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第百十世 試練、開始

「……はい?」


 慣れない部屋に慣れないベッドで熟睡出来る筈も無く、体感で三時間ほど眠った辺りで目が覚めてしまったので最後の確認とばかりにテーブルの上に魔具を並べて手入れをしていると、しばらく経ったあたりで不意に扉がノックされた。


「私だよ、入ってもいいかい?」


「もちろん」


 扉の向こうから聞こえたのは七釘(なぎ)の声だった、特に何も考える事無く扉を開くといつも通りの彼女が立っており……いや、少しだけ顔が強張っているかもしれない。


「……もしかして、緊張してる?」


「やはり君も分かるかい?……ここへ来る前に藍夜(あや)殿にも言われてしまったよ、自分が出るならまだしも君が出ると思うとどうにも……ね」


 部屋に招き入れ、緊張をほぐそうと深呼吸した彼女はふとテーブルの上に並べられた魔具に気が付いたのかその内の一つを持ち上げ……ハッとしたように俺の肩を掴んだ。


「そうだ……! 君、あの十一番補佐と戦ったってのは本当かい!? どこか怪我をしたんじゃないだろうね!?」


「だ、大丈夫だから落ち着いてよ七釘さん。ほら……どこも怪我してないし、そもそも向こうもただ俺とぶつかってみたかっただけみたいだったしさ」


「ああ、良かった……本当にすまない、私たちは別の建物にいたとはいえ気付いてあげるべきだった……」


 安堵したのか椅子に崩れ落ちるように腰掛けた彼女の表情は暗く、目元にうっすらとだが隈が浮かんでいる。


「ちょ……七釘さんこそ体調が悪そうなんだけど、ちゃんと寝た?」


「正直、あんまりかな……ずっと君の事を考えていたから、延々と悩んでいたのか……そういう夢を見たのかすら曖昧だよ」


 思わずドキリとしてしまいそうな言い方だが、彼女の場合本当に胸が張り裂けそうなぐらいに心配してくれているのだろう……何か彼女にしてあげられることは無いかと思案していると、ポーチに入っているある物の事を思い出した。


「はいこれ、どうせご飯も食べないで来たんでしょ? 良かったら一緒に食べない?」


 ポーチから取り出したのは二本の透き通るような紫色のバー、以前フィルが作ってくれた紫水晶のように美しい葡萄のケーキ……あれを圧縮して作られたいわばスイーツバーのようなものだ、ついでにと細い硝子瓶に入った水もポーチから取り出して七釘に差し出す……どちらも未開世界を探索する時用の緊急食糧だが、言ってしまえば今も緊急時のようなものだろう。


「……いいのかい?」


 頷き、遠慮がちにこちらに目を向ける七釘の退路を塞ぐためにスイーツバーを覆っているゴムに似た触感のケースを捻じり切り、試験管の蓋も外して渡してやる……一度こうしてしまえばもう食べるか、捨てるしかない。


「ふふっ……強引だね、君は」


「でしょ?」


 ニヤリと笑い、自分の分も取り出すと一口で半分ほどを頬張る……表面はゼリーのようにぷるぷるとしており、中はザクザクと歯触りが良いスポンジとハリのある葡萄の酸味と甘味が舌の上で弾け……これほど飽きの遠い食べ物も珍しく、非常食だというのに何本でも食べれてしまいそうだ。


「……そういえば、他の人の所にも迎えが? それにしては外が静かだけど……」


「ああいや……来たのは私だけだよ」


 最初は七釘の心配性が発動したのかと思ったが彼女のどこか申し訳無さそうな、言い辛そうな表情にそれは違うのだとすぐに分かった。では他に理由など何が……残りのスイーツバーを口に放り込み、ゆったりと噛み締めているとある答えが脳裏に浮かび……水を一口飲むと、ため息と共に小さな声が漏れた。


「なるほど……お目付け役って事ね」


「……そういうことだね」


 全く、随分と舐められたものだ……試練を前に臆病風に吹かれ、俺が逃げ出すとでも思われたのだろうか? 俺を送り込んだのはあの代弁者か? それとも他の隊長格か……まぁどちらでもいい、侮り上等……むしろ、闘志に火が点くというものだ。


「ちなみに、七釘さんは墨白さんたちと連絡はとれるの?」


「いや、ここら一帯は一時的に魔力が遮断されていてね……私も昨日からみんなと連絡がとれていないよ」


「そっか、まぁ仕方ないか……何があるか分からないし、墨白さんが試練中にまた飛び込んでこないといいけど……」


 テーブルに広げた魔具をポーチに戻し、準備運動がてら腕や足を伸ばして苦笑する……さすがに灰飾(かいり)たちが押さえてくれるとは思うが、彼女が乱入してしまってはもはや試練どころではない。


「さすがに墨白も分かってるとは思うけど……君の事になると後先考えないところがあるからね、君もあまり無茶をしないでくれよ?」


「うん、って言いたいけど……絶対に何かを企んでるやつが一人、いるんだよねぇ」


 ため息をつき、脳裏にその姿を思い浮かべるのはもちろん掴みどころの無い変態銀仮面……邪咬(じゃこう)だ、七釘が何も知らずに迎えに来たと言う事は昨日の出来事を踏まえてもキャパレッタとの共闘に気付いていないか、単に伝えていないかのどちらかだとは思うが……どちらにしても、試練中に何かを仕掛けてくるのは間違いないだろう。

 ぶっつけ本番、異常に対しては柔軟に対応……作戦としては心許無い事この上ないが、俺らしいと言えばレらしいかもしれない。


「あの男か、どうしようか? 二人で話せるのは今はこれが最後だし、何か作戦を変えるなら……」


「いや……変更は無しにしよう、大筋もそのまま……あの男一人に、邪魔なんてさせないよ」


「……分かった、サポートは任せて欲しい」


 頷く七釘に頷き返すと首と腕を大きく振り回し……不安を振り切るように特に名残惜しくもない部屋を後にした。




 七釘の案内で昨日とはまた別の大部屋に足を踏み入れると真っ先にキャパレッタと藍夜が俺の姿を捉えて口元に僅かな笑みを浮かべた、部屋にはストレイダと邪咬の姿もあり……今日が本番だからか、他二名の隊長格の姿もある。

 ストレイダの後方に控えるのは髪の一部を刈り上げた頭に筋骨隆々の大男だった、ストレイダもガタイがいいが大男はそれよりも遥かに大きく……息子とは違って鎧も纏っておらず、代わりに身に着けているジャケットのようなものは恐らく戦闘用ですらないだろう。

 対して邪咬の後方に控えるのは何がそんなに詰まっているのかとパンパンに腹を膨らませた背の低い男だった。腹も顔も横長で目も細く、まるでカエルのようだ……補佐である邪咬からも愚かと評されていたが、何に秀でた隊長なのかは知らないが外見から受ける印象だと彼に何か才があるとしても精々助平な才能ぐらいしか思いつかない。


「ふん、逃げずに来おったか……」


「だから言ったでしょう? 彼はそのような男ではないと」


 大きく鼻を鳴らしたカエル男を邪咬が振り向きもしないで(たしな)めた、こちらを向いたまま照明を反射する銀仮面の向こうであの男がどんな表情を浮かべているのかは想像したくない。

 チラリとストレイダと大男の方へ視線を向けるが、こちらはこちらで言葉にはしないものの敵意剥き出しの視線を隠そうともしない……さすがは親子と言うべきか、昨日と比べて迫力は二倍……いや、大男の凄みがえぐいので三倍はあるだろうか?


「……全員、揃いましたかな?」


 どこに視線を向けても疲れるので豪奢な照明の吊り下がる天井を見つめていると、相変わらず孔雀のような派手な文様のローブを羽織った代弁者が手を打ち鳴らして視線を集めた……どうやら、その時が来たようだ。


「では……参加者の皆様は、部屋の中央へ」


 代弁者の言葉を受け、七釘とチラリと目配せをしつつ部屋の中央へ移動する……それにしても豪奢な照明や絨毯はあるくせに装飾やテーブル、椅子すら無い不思議な部屋だ……こんな部屋の中央に立ったから何だと言うのか?


「では……最後に改めて試練の内容を説明を、試練の名は『紺碧の(アントラム・)迷宮(ラビリンス)』……数々の罠が配置された円形に広がる迷宮を進み、中央にそびえ立つ塔の頂上にある鍵を手にした者が勝者となります。鍵の形状は球体……未開世界で見つかる世界鍵と同様の外見と考えて頂いて結構です」


 一旦代弁者が言葉を区切り……チラリとその小さい目をこちらに向けた、その瞳からは侮りも嘲笑も感じないが……どちらかと言えば、興味そのものが無いようにも見える。


「そしてもう一つ……試練は通常武器の類は持ち込む事は出来ませんが今回は参加者の都合上、そちらの彼のみ武具や魔具の持ち込みが許可されています……数や内容に制限はかけておりませんが、確認したい者はおられますかな?」


「……!」


 胸を刺すような痛みが走る……何を持ち込んでも不正では無いが、魔具の中には隠し玉のようなものもある……試練の攻略にあたり存在を知られているのと知られていないのでは有利さが大違いだ、思わず歪みそうになった表情を口の中で舌を噛んで耐える。


「お言葉ですが……代弁者様、人間の装備などいちいち気にする輩などいる筈がないでしょう?」


 そう力強く発言したのは……やはりストレイダだった、相変わらずギラギラと眩しい銀色の鎧を身に纏い、こちらの方を見て不快だとばかりに鼻を鳴らしている。


「……なるほど、他の皆様も彼と同様という事でよろしいですかな?」


 ゆったりとした代弁者の問いかけに腕を組んだままの邪咬が頷き、最後に目を閉じたままのキャパレッタが頷いた。


「よろしい、では……観客の皆様もお待ちかねのようですし、早速お送りするとしましょうか」


「?……うおっ」


 代弁者が再び手を打ち鳴らすと部屋の中央に大きな魔法陣のようなものが現れて俺たちを囲い、青く照らし始めた……思わず声を上げてしまったが、他のみんなは微動だにしていない。


「それでは……試練、開始!」


 大きく声を張り上げた代弁者の声に応えるように魔法陣の光が強くなり、円の縁から青い光が蕾のように伸びたかと思うと、次の瞬間には俺達全員を包み込んだ。

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