第90話 芽生えた恋心
盗賊たちの乗っていた馬を集めて連れ、3人は走ってきた荒野を戻って行く。
馬はたくさんいる。しかしカナリアはヘイカーと同じ馬に乗ることを希望し、彼の前に座っていた。
「すみません」
「えっ?」
不意に聞こえたヘイカーの謝罪にカナリアはうしろを振り向く。
「あなたの頬に傷を負わせてしまって」
「あ……」
そういえばと思い出し、頬を撫でると指がわずかな血に濡れた。
「平静なつもりだったんですけど、若さですかね。少し焦っていたようで、集中をかいていたようです。女性の顔に傷をつけてしまうなんて……本当すいません」
「いえそんな……」
こんな小さな傷なんて痛みすら忘れてしまうほどだ。それなのに彼は本当に申し訳なさそうな顔でカナリアを見下ろしていた。
「お気になさらないでください。むしろこんな傷のことであなたが心を痛めてしまうことが、私にとっては辛いことです。だからどうか気に病まないようお願い致します」
「そ、そうですか。わかりました。カナリアさん」
そう言って微笑む彼の顔を見つめてカナリアの心は熱くなる。
「どうしました? 顔が赤いですよ?」
「あ、いえ……なんでもありません。少し暑いですね」
「そうですか?」
と、ヘイカーは首を傾げた。
「あ、これお返ししますよ」
「えっ? ……あ」
渡されたのは自分が森で捨てた弓であった。
「私の弓……ではご自分の弓は?」
「俺は弓を使いませんから。普段は」
「どうして? あんなに弓がお上手なのに」
自分などよりずっと上手い。
達人の腕前であるとカナリアは賞賛していた。
「弓は……その、人を殺した感覚が残らないから……怖いんです」
「怖い?」
「はい。人を殺した感覚が手に残らないと、人殺しに慣れてしまいそうで怖いんです。弓で人を殺し続けたら、いつか殺人をなんとも思わなくなるんじゃないかって」
「まあ……」
そんなことは考えたことも無かった。
殺人に慣れるのは怖い。本当にそうだ。彼に言われて初めてそれに気付いた。
「あ、でもこれは俺のことですから。カナリアさんが弓で悪人を殺すのを躊躇したりしないでください。戦場での迷いは自分の命や大切な人を危険に晒すことになりますから」
「は、はい」
良い人だ。
いや、それは以前に会ったときからわかっていたこと。今はあのときよりも彼のやさしさを強く実感できていた。
「人を殺すことに慣れたくないか」
隣を馬で歩くキーラキルが小声で言う。
「しかしどうせお前は悪人しか殺さないだろう。慣れて問題があるのか?」
「あるさ」
「どんな?」
「人を殺すのをなんとも思わない腕で愛する女は抱けない」
「あ……」
ヘイカーの言葉を聞いたカナリアの胸は増々と熱くなる。
ああ、なんて素敵なことを言う人だろう。
迷いも無くこんなことを言える彼を心の底から格好良いと思った。
「くだらない」
だがキーラキルは彼の言葉を辛辣に一蹴する。
「そんなことはないさ。命の大切さを知っているから、男は女を愛せるんだ。命の大切さを忘れたら女は愛せない」
「……」
「それに悪人だって最初から悪かったわけじゃない。生まれた環境が良くて、やさしい両親がいれば心優しい人間に育っていたはずだ。それを無感情に殺すのは気の毒だよ」
「ヘイカー様……」
悪人に対してもこんな感情を持てるなんて、本当に心優しい人。そして強くもある人。
カナリアはもっとヘイカーのことを知りたくなった。
「あ、あの……」
「あ、セルバートさんたちですよ」
「えっ?」
顔を上げると、セルバートら3人の乗る馬たちがこちらへ近付いて来るのが見えた。
「カナリア様っ!」
「セルバート……あっ」
愛馬の手綱が託され、それを握るとヘイカーは馬上から地面に降りる。
「彼はお返ししましたよ」
「は、はい」
「良い馬です。大切になさっているのですね」
「ええ。本来ならばあなたのような方に乗っていただいたほうがこの子も力を発揮できるのでしょうが……。そうだ。この子はあなたにお譲りしましょう。そのほうが良いと思います」
「いえ、こいつはあなた以外には懐きませんよ。俺を乗せて走ってくれたのはあなたを助けるためで、きっと実力以上の力を出して走ってくれたんだと思いますし、あなたのもとで大切にしてやるのがいいですよ」
「……そうですか」
わかっていた。この子が自分以外に懐かないこと。
ヘイカー様を乗せて走ったのは、自分を救うためだとカナリアは理解していた。
それでも愛馬を譲ろうと提案したのは、彼との繋がりが欲しかったから。なにも繋がらず彼と離れるのは辛かった。
「カナリア様、よくぞご無事で……」
馬から降りた3人が地面に跪き言う。
「セルバート、迷惑をかけました。申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに……」
「いいえ、あのような事態を防ぐことのできなかったこのセルバートにすべての責任がございます。いかような罰も私ひとりがすべて受けましょう」
「待ってくださいセルバートさんっ! あなたひとりで責任を負う必要は無いっ!」
「そうですっ! 我々にも責任はありますっ!」
ガルシェとノイリスがセルバートを庇って声を上げる。
「あなたがたや他の誰かを罰するつもりはありません。もしも罰しなければいけないとするならば、それは討伐隊のリーダーである私でしょう。全責任は私にあります」
「カ、カナリア様それは……」
「この件は城に?」
「あ、は、はい。万一に備えてバルドを城に向かわせております。何事も無ければすでに国王様のお耳に入っていることかと……」
「そうですか。では急いで王都へ戻り、私の無事を知らさねばなりませんね」
そう言ってからカナリアはヘイカーのほうを向く。
「ヘイカー様……と、キーラキルさんにはお礼をしなければなりませんね」
「いや、礼なんて。俺はただ仕事をしただけで……」
「礼ならば私はこの馬をもらおう」
言葉を挟んできたのはキーラキルだ。
彼女はセルバートの馬を軽く歩かせつつ、冷ややかな声音でそう言った。
「うむ。いいだろう。大切な馬だが、断れる立場ではない。大切にしてやってくれ」
「もらった以上は私の馬だ。扱いを指図される覚えはない。しかしこれは良い馬だ。健康を維持できるよう努めよう」
「頼む」
立ち上がったセルバートはガルシェとノイリスに指示して馬に乗らせ、最後は自分が適当な馬を選んで馬上へと跨った。
「明日、ジャスティスの本部へいらしてください。そこで報酬のお渡しと、酒宴を設けたいと思います。今回の依頼を受けてくださった皆様と共に」
「あ、はい」
「ヘイカー様、キーラキルさん。本当にありがとうございました。あなた方は国の英雄です」
「お、大袈裟ですよ」
「いや、カナリア様を救った君たちの功績は大きい。もう気付いているとは思うがこの方は……」
「セルバート、その話はあとにしましょう。今は早急に城へ戻らなければなりません」
「は、はい」
「では御二方、また明日にお会いしましょう」
カナリアが頭を下げると、セルバートらも続いて2人にこうべを垂れた。
それから2人を残し。その場を離れる。
ヘイカーと離れることが少し名残惜しい。
しかし自分の立場を考えると、ここは別れるしかないとわかっていた。
「ヘイカー様……」
「カナリア様? なにかおっしゃられましたか?」
「いいえなにも。そんなことより急ぎますよセルバート。大事になる前に」
「はっ」
馬を走らせる。
振り返った先に見えたのは何事かを話すヘイカーとキーラキルだが、会話が聞こえるはずもない。
あの2人はどういう関係なのだろう?
友人? 傭兵仲間? だったらいいのだがもしも……。
心に晴れない思いを抱きつつ、カナリアは先を急ぐのだった。
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