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第百十四世 奇妙な同行

「人の身でエルダースピリットを下すとは……貴方という人は底が知れませんね。そして、私からの興味も……」


「……出来れば、放っておいて欲しいんだけどね」


「貴方を? 私が?……まさかまさか、それこそ悪い冗談というやつですよ」


 心底愉快そうに笑う邪咬(じゃこう)から視線を逸らし、塔までの通路を観察する……通路の中央に奴は立っているが道幅は広い、魔具を使うなり罠をわざと起動させるなどで隙を作れば脇を駆け抜ける事は出来る……かもしれない。


「なるほどなるほど、貴方はあくまでも勝利を掴む気だ……それでこそ貴方です。ご安心してください、私は別に立ち塞がっている訳ではありません……先に進みたいというのであれば、どうぞお通りください」


 マスク越しだというのに何故俺の視線の移動が分かったのか……答えを出す前に邪咬は道の脇に移動し、軽く頭を下げながら手で俺に先へ進むように促してみせる……罠の可能性が高いが、だからといって攻撃を仕掛けるべきかも判断がつかない。


「っ、今の音は……?」


「おや……どうやら、あちらでも戦闘が始まったようですね」


 どうするか決めかねていると、少し離れた位置から爆発のような音が響いた……微かにだが、何か硬い物同士がぶつかり合うような音も聞こえる。


「外で見ている方々のように、我々も何か賭けてみますか? 大蠍の若き戦士と雲外鏡(うんがいきょう)の戦い……少々面白みに欠ける戦いではありますが」


「……雲外鏡?」


「おや、ご存じありませんでしたか? キャパレッタ嬢の種族ですよ、仲がよろしいようでしたので私はてっきりご存知なのだとばかり……」


 本当に意外だったのか顔を上げた邪咬が口元に手を当てている、雲外鏡と言えば確か相手の正体を見抜く鏡の妖怪だったか……なるほど、極めて本質に近い状態に変身する能力をもつドッペルゲンガーにとって相手を見抜く事は造作も無い事……ドッペルゲンガーである事を隠すにはちょうどいい種族だったという訳か。


「別に……あの時は俺とお前なら危険なのはお前の方だから、そっちを止めただけだろ」


「なんと……! 危険とは心外な、あの時も今もこの先も私はあくまでも自らの知的好奇心に従って生きているのみ……最後まで御覧にならないので?」


「……俺の聴力じゃ大して聞こえないし、どうせ勝つ方はそっちも分かってるんでしょ?」


 警戒しながらも横を通り抜けた俺を邪咬が呼び止めた……彼からは相変わらず殺気を欠片ほども感じず、そのせいで真意も何も読み取れない。


「なるほど確かに、ふむ……ですが戦いそのものに興味が無い訳でもないのでは? そうですね……塔のあの辺りであればよく見えるでしょうか、ご一緒しても?」


「……勝手にすればいいだろ」


 恐らく今頃、観客たちはこの状況に首を傾げていることだろう……だが、声を大にして同じ事を言いたいのは俺の方だ。塔へと向かう道を罠を避けつつ直進し、その十メートルほど後ろをピッタリと邪咬がついて来ている……こっちとしてはいつ背中を刺されないかという緊張が途切れないが、そんな俺の不安など的外れだとばかりに奴は鼻歌まで歌っている。


七釘(なぎ)さん、俺はどうしたら……七釘さん?」


『……』


 何度か呼びかけてみるが七釘からの返事が無い、ノイズのようなものも無く……通信そのものが途切れているようにも思える。


「……邪咬、七釘さんと通信出来ないんだけどそっちはどうなんだ?」


「おお! まさかこんなにも早く貴方から名を呼ばれる日が来ようとは!……少々お待ちを、グールガー様? おーいグールガーさまー? 可愛い貴方の補佐が話しかけていますよー?……ふむ、どうやらこちらも繋がっていないようですね」


 わざとらしく自らの耳元を叩き、こちらを向いて小さな笑い声を上げた……本当に繋がっていないのか、それともただの演技なのか分からない。


「とはいえ以前にもお話したように私所属する十一番の隊長は少々怠惰の過ぎる御方でしてね、単に全てを私に任せて何か別の事をしているだけかもしれませんが」


「……もういい、聞いたのが間違いだった。くそ、こんな時に……」


 悪態を一つつくとくるりと背を向け、再び塔へと歩き出す……どうにかまだ表に出さずに済んでいるが、七釘からの通信が途絶えただけで叫び出したくなる程の不安が胸の奥から次々に湧き出す、背筋の寒くなるような背後の奴からの視線に走り出したくなる……キャパレッタは手筈通りにストレイダを抑え、救援は望めそうにない……通信が回復するまで、どうにか現状を維持しなければ。




「これが……塔?」


「ふむ、中には入れないようですね……これでは塔というよりも、ただの螺旋階段だ」


「……っ」


「おや? もしや同じ意見でしたか?」


「……別に」


 常に一定の距離を保ったまま後方で邪咬が嬉しそうに腕を組んで見せた。そんな彼から目を逸らし、改めて塔を観察する……パッと見ただけでは窓も無ければ入口も無い。塔というよりは支柱に近く、外周を幅の広い階段が蛇のように巻き付いているのみ……これは奴と同意見という訳ではなく、誰が見ても螺旋階段だと思ってしまうだろう。

 すぐ脇から伸びる階段の一段目にチラリと視線を向け、続けて邪咬の方へと視線を向ける……俺の視線に気付いたのか奴が片手を伸ばし、お先にどうぞとばかりに頷いた。


「……銀の旅人(アル・メルクリア)


「ほぉ……なるほど、それで感圧式の罠を察知していたのですね? 罠の起動音が極端に少ないとは思っていましたが……実に聡明な判断だ」


「そりゃどうも」


 素っ気なく返事を返し、階段の一段目に足をかける……出来るだけ奴に情報は与えたくないがこの階段に罠が無い保証など無い、通路では最小限の展開に留めていた魔力水銀を胴体に纏うと一段目、そして二段目と幅も奥行きも広い階段を上っていく……何段あるのかなど知らないが、ここを上るだけでも相当な量の体力を失ってしまいそうだ。


「……お前、この試練に勝つ気が無いのか?」


「というよりも、優先度の違いですね。私の本質はあくまでも研究と観察……それも私の場合一度好みの食べ物を見つけると、それしか食べなくなる性質なのです。ゆえに今の私の興味の全ては貴方に向いていますので、こんな試練の勝敗など二の次といいますか……」


「そうかい……別に、俺なんか観察しても面白い事なんか無いと思うけどな」


「いえいえ、現に今もこの場で突然私が貴方に襲い掛かったらいったいどんな表情を浮かべるのか……それを考えるだけで期待で胸が張り裂けそうになっていますよ」


 ゾクリと背筋が寒くなり、足を止めると勢いよく振り返る……十段ほど向こうで邪咬が両手を広げているがその手には何も持っておらず、魔力の光も無い。


「冗談ですよ、冗談……ふふ」


「こんの……はぁ」


 全身にのしかかるような疲労感、大して上っていない筈なのにもう僅かに息が早まっている……奴という存在感が疲労を何倍にも膨らましているのは言うまでもない。


「色んなところに研究者っているけどさ……研究って、そんなにいいものなのか?」


「ええもちろん……ああ、ただ我々十一番は特に……だと思いますけどね」


「?……どういう意味だ?」


 研究という枠組みならどれも同じなのではないか、と思わず首を傾げてしまう。


「十一番以外の研究部隊は交路(こうろ)世界の発展となるように研究対象がある程度絞られているのですが、対して我々十一番は各々の好きなものを研究する事が許可されているんです……この説明でご理解いただけましたか?」


「……なんとなく、ね」


 誰だって好きなものを調べる方がモチベーションが上がるというものだ、雑多であるという事は世界にとって有益なものに当たる確率は低いだろうが、当たった時の見返りは大きい……人間よりも遥かに長い時を生きる種族たちだからこそ出来る、気の長い仕事だ。


「で……お前は? 今は何を研究しているんだ?……俺以外で」


「ほぉ……私の研究に興味がおありで? 実に喜ばしいことですが、私は少々話が長いので……先にあちらをご覧になってはいかがでしょう?」


 奴の指差す方へ視線を向け、マスクの望遠の望遠機能で拡大してみると少し離れた位置で土埃が舞い上がっていた……その中で幾度となくぶつかり合っているのは恐らくは魔法で作り出したのであろういつもの長槍とは形状の違う槍を巧みに操るキャパレッタと、両手の大きな鋏と先端が太い針状の尻尾を豪快に振り回すストレイダだった。


「……武器の禁止って、殆ど意味無かったな」


「クク、全くです……魔法まで完全に禁止していたならば、或いはキャパレッタ嬢が不利だったかもしれませんが」


 武器の禁止、これのお陰でストレイダが大きな剣やら斧やらを振り回す心配は無いが……奴はセルケト、大蠍だ。武器など持たずともその体には大きな二つの鋏と恐らくは毒針であろう太い針のついた尾がある……素手と言えば素手だが、人間のそれとは明らかに条件が違う。


「ところで、先程の質問の答えですが……数十年前から変わらず、私の研究対象は『人間』です」


「……だろうね」


 邪咬の方を見ずに答える、視線の先ではストレイダが繰り出した鋏の一撃を軽々と弾き、カウンター気味に突き出した槍の先端が彼の頬を深く切り裂いていた。

 ……今の俺は完全に無防備だ、だがしばらく同行した俺の中で奴はこんな隙を突くような真似はしないという確信があった……そもそも俺を殺すだけなら隙を突く必要すら無いし、奴が言いそうな言葉で言うなら……それではつまらない、といったところか。


「さすがです、この程度の言葉ではもはや心を僅かに揺らしすらしませんか……では、これなら如何でしょう?」


「なに?……っ!? おい、お前それ……!」


「ご安心を、この向きであれば外の皆様には見えませんので」


 何を言っているのかと奴に視線を向け、広げられた手の中に収まっているものを見て思わず目を見開く……それは以前にも見た覚えのある球体だった。一見ただの硝子玉のようにも見えるが球体が映し出す命を観察する事ができ、或いは人生に干渉する事も出来る魔具……レコード・スフィアだ、奴の失踪後にてっきり全て廃棄されたのだとばかり思っていたが……。


「よい表情です、今貴方の脳裏にも浮かんでいる彼……獅龍(したつ)も元々は私と同じ十一番部隊だったのです、ある事をきっかけに袂を分かつ事にはなってしまいましたがね」

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