第十二世 適応薬
「さ、誰かさんのせいで自己紹介が遅れたけど……アタシは灰飾、よろしくね少年!」
「よろしくお願いします……」
墨白と共に並んで座ったカウンターの向こうから伸ばされた手を反射的に掴み握手をすると赤髪の女性……灰飾の顔にニッと笑みが浮かんだ、墨白の話によれば彼女が屍術師……ネクロマンサーとの事だが脳裏に浮かんでいたイメージと全然違う、長い髪のまとめ方こそ乱雑だがシワ一つ無い白いシャツに細身の黒いズボン姿と汚らしい印象は一切無く、その身から僅かに香る薬品臭のせいかどちらかと言えば町医者のように見える。
「人間サン、柑橘系の紅茶って……飲めまス? ハーブティーとかミルクを入れたものも用意出来ますけド……」
「あ……どれも好きだよ、ありがとう」
ハッとして振り向くと先程の少女が不安そうな表情で立っていた、傍らに置かれたキャスターワゴンの上には湯気を上げるポットの他に様々な茶葉やハーブの入った硝子瓶や細い硝子管に小分けにされたミルクなどが並べられている、俺にどれを飲ませていいのか分からず思いつくままに引っ張り出してきてくれたようだ。
どれも美味しそうだねと付け加えると少女の少女の表情から不安が消え、花が咲いたような笑顔が浮かんだ……先程の一件もあったせいかこっちまで思わずホッとしてしまう。
「そして彼女はフィルだ、少年。種族はグーラ……アタシより手先が器用でね、お茶を淹れるのも美味いが是非一度彼女のお菓子を食べてみるといい」
「……グーラ?」
目の前に置かれたカップから立ち上る温かな湯気と豊かな香りを嗅いでいるだけでも美味しいのが分かる、そんな彼女の作ったお菓子などもはや想像もつかない……が、やはり引っ掛かった聞き慣れないグーラという種族の名に思わず首を傾げて聞き返すとフィルと呼ばれた少女と目が合い、ニコリと笑って頷く。
「ハイ、ワタシはグーラですよ人間サン」
「お前様よ、グーラというのはアンデッド種の上位種であるグールの女性名じゃよ」
「女性名……なるほど」
つまりこの場には鬼とネクロマンサー、そしてグーラが揃っているという事になる……かなりファンタジーなパーティが出来たものだ、しかもどう考えても正義側ではないところが特に気に入った。
「灰飾さんもフィルさんも……俺、何にも分かんないけど……よろしくお願いします」
軽くお辞儀をし、顔を上げると二人が首を傾げながらむず痒そうにしていたのでどうしたのかと不思議に思い墨白に聞いてみると二人共丁寧に対応されるのは慣れていないのだろうと喉を鳴らして笑いながら教えてくれた、言い当てられてばつが悪いのか灰飾は誤魔化し気味に頬を引っ搔いている。
「こちらこそ、是非仲良くしてくださいネ!……あ、でもワタシの事は普通にフィルって呼んでくれたら嬉しいデス!」
「アタシはそのままがいいかなー、何でか知らないけどだーれもアタシを敬おうって奴がいなくてね」
「たわけが、それは貴様の行いのせいじゃろうに」
温かい、この場の空気も声も……何もかもが温かい、こんなに柔らかく受け入れられた事など向こうであっただろうか?
「そうだ少年、甘い物は好きかい?……はいこれ、遠慮しないで好きな物を頼んじゃってよ」
墨白と悪態をつき合っていた灰飾が思い出したかのようにカウンターの脇に差してあった一冊の薄い冊子を差し出した、皮で出来た表紙のそれを開くと中には読めない文字がズラリと並んでおり、隣には写真が載っている……どうやらこの店のメニューのようだが、どれもこれも見た事が無い物ばかりな上に本当に食べ物なのかと疑わしくなるような物まである。
「どれでも何個でもどうゾ! すぐに用意しますし、在庫が無ければいつもの何倍も気合いれて作りますヨ!」
両手で可愛らしくガッツポーズを決めるフィル、どうやら食べる以外の選択肢は無さそうだ……とはいえ、文字が読めなければ想像も出来ないので気になったものを片っ端から墨白に読んでもらうとしよう。
「……そういえば墨白さん、健康診断っていつ始めるの?」
注文を終えて元気よく厨房へと入っていくフィルを見送ると、ふとここへ来た目的の事を思い出したので聞いてみる事にした。
恐らく俺の知っている健康診断とは程遠いものであろう事は想像に難くないが、そもそも普通の健康診断だって好きではないのでどちらにしてもやるのであればさっさと終わらせたい。
「おおそうじゃったな、灰飾よ? あれは出来ておるのか?」
「当たり前だろう? 誰かが余分に時間もくれた事だしね、はい少年これが……そうだな、ここでの生活の足がかりとでも言っておこうかな」
「足がかり……?」
首を傾げながら灰飾が懐から取り出した何かを受け取り、店内をオレンジ色に照らす照明にかざしてみる……見た目は中央に切れ込みのある五センチ程の銀色の筒だ、振ってみると軽い音が響く。
「……開けても?」
「もちろん」
灰飾が頷くのを確認すると切れ込みに沿って両手で筒を持ち、軽く引っ張ると簡単に蓋が外れ……そのまま手の上にひっくり返してみると真っ赤なカプセルが一粒だけ転がり出てきた。
「少年、アタシは気の利いた事が言えないからハッキリ言うけど人間の体ってやつはかなり脆い……あ、少年の事を悪く言ってる訳じゃないからね?」
「大丈夫です、続けてください」
本当に? と確認する灰飾に頷くとホッとしたのか僅かに彼女の肩が下がった、それだけで良い人なのだという事が伝わってきて店に入ってから感じていた緊張が少し抜けるのを感じる。
「んんっ……それでね、何が言いたいのかっていうと……少年は今後、旅人になるつもりなんだろう?」
「はい」
はっきりと灰飾の黄色い瞳を見つめて答える。以前にも墨白に教えてもらったこちらの世界での職業の一つ、この交路世界のように他の世界へと繋がる特性をもつ世界に時折現れる別の世界への扉をくぐり、核である鍵を持ち帰る……要するに先遣調査隊のようなものだと自分では理解している。
世界というものに興味が湧いているのは事実だが……それにしても驚きだ、受験先も就職先も流されるままに決めてきた自分がこんなにも明確に行き先を決める事が出来るとは、俺はこの知らない世界に来てようやく自分で立とうとしているのかもしれない……俺の返事を聞いた灰飾は仕方ないと言った様子で乱暴に髪を掻き、隣の墨白は何故か自慢げに鼻を鳴らして笑っている。
「ふぅー……分かったよ、分かってたけど引き留めても無駄みたいだ……でも少年? 未知の世界ってやつは本当に危険なんだ、気候や気温の話じゃないよ? 罠や毒がある世界だって珍しくないし、魔力の干渉を受けていたら耐性の無い君はひとたまりもない……そもそも世界ってやつは本当に何でもアリなんだよ、旅人が帰還しない事だって珍しくない」
先程までの飄々とした口調は消え、熱の入った注意喚起に思わず生唾を飲み込む。
命の危険という言葉は人生の中で何度も見たり聞いたりしても真剣に受け取った事は無かったが、今度ばかりはそういう訳にもいかない……灰飾の言葉をしっかりと噛み締め、自分の考えをまとめてみるがいつまで経っても答えが変わる事は無かった。
「……これを飲むと、どうなるんですか?」
赤いカプセルを摘まみ上げて目の前に持ってくる。大きさは小指の爪程しかなく、気を付けていなければ滑り落としてしまいそうだ。
「そいつは完全に少年用の薬だから名前なんて無いけど……言ってしまえば適応薬ってとこかな、扉の先がどんな世界であれ少年の体は今の状態を保ち続ける事が出来るようになる」
元々運動不足だし筋肉なんて無いに等しいが、そもそも人間のレベルでは鍛えても大差無いという事だろう。
とはいえこのままでは……と脇に視線を向けると先程フィルが淹れてくれた紅茶が目に留まった、猫舌なので冷めるまで少し待っていたつもりだったが話に集中しすぎてすっかり忘れていた。
「まぁでもその薬は強いからフィルのケーキを楽しんでからにするといい、別に急ぎやしないし心が決まるまでゆっくり考えるのもありだよ」
「えっ?」
天井に向けた指先をくるくると回しながらこちらへ振り向いた灰飾と目が合った。俺の片手には程よく冷めた紅茶、もう片方の手には……もう何も乗っていない。
「え……っと、この紅茶凄く美味し──」
最後まで言い終わらない内に頭が自分のものとは思えない程に重くなり、凄い勢いでカウンターが目の前に迫ってくる。
「……っと!」
頭がうまく回らないが墨白が寸前でカウンターと俺の頭の間に手を滑り込ませて衝撃を殺してくれたのは辛うじて分かった、全身に力が入らない……手の感覚も鈍く、紅茶の入っていたカップを落としてしまったかもしれない。
「いやー……肝が据わってるというかなんというか」
「言っておる場合か、たわけ! すぐに始めるぞ!」
何やら話している声が聞こえるが、思考にもやがかかって言葉が理解出来ない。
今はただ、眠い。




