でこっちで過ごす準備が出来たって事さ」
「準備が出来た……のか?」
自由になった両手を見比べてみるが先程と何が変わったのかまるで分からない、しかしそんな俺を見つめる灯歪の瞳は優しく、嬉しそうだ。
「多分実感を感じる事は無いかなー、でも……君がこの先も変わらず立てている、その事こそが君が強くなった証拠だよ。あーあ、楽しかったこの時間もおしまいかぁ……もう少しぐらい話したかったな」
灯歪の指差す先……結局最後までよく分からない映像を流し続けていたスクリーンは電源が落とされたかのように何も映さなくなり、立ち上がって周囲をよく見回してみると床や壁、天井に至るまでが徐々に粒子状に崩れ落ちて闇に溶けているではないか……夢から覚める時が迫っている、というのを根拠は無いが何となく肌で感じる。
「……灯歪」
「ん、なんだい?」
「ありがとう、多分だけど俺の事……助けに来てくれたんだよね?」
周囲の変化にも微動だにせず座席に座り続けている恩人の前にしゃがみ込んでお礼を言うと灯歪の両目が大きく見開かれた。しかしすぐにその目は細められ、伸ばされた両手が俺の頬に添えられる。
「……当然だよ、ボクは君の味方……君だけの味方なんだからね」
「っ……!?」
ぐっと灯歪の顔が迫ってきたかと思うと柔らかく、小さな唇が頬に押し当てられる。反射的に頭を後ろに引き、後方にあった座席の背もたれに頭をぶつける俺を見て灯歪が楽しそうに笑い……悪戯っぽく自らの唇に人差し指を押し当てた。
「こっちは……ちゃんとボクの事を覚えてくれるようになったら、ね?」
床にへたり込んだまま呆けて返答が出来ずにいるともう一度、今度は名残惜しそうに笑いかけると俺の首に両手を回してしっかりと抱きつき……耳元でそっと囁いた。
「いいかい?……君を幸せにするのはあの鬼じゃなく、このボクだ。君を奪ったあの鬼にどうか惑わされないで、必ず……必ず君を迎えに行くから」
「っ……それって、どういう……」
最後まで言い終わらない内に灯歪の姿は消え、自分の姿も見えない程の闇に包まれた。
段々と意識も遠くなり、くすんだ金髪の少女と話した事すら遠い記憶のように思えてくる。




