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第84話 風呂をいただく

 ……と、そこまででセルバートさんの言葉は止まる。


「私が知るのはここまでです。続きは奥様が……」

「ええ」


 唇からティーカップを離したエミーリア様がそれをテーブルへ置いて頷く。


「長い話になりますので、少し休憩しましょうか。お茶をお飲みになって催してこられた方もいるでしょうし」

「あ、そ、そうですね」


 エミーリア様の言われた通りで、実はさっきから少しトイレに行きたかった。ナナちゃんもなんだかそわそわしているので、たぶんオシッコを我慢しているのだと思う。


「じゃあちょっと失礼させていただいて……ナナちゃんとシャオナも行く?」

「うむ」

「あ、はーい。行きますぅ」


 いつの間にか起きていたシャオナが真っ先に立ち上がる。


「ではご案内いたします」


 セルバートさんにそう言われて俺とナナちゃんもソファーから立つ。


「ああ、よろしければ湯を浴びて行かれてはいかがかしら?」

「えっ? 湯って……風呂? あ、お風呂ですか?」

「ええ。わたくしの残り湯となってしまいますけれども、よろしければどうぞ」

「あ、えっと……」


 エミーリア様の薦めに俺は迷う。


 身体を洗うと言えばいつも井戸から汲んだ水でだ。湯を浴びて身体を洗うなど、貴族や金持ちの贅沢で、庶民では滅多に経験できることではない。


 気持ちとしてはぜひ湯を浴びさせてもらいたいのだが、自分のような汚い庶民が王族であるエミーリア様の湯殿を使うなど恐れ多い。


 せっかくの薦めを断るのも失礼だが、ここは遠慮すべき……。


「風呂か。良いな。入らせてもらうぞ」

「ナナちゃんっ?」


 この子はあまりに不遜過ぎて側にいる俺は冷や汗塗れだ。


「なんじゃ? にーには風呂に入りたくないのかの?」

「いや、そういうわけじゃ……」

「ならば良いではないか」

「う、うん……」

「うむ。おお、そうじゃ」


 セルバートさんに付いて行こうと歩き出したとき、不意にナナちゃんが振り返る。


「のうエミーリアおばさん、聞きたいことがあるんじゃけど……」

「エミーリア様だよっ!」

「むう……エミーリア様おばさん」


 そういうことではない。

 まあかしこいこの子のことだからわかって言ってるんだろうけど。


「なにかしら? ナナちゃん」


 朗らかな笑顔でエミーリア様は答える。


「ナナは愛について考えておるのじゃが、エミーリア様おばさんは愛がなにか知っておるかの?」

「愛? まあ……まだ幼いのに難しいことを考えているのですね」

「まあの」


 ナナちゃんたらエミーリア様にまで聞いて……。


 昨夜あんなこと言わなければよかったかもと少し後悔する。


「ナナは大好きをすごく大きくしたものが愛じゃと思っていたんじゃが……」

「大好きをすごく大きく……。そうですねぇ」


 問われたエミーリア様はどこか遠くを見つめるような目を外へと向けた。


「ふう……愛。それは……」

「うむ」

「……わかりませんね。私には」


 こちらへ苦笑いを向けてエミーリア様はそう答えた。


「子を産んだのにわからんのか?」

「ええ、愛を知らなくても子は産めますから」

「む、むう……。そうなのか。いや、そうじゃな。よくよく考えてみればそうなんじゃ。子を成すのに愛が必要ならば父上と母上のあいだに子が生まれるはずは……」


 ナナちゃんは小声でぶつぶつと何事かを呟く。


 しかしエミーリア様、この言い方だとルナリオ様のお父さんのことを愛していなかったってことかな? 王族の人だし、もしかすれば政略結婚とかだったのかも。

 いろいろと複雑な事情はあるのだろうけれど、なんか寂しいな。両親が愛し合っていたわけではなかったとか、そういうの……。


「……知らないほうが幸せでいられたかもしれない」

「えっ?」

「……いえ、なんでもありません」


 そして口を閉じたエミーリア様は、ただただ寂しそうに俯いていた。


 ……


 ――トイレで用を足した俺は、セルバートさんに案内をされてナナちゃんとシャオナと共に湯殿へとやってくる。


「こちらでございます」

「おお」


 豪奢な脱衣場の先にある扉を開けて中を覗く。

 見えたのは広々とした湯殿で、中心の丸く大きな窪みにたっぷりの湯が溜まっていた。


「ではごゆっくりどうぞ」

「あ、はい。ありがとうございますっ」


 丁寧に頭を下げてセルバートさんは脱衣室から立ち去って行く。


「じゃあ入らせてもらおうか。俺はあとでいいから、ナナちゃんとシャオナが先に入っておいで。俺は外で待ってるから」


 と、脱衣室から出て行こうとするが、


「待つのじゃ」


 服をぎゅっと引かれて止められる。


「なんでナナがシャオナと共に風呂へ入らねばならぬ? にーにならよいが、他の者に裸を見られるのは嫌じゃ」

「いや、シャオナは女の子だし……」

「ナナは大好きなにーに以外に裸は見せん」

「そ、そう」


 まあナナちゃんはこんなことを言うんじゃないかとは思っていたが。


「じゃあみんなで入りましょうよっ。それがいいですっ」


 そうシャオナは少し恥ずかし気に言うが、それはダメだろうと即座に思う。


「なぜそうなる? お前は人の話を聞いとったのか?」

「聞いてましたよ。安心してください。私はナナちゃんの裸になんてまったく興味はありませんから。マオルドさんのはちょっとあるかもですけど……」

「えっ? いや、それはその、あの……」


 俺もシャオナの裸には大変な興味がある。などとは口に出せず、言えばナナちゃんに殴られるだろうなぁと考えつつ、シャオナの胸から目を逸らした。


「これでは埒が明かん。とりあえずにーには先に入るのじゃ。あとはナナがなんとかする」

「なんとかするって……ちょ、ちょっとナナちゃんっ。服を引っ張らないでっ。そんな……無理やりぬ、脱がさないでーっ」


 ズボンを強引に引っ張られ焦る俺。

 この子はかしこいが、同じくらい乱暴である。


「モタモタするでない。さっさと脱いで行くのじゃ」

「わ、わかったよっ。自分で脱いで行くから……」


 手を離したナナちゃんから離れて服を脱ごうとするが、


「シャ、シャオナ」

「はい?」


 じっとこちらを見つめるシャオナが首を傾げる。


「いや、そんなじっと見られてたら脱げないよ」

「あっ、そ、そうですよねっ。ごめんなさいっ。きゃー」


 と、シャオナは両手で顔を覆う。


「……指のあいだから覗いてない?」

「見てませんよー。チラチラ」

「ならいいけど……。ナ、ナナちゃんもそんな見ないでよ」

「気にせんでよい。早く脱ぐのじゃ」

「うう……」


 こういうのって普通は逆じゃないかなぁ。


 そんなことを思いつつ、急いで服を脱いだ俺は股間を隠して足早に湯殿へと向かった。

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