牛カツサンド
鈴木さんが、珍しく後輩をつれて店に来た。
「こんばんは」
「こんばんは。 おや、今日はお二人ですか」
「ああ、後輩の村田君だ」
「こんばんは、村田洋一で~す。 洋ちゃんと呼んでください」
「お好きな席へどうぞ」
鈴木さんはいつもの席へ、村田さんはその隣に座った。
「先日、村田君が良い仕事をしたので、ちょっと褒めたら、調子に乗ってこの店に連れて行けと言い出してね」
「そうでしたか…」
「なんかここって、以前から気になっていたんですけど、一人じゃ入り難くて。そしたら鈴木さんが常連だというので、お願いしたんですよ」
「エレベータもない4階で、すこしハードルが高かったかな」
俺が口を開くと…
洋ちゃんは、辺りをキョロキョロしながら…
「外観は入りにくいんですけど、内は凄くいい雰囲気ですね」
「ありがとうございます。 ご注文は?」
「私にはいつもの」
鈴木さんが口を開いた。
「先輩のいつものって何ですか?」
「ギネスのハーフだ!」
「あ、じゃ僕も同じものを…いや、僕にはフルで」
「ギネスのハーフと、ギネスのフルですね。承知いたしました」
普通ハーフに対してフルと言う言い方はあまりしないのだが、俺はお客さんが言った表現をできるだけ使うようにしている。以前某所に行って、ビールの「中生」と注文したところ、「生中ですね」と言われて違和感があったんだ。勿論向こうは提供する品の確認をしただけだろうと思うんだけど、同じサービス業としてどうかなと感じたんだ。
だから、お客様がフルと言ったら、言い直す必要はなくフルで良いのだ。
俺が飲み物を用意していると、鈴木さんがこの店の説明をしてくれた。
「村田君。あの黒板に…定番のおつまみの他に、ディナーとあって食材の名前があるだろう? ここのマスターは、料理もされる方で、その食材を使ってなにか自分が食べたいものも、注文する事ができるんだ。 今日は「牛」だから、ステーキは勿論、すき焼きなんてのもきっと作ってくれるだろう」
「へぇ、面白いですね。 鈴木さんは何にされるんですか?」
「そうだな、う~ん。 マスター、牛カツサンドできます?」
俺がちょっとうなずいて『大丈夫』という顔をすると…
「あ、僕も」
洋ちゃんも乗ってきた…
「牛カツサンド二つですね。承知いたしました」
ギネスをお出しして、丁度いいタイミングでオーダーしてくれる。常連さんは呼吸を知っていてありがたい。この洋ちゃん… 村田さんもなかなかだ。
牛カツは、1.5cm位の厚さの牛ひれ肉を片栗粉をまとわせ卵を付けてからパン粉でふんわり包み、フライパンで揚げる。油は勿論ラードだ。パン粉がカリっと良い色になったら出来上がり。牛肉をレア状態に保たせるんだけど、少しコツがいる。どんな料理もそうなんだけど、熱を入れ過ぎない事が肝心だ。それからサンドするパンにも焦げ目がちょっとつく位にうっすら内側だけバターを塗って、トーストするのがうち流だ。今日の牛肉は指しが入って柔らかいので、隠し包丁を入れなくても大丈夫だ。牛カツはあの食いちぎる触感も楽しんでもらいたいからね…
「はい。牛カツサンド、ごゆっくり」
「いただこう」
うちの店は、食事をされたお客さんからはお席料をいただかない。チャームを出せないからだ。じゃぁ、その分食事代が高いのかっていうと、そういうわけでもないが、コンビニで同じものを買うよりは、それなりなお代になってしまう。いくら作り立てと言ってもコンビニと同じようなものを出していたら、外食する楽しみが無いだろう。
ああ、この品質で、この値段だったら又来ようと思えるような、ちょっと得した感がでるようにしたいと思っているんだ。少なくとも、酒、料理、雰囲気を含めて、「この店は高い」とは思わせたくないんだな。
「美味しい。先輩、このカツサンド美味しいですよ」
「ああ、旨いな」
「ありがとうございます。お口に合ってよかった」
「マスター、ランチはないんですか、このお店?」
洋さんは、思いついたように言葉を発した。
「村田君、ここはバーだよ」
鈴木さんが、窘める。
「ああ、そうですよね、ごめんなさい。あんまり美味しいので、何も考えないで言っちゃった…」
「いえ実は、たまにですが、良い食材が手に入った時は10食位の限定ランチをやる時もあるんですよ」
「えぇ~!?」
驚いたのは鈴木さんだった。
「い、いつやってるんだい?」
「いや、それが思いつき…というか、食材次第でやるものですから不定期なんです。その時は1階の看板に『ランチ』と出してますので、よろしくお願いします」
「わかった、このビルの前を通る時は、注意してみるよ」
その時、村田さんが奥の方をなにげに一瞬注目して直ぐに鈴木さんの方に目を向けた。
「ランチの場合、ぶっちゃけ豚カツとかカツカレーとかが多いですね、夜に残った食材を次の日のランチに回すんです。魚は焼いたり、煮つけにしますね。食材は仕入れてからできるだけ早めに使い切りたいんです。ありがたい事に最近はあまり残らなくなりました」
「僕も、ぜひ今度ランチに伺いたいです。煮つけ良いですよね。自分ちじゃなかなできないし、食べたくなりますよね」
村田さんが口を開くと、すかさず鈴木さん…
「ちょっと待て、君は自炊してないんじゃなかったけ?」
「そうでした、煮つけどころか焼き魚もできません」
あれ? 鈴木さんてこんなツッコミする人なんだ…
鈴木さんの新しい一面を発見した日だった。