蕗の薹の天婦羅
その日は…
20時頃、涼子さんと聖ちゃんがやってきた。
「こんばんは、おや二人揃っては珍しいんじゃない?」
「こんばんはマスター ビルの前位で丁度出会ったのよ」
涼子さんはカウンターの一番奥、聖ちゃんはその隣に座った。いつもの席だ。
「プレモル生と、それに合うおつまみは…?」
「春野菜があるから、天婦羅にする?」
「良いわね。じゃぁ蕗の薹をお願い」
涼子さんは、料理と一緒にプレモルを飲まれることが多い。
「私も同じもので…」
「承知いたしました」
この二人がお見えになったら、当然奥から淳ちゃんも顔をだしたので、俺は飲み物をサーブして安心してバックヤードに向かった。
春野菜の天婦羅は、だいたい蕗の薹とタラの芽、それからもう一つ… というパターンが多いね。蕗の薹には独特の苦みがあって、子供の頃は苦手だったんだけど、最近はこの苦みがかなり気に入っている。所謂大人の味に慣れてきたわけだ。
苦みを大人の味なんて言うけど、実は味覚に関して言えば、子供の方が大人よりずっと敏感なんだ。特に苦みには子供の方が鋭い。『毒を感じる動物の本能』みたいなものかね? 大人になっていくうちにだんだん舌が慣れていく…というより馬鹿になっていくんだろう。
蕗の薹は、水気を取り、外側の汚れた皮を取り除いて根本の固い部分は切り落とす。蕾は開かせておくやり方と閉じておくやり方があるが、うちでは一つだけ開かせて、残りは全部閉じておくんだ。閉じておいた方が蕗の薹の独特の香りを持ったまま仕上がるんだけど、見栄えはやっぱり開いていた方が良いからね。
あとは普通の野菜の天婦羅と同じように打粉をして衣をつけて揚げるだけ。油切で余熱してお皿の上に敷紙を載せてお出しする。
「蕗の薹の天婦羅お待ち…」
カウンターでは、三人のガールストークが始まっていた。
「ねぇ、涼子さんは愛美さんと一緒にいたでしょ。怖い話って数多く体験したんじゃない?」
「ええっ! 淳ちゃんがそれ聞くの?」
涼子さんは驚いて、淳ちゃんの顔を見た。
「変ですかぁ?」
「だって、淳ちゃんの体験そのものが怖い話じゃないの?」
「う~ん、私の場合は、よく覚えていないというか…」
「まぁ、話したくないなら別に聞かないけど」
「うん。ごめんなさい、話したくない…部分も確かにあるんだけど、 …というより覚えてない事の方が多いかなぁ。…死んだ瞬間はお覚えてるんだけど、その後が朧で、気が付いたら幽霊になっていたって感じ」
涼子さんは、淳ちゃんの気持ちを察して、それ以上聴くことはなかった。
「で、涼子さんなんか怖い話無いの?」
「ええっ? やっぱり聞くの?」
目を輝かせて聞く淳ちゃんにどう答えて良いかわからなかった。
「怖い話といえば、聖ちゃんの従妹の敏子ちゃんのフィールド合宿の時は、本当に人が亡くなったので怖かったけれど、私自身は全く知らない方だったので、そんなに怖いという感じではなかったのよね。 多分私より聖ちゃんの方が怖かったんじゃない?」
「そうそう。私も直接の知り合いでもなかったんだけど、やっぱり知り合いの関係者が亡くなった事は凄くショックだったわ。私自身は怖くて直接死体を見ていないのだけど…」
聖ちゃんがしっかり答えを返した。
「そうねぇ、子供の頃は視えただけで怖かったんだけど…」
涼子さんが話し始めた…
「私は愛美さんのマネージャーという訳ではないんだけど、私の知り合いで、困った人がいたのを愛美さんが助けた事があったのね。その頃はまだ愛美さんも普通のOLをやっていて、霊能者を専門職としてやってなかった頃なの。それで、私の知り合いから聞いたという人がまた私のところにやってきて、助けてくれって話になって、愛美さんはボランティアでやっていたの。彼女は人が困っているとほっとけない性格でしょ。本当は霊能者というのをやりたいわけではなかったみたい」
「…」
「最初にその人の話を詳しく聞いて、それから家を透視してたみたい。その映像が私にも視えたのね、シンクロというか同調した感じかな…そうすると、ある場所だけ、どんよりしたところがあったのよ」
他の二人は言葉なく、聞き入っていた。
「で、私も紹介したてまえ、一緒に現場に行く事になったんだけど、もう行った途端にその家に黒い靄のようなものが視える訳… その場で帰りたくなったわ…」
涼子さんは、当時の事を思い出して身震いしたようだった。
「愛美さんは、招かれるままにその家に入っていくんだけど、私はその時点で怖くて後ろから辛うじてついて行ったという感じなのよ」
「愛美さんは家の人に簡単に自己紹介的な挨拶だけして、打ち合わせ通り、奥の方に入って行って…『ああここですね』っと言って何か暫くは、霊と話をしていたみたいなんだけど、どうも話が通じるとか言う問題じゃなくとても邪悪な物だったみたい。それで口の中で呪文みたいなのを唱えたんだけど… その後『涼子1ッ匹行くよ』って声がしたとたん、何? と思っていると、霊というかなんか得体のしれない顔が私の方に向かって突っ込んでくるのよ… 目が合っちゃって、それ迄で一番怖かったわ」
「その後というか、突っ込んできたやつはどうしたんですか」
淳ちゃんが食い入るように聞いてきた。
「私の体を通り抜けて行ったみたいなんだけど、愛美さんが式神というのかな…何かに命令して捕まえて滅したみたい。一瞬の出来事だったわ。愛美さんは、何というのかテレビの霊能者のように祈りとかはあまりないのよ。口元を見ていると何か呪文みたいなものを唱えているのか、式神みたいなものに指示しているみたいなんだけど、一瞬で終わってしまうの…」
まぁ、目が合った顔がこちらに向かって突っ込んで来たらそりゃ怖いわなぁ。




