イチボのステーキ
謎の二人が入って来た…
男性客はどこかで見たような記憶がある。
その日、ドアプレートをオープンにして、暫くするとドアチャイムが鳴った。
「いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」
中年男性と若い女性客だ。
初めて見る顔… いや、男性客は、一度お見えになったお客かな…!?
カウンターのほぼ中央に座った男性に声をかけた。
「以前、一度お見えになりましたね? 急がれて帰られていたようですけど…」
「覚えているんですか?」
「はい。 カールスバーグを御勧めしたと思います。今日もそれで?」
「はい… じゃぁそれを…」
「お連れの方は?」
連れの女性はかなり若く見える。二十代前半だろう。十八と言われても納得してしまうような童顔だ。
「ファジーネーブルを」
「承知いたしました」
先ず、ファジーネーブルを作って、カールスバーグと一緒にサーブしたが、チャームの準備はちょっと待ってみた。
すると男性が俺に声をかけた…
「以前ここに来た時に不思議なものを見ましてね…」
やはりそう来たか… あれだけあわてて店を出て行ったんだ。この店での事は相当印象に残っているはずだ…
「ほう… 不思議なものですか?」
「そうです。 バニーガールの女性が居ましたよね?」
「う~ん。そうでしたっけ?」
「確かに見ました。 だけどの目の前で消えたんです」
「消えた…? どういう事ですか?」
俺は分かっているんだけど、しらばっくれるしかなかった。
「あの後私思ったんです。あれは幽霊ではなかったかと?」
「幽霊… ですか?」
「だから、今回は霊感のある姪を連れて来たんです」
「はぁ… こちらの方は霊能者さんですか?」
俺は、お連れの若いご婦人の顔を見た。
「そうよ! 私が幽霊なんて見破ってやるんだからね!」
「はぁ。幽霊がいてはいけませんか?」
「ダメでしょうよ。人を驚かせちゃ」
いや… この方が勝手に驚いたんだろうよ?
「人を驚かせない… 人に害をなさない幽霊だったら良いんですか? 人を守るような… 何て言いましたっけ守護霊でしたっけ… はどうでしょう?」
姪っ子さんは、ちょっと戸惑って…
「まぁ、人に害をなさない霊なら… 問題ないわよ」
「守ってくれる霊とかは?」
「うっ…」
若い霊能者さんは言葉に詰まってしまったようだ。
「もうなんなのよぉ、ここは… 霊の肩を持つつもり?」
「いやぁ~ 肩を持つとかじゃなくて… 単純に貴女の言葉に疑問を持ったので聞いただけですよ。行き成り霊とか言われてもちょっと戸惑ったんです。お気に障ったのでしたら黙っときますが…」
「もう、なによ、気分悪い店ね…」
普通にして質問したら逆切れするって… この娘もしかして「中二病か?」
「あ、でどうでしょう。この店は、何か悪い霊いますか?」
俺は白々しく聞いてみた。
若い霊能者さんは眉間にしわをよせて一言口を開いた。
「強い結界が張ってあるわね…」
ほう、それは分かるんだ…
「結界ですか、それはどういうものですか?」
「なんて言ったら良いの… 凡人には分からないでしょうけど、ここは何か凄いガードがされているんだわ」
まぁ、愛美さんの鉄壁な結界だからねぇ…
「この中に、変な霊は入ってこれないわね」
実は後から聞いたんだけど、淳ちゃんは意図的に気配を消してこの自称霊能者さんの前に立っていたんだそうだ。
俺は、普段の淳ちゃんとは話ができるんだけど、本人が意図的に気配を消した時は視る事もできない。 そんな状態の淳ちゃんを視る事ができるのは、俺の知る限りでは涼子さんと故人の愛美さんだけだ。
「そうですか。では安心していただいて良いようですね」
俺は男性客の方に向かってつぶやいた。
「本当にいないの?」
男性は、連れの若い霊能者に声をかけた。
「普通は居ないわね… 何か特別な事がないと普通の霊は入れない。 今見まわしたところ、それらしい霊は見当たらないわ」
「じゃぁこの前みたものは一体何だったんだ?」
男性客はちょっと切れ気味な感じで声を張り上げた…
「何かの見間違いじゃありませんか? 仕事が立て込んでいて疲れていたとか…」
「…あの時は、確かに仕事が立て込んでいて、その日に限って早めに上がったので寄ってみたんだが…」
「では、ゆっくりしてってください。バーは心の疲れを癒す場でもあると思うんですよ。 まだ時間が早いですから、何か召し上がりますか? うちは料理も自慢なんですよ」
おれはさりげなく… 白々しく黒板を示しながら聞いてみた。
「叔父様、私夕食がまだなのでお腹空いた」
若い霊能者さんは、男性客の顔を見ながらそう言った。
「うむ。今日は肉料理ですか何ができますか?」
「まぁ、定番でしたらステーキとか…」
「あ、ステーキがいい!」
姪っ子さんはおじさんにおねだりしたような感じだった。
「じゃぁ、ステーキを二つお願いします」
「量はいかがいたしましょうか。お嬢さんは200gは多いですか?」
「大丈夫」
「私も200でおねがいします」
「焼き加減は…」
「レアで」
「私も」
「牛ステーキ200gレア承知いたしました」
ステーキ200g…
あのお嬢さんは、素直にお腹が空いているのだろうサシの入ったところが好まれそうだ。あの男性客はちょっと腹にためてからつまみにするかな…
二人からステーキと言われて違う部位を出せないよな… あぁ今日はあの二人ついている… あそこがあるじゃないか…
「お待たせしました。イチボのステーキです」
「イチボだって? バーで?」
「はい。A5ランクの和牛のイチボです。今日たまたまありましたので… ご一緒に赤ワインなどいかがでしょう?」
二人のグラスがそろそろ終わりかけなので、俺は売り上げを伸ばすため…(じゃなくて…食事とのマリアージュを楽しんで頂きたくて)勧めてみた」
「そうですね。お願いします」
牛肉を評価する時、よくA5ランクが最高と思っている人も多いと思うんだけど、実はあれって味の評価じゃないんだよね。
アルファベットのAは歩留まり等級で、どれだけ肉がとれるかっていうものなんだ。数字の5は肉質の等級で、乱暴に言ってしまえば見た目だね。だから脂身が多くて肉がとれなければ、BとCとかいう評価になる事もあるけど、脂身が好きな人はそっちの方がいい場合もあるし、単に痩せてるからB、Cって場合もある。数字の方は、肉の光沢や締まりやきめなんかで違ってくる。俺の知り合いで肉にうるさい奴はA3~4が一番旨いという奴もいるんだけど、ここははっきり言って好みだね。
…と言ったうえでA5ランクの肉を出したのは、丁度たまたま今日仕入れたのがそうだっただけなんだ。
「美味しい… 叔父様美味しいです。 このお肉!」
「うむ。旨いな」
「ありがとうございます。ごゆっくり…」
さで、実は大きな問題が起こったわけだ。
この若い霊能者さんは今日たまたま叔父さんに連れられて来たので、一人でおみえになって常連さんになるとは思えないが、問題はこの男性客だ。
最初の時もそうだったけど、この店にふらっと立ち寄ってしまうような方なら、バーに行き慣れているだろうし、今日みたいに食事もできるとなると、自分で言うのは何だけれど、この店は魅力的なはずだ。(店をやっている以上… 魅力的な店にしなければならないわけだが…)常連になってもらえるかもしれない。
それで… だ。
この方は普通の淳ちゃんは視えてしまう。全く視えない鈴木さんと違って、普段の淳ちゃんも視えてしまうんだ。お客さんがこの方だけの時は、淳ちゃんには姿を消してもらっていれば良いわけなんだけど、涼子さんや聖ちゃんがいて、淳ちゃんが普通に話している時に、ふらっといきなり店に入ってこられたら淳ちゃんをどう説明したら良いだろうか…
まぁ、一人で下手に考えてもしょうがない… 今度聖ちゃんや涼子さんと相談しよう。
今はゆっくりワインとイチボを楽しんでもらおう…




