雲丹のパスタ
さて、そろそろ下の看板の電気を消そうかと思っていた頃、ドアチャイムが鳴った。
「こんばんは。マスター」
「こんばんは、聖ちゃん。珍しいね、こんな時間…」
「ちょっと、トラブルがあって、こんな時間になっちゃいました。まだ良いですか?」
「勿論! どうぞ…」
俺は、おしぼりを出して… 聖ちゃんの落ち着くのを待った。
すると、そこにもう一度チャイムがなった。
「こんばんはマスター…」
「こんばんは洋ちゃん、珍しいね、こんな時間…」
あれ? さっきもこんな台詞があった様な気がしたんだが‥
「ちょっと、仕事であって、こんな時間になっちゃいました」
洋ちゃんにもおしぼりを出して落ち着くのを待つ…
「お疲れ様、二人とも… 何にします?」
「ちょっと、お腹空いているんです。何かないですか?」
二人とも、同じような反応だ…
俺は、食材の在庫を思い出してから…
「お腹空いてるんなら… パスタとかどうだろう? 丁度良い雲丹が入ってるんで雲丹のパスタがお勧めかなぁ…」
「良いわねぇ… それ」
「あ、僕もそれに乗っかります」
「雲丹だったら、クリームを使って、トッピングに雲丹を載せる感じで良い?」
「それでお願いします」
「食事にするんなら、スパゲティはベストなんだけど、半分あてにするんなら、細麺にして、スパゲティーニとかカッペリーニにするっていう手もあるけど…?」
「私は、スパゲティでお願いします」
「僕は、じゃぁ、ちょっと細麺で…」
「スパゲティーニで良いかな?」
「お願いします」
「お酒はどうしましょう? ワインだったら… スパークリングか白なんて良いと思うけど…」
「泡の白で」
聖ちゃんが即答した。
「今、ロワールのリーズナブルなのが入っているので、泡のロワールなんてどう?」
「それでお願いします」
「僕もそれで…」
「雲丹を使った、スパゲティと、スパゲティーニ… 泡のロワール! 承知いたしました」
先ずは最初にロワールを用意して、二人にサーブして、バックヤードに入ると、俺と引き換えに淳ちゃんがカウンターに現れた。
俺が料理している時に、淳ちゃんが二人の相手をしてくれているのは大変助かる。
俺は雲丹をパスタソースにするとか麺に練り込む…というか、絡めるなら、きめの細かな紫雲丹が良いと思うんだけど、トッピングにするならバフンの方がボリューム感を出せて、いかにも雲丹が載っているというインパクトを与えられると思う。味も個性がしっかりしているからね。
一番大事なのはバランスだよね。パスタと雲丹のバランス… こういう食材を使う時は、「あ、あともうちょっとあれば完璧なのに…」 と飢餓感を出す位が丁度良いんだ。
パスタを全部隠してしまう位、雲丹が載っているのは、雲丹の美味しさを味わえるかもしれないけどあまりにも品が無い… それならパスタの存在ってどうよ? パスタじゃなくても良いんじゃないかと思うわけだ。 (最近そういう下手を出す店もあると聞いたが… まぁそれは店主の考え方なので俺がとやかく言う事じゃないけどな…)
この一皿を召し上がっていただいて、もし更に雲丹を食べたければ、雲丹だけをあてで注文してくれれば良いんだ。ここは食堂ではなくてバーだから、一皿で満足してもらう必要はないわけだ。とは言えここが結構難しいところかな… まぁ、お客の好みもあるし…
賄いで自分が自分の為に料理する場合は、好きなだけ雲丹を乗せられるのは特権だよね… さっき言った品が無いとかそんな事はどうでもいい…旨ければそれが正義だ! (そこで、味やバランスを研究するんだけどね…)
うちのパスタは、乾麺を使っているんだけど、もちもち感が良いよね、でも手作り麺にはかなわないかな。
それで最近気になったんだけど、ディ・チェコのスパゲッティがその辺の販売店で見なくなったんだ。あった思うとスパゲティーニなんだよね。どうしたんだろう。 うちでは仕入先が違うから今の所スパゲッティも手に入っているけど… そのうちなくなっちまうんかな?
「はい。雲丹のスパゲッティとスパゲティーニ… お待ち…」
二人の前に、お皿を置いて、二人のグラスを注目した。まだ二人とも半分位は残っている。
淳ちゃんが二人に…
「怖い話ない?」
と、唐突に聞いた。
「淳ちゃん… その手の話好きよねぇ」
以前、聖ちゃんと涼子さんと一緒にお見えになった時も、淳ちゃんはこんな話を涼子さんに投げかけた…
「タクシーの話、したっけ?」
聖ちゃんが口を開いた。
「う~ん、聞いてないかも」
「以前ね、仕事が続いていて忙しかった時、終電逃がしちゃって、タクシーで家に帰った事があるんだけど…」
「うんうん…それで」
「疲れてて、うとうとっとした時、急に背筋がゾクゾクっとして目が覚めたの。なんかいや~な感じがして、運転手さんの横にある、バックミラー見たら、髪の長い女がいたのよ。私の右隣り…」
「うんうん」
淳ちゃんは、話を聞き入っている…
「それで、メッチャ怖くなって、恐る恐る自分の右を見ると… 誰もいないの… へんだなって思ってまたバックミラーを見ると確かに右隣りに女がいるの!」
「…」
「ミラー越しに見た時だけ視えるんだよね。 もうパニックで、体は硬直するわけ。 怖い怖いと思っていたら、運転手さんが私に聞いてきたの…」
『あ、お客さん視えましたか?』
「はっと、我に返って『はい』って答えたんだけど」
「たまぁに視えるお客さんもいるんですよね、私も、視えてるんですけど、悪さしないですから…」
って、運転手さんは淡々と言うわけ…
「悪さしないったって怖いでしょう?」
「そうなんですけど、今降りるわけにはいかないでしょう? 気にしないでください」
「本当は、その場で降りたかったんだけど、高速乗ってたのでどうしようもなかったのよ」
「それでどうしたの?」
「ミラー越しにしか見えないから、ミラーを見ないようにしてたの、もう目を瞑って、左の方を向いていたの、そうしたら、運転手さんがまた話しかけてきて…
「消えましたねぇ…」
「って平然と言うのよ、目をあけて、恐々ミラーを見たら、消えたの。あの時ほど、『ほっ』した事は無かったわ。でもまた突然現れないか冷や冷やだったのよ」
淳ちゃんはちょっと考えた様子で言葉を発した…
「視える人の幽霊話って、怖そうに聞こえないのよね。 以前涼子さんに伺った時もそうだったんだけど、普段視えているから普通に話されるんですよね』
「なによ、淳ちゃんが話せって言ったんじゃないの… でも、今なら淳ちゃんとこうして話したりしてるから、もう一度ミラー女に会っても、あの時ほどは怖くないと思う」
「そうよ、基本幽霊って何もできないのよ。 生きている人間が一番怖い…」
「人怖ね… そうかもしれないわね」
「そう言えば、洋ちゃんに聞いてなかったわね? なんか怖い話ないの?」
淳ちゃんは俄に洋ちゃんに話を振った‥




