第百五世 集う参加者たち
胸に何かが乗ると同時に軽い重さがかかり、合わせるように目を開く……いつもであればまどろんだり、もう一度目を閉じたりもするが……今日に限っては既に目が冴え、全身に血が巡っているのが分かる。
「おはよう、お前様よ」
肌触りの良い枕の上で衣擦れの音を響かせながら顔を横に向けると、白銀の髪をもつ鬼が静かに微笑みを浮かべていた……胸に乗せられた小さな手を握り返し、瞬きで頷く。
「おはよう、墨白さん」
嬉しそうに目を細めた墨白の顔がグッと近付くと、俺の額にそっと口づけをし……名残惜しそうに顔を離すと、そのまま頭をしっかりと抱き締め……彼女の小さな口から漏れた温かい吐息が耳を掠めた。
──今日で九日目、試練を明日に控えたこの日から試練終了まで警備局に泊まる事になるので彼女との同衾はしばらくお預け、という事になる。
「……後悔しておらぬか?」
「え?」
ベッドから立ち上がり、新調した探索スーツに袖を通していると背後で墨白が不意に問い掛けた……着替える手を止めて振り返ると、起き上がってはいるものの白い肌襦袢を身に纏ったままの彼女がどこか不安そうな表情を浮かべてベッドのシーツを撫でつけている。
「いや……違うか、儂が後悔しておるのかもしれぬ。お前様を幸せにするなどとほざいておいて、こんな事に巻き込んでおるんじゃからな……」
「墨白さん……」
身に着けようと手に持っていたポーチを一旦脇のテーブルに戻し、俯く墨白を抱き締めると……そのまま広いベッドの上に覆いかぶさるように押し倒す。
倒れた拍子に髪は乱れ、きっちりと前を閉じていた肌襦袢は大きく開かれて白い肌を眼前に晒すが彼女はそんな事を気にも留めず、俺の背中に手を回した。
「んっ……」
そのまま彼女の首と鎖骨の間あたりに唇を押し当てると耳元で囁かれた小さな嬌声が脳内で響き、下腹部にズンと燃え上がるような重いものを感じた……今にも消え入りそうなか細い声なのに、彼女の声は俺のツボに深く刺さる。
「……人生の中で一度も選択しないのって、凄く楽なんだよ。変な重荷も責任も負う必要が無いし……ただ生きてるだけでいい、でも……その代わりにどんどん、どんどんどんどん人生の意味が薄れていくんだ……それが俺の現実世界での人生、墨白さんも見てたでしょ?」
「うむ……」
「だから……今度は出来る範囲で選んでいこうって思ってさ? 旅人になるのもそう、七釘さんが総隊長になる手助けをするのもそう……墨白さんと生きるって決めたのも、そう。責任をもって生きます!……なーんて胸張って言える程のご立派な人間にはまだなれないけどさ、それでも痛みや苦労があってでも意味のある人生が、欲しくなっちゃったんだよね。だから後悔なんてしてないし、墨白さんにも後悔なんてして欲しくないかな」
「お前様……うむ、もう何も言うまい」
密着するお互いの体や足を隙間を埋めるように絡めていると、扉をノックする音が部屋に響いた……どうやら思っていた以上に長く抱き合っていたらしい。
「ええと……邪魔したらすまない、そろそろ向かいたいんだけど……どうかな? 出られそうかい?」
俺たちが何をしていると思っているのか、どこか遠慮がちな七釘の声に思わず二人揃って吹き出してしまった。
七釘に急いで準備をすると伝え、改めてベッドから立ち上がると新調した探索用スーツに袖を通す……これまでのスーツは未開世界をより安全に探索する事を重視していたが新たなこのスーツは戦闘も考慮されており、より実戦的な装備となっている。
胸や脇下に喉、手首や太ももなど人体の弱点となりうる部位には衝撃を吸収する柔軟な金属で補強されており、特に腕に関しては咄嗟の防御にも使用出来るように他の部位に比べてもかなり頑丈に出来ている。とはいえ積極的な戦闘というよりは隠密性が重視されており、全体的に黒と銀で構成されたスーツの金属パーツは全て光沢が消され、専用のブーツには足音を消す機構が備え付けられている、試しに数歩歩いてみるが本当に歩いているのか自分でも分からなくなってしまう程に音がしない……相変わらず凄い出来だと笑いながら金属の糸で編まれた強化ベルトにいつものポーチを取り付け、最後に腰の両側に二本の鞘付きのナイフを装着し……完成だ。わざとらしく筋肉のさほどついて無い両腕でポーズを決め、笑いながら拍手をしてくれた墨白に満足した俺は短く息を吐いて大きく頷く。
「……行こう!」
みんなに見送られながら七釘と共に店を後にし、通りを行き交う人々から嘲り混ざりの応援を受けながら昇降機で上層へ向かい、彼女の案内で警備局の中でも試練に参加する者しか通れないという以前入院した医療棟とは別の建物に足を踏み入れた。
「お……わぁ」
見上げても果てが見えない程に遠い天井……点在している柱以外には目立った装飾などは無く、真っ直ぐに伸びた長い廊下の両端を挟みながらこちらを威嚇するかのように大きな石像が立ち並んでいる。
「あの石像……襲って来たりしないよね?」
「はは、まさか。あれらは歴代の総隊長の像だよ、ほら……あそこに藍夜殿のものもあるだろう?」
七釘の指差す先を見つめると……確かに長く伸びた髪をこれでもかと精巧に表した藍夜の石像が佇んでいる。
「……あれ? でも獅龍の像は無いんだね?」
「そういえばそうだね……彼は任を全うしなかったから、いつの間にか撤去されたのかもしれないね……さ、こっちだよ」
どうやら警備局にとって獅龍は黒歴史扱いになったらしいと苦笑しつつ、案内を再開した七釘の隣を歩いて行く……静かなこともあってか俺たちの声がよく響く、荘厳な雰囲気は嫌いではないがずっとこの部屋にいたら耳がおかしくなりそうだ。
「さ、ここだ」
到着したのは通路の先、短い階段を上がった先にある円状に真鍮製の柵の取り付けられた空間だった……柵の一部をスライドさせて導かれるままに中に入るが牢屋のように何も無く、ここが何だと首を捻っていると小さく笑った七釘が柵の一部に手を当てた……すると空間が一瞬小さく揺れたかと思うと、ゆっくりと上昇を開始したではないか。
「え……これも昇降機?」
「その通り、私たち隊長格しか使用できない特別な……ね。乗り心地はどうだい?」
「……広すぎ?」
何も無い、という点では牢屋と同じだがその広さはワンルームアパートのおよそ四倍はあるんじゃないかというぐらいに広い、キョロキョロと見回した上でのそんな俺の感想が余程面白かったのか七釘が吹き出し、お腹を抱えて笑い出してしまった。
「あっはははは! 確かにね! でも……この景色は、ちょっと凄いと思わないかい?」
「景色?……うわっ!」
景色もなにもずっと辺りは薄暗いではないかと言おうとしたその瞬間、一気に視界が開け……目が眩むような光と共に上層全体の景色が一望出来るようになった、俺が以前発作を起こした喫茶店や世界扉の墓も遠目にだが見える。
「す、げぇ……!」
「私もここからの景色が大好きでね、試練の際や総隊長でないとここへは来られないから……見れて良かったよ」
「へぇ?……じゃあこれから先もしばらく見られるね。だって七釘さんが総隊長になるんだし、下にもめちゃくちゃ恰好良い石像も建ててもらわないと!」
「……ふふっ、心強いね」
一瞬驚いたかのように目を丸くした七釘だったが、次の瞬間には笑みを浮かべて俺の頭を撫でた……ブーツのお陰でいつもより背が高い筈だがそれでも七釘には追い付けず、まるで子供扱いされているようで少し複雑だが……気分は悪くない。
やがて昇降機が停止し、ゆっくりと柵が左右に開いた……相変わらず無機質な壁が続いているが燭台が飾ってあったり、まっすぐに伸びる通路の床にはカーペットが敷かれていたりと少しだけ景観に変化が起きている。
依然として不思議なのは警備兵の一人もいないという点か、不用心と捉えるべきか厳格と捉えるべきかは分からないが……先程の景色はともかく、この張り詰めたかのような空気は好きになれそうにない。
何となく言葉を発する気になれず、二人揃って無言で通路を進んでいると昇降機を降りた時から視界には映っていた大きな両開きの扉の前へと辿り着いた、悩んでいても開ける以外に選択肢が無いだろうと思い、扉に向かって手を伸ばす……が、指先が触れる前に扉が大きく開き……扉の奥に広がる大部屋からこちらを呼ぶ声が響いた。
「入りなさい」
静かだが、良く響き……どこか人を縛り付けるような声、この空間と同じ印象を受けるその声に自然と従い、部屋の中へと足を踏み入れる……。
「……第八隊長の七釘、そして彼が君のパートナーで間違いないか?」
「はい、間違いありません」
部屋の中央には大きな円卓が置かれ、いくつか添えられている椅子の一つにはキャパレッタが座っており傍で藍夜が立っている。この息の詰まるような雰囲気の中でも足癖悪く座っているキャパレッタの姿にどこかホッとしていると鋭く刺さるような視線を感じ、思わずそちらに視線を向ける。
「……」
重そうなフルプレートの銀鎧を身に纏い、首を見ただけで分かる鍛えられた肉体……年齢は若そうだが、まさに勇士といった風貌の青年の黄色い瞳がまっすぐに俺の姿を捉えている、鷲のような形状のヘルムを円卓の上に置いてる点といい、キャパレッタと比較すると品行方正なのだろうとは思うが俺を見るその瞳は値踏みをしているというより……場違いであると訴えているように見える。
最後の参加者であるもう一人は司祭のような丈の長いコートに三角形のとんがり帽子に鏡のような仮面を身に着けており、腕を組んだままジッと動かない……広告船で見た時から不思議な男だとは思っていたが、こうして面と向かっても正体の欠片も掴めそうにない。
「……これで参加者全員が揃った、ではこれより……此度の試練の最終確認を行う」
俺たちを部屋に呼び寄せた張本人……孔雀のようなローブを羽織った立派な髭をたくわえた老人が宣言し、手に持っていた分厚い本を開くとパラパラとページを捲り始めた……。




