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鈴木さん

 だいたい常連さんはいつも決まった時間にお見えになる事が多い。

 時計の針が、八時半を回るとドアが開いた。


「こんばんは」

「いらっしゃい鈴木さん」


 この時間は、鈴木さんだ。

 このところ、何度か足を運んでいただいている。

 そろそろ常連とお呼びしても失礼はないだろう。

 

 鈴木さんは、いつも手前のカウンター席がお気に入りで、席に座る前に…

「ギネスをハーフで、それと今日は何がお勧めかな…」

 と、黒板のメニューを眺める。

「鶏か…」


「お待たせしました」

 ハーフ・パイントのギネスをお出しすると…


「親子丼なんてできるかな?」

「親子丼ですね。かしこまりました」


 うちの店はバーではあるが、料理もできることを知った鈴木さんは、最近よく食事をされるのだが、それを待つ間にギネスのハーフを注文される。


 うちの親子丼は、ちょっと炭火で炙った腿肉と、少しだけ火を入れた玉ねぎを濃口出汁で煮込むんだ。勿論、蓋つきの丼鍋でだ。それを卵でとじて、三つ葉を添えてお出しする。この卵の加減が難しいんだ。固くなっちまったら台無しだし、あまり火が通ってないと失敗した家庭料理になってしまう。これでもやっぱりお金を戴いてお出ししてるので、プロの仕事をしなきゃな。


「お待たせしました」

 丼の蓋をあけ、湯気とともに香りをかいだ鈴木さんが一言…

「香ばしい!」

「一旦、炭火で鶏を焼いてから濃口八方出汁に浸し、卵でとじていますので」

「炭火? バーで?」

「奥のキッチン、意外と広いので炭火も使えるんです。ごゆっくり」


 鈴木さんは、奥にキッチンがある事を最近知ったから、親子丼を頼んでくれたわけだが、炭火を扱うとまでは思わなかったのだろう。


 空いたビアグラスを下げ、洗い場に置くとドア・チャイムが鳴った。


「こんばんは」

「いらっしゃい。空いている席にどうぞ」


 初めて見るお客さん… 一見さんだ。


 その一見さんは、鈴木さんから二つ空けた席に座った。


「ご注文は何になさいます?」

「喉が渇いているので、ビールをお願いします」

「では、カールスバーグなど、いかがでしょう?」

「じゃぁ、それで…」


 さっき冷蔵庫に入れたボトル・ビールが今ちょうど飲み頃だ。グラスも良い具合に冷えている。うちの生はちょっと重いので、喉が渇いた人にはこっちが良いだろう。


「どうぞ」

 グラスをカウンターに置いてビールを注ぎ、チャームを用意し始めると、お客さんは奥の方を気にしだした。


 落ち着かない様子で、目を白黒させているようだ。

「ニタッ」と笑ったかと思うと突然大声をだした…


「う、ウワァアアアア…」


 席を後ろにひっくり返しそうに仰け反って悲鳴を上げると突然、ドアの方に駆け出した。


「お客さん、申し訳ないんですが、お代を…」

 後ろから咄嗟に声をかける。


 あっ という表情とともに、ポケットから財布を取り出して…

「つ、釣りはいいから…」


 と、お札をドアの近くのカウンターに置いて、まるで逃げるように飛び出した。


「またのご来店を…」

 お代を受け取りながら、声をかけたが既に扉は閉まっていた。お札は1万円だった。

 1万円はもらい過ぎだ。今度お見えになったら、少しお返ししよう。お見えになればだが…


「いったい、どうしたんですかね、あれは?」

 鈴木さんもちょっとびっくりしたようだったが、落ち着きを取り戻して思わず口を開いた。


「さぁ、お化けでも見たんじゃないですかねぇ」

「お化けだって、馬鹿な事を…この世にそんなものがあるわけないじゃないですか。そんな非科学的なもの」

「そうですねぇ、いったい何に驚いたんでしょうねぇ」


 半分ほど親子丼を平らげた鈴木さんが切り出した。

「マスターはお化けなんてものを信じているんですか?」

「そうですねぇ、お化けは信じていませんが、幽霊というとちょっと信じてみたい感じはするし、いないと言えば、いないというような…」

「バカバカしい。 人間は死んだら終わりなんです。 人間は脳で物事を考え、脳で哲学するから、自分が生きていると考える事ができるんです。 肉体が無くなった状態で何が残るっていうんです?」


 鈴木さんは全く霊というものを信じていない。非科学的でバカバカしいと考えているようだ。


 俺もある時まで全く同感だった。しかし、幽霊を信じている人が来た時にそう言って切り捨てるような事を言って、怒らせて帰らせてしまう事もあった。客商売としてはできれば、どんなお客様も満足して帰っていただきたい。というわけで、今ではこういう会話になった時は虚ろな返事をする事にしている。


「しかし、さっきのお客さん、幻覚でも見たんでしょうかねぇ」

 俺ははぐらかすような返事を返した。

「変な薬なんかやってたりして…」


 空になった丼を下げ、グラスに水を注ぎながら声をかけてみた。

「次は何にしましょう?」

「いや、今日はこれで失礼する。まだ少し仕事が残っているのでな」

「そうですか、ではお気をつけて」


 いつもなら鈴木さんは、もう1、2杯飲んでいかれる事が多いのだが、こんな日もあるのだろう。

 チェックをすませ、お見送りした後、振り返って奥の方に声をかけた。



 「淳ちゃん! なにやらかしたの?」


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