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焼きおにぎり(続き)

 普段涼子さんは、あまり霊の話などは、積極的に話さない方なんだが、『霊障』を疑っているというのであれば、いきなり霊の話をしても変に思わないだろうと予想したんだろう。

 この人もクールだけれど、困っている人をほっとけない性質(たち)だからね。


「今その方とお話ししていたんですけど、丁度江戸末期に亡くなった貴方の祖先だそうです。亡くなったのは寿命のようなのですが、一つだけ心残りがあったそうなんです」

「どういう事ですか?」

「家本襲名前の御名前は松蔵さんとおっしゃる方なんですが、当時香道では使われなかった花、日本に入ってきたばかりの西洋薔薇の花の匂いを嗅ぎたかったそうなんです」

「松蔵ですか、確か数代前の家本の名前ですね」


『数代前…ていつか知らないけど、そんな先祖の名前なんてよく知ってるね? 普通知っていたとしてもひい爺さんまでじゃないかな? やっぱり先祖代々家本やってるとそういうところまで覚えなきゃいけないのかな?』 


 薔薇という花は日本にも古くから伝わっていたのだが、江戸末期というか明治初頭に日本にはない西洋の薔薇が入って来たらしい。その独特な匂いがどうやら当時の日本には無い香りだったようだ。


「松蔵さんは、その西洋薔薇の花の匂いが大変良い匂いだと聞いたらしいのですが、薔薇を見る事なく亡くなってしまったのが心残りでどうやら上がれないみたいです」

 入り口のカウンターには、花を生けた花瓶が置いてあって、真ん中に真紅の薔薇が数本生けられている。先ほどから松蔵さんはその薔薇をチラチラみていたので涼子さんが気になって話しかけたようだ。


「マスターも気が付いていたんでしょう?」

 洋ちゃんが口を開いた。


「最初に、君達が入って来た時に、「ダメです、お引き取りください」と言ったのを覚えているかい?」

「ええ、何事かと思いました」

「その前、洋ちゃんが一歩この店に入った時に「よろしいですか?」という声は聞こえたかな?」

「ええ、渡辺さんが言ったのかと思ってたんですけど‥」

「渡辺さんにしては、声の主はもっと歳を取っていたように聞こえなかったかい?」

 洋ちゃんは上の方を見ながら何か考えるような素振りをして‥

「その時は、何も気にしなかったんですけど、今言われればそんな気がします‥」

「あれは、渡辺さんの後ろの松蔵さんが言ったんだよ。うちの店は結界が張られているから、霊的なものは入れないんだ。中から誰かが許可を与えないと…だから松蔵さんは声をかけたんじゃないかな。どういう方か分からないので、一旦はお断りしたんだけど…」


「僕が許可しちゃったんですね…」


「そういう事」


 ちょっと洋ちゃんは困った顔をしたのだが、もう後の祭りだ。


「洋ちゃんは松蔵さんは見えないのかい?」

「見えません」


 う〜ん。松蔵さんの声は聞こえたけど、姿は見えないのか。純ちゃんははっきり見えるのに不思議なものだ。

 よく言われるように霊が見えるか見えないか、声が聞こえるか聞こえないかというのをラジオのチャンネルに例えられるよね。この周波数からこの周波数まで受信できるけど、その他の周波数は受信できない。 霊の波長によってその人から見えたり見えなかったりする…らしいという話。まぁそんなもんなのかな。



 俺達に取って、匂いを知らないから成仏できないというのは理解できないけれど、香道の家本となると自分が知らない匂いがこの世にある事が納得できないんだろうな。


「問題はこの後でしょ。私たちは霊能者では無いので、霊の希望を叶えて上げることはできないし、御先祖様ならどこかの霊能者に頼んで『払う』というわけにも行かないわよね」

涼子さんが話を続けた。


「霊は、食べても味覚も満腹感も無いし、この世に留まっている霊は匂いだって分からないから、そこの薔薇の匂いを嗅いでも満足できないでしょう。成仏した霊は匂いが食事だからお香がご馳走だって聞くけれど…  私達にはどうすることも出来ないわ」


 洋ちゃんは、責任を感じたのか、ちょと俯き加減だ… 


その時、純ちゃんが口を開いた

「匂いを感じさせることで成仏できるというのなら、何とかなるかも…」


 俺は思わず淳ちゃんの顔を見た。多分俺だけではなく、全員が淳ちゃんの顔を見ていただろう。


「ただ、ちょっと危険はあるかも…」

 淳ちゃんは続けた


「松蔵さんをこの中の誰かに憑依させて、その人に薔薇の花の匂いを嗅がせれば良いのよ。その人の嗅覚を通して憑依されている松蔵さんが匂いを感じ取る事ができる… かも」


「危険というのは?」

 俺は良いアイディアだと思ったんだけれど、危険と言うのはまず聞いておかなきゃな。


「一度憑依した人間から、匂いを嗅がせた後本当に離れてくれるか分からないというか保証がないから、ずっと憑依したままでいるかもしれない…」


 松蔵さんが口を開いた。

「もし私が薔薇の花の匂いを嗅ぐことができたら、素直に離れることを約束しよう」


 そう、『霊が話す事は迂闊に信用してはいけない』というのはあちこちで聞かれる事だ。


「とりあえず、まず薔薇だけ別の花瓶に生けてみるよ」

 俺はそう言って、入口の花瓶からバラの花だけ抜き取って、小さな花瓶に移し替えた。


「問題は誰に憑依してもらうかだけど…」

 淳ちゃんが言った。


「私の役目かな…」

 涼子さんが言い出した。


 『霊の話は迂闊に信用してはいけない』… とは言え身元もしっかり分かっているし、家本を務められた方だ。プライドもお持ちのはず。その辺の浮幽霊とは訳がちがう。涼子さんは愛美さんと色々な現場に行って場数を踏んで来たので、我々にはない経験をしている。その経験がそう感じさせているんだろう。


「マスターなんかあったらお願いね!」

「いやちょっと待ってよ、何かあったらって… お願いされても…」


「大丈夫だ。もし匂いを嗅げなくともすぐに離れる事をお約束する」

 松蔵さんが言った


「信用しますよ」

 涼子さんが微笑みながら言った。


「よろしくお頼み申す」


「ううぅうう‥」

 涼子さんが声を上げた…


『おいおい、だいじょうぶか?』

 いくら心配しても、俺たちは見ているしかないんだけど…


「おお! ワシが女子になっておる…」


涼子さんの声ではなかった。

俺は、涼子さん(いや松蔵さんか)の前に薔薇だけを生けた花瓶を置いた。

「おお! 確かに匂いがする。甘い香りじゃ」


「これが薔薇の花の香りか‥」

 涼子さん…いや、松蔵さんが感慨深そうに感傷に浸っているようだ。


「ん…うむ。 そうか、これがそうなのか…」

 涼子さん…の目からは涙が流れている…


「満足した…  皆々方… ありがとう… ありがとう…」


 涼子さんは、力なくカウンターに崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。

「ふぅ! どうやら上がったようね」

 今度はいつもの涼子さんの声だった。


「無事成仏できたんですね。良かった」

 聖ちゃんが口を開いた。


「成仏… というのは、何とも言えないけど、とりあえず行くべきところに行けたようね…」


「どう? 渡辺さん。左肩軽くなった?」


 渡辺さんは、どうやら半信半疑だったようだが、やはり目にはうっすら涙が溜まっているようだった。


「…そういえば、肩、軽くなりました… というよりなんか、体がいままでと全然違う感じです。それにこの薔薇の花の匂いも感じ取れます」


 お~! っと一同安堵の喜びの声を上げた。


 が、俺は一つだけ渡辺さんに釘を刺さなければならなかった。


「渡辺さん、一つお願いがあるんですが」

「なんでしょう? 私にできる事でしょうか?」


「今見た事は絶対に他言無用でお願いします。こういう話は噂になりやすいので… あそこに行けば、除霊してくれるなんて話が広まったら困るんです。私達は霊能者じゃないし、今回はたまたまうまく行っただけなんです」


「勿論、ぜっていに他言しません」

「御実家にも話さないでください…」


「洋ちゃんも絶対喋っちゃだめよ。喋ったら出禁だからね」

 淳ちゃんの一言は、洋ちゃんには絶大だ。


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