透明な烏賊の刺身
一階の看板の電気を入れ、ドアに掛かった「Closed」の表示を「Open」にひっくり返して暫くすると、本日最初のお客様がお見えになった。
「おばんでぇ~す」
「おや、洋ちゃん、今日も早いね? お得意さんところ行ってきた帰りかい?」
「そうなんです。直帰です」
「お疲れ様。何にしましょう?」
洋ちゃんは椅子を引いて、腰かけながら、黒板に目をやる。
「今日は魚ですか?」
「うん。生きの良い烏賊が入ったんだ… 他には…」
「烏賊お願いします」
「刺身かな?」
「お願いします。 飲み物は、プレモルで…」
「プレモルと烏賊の刺身… 承知しました」
まず、プレモルを注いで、バックヤードに入ると、淳ちゃんが現れたようだ…
本当に淳ちゃんの存在は助かる。
「スミイカのお刺身です」
「うわぁ~ 透明じゃないですかぁ~ 頂きます…」
そうなんだ、本当に新鮮な烏賊は透明なんだ。今まで生け簀で泳いでいたやつだから鮮度は抜群さ。普段なら仕入れないというか、できないんだけど、今日は飛び入りで、卸の方がいきなり店に飛び込んできて…
「料亭『冬綱』で出す予定だった烏賊なんだけど、例の流行病で店が急遽臨時休業になっちゃったんで、こちらで仕入れてもらえないかと思いまして… 冬綱さんの紹介です」
と、やって来た。
『冬綱』というのは、俺の和食を修行した店だから、その名前を出されちゃ無碍にもできない。 しかも冬綱の今の料理長は、俺の兄弟子にあたる人で、修業時代は散々世話になったものだから、連絡を取ってみると確かに俺の店を紹介したという事だ。
まぁ、あそこの紹介なら物は確かだろうし、変な商売はしていないだろうというわけで、今回は特別に仕入れてみることにしたんだ。
お客様が、美味しそうに召し上がって下さる姿を見るのは、料理人冥利に尽きるね。
「ところで、さっきは何の話をしていたんだい?」
俺は淳ちゃんに聞いてみた。
「アメリカにまで飛んで行った、中国の気球の話」
「あれ? 淳ちゃんは、そんな話知ってたの?」
「知ってるよ、だってマスター仕込みの時に、ポータブルテレビつけてるじゃん…」
俺は殆どテレビは見ないんだが、お客さんと話しを合わせるために、仕込みの時は、とりあえずニュースだけは聞いている。
「そうか、それで淳ちゃん… 情報通なんだ」
「マスターより詳しいかも… なんでも聞いて」
はにかむように笑う笑顔が、俺と洋ちゃんに安らぎをくれる…
「ねぇ、マスター」
洋ちゃんが口を開いた。
「こないだの、例の気球… アメリカは最初から中国のものだと言っていたやつ」
「うん。今淳ちゃんにその話を聞いてたところさ」
「最初、中国は気象観測のための民間の気球が偏西風で飛ばされたなんて、『てへぺろ』って感じで言ってたのに…」
「まぁ、中国だからね」
「それに、アメリカもミサイルってすごいですよね、ガトリング砲で十分じゃないかと思ったんです。ミサイルだと、日本円で数百万位するでしょ。しかもF-22って… 1時間飛ばすのにいくらかかるのか… 気球一つ撃墜するのに、いくらかけてるんだ? って思ったんですね」
「私も最初そう思って調べてみたんだ」
「え? 何をです?」
「いやだから、なんでF-22なんて最新鋭の戦闘機で、ガトリング砲じゃなくてミサイルを使ったかって事さ」
「さっすが、マスター で、どうしてだったんですか?」
「うん。一番の問題は、気球が飛んでいた高度らしいんだ。6万フィートっていうから、大体2万メートル弱位」
「えっと、旅客機が太平洋路線で飛ぶのが3万3000フィートでしたっけ?」
「うん。だからその倍の高さだから、並みの飛行機では到達できない高さだね。そこまで飛べるのが、米軍機ではF-22しかなかったらしいんだ。 まぁ今回はステルス塗料を塗る必要がなかったから運用費用は他の戦闘機とそんなに変わらないだろうけどね」
「じゃぁ、なんで、ミサイルだったんですか?
「アメリカで以前に同じような気球を撃墜した事があったらしいんだけど、やっぱり高度が問題になったらしくて、ガトリング砲を1000発当てたらしいんだけど、気球はしぼまなかったそうなんだ…」
「1000発ですか?」
「そう、その時は2機のホーネットだったかだと思うんだけど、まずその高さになったらガトリング砲は真っすぐ飛ばない。空気の比重が違うかららしいんだけど、だから狙ったところに当たらないらしいんだ。今回は気球につる下げられたコアな部分の回収を目的としているから、それに当たっちゃまずいよね」
「そういえば、零戦の20ミリ機関砲も真っすぐ飛ばないで、放物線を描いて飛んでいくなんて、なんかで読んだことあります」
「当時の機銃は、初速が遅かったからだと思うんだけど… それは置いといて、まぁ、今回のミッションでは気球につる下げられたコアを回収するのが、ミッションだから、確実に気球部分を撃墜する必要があったんだよね。でミサイルを使ったそうなんだ」
「でも、発表でミサイルは『サイドワインダー』でしたよね、熱源をトレースする一世代前のミサイルじゃないですかぁ?」
「良く知ってるね。私も実はそこも気になったんだけど、一昔前の熱源をトレースするサイドワインダーAIM-9じゃなくて、AIM-9Xという新型のものなんだそうだ。これは、赤外線画像誘導というものらしくて、詳しくは知らないけど、あらかじめ「あいつだ」と画像をミサイルに覚えさせて追跡させるんじゃないかな。1発5千万円位するらしい…」
「なるほど、その辺はわかりましたけど、アメリカが撃墜したと発表したとたんに、いきなり中国が態度買えちゃって、強気な態度になっちゃって、『国際法違反だ』とか居直ったでしょ、まず民間だろうがなんだろうが、異国の空域を侵略しちゃったんだから、まず謝罪するのが筋だと思うんですよね」
「ああ、あれね。 あれには実は裏の話があるらしいんだよ」
「裏の話? ですか?」
「まぁ、情報ソースが怪しいところなので、真実かどうかは分からないんだけど…」
「勿体ぶらないで教えてくださいよ」
「勿体ぶってるわけじゃないけど、情報ソースが怪しいとなると、都市伝説みたいになっちゃうから…」
「だって、マスター! 都市伝説好きじゃないですか」
「… まぁねぇ… じゃぁ都市伝説みたいな感じで聞いてくれるかな」
「勿論です」
「あの風船には、EMP爆弾の取り付け装置があったらしい」
「EMP爆弾って、何ですか?」
「おや、都市伝説好きの洋ちゃんもご存じなかったか…」
「だから、マスター! 勿体ぶらないで教えてくださいよ。 EMP爆弾って何ですか?」
「うん、EM-P爆弾という奴も、開発されているという噂は聞いた事あるんだけど、どこまで研究が進んでいるかわからないものなんだけどね。 … 簡単に一言で言ってしまえば、電気製品って言うか、電気で動く機械ってか装置… すべてダメにする爆弾だ」
「ええ? そんな事できるんですか?」
「聞いた事ないかな、近くに雷が落ちたら、電化製品全部ダメになったっていう話…」
「ああ、あります。最近はあんまり聞かなくなりましたけど、10年位前はよく聞きましたね。じゃぁ人口雷ですか?」
「まぁ、原理とかは詳しくは良くわからないんだけど、そんな感じじゃないかな」
「それって、大問題ですよね」
「大問題だ! 家庭で言えば、全ての家電が使えなくなるし、軍事関係… 戦場で使えば、レーダーやミサイル発射装置はもちろん、全ての最新兵器が使えなくなる。 つまり、台湾有事の際は、中国は大量の気球爆弾を使って、EMP爆を弾炸裂させてから、台湾に攻め込むんだろうな。米国自慢の第七艦隊も機能しなくなる」
「もちろん、今回の風船には爆弾そのものはついていなかったらしいんだけど、取り付け装置がついていたって事は、既にその気球爆弾は大量に制作されていることになるよね」
「それって、大変なことじゃないですか?」
「そう、あまりに事が重大なので、アメリカのマスコミでも発表されていない。というか発表できないんじゃないかな?」
「だから、最初は観測気球だなんてしれっとした顔してたのに、アメリカが『撃墜』したとなると、中国は作戦がばれるっていうわけで真っ青になって、あんな強気な発言をしたんですね」
「そう、真っ青になってるのはアメリカも同じなんだけどね。多分アメリカはその可能性に気付いたから、F-22でミサイル使って… 数千万かけても撃墜したのかもしれないね」
「今日本の軍事専門家が、電波と周波数を測定していたのではないか… なんて、したり顔で解説しているけれど、そんな甘い話じゃぁなさそうですね」
既に、米中戦争は始まっているのだろう。




