鱚四品
次の日…
入口のドアプレートをClosedからOpenにして、店に入ろうとすると後ろから声を掛けられた。
「こんばんはマスター」
「洋ちゃん! こんばんは、今日は早いね」
ドアを開け、お客様を先に入れてドアを閉めると、洋ちゃんは黒板のメニューを眺めだした。
「魚は今日は何ですか?」
「鱚だな」
「天麩羅ですか?」
「天婦羅も良いんだけど、今日は新鮮なのが手に入ったから、刺身もお勧めだ」
「珍しいですね、僕鱚のお刺身って食べたことが無いのでお願いします。あ、それから天婦羅も」
「お腹減ってるんなら、白御飯もいるかい?」
「お願いします。この時間だからまだ食事してないんで…」
「じゃぁ、なめろうなんてものどうだい?」
「良いですね、白御飯に合いそうだ。じゃ飲み物は生で」
「承知いたしました。生と鱚三品定食ね」
うちで生と言えばプレモルだ。まずはジョッキに注いで洋ちゃんの前にお出ししてからバックヤードに入る。
洋ちゃんのお相手は、淳っちゃんにお任せしよう。
刺身は他の魚と同じで、鱗をとって頭をおとして三枚におろす。皮は松笠にしたり炙ったりしても良いんだけど、今回は包丁の峰で丁寧に剥ぐ事にする。なめろうにも使うので少し多めにさばいておこう。盛り付けた刺身は、天婦羅をやっている間冷蔵庫にいれて冷やしておくんだ。
天婦羅用にさばく時は頭を落として内臓をとってから背開きだ。内臓部分の痕を丁寧にとり、打粉をして水で溶いた天婦羅粉にまんべんなく絡ませて油へ入れる。
「天婦羅は蒸し料理」というのが俺の料理の師匠の口癖で、衣の中で素材自身の水分で蒸すように火を入れるんだ。あと余熱も大事だね。
なめろうは、さっき多めにさばいた刺身を使う。微塵切りにした葱、大葉とおろし生姜を細かく切った鱚の身と味醂、味噌とを丁寧に混ぜる。粘りが出てきたら完成だ。「さんが焼き」にしても良いんだけど、今回は生だ。
「鱚三品定食お待ち」
洋ちゃんのジョッキを見ると半分ほど残っていたので、俺はもう一度バックヤードに戻る。
洋ちゃんは不思議そうに、淳ちゃんに話しかけた。
「あれ、マスターまた行っちゃいましたね、どうしたんだろう?」
淳ちゃんは片肘をカウンターに着けて洋ちゃんの顔をみるようなポーズで言った。
「後でわかるわよ。冷めないうちにどうぞ」
因みに今日の淳ちゃんのスタイルは、オーソドックスなバーテンダーズベストに女性用のフォーマル・タイだ。これがうちの制服というか女性バーテンダーの制服なんだ。
「そうですね、いただきます」
さばいた分だけの背骨が残るので、骨煎餅を作る。
血合の部分があるので、塩水で丁寧に洗い落とし、本当は陰干しなんかしておくと良いんだが、時間が無いのでできるだけ水分を拭取って、そのまま素揚げだ。焦がすとまずいので油の温度はちょっと低めがいい。
カウンターに戻ってくると洋ちゃんは白御飯をほとんど食べ終えていた。
「鱚のお刺身って初めてだけど、さっぱりしていて、香ばしくて美味しいですね。天婦羅も、ホクホクしていて美味しいです」
「ありがとうございます… あっと、なめろうなんだけどね… そのまま食べても勿論良いんだが、御飯の上に載せて茶漬けにしても旨いんだよ」
「あそうですね… もう御飯ほとんど終わっちゃいました」
「お代わりするかい?」
「はい。じゃぁ軽くお願いします」
「承知しました」
「はい、御飯お代わりと、茶漬け用の出汁だ」
「ありがとうございます」
「それから、これはサービスの骨煎餅。食後の酒と一緒につまむと良い」
「わぁお! ありがとうございます」
食事を終えた洋ちゃんが唐突に口を開いた。
「マスターは、都市伝説は全て無いと思われているんですか?」
どうやら、昨日のやり取りを少々根に持っているらしい。
「そうだねぇ。オーパーツというのはかなり否定的なんだけど、都市伝説はさ… どこまでが都市伝説かっていう境目が曖昧なところがあるから…」
「と、いいますと?」
「例えば、数年前だったかな、シーズとかいう病気が流行っただろ?」
「中国とか韓国とかその他の国で問題になった病気ですよね」
「そう、幸い日本では発生しなかったけどね」
「それが都市伝説とどう関係あるんですか?」
「その病気は、中国の湖北省が起源だっていわれているんだ」
「そうですよね」
「シーズは、実は中国で開発された細菌兵器だっていう話があるよね…」
「え? そうなんですか?」
「表向きは、市場で売られていたコウモリかなんかが未知のウィルスを持っていて人が噛まれただかなんかして感染したという事になっている」
「僕もそう聞きました」
「そう表向きの発表とは別に、その市場の近くにウィルス研究所があって、そこで細菌兵器が作られていてそれが漏れて出たという説があるんだ」
「へ~! 知りませんでした」
「この細菌兵器だっていう、説(というか考え方)は、所謂都市伝説と一般では思われているんだよ」
洋ちゃんは、都市伝説ファンな割に、この話は初めて聞いたようだ。
「根拠が曖昧なんだ。 信じるに足りる根拠が何もない…」
「…」
「この根拠が何も示されていない話は、都市伝説の特徴だよね」
「…」
「でも、私はこの細菌兵器話を信じているんだ」
「根拠のない話をマスターが信じているんですか? 意外ですね」
「根拠はないから、話としては都市伝説ってことになるんだけど、何となく信じてる…かな。 つまりそういう意味で都市伝説を全否定ではなく、一部信じてるってことになるかな」
「なんとなく…というところはマスターらしくない感じがしますけど、マスターはなんか情報があるんじゃないですか?」
「ん~ 状況だけを積み重ねると、結果的にそうなっちゃうというか…
・病気の発生は武漢で、武漢には軍需用ウィルス研究所がある。
・そこでは、コウモリ保有…のほか未知の病原体の研究をしていた。
・そこから、研究用の病原体が漏れた疑いがある。
・という事をその研究所からアメリカに亡命した研究者が語っている(らしい)。
・他の国のウィルス研究者が、武漢のウィルスに明らかに人為的に細工を加えた痕跡があると言っている。
という事だね。 まぁ、ネットの中の情報だからどこまで信憑性があるか疑わしいんだけどね」
「…」
「何と言っても一番疑わしいのは、ワクチンが中国でいきなり開発された事なんだ」
「え? どういう事ですか?」
「細菌兵器を作る時は、同時にワクチンも開発するってことだよ。 もし有事の時にその細菌をばらまいて、自国の兵士が病気になってもらっちゃ困るのはわかるだろ?」
「そうですね」
「だから、細菌兵器を作る時はセットでワクチンも作るのが常識なんだ」
「なるほど」
「思い出してごらん、中国が臨床実験の中間報告もなく、いきなりワクチンがあるって発表しただろ、中国がワクチンを開発しているなんて話さえもなかったのに、突然出てきた…」
「そういえば突然でしたね」
「だから、中国がいきなりワクチンを出してきたってことは、このウィルスが蔓延するかもどうか分からない状況のなかで、既に開発中だったって事だよ」
「証拠みたいなもんですね」
「そう、正に証拠と言ってもいい」
「都市伝説だからって全てを否定するんじゃなくて、何の話でも興味を持って調べてみると意外な事が分かって面白いんだ。昨日も言ったようにファンタジーとして考えるなら、なんでもありだと思うよ」
「そうなんですね…」
「あと、ありそうな話ってのも割と面白くて… なぜオーストラリアが南氷洋での日本の捕鯨を反対しているのかって話聞いた事あるかい?」
「いえ、知りません。動物愛護の観点じゃないんですか…?」
「まぁ、これも都市伝説に近い話なんだけど…」




