第75話 人か魔物か、村に現れた異形の者
――マオルドが眠りに入ったのと同じ時刻、黒鎧の戦士ミルバーシュは王都から離れた荒野を馬に乗って進んでいた。
「このあたりだったか……」
暗い荒野をたいまつで照らす。
ここはイルーラ姫を斬った場所だ。斬ったと言っても斬り殺したわけではなく、毒を塗った剣でわき腹を浅く裂いただけ。しかし塗ってあった毒は猛毒で、かすり傷でも負えば死に至るものである。
本来であればこういう方法を用いたくはなかった。だが依頼主が大物だ。しくじるわけにはいかない。不本意はであったが、毒という方法を取らせてもらった。
「あのおてんば姫様、なかなか腕が立つと聞いていたが、そうでもなかったな」
フッとひとり笑いながら周囲へ首を巡らす。
「確か向こうへ逃れて行ったんだったか」
傷は浅いが毒は強力だ。そう遠くへ行けるはずはない。
そう思いつつ、イルーラ姫の逃れた方角へ馬を進ませる。
……しかしなにも見つからない。毒が効いていれば死体が転がっているはずなのだが。
「獣か魔物に食われたか……」
ならば同じく毒に犯され、それらの死体が転がっているはず。
だがそういったものも見つからない。
「毒に強い獣や魔物なんて聞いたことないが……」
もしもそういうものに食われていたとしたら厄介だ。探しようがない。しかし探し出して首を持ち帰らなければあの醜い姫は納得しないだろう。
「ちっ、面倒だな」
ミルバーシュは眉をひそめて舌を打つ。
「その辺にイルーラ姫の装飾品でも落ちてないかな……」
あの醜い姫は頭が悪い。首でなくともイルーラ姫の装飾品で十分納得するかもしれない。
「確かイルーラ姫はこの先にある村へ魔物退治へ行ったんだったか」
村になにか装飾品を残している……可能性はあまりないか。
いずれにしろこう暗くては探索も難しい。その村へ行って夜を明かすことにしよう。
そう考えたミルバーシュは馬の手綱を引いて、街道を歩かせる。
……ほどなくして村へと着いたミルバーシュはすぐさま異変に気付く。
「静かだな」
夜なのでそれは当然と思う。だが通常は魔物や盗賊を警戒して村の入り口に見張りを数人ほど置くはず。それが見当たらないことをミルバーシュは妙に思った。
「イルーラ姫が討伐に向かったという魔物に壊滅させられたか……?」
しかし村で魔物が暴れ回った様子は無い。
「奇妙だな」
馬を進ませ、近くの民家を窓から覗く。
「む……」
暗くてよく見えない。しかし人のようななにかが地面に横たわっているような……。
「あれは……死体か?」
馬を降りて民家の中へ入り、たいまつで中を照らす。
明かりの中に見えたのは、中年男女の死体であった。
「やはり死体か。事故や病死という感じじゃないな。殺された死体だ。やったのは魔物か?」
だとすれば食い荒らされたような死にざまになっているはずだ。しかしこれは違う。
「剣で斬られている……。盗賊の仕業か? しかし……」
ミルバーシュは女の指に注目する。そこにはめられている金色の指輪を見て唸った。
「盗賊ならばこんな見るからに価値のありそうなものを見逃すはずはない。偉く贅沢な盗賊でもいれば話は別だが」
指輪の輝きがやや鈍い。純金ではなく混ざりものだろう。
それでも無価値というわけではない。盗賊ならば持っていくだろう。
……それからミルバーシュは他の民家も見て回ったが、どこも同じような死体が転がっていた。
最後に入ったのは村でもっとも大きな家だ。恐らく村長かなにかの家だと思う。
「ここも死体だらけだな……うん?」
広間に転がっている若い女の死体に近付く。
「これは……イルーラ姫?」
衣服を纏っていないその死体はまさしくイルーラ姫であった。
「毒で死んだ? いや……」
わき腹に傷が無い。それにこの死体は剣で喉を貫かれている。死因は毒で無く、この傷なのは明白だ。
「これはあたしが斬ったイルーラ姫ではない。これは何者だ? ……いや、あたしが斬ったあれは本当にイルーラ姫であったのか?」
わからない。しかしこの首を持って帰ればあの醜い姫は納得するだろう。
「それで仕事は終わる。だが解せない」
こっちが本物だとした場合、自分が斬ったあれはなんだったのか? この首を届けたとして、もしも万が一、あれが毒で死んでおらず、ベルミゲイロの前へ出てきたらどうなる?
「この首を持ち帰ってそれで終わり……とするには不安が残るな」
この首は持ち帰るとして、あの本物だか偽物だかわからない奴も探し出して始末する必要がある。毒で死んでいるならば、死んだという確証を得なければならない。
この村はなにに襲われて壊滅したのか? なぜイルーラ姫が2人存在するのか……? 気にはなるが、それを考えるのはやるべきことを終えたあとでいい。
「さて、もうひとりのほうはどうやって探すか……。面倒だな」
とりあえずこの首を持って一度、王都に戻るか。
死体の首を落とそうとしたとき、不意に湧いた大勢の気配に気付く。
「誰かいるのか?」
村人の生き残りか、それとも残飯をあさりに来た盗賊かなにかか……。
背中の剣に手をかけつつ、気配のある背後を振り返る。
「な、んだ……?」
そこにいたのは若い男と女だった。
村の人間か? ……いや、おかしい。
衣服を身に着けていない。それに外見は確かに人だが、右腕が普通と違う。肘から先に鋭利な刃物のようなものが生えていた。目は虚ろで、どういう感情にあるのかがわからない。
家の入り口からぞろぞろと大量に同じ見た目の男と女たちが現れる。
数は20人ほどか。全員がまったく同じ外見で、右腕も刃物であった。
「なんだこれは? なにかの冗談か?」
しかし答えは無い。
代わりに返ってきたのは殺気である。
「やる気か?」
答えはすぐにわかった。全員が右手を振り上げ、こちらへ向かって駆け出す。
「む、速いな。しかし」
背中の剣を抜き放ち、横薙ぎに払う。と、先に攻めてきた2人の上半身と下半身が断たれて血が乱れ飛ぶ。うしろの全員は駆ける足を止め、ミルバーシュを円形に囲む。
「ふむ。言葉も表情も無いのによく連携ができてるじゃないか」
まるでよく訓練された兵隊のようだ。しかし指揮をするようなものは見当たらない。外見は当然として、行動までも不気味な連中であった。
この状態から全員で一斉に攻めてくるか。
そうくるものだとミルバーシュは考えていたが……。
「なんだ……?」
全員の右腕がこちらを向く。そして……。
「なにっ!?」
鋭利な右手が矢のように飛び出す。
意外な攻撃に虚を突かれたミルバーシュだが、寸でのところで地面に這って鋭利なそれらをかわした。
「こいつら魔物かっ? いや、人間の姿をした魔物など聞いたこともないっ」
ミルバーシュが回避したことで鋭利な右手はそのまま飛び、向かい合う味方に刺さる。
「マヌケめ」
だが連中は身体に深々と刺さったそれに痛がる様子など見せない。
「魔物だったとしても痛みくらいはあるだろうに……」
立ち上がったミルバーシュは剣を構える。連中の右手にはふたたび鋭利なものが生えてきていた。
「腕が生えてきた? 面倒な」
生えた鋭利な右手がミルバーシュを狙う。そして間も無く飛び出した。
「もう驚かないぞ」
先ほどとは違いミルバーシュは冷静だった。
剣を前に伸ばし、その場で円形に回転して無数の鋭利な右手を剣で弾き返す。返されたそれらは連中全員の額へと突き刺さり貫く。額を貫かれた連中はふらりとあとずさり、そして仰向けに倒れた。
「……不死身というわけではないようだな」
剣を背に戻して息を吐く。
手強いというほどでもない。ただ不気味な奴らであった。
「こいつらはなんだ? やはり魔物か?」
人間と言うには化け物じみており、魔物と言うには外見が人間過ぎる。
これは一体なんだったのか? 不可思議な生き物だ。
「――へぇ、なかなか強いじゃない」
「誰だ?」
誰かいる。声は近い。しかし気配は感じなかった。
「とりあえず敵ではないね」
「っ!?」
いつからそこに? どこから現れたのか?
瞬きをした直後に、その女は目前にいた。
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