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第百二十九世 死蝋削り

 墨白と風重(かざね)は最後まで付いて行くと言ってきかなかったが事情が事情なのでどうにか説得して待機してもらい、一人で渦留(うずど)まりの地下へと続く階段を慎重に一段ずつ降りていく。


「っとと……」


 降りられるじゃないかと安心したのも束の間、中ほどで軽くよろけてしまい壁に体を押し付けてどうにかバランスを取り戻す……みんなの前では強がってみたが、やはりまだ体が言う事をきいてくれない。

 無理さえしなければ日常生活は送れるが、旅人への復帰はいつになる事やら……とはいえ焦っても仕方ないかと短く息を吐き、点々と壁に設置されているカンテラの明かりを頼りに下へと降りていく……目的は以前に在庫の数をチェックした時よりも奥の扉を通り、更に奥の部屋……そこに、フィルがいるらしい。


「……ここか」


 壁に手をつきながら地下の通路を歩き、突き当りに佇む扉の前に立つ。錆……だろうか? 扉の表面は緑色に色付き、ドアノブを握りしめてみると表面がささくれているのか尖った感触が手に食い込んだが鋭くは無い、感覚としてはつるつるとした鍾乳石のようなイメージだろうか? 不思議に思いながらも一旦考えるのはやめ、受け取った鍵を鍵穴に差し込み……くるりと回すと重々しい鍵の外れる音が響いた。


「あぁ……なるほど」


 扉を開き、隙間から漏れだした香りに思わず納得してしまった。

 鼻の奥に液体糊を塗りたくられているかのようなのっぺりとした、どこか懐かしい香り……決して嫌な匂いではない、ぼんやりとだが遠い昔に家族で親戚の家へ遊びに行った時の事を思い出してしまう。


「ん……」


 まっすぐに伸びる通路に足を踏み入れると床が僅かに軋んだ、灰飾(かいり)から聞いていた通りあまり使われていない場所のようだ……通路には照明が設置されているので暗くはなく、窓も無ければ突き当りと脇に一つずつ扉があるだけ、話から察するに脇の扉はトイレか簡易的なシャワー室のどちらかだろう。


「……マスター?」


 あくまでも目的は奥の部屋だ、まっすぐに通路を進み……鍵を差した扉と同じような構造の扉をノックするとすぐに返事が返ってきた、いつものように花が咲いたかのような明るさは無いが特別苦しそうな声にも聞こえず、とりあえずホッとする。


「いや、俺だよ」


「っ……!?」


 扉越しに返事をすると奥から息を呑むような声が聞こえてきた……やはり、驚かせてしまったらしい。


「に、人間サン?……ど、どうしてここに……?」


「灰飾さんから頼まれてね、鍵も預かって来た」


「マスターが……」


 ボソリとフィルのくぐもった声が響き、しばらく沈黙が続いた……迷っているのだろう、この部屋には鍵はかかっていない気もするが扉を開くような事はせず、フィルの返事をジッと待つ事にする。


「……なにカ、用でしたカ?」


「少し話がしたくて、灰飾さんから……全部聞いてる」


「ですよ……ネ」


 観念したかのようなため息をつき、何かを引きずりながら扉のすぐ向こうまでフィルがゆっくりとやってきた気配がする……ドアノブが握られたのか、金属同士の擦れる小さな音がする。


「どうゾ……でも、あまりワタシを見ないでくだサイ……人間サンに、嫌われたくないのデ」


 何をバカな事を、と言いかけたが僅かに扉が開くと同時にフィルが奥へと引っ込んだ気配に思わず言葉を飲み込み……そっと扉を押し開く。


「……お邪魔します」


 通路からも香っていたがここは特に匂いが強い、顔をしかめないように気を付けながら部屋の中へと入り……見るなと言われたので壁の方を見ながら扉を閉める。


「そこのソファ……座ってくだサイ」


「ああ、ありがとう」


 チラリと視線を向けると、確かに一人掛け用のソファがある……お言葉に甘えて腰掛け、フィル本人は視界に捉えないように下を向いて座る……どうやら、フィルはベッドの奥に丸まっているらしい。


「……可愛い部屋だね、俺はてっきり……もっと寂しい部屋かなって」


 壁にポスターのように飾られているのは何枚もの可愛らしい模様の入った布、色褪せている様子も無く、大切にされているのが分かる。


「ワタシの部屋は別にあるのですガ……時々考え事をする時は、ここへ来るんデス。料理のレシピとか……色々、デス」


「そっか……あそこの、壁に貼ってある紙はなんて書いてあるの?」


 小さく笑い、入口から入ってすぐの壁に貼ってあった紙を指差した……壁には他にも色々な紙が貼ってあるのだが、あれだけは何度も書き直したかのような形跡があり、妙に気になっていた。


「アレは……表情の練習をした時のものデス、ワタシのようなアンデッドは生まれてすぐは顔を上手く動かせないので……頬を引っ張ったり、口を広げても舌が出ないように練習したり……何度も失敗して怖がられたり、笑われたりしました」


「表情の練習か……たくさん頑張ったんだね」


 来る日も来る日も鏡の前で自分の顔をいじくりまわすフィルの姿が容易に脳裏に浮かぶ、目を吊り上げてみたり口の端を上げてみたり……上手くいかず、肩を落とした日も多かったのだろう。


「俺、フィルの笑顔好きだよ。なんていうか……元気をもらえるし、明るい色の花が咲いたみたいでさ」


「そ、ソンナ褒めてもらうほどのものでハ……」


 音でしか判断できないが、照れくさそうに自らの足を抱えているのか衣擦れの音が小さく響いた。


「ううん、少なくとも俺にはフィルの笑顔は絶対に必要なんだよね……だから、見せてくれない?」


「っ……」


 フィルが更に小さくなる気配がした、嫌がっているというよりも……怖がっている気がする。


「お願い、俺はフィルの事を……ちゃんと知っておきたいんだ」


 目を閉じながら顔を上げ、フィルの気配がする方へ視線を向ける……迷っているのか静寂が俺たちの間を包み、何度も唇を閉じたり開いたりしている水音が彼女の方から微かに聞こえる。


「……手を、伸ばしてくだサイ」


 やがて、フィルがこちらへ近付いてきたのかベッドの軋む音が鳴った……言われた通りに手を伸ばすと、指先が彼女の腕に触れた。

 そのまま彼女の手首を掴み、もう片方の手で腕の表面をなぞるように動かしていく……相変わらずひんやりとしているが、やはり感触はすこしおかしく……やがて、『ソレ』に指先が当たった。


「これが……死蝋(しろう)?」


「ハイ、その大きいのも……表面を薄く覆っているのも全てそうデス」


 アンデッドには厳密な寿命は無い、多少の怪我も損傷も瞬時に治ってしまうほどの高い再生能力をもつ彼女らの実質的な寿命……それが、『蝋化(ろうか)』だ。

 再生や生命活動の代償に指先などの表面的な皮膚から徐々に死蝋と呼ばれる蝋へと変化していき……やがて全身が蝋に包まれた時が実質的なアンデッドの寿命、知能や魔力の低いアンデッドであれば蝋化に対処する術は無いが……フィルのように高い魔力と知性を備えたアンデッドであれば容易に蝋化に対処する事も可能……なのだが、彼女の体をこうまで蝕ませてしまったのは……全て、俺が原因だ。


「嘘を……ついたね?」


「……ハ、イ」


 俺の言葉に彼女の腕がピクリと震える、試練の直前……俺が彼女から受け取ったあの火は……フィルの魔力などではなかった。

 ──あの火は、緑と紫の混ざり合ったあの火は……彼女の命の一部、そのものだったのだ。


「……お陰で勝てたよ、こうして……無事に帰って来られたよ」


 腕を握る手に力がこもる……俺の身に宿った異常なまでの再生能力と、吹き飛ばされても腕を斬られても立ち上がれる気力と痛みに対する耐性……どれもこれも全て、あの火を宿したことによってフィルが俺のダメージの一部を肩代わりしてくれていたからだ! お陰で戦えた、戦い続ける事が出来て……勝利を手にする事が出来た、だがその代わり……彼女の体は、ろくに動けなくなってしまう程の死蝋に蝕まれてしまった。


「力になれて……本当に良かった、デス」


「そういう問題じゃ……!」


 カッとした拍子に目を開いてしまった……ベッドに腰掛け、フィルが弱った目で笑みを浮かべている……死蝋のせいで服が着られないのか袖付きの大きなタオルのようなものを身に纏い、顔や腕……足にまで薄く蝋が層を作り、ところどころカサブタのように熱い蝋の塊が出来ている。


「見ないで……くだサイ、アナタに……気持ち悪いって思われたくナイ……!」


「そんなこと、思う筈無い!」


 彼女をまっすぐに見据え、声を張り上げる……彼女は恩人である以前に、何者にも代えがたい大切な存在だ……そんな彼女を、気持ち悪いなどと思うわけが無い。

 大声を上げたせいか驚いたように跳ねた彼女に謝り、息を吐いて冷静さを取り戻すと……まっすぐにフィルを見つめる。


「……教えてくれ、死蝋剥がしってのは……どうすればいいんだ?」


 俺のせいでこんな体にしてしまったが……彼女はまだ若く、そして強力な力を宿したアンデッドだ……今回は短時間に大きなダメージを負ったせいで急激に蝋化が早まったが、本来の彼女がここまでの状態になるのはまだまだ先の話……持ち前の再生力だけでも、ある程度時間をかければ元の姿に戻る事は出来る。

 そして回復を更に早めるのが……死蝋剥がし、書いて字の如く……体の表面を覆っている蝋を削り落とす作業だ、これを俺は今回灰飾から頼まれて……ここへ来た。


「何か道具が必要なら教えて欲しい、薬とか器具とか……何でも、俺が取って来るから」


「……でハ、そこの引き出しの中の物ヲ」


 本気だと伝わったのか、どこかホッとしたかのような表情を浮かべたフィルが部屋の壁と向かい合う形で置いてある机を指差した……頷き、ソファから立ち上がって机の引き出しを開くと……中には一本の瓶と、ナイフが入っていた。


「……これ?」


「ハイ、それデス」


 普段俺が使っているものよりもやや刃が厚いナイフと液体の入った瓶を持ち上げてフィルに見せると、彼女はしっかりと頷いた……まさか、こんなにも原始的な方法だったとは。




「じゃあ……いくよ?」


「フフ、そんなに緊張しなくても平気ですヨ?」


 フィルをベッドに横たえ、伸ばされた片腕を俺の膝に乗せ……瓶の中に入っていたオイルをナイフの刃に浸けると、引き抜いた刃が黄金色にヌラヌラと輝いている。


「いやだってこれ……さすがに緊張するって、切っちゃいそうだし……」


「ああ、マスターはいつも難しいところは肉ごと浅く切り落としてますヨ?」


「……はっ?……痛いでしょ、そんなの」


 肉ごと蝋を削ぎ落すなど信じられない、彼女がアンデッドでなければグロテスクな拷問もいいところだ……思わず身震いする俺にフィルがクスリと笑い、ようやく彼女の自然な笑みを久しぶりに見る事が出来た。


「すぐに治りますし、大丈夫ですヨ? だから人間サンも、力を抜いてくだサイ?」


「ふぅ……」


 ならば、俺は絶対に彼女の体を傷付けないようにしようと心に決め……ナイフの刃を彼女の手のひらの外側に這わせる、魚の鱗を剥がす時のように……バターの表面を削ぐ時のように、少し削ってはナイフについた蝋をタオルで拭い、滑りが悪くなったら再びオイルに浸す。

 指と指の間は慎重に、爪の縁はナイフを短く持って先端で……関節を曲げたり伸ばしたりしてもらいながら蝋の一片だって残さないと一心に削り続ける。




「……凄い、凄く上手デス……人間サン」


 片腕を終えるとフィルが驚きの声を上げた……信じられないという表情で自由になった自らの手を眺めている。


「あはは、正直……少し、楽しくなってるよ。続けて……いいよね?」


「ハイ、よろしくお願いしマス」


 ──その後、もう片方の腕や顔や首を終え……固まった体を伸ばす為に両腕を伸ばし、首を曲げていると、残った部位にようやく気付き……腕が止まる。


「あの……フィル」


「……」


 顔を終えた辺りから静かだとは思っていたが彼女は俺よりも早く気付いていたらしい、人差し指の第一関節辺りを噛み……僅かに背けた頬が赤い。


「大丈夫、デス……人間サンになら……どこを見られテモ」


 ボソリと吐息のような声を漏らすとフィルが腰で結んでいた紐を解き、その体を露わにした……下着なども着けられる筈も無く、蝋に覆われた彼女の全てが部屋に設置されたカンテラの温かい光の下に照らされている。


「っ……よし! 始めよう!」


 思わず伸びそうになった鼻の下を押さえ、自らの頬を叩いて声を張り上げる……彼女をこんな体にしたのも、こんなにも恥ずかしい事をさせているのも全ては俺のせいだ、喜んでいる場合ではない。

 とはいえ範囲が広いのでフィルにはベッドの真ん中あたりに寝てもらい、カンテラで照らす位置を調整しつつベッドに片膝を乗せ、慎重に蝋を削り取っていく……腰の辺りまで削り終えた辺りでやはり恥ずかしいのか豊満な胸を両手で隠してしまったが残念などとは思ってはいけない、間違っても『着痩せするタイプなんだね』などとセクハラまがいの事を言ってはいけない。


「そういえば……ここで、どんな事を考えてたの? あ、言える事だけでいいからね?」


 死蝋削りも佳境、ある意味で最も難所でもある下半身を削っていると興奮や背徳感など色々な感情で脳が沸騰しかけたので何か話題をと絞り出してみる……同じく恥ずかしさも頂点だったのかフィルもハッとして、何か無いかと頭を捻っている。


「え、えっと……そうですネ! 最近はさっきも言ったように料理のレシピを考える事が増えまシタ!」


「なるほど、フィルの料理は美味しいもんなぁ……レシピってどんなお肉を使おうとか、そういうこと?」


「もちろんそういうのもありマス、人間サンはお肉もお魚もお野菜も美味しく食べてくれるノデ考えるのがいっぱいダナーとカ、香りの強いものは苦手なのかなートカ……フフッ」


「げ……よく見てるなぁ」


 よし、いい感じに普通に話している雰囲気になってきた……このまま終わらせてしまおうとナイフの刃を内ももに這わせると、フィルの体が僅かに跳ねた。


「あ……悪い、痛かった?」


「い……イエ、そうではなく……ちょっと、驚いただけデス」


 そりゃあこんな場所、不躾に触られたくはないだろう……落ち着こうとしているのか、やや息の荒くなったフィルに申し訳ないと思いつつも大事な部分だからこそ綺麗にしようという意志が働き……念入りに蝋を落とす。

 しかし、フィルも汗をかいてきているのか肌がしっとりとしており刃の滑りが悪い……瓶のオイルにナイフを浸し、削り続けるが……不意に集中力が途切れてしまった。ナイフが滑り、彼女の内ももを浅く斬りつけてしまう。


「──アッ!」


「ごめんフィル! だいじょう……うおっ!」


 フィルの体が一際大きく跳ね、ナイフを持つ俺の手を両足で挟んだかと思うとそのまま起き上がって抱き着いてきた……荒く、短い息が首元に当たり……挟まれた腕も温かいというより、熱い。


「人間サン……人間サン、人間サン人間サン……!」


 驚いたのか、痛かったのか……体を押し付けながらフィルが何度も俺の名前を呼んだ、突然の出来事に鼓動を早めながらも全身が固まり、ろくに返事も出来ないままでいるとやがてフィルの全身からふっと力が抜け、再びベッドに倒れ込んだ。


「……ふぃ、フィル?」


 おそるおそる呼びかけるが返事は無い、何かしてしまったのかと口元に手を近付けると……長くゆったりとした息が手に当たる。


「すー……すぅ」


「ね……寝ちゃった?」


 気持ち良さそうに眠るフィルにホッとしつつも、何が起こったのかは深く考えないようにしながら残りの死蝋を全て削り取り……布団をかけてやると蝋を詰めた袋を手に部屋をそっと後にした。

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