第72話 頼もしさよりも恐怖を覚えるその圧倒的な強さ
キーラキルだ。
彼女は表情も無くそこに悠然と立っていた。
「キキちゃんっ!」
名を叫ぶヘイカーには誰も注目しない。異様な威圧感を放つキーラキルから、ここにいる全員が目を離せないでいた。
「カートランドとピーシーアだったか? もう罰を与える必要はないぞ。私が代わりに罰を与えておいてやったからな。感謝しろよババア」
「き、貴様……っ」
余裕に歪んでいたピックラックの醜悪な笑顔が初めて凍る。
「こいつらには50の手下を任せたはずですが……まさか」
「全員が死んでるか確認したければ自分で見てきな。生憎、全員の首を丁寧に切り落として持って来てやるほど親切じゃないんだ」
数の上では圧倒的に不利だ。それは木の上から見下ろせば一目でわかるはずだが、キーラキルに状況を恐れる様子は無い。むしろ敵を煽る余裕すら見せていた。
「全部で何人だ?」
「なんですって……?」
「耳が遠いのかババア? それとも私の言った言葉の意味がわからないほどに馬鹿なのか?」
「なっ……!?」
「だったら大きな声でガキにもわかるように聞いてやる。お前を含めて、私はあといくつのゴミを片付ければこの仕事を終えて帰れるのかを聞いているんだよ」
叫ぶというほどではないが、ここにいる全員に聞こえるほどの大声でキーラキルは言う。
周囲に立つ盗賊らの殺気が膨れ上がるのを肌で感じる。このあとになにが起こるか、ほとんどの者が同じ予想をしたことだろう。
「そ、その女を捕えろっ! デーモンアイを舐めやがって! 手足切り落として孕み袋にして、最後は口に糞を詰め込んで窒息死させてやるっ!」
「下品な本性を現したなクソババアが」
盗賊の全員がキーラキル目掛けて突進して行く。
「もう数は教えなくてもいいぞ。向かってくる奴を片付けて終わりだ」
木から跳び下りて地面に降り立つキーラキル。その目前には盗賊の集団が迫っていた。
「キ、キキちゃんっ!」
ヘイカーが走り出す。しかし間に合わないだろう。すでにキーラキルは囲まれ、今にも攻撃を受ける瞬間であった。が、
「えっ?」
先頭を走っていた盗賊どもの動きが彼女の寸前で止まる。
「な、なにをしている? 早くその女を捕えろっ!」
「見えなかったか?」
「見えなかった? な、なにが……?」
「もう殺したぞ」
囲む盗賊どもの脇を抜けてキーラキルは歩く。瞬間、
「な……っ!?」
動きを止めていた盗賊共どもの身体が血しぶきをあげて崩れる。
いつの間にか右手に剣を握っていたキーラキルは、白刃を振って血を払う。
「これで10くらいか。どうした? なにを固まっている? 怖気づいたか?」
恐怖というよりなにが起こったのかわからないと、そんな様子で盗賊らは固まっていた。
かく言うハシュバントも目の前で起きた一瞬の出来事が理解できず、口を半開きのままことの成り行きを見守っていた。
「えっ? えっ? なにをどうしたのさキキちゃん?」
キーラキルの隣に立って質問をするヘイカーだが、
「邪魔だ」
突き飛ばされて転んだ。
「向かって来ないなら構わない。こちらから積極的に片付けてやる」
そう言ってキーラキルが1歩を踏み出すと、盗賊らは揃って1歩うしろへと退く。
「な、なんだこの女? 今なにをしたんだ?」
「魔法……か? いや、剣が血に濡れているから違うか……」
「一瞬で10人を斬ったのか? いや、馬鹿な。なにも見えなかった……」
明らかに盗賊たちは怖気づいている。たったひとりの女傭兵に、数百はいるだろう最凶盗賊団が恐れをなしているのだ。
「こ……殺せ」
異様な静けさの中、ピックラックの一言が周辺に響く。
「なに女ひとりにビビッてやがるんだっ! 殺せっ! もう捕えなくていいっ! その女を殺せっ! ビビった奴は私が殺してやるぞっ!」
「お……おおっ!」
その脅しのような命令に押され、盗賊らが一斉に動く。
……動いた瞬間、キーラキルを囲む数十人の盗賊らが血しぶきをあげて崩れた。
「それでいい。死にに来い。殺してやる」
キーラキルが前へ進むたび、その間合いに入った盗賊が身体を斬られて倒れていく。一体、いつ斬っているのか、ハシュバントには見えない。きっとここにいる誰にも見えないと思う。
「な、なな……っ」
自分のほうへ向かって歩いてくるキーラキルに対し、ピックラックは明らかに恐怖を表す。笑顔はとうに消え去り、その顔色は蒼白であった。
「つ、強いとは聞いちゃいたが、あんなに強かったのかよあの女……」
額を汗に塗れさせながらライアスは呟く。
本来ならば強い味方はありがたいものだろうが、傭兵の皆は誰しもゾッとしたような表情でいた。
強さが想像を絶している。頼もしいよりも恐怖が先に来てしまうほどに。
「ひ、ひぃ! て、撤退だっ! 私は逃げるっ! お前ら私を守れーっ!」
カナリアを抱えた男を連れ、ピックラックは背を向けて逃げ出す。
「待て。それを連れて行かれたら報酬が無くなる」
当然、キーラキルは追う。
デーモンアイの盗賊たちはそれを阻もうとするが、ほとんど意味を成していない。しかしピックラックは盗賊らしく逃げ足が速く、すでにこの場からは消えていた。
「面倒な」
それを追ってキーラキルもこの場からいなくなる。
「カ、カナリア様を助けろっ!」
さらにそのあとをジャスティスの傭兵らが追う。
ここに残ったのは他の傭兵たちと、キーラキルの殺した盗賊の死体だけとなった。
「おい、どうするよ? 追うか?」
「どうすっかな……?」
「かなりの速さでいなくなったぞあの女。追いつけねーだろ」
傭兵たちの声を聞きながらハシュバントも迷っていた。
もしもこのままカナリアが浚われてしまえば報酬をもらえないかもしれない。もちろんカナリアの身を心配する気持ちもある。しかし追って役に立てるとも思えないし、他の傭兵も言っていたように、たぶんもう追いつけないだろう。
「ど、どうする? ライアス」
「どうするもこうするも、追うべきじゃないだろう」
追えない、ではなく、追うべきでないとライアスは言う。
「さっきも言ったが、デーモンアイってのは狡猾な連中だ。万が一にも逃げなければならなくなったときのため、逃走経路に伏兵を配している可能性がある」
「そ、そうかな?」
「わからんが、可能性は高いと思う。しかし他の連中に追う気が無い以上、俺たちだけで追ってもしかたがないだろう」
他の傭兵は誰も追わず、皆がその場に立ち尽くして所在なげにしていた。
「そう、だな。俺たちだけ追っても、な。……うん? そういえばヘイカーは?」
「えっ?」
先ほどキーラキルに突き飛ばされて転んでいた場所に目を向けるが、そこにはいない。
「……あの馬鹿っ! 追いやがったなっ!」
「お、追ったのか?」
しかしそれしか考えられなかった。
「ああ。たぶん……いや、絶対にそうだ。キーラキルの尻を追いかけて行ったのか、ジャスティスのお譲ちゃんを助けに行ったのか……両方か。そういう奴だ」
「ヘイカーは、だ、大丈夫なのか?」
「なんとも言えん。あいつは強いが、キーラキルのように無敵じゃないからな……」
「でもキーラキルが一緒だし……」
「あの女があいつを守るわけないだろう。むしろどさくさに紛れて殺しかねん」
「た、確かに……。じゃあどうする? やっぱり追うか?」
ヘイカーは恩人だ。このまま見殺しにはできない。
「いや……いずれにしろもう追いつくのは難しい。あいつの悪運に懸けるしかないな」
「そんな……」
「心配するな。あいつは好きな女の前じゃはりきる奴だ。無様に死んだりしないさ。まあ、女を庇って死ぬかもしれんけどな」
それを聞いて余計に心配が増した。まあ、少なくともキーラキルは庇われるような女でもないが。
追うこともできず、ただ恩人の無事を祈るハシュバント。はたして元気なヘイカーと再会することはできるのか? のちのことはまったく予想できなかった。
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