出汁巻玉子
その方がお見えになったのは、7時頃だったかな? 後期高齢者というにはもう少し若い男性だ。その方は一人カウンター席の奥の方に座って、隣の方を向いてぶつぶつ言っている。
「御飲み物は何にしましょう?」
「ウィスキーの炭酸割を貰えるかな?」
「ウィスキーの炭酸割承知いたしました 」
まぁ、ウィスキーの炭酸割と言えば今でいえばハイボールになるかな。ウィスキーの銘柄を指定されなかったので、ジョニーウォーカーの赤ラベルを選んでみた。実を言うとこの方見覚えがあって、以前一度奥様とお見えになったと思ったんだよね。その時は、ジョニ赤のハイボールとおっしゃってたと思うんだけど…
そして更になにかぶつぶつ言っている。
「あと、スクリュードライバーを一つ頂けるかな?」
「スクリュードライバー承知いたしました」
正直、「えっ」と思ったんだけどお客様のオーダーだからね。勿論つくるよ。
「ウィスキーの炭酸割です」
俺は、グラスをそのお客さんにサーブし、続けて
「スクリュードライバーです」
っとお客さんの前にサーブしたら、そのお客さんは隣の席にそれを置いた。なにか目で合図するような形で、自分のハイボールと隣にまさにだれかいるんじゃないかというような表情で、乾杯のしぐさをした。
横にいた淳ちゃんに
「あのお客さん見覚えあるよね?」
と聞いてみると
「以前に奥さんといらっしゃいましたね。今回も隣に座られているんですけど、亡くなられているみたいですね」
隣に話しかけている様な感じがするのは分かったんだけど、…俺には全く奥さんの事は見えなかった。
淳ちゃんには視えるようだ。
「今も、仲良く会話しているの?」
淳ちゃんに聞いてみたら、
「そうみたい。喧嘩している感じはしないから…」
という事だった。
奥さんは幽霊で、その方には視えているらしい。
幽霊… には縁があるので、いろいろミーチューブなんかでその手の話をよく聞くんだけど、最近聞いた話では、生きている時に幽霊を見られない人は、死んでも幽霊は見れないんだって…
ある霊能者さんの御話なんだけど…
あるお宅で、御爺さんが亡くなった時に、成仏しないで、霊になってもそのお宅に居続けたらしいんだよね。やがて御婆さんも亡くなって、そのお宅が気に入っていて、成仏しないで、御爺さんを探しているというかそのお宅に住んでいるらしいんだ。 御爺さんも御婆さんも生前霊が見えない人だったらしくて、お互いに「どうしているかねぇ」と同じ家に二人とも居るらしいんだけど、お互いに視えないという話だったんだよ。
ちょっと切ないなぁと思ってしまったんだよね。二人ともお互いが視えれば良いのにとか、あるいは二人とも成仏すれば良いのになぁと思ったんだ。
まぁ、カウンターの方は、奥さんと会話できているようなので、なんか良かったなぁと思ってしまったんだ。
「出汁巻玉子をお願いできるかね?」
その方がオーダーした。
「出汁巻玉子、承知しました」
まぁ、バーで普通出汁巻玉子は頼まないよね。以前お見えになってるから、うちのシステムを承知しているからなんだけど… たしか、以前お見えになった時もお出汁たっぷりのふわふわの出汁巻玉子をオーダーされていた記憶がある。
ふわふわの出汁巻玉子は、玉子3つに大匙一の出汁と水を80gほどあと少し片栗粉を入れて、丁寧に焼くんだ。
「出汁巻玉子です」
御箸は、二膳用意した。
提供したお皿も、隣の席の奥さんと一緒に召し上がっているような雰囲気だ。
俺は一つ疑問に思った。亡くなられた方は、所謂『あちらの世界に成仏』するべきなんじゃないのか…と。 まぁ「成仏」という言葉は仏教用語なのかもしれないけど、乱暴に言えば「あっちの世界」に行くんじゃないの? とそれを淳ちゃんに聞いてみた。
「まぁ、そうなのかもしれないけど、こっちの世界に留まって満足している… 人… 霊… もいるわけだから… 」
まぁ、あちらの世界は分からない事だらけだし、 このお二人を見たら、それも良いのかなぁと思ってしまったんだよね。
うちの店は、愛美さんが協力な結界を張ってあって、「霊」的なものは入れないはずなんだけれど、中にいる人が許可すれば入れるので、奥様の霊は、旦那さんが「さぁ、お入り」と許可したんだろう。




