第94話 黒い餓狼の襲撃
ミルバーシュさんだ。丁度良く帰って来たんだな。
書置きは必要なかったなぁって、ぼんやりと思う。
「ああ、帰って来たんだね。仕事は終わったの?」
「うん。今さっき必要なものを依頼主に届けてきた」
「そっか。父さんちょっと出掛けるんだけど、帰りはいつになるかわからないから……」
「それよりも父さん、あの仮面の女はどこ?」
「仮面の女? シャオナさんのこと? どうして?」
「仕事のあと処理だよ」
仕事のあと処理? それがシャオナとどんな関係があるんだろう?
「仕事のあと処理って、なんでそれにシャオナさんが関係あるんだ?」
「殺さなきゃならない」
「こ、殺すってお前、なにを言って……」
「黒い鎧の傭兵……ハッ!」
そのとき俺は気付く。いや、その可能性をもっと疑うべきだったのだ。
シャオナを襲った黒い鎧の傭兵。黒い餓狼と呼ばれる女傭兵とは……あの人。
「ミルバーシュさん……あなたがイルーラ姫殺害を依頼された傭兵だったんですね」
「……マオルド君、君があの女とどういう関係かは知らないけど、あたしにも事情があるんだ。悪いけどやらせてもらうよ」
本気だ。ミルバーシュさんの目は本気でシャオナを殺すと言っていた。
「シャオナは友人です。わかりましたって、殺させるわけにはいきません」
「……君は父の恩人の子だ。殺しはしない。けど」
ミルバーシュさんは背中の剣に手を触れる。
「あたしもこの件は命懸けだ。下手をすれば父さんの命にもかかわる。どうしても女を守るというのなら、腕の一本は覚悟するつもりで立ちはだかるといい」
「う……」
そう言われても引く気は無い。
戦う気も無いし、説得……するしかないだろう。
「ミャーム、この周囲から人避けを」
「あ、は、はいっ」
指示されたミャームが青くぼんやり光る両手を握り合わせる。と、握り合った両手から薄く青い球形の光が膨れ上がっていき、あっという間に店の周囲を包んだ。
魔法のことはあんまり知らないけど、これで無関係の人が近付くのを防げるのか。衛兵に通報でもされたら面倒だから、これはありがたい。
「人避けの魔法か。まあ都合が良いな」
言いながらミルバーシュさんは背中の剣を抜く。
「ミルバーシュさん、あなたやハシュバントさんの命にかかわるってどういうことなんですか? 話していただければ、こんな乱暴なことをせずに解決する方法が思いつくかもしれません」
「無駄だよ。庶民にどうこうできるほど小さな問題じゃない」
暗い表情でミルバーシュさんは答える。
一体どれだけ大きな問題を抱えているのだろう。
説得できるのか? できなかったら……どうしよう。
「ま、待つんだミルバーシュっ」
「父さんは黙ってて」
「そういうわけには……」
「父さん」
ひどく落ち込んだような声。
それから少しのあいだ無言だったミルバーシュさんの口がゆっくりと開く。
「……これからすごく変なことを聞くよ。なにを馬鹿なことをって思ったらすぐに否定してほしい」
「えっ?」
「父さんは昔、盗賊をやっていてあたしの母さんを殺したって事実なの?」
「ミ、ミルバーシュ、それを誰に……」
「そしてあたしを拾って育てた。なるほど。その様子だと事実みたいだね」
「……いずれは話そうと思っていた」
ハシュバントさんが重々しい口調で言う。
「それは真実だ。お前が望むなら……その剣で俺を斬るといい」
ま、まさかそんなこと……。
止めの言葉を発しようとする俺の手をナナちゃんが掴む。
「待て。様子が変じゃ」
「えっ?」
見るとミルバーシュさんはハシュバントさんから視線を逸らし、なにか考えるように俯き、地面を凝視していた。
「やはりあの女が言っていたことは本当か。まさかすべて真実とは。何者だったんだあの女は?」
あの女? 誰のことだろう?
「ミルバーシュさん」
俺の前にルナリオ様が立つ。
「あんたは……ルナリオ様か。どうしてあんたがここに?」
「事情がありましてね。今はハシュバントさんやマオルドさんたちと行動しています。それよりもミルバーシュさん、さっき庶民にどうこうできる小さな問題じゃないとおっしゃいましたね? では私ではどうでしょうか? 私の立場で解決できるならばご協力しますよ」
そうか。庶民の俺たちでは無理でも、王族のルナリオ様なら解決できる問題かも……。
「……確かに、あんたならどうにかできるかもしれない」
「それならば……」
「しかしすでに金は受け取っているんでね。あんたに解決してもらうとなれば、それを返さなきゃならない上に、面倒な敵を作ることになる。この国にはいられなくなるほど面倒な敵をね」
「敵? それはどなたのことですか?」
「それは言えない。だけど、どうしても聞きたければ……」
ミルバーシュさんの持つ黒剣の切っ先がルナリオ様へ向く。
「あたしと戦って勝ってみろ」
「ミ、ミルバーシュっ!」
慌てた様子のハシュバントさんがミルバーシュさんに駆け寄る。
「なにを馬鹿なことを言ってるんだっ! その剣を下げろっ! この方をどなただと……」
「黙って。今いいとこだから」
そう言うミルバーシュさんの顔は不敵に笑っている。目はじっとルナリオ様を凝視し、カッと見開かれていた。
「あんた強いんでしょ? 知ってるよ。あたしとどっちが強いか……試してみようよ」
嬉しそうな声音でミルバーシュさんは言う。
好戦的……。彼女の目はそういう目だ。
「私が勝てば、あなたの問題をすべて私に委ねていただけますか?」
「いいだろう」
「……ふむ。女性と戦うのは不本意ですが、しかたありませんね」
ルナリオ様の右手が腰の剣に触れる。
「お、お待ちくださいルナリオ様っ!」
腰の剣を抜こうとするルナリオ様の側で声を上げたのはミャームだ。
「あれは黒い餓狼とか呼ばれてる凄腕の傭兵ですっ! あんなのと戦ってあなたが怪我でもされたらエミーリア様がどんなにお心を痛められるか……。おやめくださいっ!」
「ミャーム」
ルナリオ様の手がミャームの頭を撫でる。
「私は男だ。母を悲しませても戦わねばならないときがあるんだよ」
「け、けれど……」
「下がっていなさい」
ミャームから離れて腰の鞘から剣を抜き放つ。
「安心してください。殺しはしませんから。そういう戦い方も心得ています」
「上品だね」
「?」
なにを思ったか、ミルバーシュさんは手に持っている黒剣を背中に戻す。
もしかして戦うのをやめた? いや、そういう顔ではないが……。
「あたしもあんたを殺すつもりはない。偉い人を殺すと面倒だからね」
「ならば素手で戦うのですか?」
「いや……」
ミルバーシュさんの手が自らの胸に触れる。
「その剣で私のどこかに傷をつけられたらあんたの勝ちでいいよ」
「……それでよいのでしたら願ってもないことです」
地面を蹴って駆け出したルナリオ様がミルバーシュさんに一瞬で近付く。
速い。瞬く間だ。
そして剣が振り下ろされ……
「あっ! えっ……?」
消えた。触れたと思ったそのとき、ミルバーシュさんが姿を消した。
「ここだよ」
いたのはルナリオ様の背後。
そこからミルバーシュさんは彼の首を手刀でトンと叩く。
「う……あ」
そのままルナリオ様はうつ伏せに倒れる。
「ル、ルナリオ様ぁっ!」
名を叫びつつ、ミャームが駆け寄って行く。
「ルナリオ様っ! ルナリオ様っ! しっかりしてくださいーっ!」
「気を失ってるだけだよ。そのうち目を覚ます」
つまらなそうに言うミルバーシュさんの言葉に俺はとりあえず安心する。
けどまさかルナリオ様があんなにあっさりやられてしまうなんて……。
ミルバーシュさんの強さは本物だ。俺ならもっとあっさりやられていたと思う。
「……ふぁ……なんか騒がしいですねぇ。どうしたんですかぁ?」
そのとき馬車の中から眠そうなシャオナが姿を現す。
「あ、シャオナ出て来ちゃダメっ!」
「えっ? あ……ひっ!?」
ミルバーシュさんを目にしたシャオナの顔は恐怖に引きつり、足をふらつかせてそのまま馬車に尻をついた。
「そこにいたか」
まずい。
俺は急いで馬車の前へ走り、そこへ向かおうと歩き出したミルバーシュさんの前に立ちはだかる。
「今度は君があたしと遊ぶのかい?」
「くっ……」
俺では勝てない。
情けないけど、こうして立ちはだかったからと言ってどうすることもできないとわかっていた。
「シャオナは友達なんです! 殺すなんてそんなことはやめてくださいっ!」
「悪いけど無理だね。そいつを殺さなきゃ自分の命にもかかわる」
一歩一歩とミルバーシュさんがこちらへ近付く。
説得はできそうにない。どうする? 戦って止めるとすればあれを使うしかないが……。
「にーにも戦うのかの?」
側へ来てナナちゃんは言うが、
「いや、俺が戦ってもたぶん、いや、絶対に勝てないと思う」
「ならばシャオナが殺されるだけじゃ。ナナはそれでもいいが、にーにはよくないじゃろ?」
「そ、そうだけど、それに俺、勝てるとか勝てないとか関係なく女の人とは戦わないって決めてるんだ。信念ってやつだよ」
「くだらん信念じゃが、まあにーにらしいの」
はあ、とため息を吐かれてしまう。
話をしているあいだにもミルバーシュさんはどんどんとこちらへやってくる。
「やめるんだミルバーシュっ!」
止めの言葉をかけつつ走り寄ったハシュバントさんだが、
「う……」
ルナリオ様と同じく首に手刀を打たれて倒れ込んでしまう。
だめだ。ここで立ち塞がっていても、同じことになるだけだ。
シャオナを連れて馬車で逃げるか? いやだめだ。御者台に上っている余裕など無い。
どうするどうする……。
必死でシャオナを逃がす方法を考える。
「マ、マオルドさん……」
背後からシャオナの泣きそうな声が聞こえた。
「ありがとうございます。けどもういいです。これ以上、私のことでマオルドさんや他の皆さんに迷惑はかけられませんし……」
「だめだ」
俺はシャオナの言葉を一蹴する。
「君を見捨てるなんて俺にはできない。なんとか……なんとかするっ!」
最悪、ガーディアンを使ってでも……。
「できないよ。戦わなくてもわかる。君は弱い」
「それでも女の子を守るのが男ですっ!」
「立派だよ。けど、弱くてはなにも守れない。君は今からそれを学ぶことになる」
「う、うう……」
その通り。弱くてはなにも守れない。ドラゴドーラとの戦いですでに学んだことだ。
やっぱりなんとかしてガーディアンを使うしか……。
しかしあのときのような感覚が訪れない。
恐らくガーディアンは使えないだろうとなんとなく自覚できた。
「くっ、どうして……俺はこうも無力なんだ」
もっと強ければ。もっと鍛錬を積んでおけば。こんなことにならなかったのにっ。
今さら自分の無力を嘆き、弱いことが悔しくてたまらなかった。
「もうどけ。君がそこにいたってなにもできないよ」
「わかってます。けれど……できません」
「だったら気を失ってもらうだけだ」
……しばらくしたら俺は気絶して地に伏すだろう。
シャオナを守れず、そうなるだろう自分は男としてまったく惨めであった。
「ふむ」
ナナちゃんが俺の服を引っ張る。
「あの乳牛女が死んだらにーには悲しむかの?」
「も、もちろんだよ。友達だし……」
「にーにが悲しむとナナも悲しいのじゃ。しかたない。ナナとしてはあの乳牛など死んでも構わんが、救ってやるとするかの」
「えっ? ど、どうするの? ナナちゃん」
ナナちゃんが戦う……わけないし、なにか説得の言葉でも思いついたんだろうか?
「まずはにーに、屈むのじゃ」
「あ、うん」
「あと口を半開くのじゃ」
「えっ? あ、うん……」
なにをするのかわからないが、とりあえず言われた通り屈んで口を半開く。
これでどうシャオナを救うのか、俺にはさっぱりわからない。けど、きっとナナちゃんのことだからこれでどうにかなるんだろうと従った。
「ミャーム、ナナがよいと言うまでその魔法を解除するのじゃ」
「なっ!? 年下のお前がミャームに命令するなーっ!」
「ならばお前のせいで人が死ぬだけじゃ。にーにのせいではなく、お前のせいでシャオナが死ぬのなら別にナナは構わん」
「ナ、ナナちゃん……」
なんとも無茶苦茶な責任の押し付けである。
「にーには黙って口を半開いておればよい」
「ふぁ、ふぁい」
「まさか周囲の人間に助けでも求めるつもりかな?」
ミルバーシュさんは足を止めておもしろそうにこちらを眺めていた。
「まあそんなところじゃ。それでどうするミャーム? お前のせいで人が死んでもよいのか? 人殺しになってもよいのか?」
「そ、そんなのミャームは悪く……」
「ルナリオは悲しむじゃろうな。お前が協力しなかったせいでシャオナが死んだと知ったら」
「う……ええーいっ! わかったのだっ!」
大声を上げつつ、ミャームは青く光る両手を離れさす。
「よし、魔法の効果は消えたの。にーに、動いてはならんぞ。動けばシャオナが死ぬと思うのじゃ」
「えっ? んんっ!?」
不意に、俺の半開いている口をナナちゃんの唇が覆った。
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