チーズケーキとチャイ(続き)
涼子さんの話によると、うちの店はとんでもなく強力な結界に守られているらしい。
その結界を作ったのは、店のオープン前に涼子さんと一緒にお見えになった霊能者さんだ。ここでは便宜上、愛美さんとしておこう。
店を開店する前に、二人はこのビルに訪れて、この店を中心に浄化してくれたという話だ。
勿論その時は俺も一緒にいたんだけど、二人が何をやっているのかわかるはずもないわけで、なすが儘にまかせていた。
愛美さんにいわせると、このビルの4階の隣の部屋に霊道が通っているという事だ。
そのせいもあって、このビルの4階は、ちょっと悪い気が漂っているらしい。そういえば、4階はテナントが入らず、空き部屋だけだ。だから安いテナント料で俺は魅力を感じたんだが…
うちの店の場所はそんなに悪くないんだけれど、どうしても影響を多分に受ける可能性があるというわけなんだ。
だから、まずうちの店の空間を浄化して結界を張る。強力なやつで、愛美さんがもし亡くなっても存続するようなやつなんだそうだ。
それから、その隣の霊道をちょっとビルの外にずらしてくれたらしい。
そんなわけだから、基本的にうちの店にはまず変な霊は入れない状況なんだそうだけど、例外もいろいろあるそうで、中に入れる人に許可を得られた霊は問題なく入れるんだそうだ。
まぁ、淳ちゃんがそのよい例なんだけど、その他にもなにかの拍子に入ってきてしまう事はごく稀にあるようだ。
今回は、どうやら聖ちゃんがその許可を与えてしまったらしい。
勿論本人は、全くわかってないと思うんだけど…
「聖ちゃん、ここに来る前に誰かに話しかけられなかった?」
涼子さんは、思い当たる事はなかったか聖ちゃんに聞いてみた。
「じゃぁ独り言で、『まぁ、いいか』とか言わなかった?」
「ん~ あ、言ったかも…」
「ストッキングが、伝線してて… 普通だったら替えるんだけど、もう会社にも帰らないから『まぁ、いいかって』って思ったんだけど、もしかしたら口に出しちゃったかな」
「なるほどね」
「そういえば聖ちゃん普段は『聞こえない』人だったわね…」
さて、問題はその何も言わないで座っている女だ。
まず、話だけでも聴こうということになって、涼子さんが話しかけてみた。
「そこの女、何しれっとしてるのよ、ここは貴女が居ていい場所ではないのよ、なぜここにいて、どうしてほしいか話しなさい」
女は口をひらこうとしなかった。
「マスター! うっとうしから、この塩かけてあげて…」
涼子さんから紙に包まれた塩を戴いて、一つまみその女に振りまいてた。
「ごめんなさい。話すからやめて」
悲鳴とも思える女の返答で、ちょっと俺はかわいそうになった。そこで間抜けな話なんだが、いつもの癖というか…思わすその女に水をだしてしまったんだ。
「ありがとう…」
女は、水に口をつけることはなかったが、静かに話し出した…
「私は、数年前に交通事故で死んだの」
『ああ、自分が死んでいる事は理解しているんだな』
ここに居合せた、全員がそう思ったに違いない。
「男に騙されて捨てられて、憎んだわ」
女は続けた。
「私は、女子高を卒業して大学に入った時、初めてボーイフレンドができたんです」
「憧れていた、先輩でかっこよくて、なんで私なんかと付き合ってくれたのか不思議だったんだけど、その頃、眼鏡をコンタクトにして、お化粧も覚え始めて、少しは奇麗になったかな。と自信が少し出てきた頃で、『可愛いよ』と言ってくれたのを本気にしたんです」
『まぁ、確かに平均より可愛いかな』
と、俺は内心思ったんだけど、そんな事を言うと『女を値踏みするセクハラだ』とか言われそうで、黙っていた。尤も、このタイミングで言い出せる台詞じゃないし…
「でも騙されている事を知ったんです。あいつは、私の他にも何人かの女と付き合っていて…」
『まぁ、良くある話だね』
「ある時、彼が男友達と話していたんです。 『あいつは処女だったから口説いたんだ。もう戴いたから終わりだな』って」
それは酷い最低の奴だな。俺の知り合いにはいないタイプだぜ。
「それで私、悲しくて悲しくて、そのことばかり考えていた時、どうやら赤信号を渡ったらしく…」
「気が付いたら、私が救急車で運ばれていくのを見ていたの。救急の方が一生懸命心臓マッサージをしてくれていたのを覚えてるわ」
所謂「魂が抜けた」という状態か。
「その時思ったの、あ、このまま死んでしまうのかなって。そう思ったら、あいつの所に行ってみたくなったの。最初は最期に一目会えたらって思ったんだけど、そうしたら、私がいつの間にか、あいつの目の前にいることに気が付いたの。他の女の所にいたわ」
よく魂は、どこどこへ行きたいと思うだけで、そこに行けるっていうのを聞いたことがあるけど、そういうものなのか。
「そしたらあいつ、私に気が付いて『びくっ』としたの。それで復習しようと思って、夜な夜な付きまとってやったんだ。あいつが怖がるのがおかしくて、暫く脅かしてやった…」
暫く沈黙した後、女が続けた。
「でも、ある時気が付いたら、むなしくなっちゃって、もう充分懲らしめてやったし、このままじゃいけないような気がして」
「よくそこに気が付いたわね。そのままそいつに付きまとっていたら、悪霊になってたわよ」
涼子さんが口を挟んだ。
「それから、どうしようかと思ってたら、(聖ちゃんを見て)そちらのお嬢さんが元気そうに楽しそうに歩いて来たので、なんとなくこの人に憑いていけば良いような気がして『一緒に行っていい?』って聞いたら、『まぁ、いいか』と言ってくれたのでここまでついてきてしまいました」
困ったのは聖ちゃんで…
「あたし、そんなの知らないよ」
まぁそうだろうな、聖ちゃんの一言をいいように解釈して勝手にここにきてしまったのだから。
「で、どうしたいの?」
涼子さんは、その女に質問した。
「上がりたい」
それが答えだった。
「悪いんだけど、私達は霊能者でもなくて、なんにもできないのよ。上がるには自分で行ってもらわなくてはいけないの。まず恨みや妬みを消しなさい」
「上がる」というのは、どうやら亡くなった方が本来行くべきところへ行く事のようだ。
本当は、愛美さんに上げて貰えれば話は早いのだけど、彼女は数年前に病気で鬼籍に入っていた。
「あいつへの執着はもう切れた… 私はどうしていいかわからない… 寂しい…」
女はそういうと、悲しそうに目を伏せた。
「上がれるように静かに祈りなさい。今の貴女ならきっと上がれるから…」
「…」
「俺たちにできる事はあまりないんだ。毎朝水をここに置いておくから、それで心穏やかに、また迎えが来るのを待ってみないかい」
「…やってみる」
その日から店をはねて帰る前に、俺はこの席に水を置いて手を合わせてから帰るようにしたんだ。
そうしたら、数週間後にいつものように、彼女の席へ水を置いたところ、彼女からメッセージがあった。
「マスターありがとう。 今、光の環が来たから上がります。皆さんにもありがとうと伝えてください」
そうか、良かった…な
なぜかな、しばらく俺は涙が止まらなかった…