第95話 帰ってきた勇者
な、な、なっ!? なんでっ!?
口づけをされつつ俺は困惑する。
「な、なにをしてるんだお前ら?」
同じくミルバーシュさんも困惑している様子で、ミャームのほうは口をあんぐり開いて呆然とこちらを眺めていた。
俺も何をしているのかわからない。口を塞がれているので聞くこともできず、動くなと言われているのでされるがままでいるしかなかった。
「ん……ちゅ」
「んんっ!?」
口の中にナナちゃんの舌がっ?
それを舌で押し戻そうとするも、ヌルリと絡むだけで意味を為さない。なんどもそれを繰り返すが、やっぱり絡むだけでナナちゃんの舌は俺の口から引くことはなかった。
「はむ……んぅ」
ナナちゃんは俺の首を抱いてますます密着して口内を吸ってくる。口の中はペロペロと舐めまわされ、なんとも……心地良い。温かい舌が舌に絡み合うこの感覚は頭を蕩けさせる……。
てかこれって普通の口づけよりもっとエッチなことなのでは? い、いや、それを考えるよりも、なんでこれでシャオナが救えるんだ? 全然わからん。俺でなくてもわからんと思うが……。
「んん……ちゅう」
「む、んんぅ……」
な、長い。どうなるんだこれから……。
「おいお前ら、なにがしたいのかわからないけど、いいかげんに……うん?」
「?」
なにかが駆ける足音が近付いて来る。すごい速さで……。
「ちゅ……ぷはぁ……む、来たようじゃな」
「き、来たって……」
ようやく唇を離したナナちゃんが通りの奥へ目をやる。
その方角から、誰かが走って来るのが俺にも見えた。
「あれは……えっ? ティア?」
怒って村へ帰ったはずのティアがすごい速さでこちらに迫っていた。
「よし、魔法をかけなおせミャーム」
「えっ? あっ、うんっ」
我に返った様子のミャームが両手を組み直す。と、ふたたび青く薄い光が周囲を包んだ。
「この……ガキ女がぁぁぁ!!! やっぱり殺すっ!」
「ぎゃーっ! むっちゃ怖い人っ!」
ティアを目にしてシャオナが叫ぶ。
彼女にとってティアは恐怖の対象でしかないようだ。
「ま、待てティアっ! なんでお前ここに……おごぉっ!」
走って来た勢いのまま腹に頭突きを食らって吹っ飛ぶ。
もちろんティアのことだから手加減はしているのだろうが、痛い。
「て言うか、なんでマオ兄さんはこいつにおとなしくキスされてんのさっ! おかしいでしょっ! ねえっ! おかしいでしょっ!」
「お……お、おかしいけど、それよりなんでお前ここに……? 村へ帰ったんじゃ……」
よろよろと立ち上がりながら問う。
「ずっとナナたちについて来ていたんじゃ」
答えたのはナナちゃんだった。
「ずっとついて来てた? って、えっ? 最初から?」
「そうじゃ」
「俺は全然、気付かなかったけど、ナナちゃんは知ってたの?」
「まあ、なんとなくの」
ナナちゃんの目がティアへ向く。
「ナナがティアなら、きっと同じことをすると思ったのじゃ。にーにが心配じゃしな」
「俺が心配……」
言われてみれば俺を追って魔王討伐を放り出したほどだ。心配してついて来ていてもまったく不思議ではない。
「確信したのはシャオナの鎧を買ったときじゃがな」
「鎧を……あっ」
そういえばと思い出してみれば、シャオナの鎧を買ったとき外でチンピラ集団がボコボコになって倒れていたことがあった。あれは恐らくティアが荷馬車の荷物を守ってくれていたのだろう。小石を額に当てられたこともあったが、あれもティアの仕業だったのかな……。
「ガキ女……もしかしたら私を誘き出すためにあんなことしたのか?」
「逆の立場ならナナも飛び出してにーにをひっぱたいてやったしの」
「……気に入らないな。お前なんかに私を知られているようでさ」
「知っているのはナナと同じくらい、お前がにーにを想っているということだけじゃ。それ以外はどうでもいいし、興味も無いから安心せい」
「あ? 同じ? 同じじゃねーよ。私のほうがお前なんかよりずっと……」
と、そこまで言ってティアは俺を見て黙った。
「ティア? お前、ライアスさんとこのティアか?」
「ああ?」
ミルバーシュさんの問いかけにティアは睨みで返す。
「なんだあんた?」
「あたしはミルバーシュ。そこに倒れているハシュバントの娘だ。ライアスさんに聞いたことないか?」
「知らねーよ。てか聞いてても興味ないことは忘れるし」
「……そうか。まあいい」
なんだろう? つまらなそうだったミルバーシュさんの表情が今は嬉しそうだ。
「確か勇者だったね、君は」
「なんの話だ? 聞いたことも無い」
とぼけている? ……いや、本気で忘れてるかも。興味の無いことは本当に記憶から消去して無かったことにするからあいつは。
「ふふ、とぼけなくてもいい。ライアスさんの娘ティアが勇者だと父に聞いたことだ」
「ねえマオ兄さん、なにこの女? はっ! まさかこいつもマオ兄さんをたぶらかす悪い女かっ!」
「い、いやなんでそうなる? そうじゃないよ。この人は親父やライアスさんが傭兵をやっていたころの仲間の娘さんで、いろいろあって今シャオナを殺そうとしてるんだ」
「あ、そうなんだ。じゃあ良い人じゃん」
ここに来て初めてティアはにっこり笑う。
「さーどうぞどうぞこの乳牛女を殺してくださいよ。この女が死ねば全部まるっと解決。私らは無事に村へ帰れるってもんよ」
「そ、そんなひどいですよーっ」
「うるせえっ! てめえなんかとっとと死ねっ!」
「ひどいー!」
確かにひどい。
「い、いや、シャオナは友達なんだ。助けてあげないと……」
「私の友達じゃないし。むしろ敵だし」
「なんでそんなにシャオナを嫌うんだよ?」
「この女が、というよりマオ兄さんに近付く女はみんな嫌い」
「いやまあそれは知ってるけど……」
なんで俺に近付く女をこんなに嫌うんだろう? 本当に。
「ティア、お前があたしと戦って勝てばそこの女を見逃してやってもいいぞ」
「話聞いてたか? 私はこの乳牛を殺してくれたらありがたいんだ」
「しかしお前の友達はその女を殺されたくないようだぞ」
「わかってる。はあ……」
心底うんざりと言った風にティアはため息を吐く。
「そこの乳牛が殺されるのは構わん。けれど乳牛が殺されると、守れなかったマオ兄さんの心が後悔で傷つく。こんな奴が殺されてマオ兄さんの綺麗な心が傷つけられるのは許せない。だから不愉快だけどこいつは見逃してもらう」
「ふっ、だったら腰の剣を抜きな。まずは力量を計ってあげるよ。お前の剣があたしのどこかに触れればお前の勝ちで……」
「あ? そんなの面倒くせえよ。こうしよう」
そう言ってティアは自分の首を掴む。
「あんたの剣で私の首を落とせたらあんたの勝ち。落とせなかったら私の勝ちだ」
「な、なに?」
初めてミルバーシュさんの表情が困惑に歪む。
「聞こえたろ。二度は言わん」
「馬鹿にするなっ! あたしは傭兵だぞっ! これがおもちゃに見えるかっ!」
背中の黒剣をミルバーシュさんは抜き放つ。
おもちゃではない。そんなのは剣に詳しくない俺でもわかる。しかしティアは、
「早くしろよ」
冷たい声でそう言い放つだけだ。
「くっ……あたしを舐めているのか?」
「うるせえ。早くしろって言ってんだろ。イライラしてんのをさらにイラつかせんな」
「お前……っ。だったらっ!」
なにをする気なのか、ミルバーシュさんは両腕の防具を外す。
「これを見ろっ!」
眼前に両腕を掲げる。
その腕になにか……文字が書かれているような……。
「ほう、あれは魔記術じゃな」
「マキジュツ?」
ってなんだろう? 聞いたことない言葉だ。
「母上に聞いたことがある。魔物の血を飲んだナレドの者は魔物の力を得る。それを魔法と言い、力の源泉を魔力と言うんじゃが、その魔力を文字として書き出せるのが魔記術士という者じゃ」
「えっ? じゃあミルバーシュさんはナレドの人ってこと?」
「そうではない。魔記述士は魔力で文字を書く。どんな文字かは知らんが、それを人体に書けばその文字が消えるまで魔法が使えるそうじゃ。自分で魔法が使えるなら魔記術はいらん。ミルバーシュ自信は恐らく魔法使いではないじゃろう」
けれど魔法が使える。一体どんな魔法を……。
ミルバーシュさんの腕に書かれた文字がぼんやりと輝く。その光は腕を伝って全身を覆う。
「これは肉体強化の魔記述だよ。ひとつで身体能力は10倍。そしてここには同じ魔記述が2つある。これがどういうことかわかる?」
「2つで20倍じゃな」
ただでさえ強いミルバーシュさんの身体能力が20倍も強化されたことを、ナナちゃんは冷静な声で答えた。
「も、もうだめですぅ! 私ここで死ぬんですぅ!」
泣き叫んで悲観するシャオナ。20倍と聞けばしかたないだろう。
「さあ、これでもあたしを舐めるか勇者ティア」
「うだうだうるせえよ」
だがティアの声音はまったく変わっていなかった。
「早くしろって何度言わせんの? 耳ついてんのか?」
「なっ……」
驚きの表情でミルバーシュさんはティアを見る。
「ナ、ナナちゃんの言葉を聞いていなかったのかな? 今の私は身体能力が20倍だぞ」
「あんたこそ私の言葉が聞こえてんのか? 私は、首を、あんたの、剣で、斬り落とせたら、あんたの勝ちで、いいって言ってるんだよ」
「……ふ、わかったよ。あたしが剣を振り下ろす直前に避けて反撃をするつもりだね」
「しねぇよ」
「わかってるんだよっ!」
しびれを切らしたらしいミルバーシュさんが剣を振り上げて駆け出す。
「避けれずに死んでも恨まないでよっ!」
振り上げた剣がティアの首へと横薙ぎに振り下ろされる。しかしティアは微動だにせず……
「えっ? 避け……なぁっ!?」
首に当たって振り切られた黒剣が中心から粉々に砕ける。
振り切った体勢のまま、ミルバーシュさんは呆然と動かない。
「えっ……? えっ? なに? なにこれ? あたしの剣のほうが……折れちゃった?」
当然の戸惑いだろう。
しかし俺は特に驚かない。ずっとティアの側にいて、ティアの強さを見てきたのだ。魔人ドラゴドーラにやられた傷を除けば、戦いで傷を負ったことはない。いくらミルバーシュさんが強かろうと、その人がたかが20倍強くなった程度でティアに傷を負わせることなどできない。俺はそれをわかっていたので、心配も驚きも最初から微塵もなかった。
「私の勝ちだ。いいな?」
「えっ? あ、はい……」
地面に散らばる砕けた剣身を見つめながら、ミルバーシュさんは放心した声で負けを認めた。
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