第71話 絶体絶命
人の好さそうな年配の女だ。歳は恐らく初老ほどだと思う。
気味が悪いほどニコニコと笑っているが、親しみややさしさなどは微塵も感じさせないその笑顔にハシュバントは思い出すものがあった。
以前に所属していた盗賊団のリーダーだ。彼は自分より弱い者をいたぶって殺すときにああいう顔で笑っていた。
「けど、あれは……」
もっと醜悪な笑顔だ。見ているだけで怖気が走って身の震えが止まらない。
一体、どういう人生を歩んだらああいう顔のできる人間ができるのだろうか? 青二才のハシュバントには想像もつかなかった。
「あ、あなたは……」
「ピックラックと申します。盗賊団デーモンアイの……団長をしている者です」
「団長? あなたが……?」
カナリアの表情は訝しげだ。周囲の傭兵たちも同様である。
それもそうだろう。最凶最悪の傭兵団を率いる団長が、まさか年配の女性とは思うまい。
「疑われるのもしかたありませんねぇ。しかし事実ですよ。エミーリア様」
エミーリア?
聞いたことのある名だ。だがハシュバントは思い出せなかった。
「……どなたかと私を間違われているのでは?」
「とぼける必要はありませんよ。わかっていることですからねぇ」
「なんのことだかわかりませんね」
「ふふ……まあいいでしょう」
貼り付けたような笑顔のままピックラックは親指と人差し指を咥えて指笛を鳴らす。
……と、周囲から多くの足音と殺気が迫るのを感じた。
「な、なんだよ……これ」
ピックラックの背後から、そして傭兵らを囲むように周辺から数え切れないほど多くの盗賊たちが姿を現す。
明らかにこちらより数が多い。雰囲気も先ほど倒した連中よりどことなくだが凶悪な気がした。
傭兵たちに動揺が広がる。
隣に立つライアスの表情は焦りに固まり、ヘイカーの表情は冷静に見えた。
「エミーリア様、あなたにはわたしたちと共に来ていただきます」
「くっ……人違いだとっ。しかしなんの目的でっ?」
「アーサルト王国からの依頼です」
「アーサルト王国の……っ」
「あなたの身柄を捕えて戦争を優位に進めたいようですねぇ。あなたの正体やあなたがたがここへ来るという情報もアーサルト王国からいただきました。優秀なスパイでもいるんでしょう」
「くっ……卑劣なっ!」
「くくっ……戦争に清いも卑劣もありますか。どうしようと最後に勝てばよいのです。まあ、どちらが勝とうと我々は稼げればそれでいいんですがね」
稼ぐ? エミーリア? アーサルト王国の依頼?
わからないことだらけだ。しかし唯一わかっていることがある。
「う、うう……」
盗賊たちがじりりと迫る。
すぐに襲い掛かってこないのは、攻撃開始の合図を待っているのだと思った。
「必要なのはエミーリア様だけです。他はいりませんねぇ」
「ま、待ちなさいっ!」
カナリアが大声で叫ぶ。
「目的は私でしょう? ならば戦うことはありません」
「どういう意味でしょうか?」
「投降します。他の方は見逃してください」
「カナリア様!?」
ガーディアンの幹部が驚きの声を上げる。
「なにを馬鹿なことをっ! 我々はまだ負けておりませんっ!」
「状況を見なさい。敵は明らかに私たちより多いです」
「し、しかし……」
「それに……先ほど倒した盗賊よりも奴らは強い」
「えっ?」
周囲の盗賊たちが不敵に笑い出す。
ハシュバントも感じていた。こいつらはさっき倒した連中とは違う。迫力というか、纏っている空気がまったく違うと感じた。
「気付いていましたか。なるほど。お飾りの団長というわけでもないようですねぇ」
「気付く? ど、どういうことですか? カナリア様?」
「恐らくですが、先ほど我々が倒したのはデーモンアイの盗賊ではありません。別の盗賊団を利用して戦わせた、というところでしょうか……」
「ご名答。さすが育ちのよろしい方はかしこいですねぇ」
パチパチとピックラックは手を叩く。
「彼らはデーモンアイ傘下のカス盗賊団ですよ。どうです? デーモンアイを倒した気になれて楽しかったでしょう? ここまで来ていただいた歓迎のプレゼントですよ」
「くだらないことを……」
「おやおや、喜んではいただけなかったようですねぇ。残念です」
わざとらしく肩をすくめるピックラックをカナリアが強いまなざしで睨む。
「まあいいでしょう。親切な私が忠告をして差し上げますが、デーモンアイの盗賊は先ほど倒したカス共とはくらべものにならないほど精強ですよ。そして残忍です。戦って楽に殺してもらえるなんてしあわせな幻想は抱かないことですねぇ」
その言葉と共に周囲から品の無い笑い声が聞こえてくる。
脅しじゃない。こいつらは残忍で、相手を苦しめて殺すだけの余裕がある。個々の強さはわからないが、少なくともこちらとあちらの人数を考慮した戦力差ではそれが可能に思えた。
「戦う必要はありません。私が投降をします」
「カ、カナリア様……」
「ピックラックと言いましたか。約束をなさい。私が投降をすれば他の傭兵たちに手は出さないと」
「いいでしょう。こちらはあなたの身柄が手に入ればそれでいいですからねぇ」
「……」
武器である弓矢を捨てたカナリアがピックラックのほうへ歩く。
止める言葉が思いつかないのか、ガーディアンの幹部は悔しそうに口を閉ざしてその背を見送っていた。
どう考えても勝てる戦いではない。
一体なぜ連中はカナリアの身柄を欲するのか? なぜピックラックは彼女をエミーリアと呼ぶのか? それはわからないが、カナリアが投降しなければこちらは全滅する。全滅をすれば結局はカナリアを浚われる。ならばこうなるのはしかたない……。
「ば、馬鹿っ! やめろヘイカーっ!」
隣ではライアスがヘイカーを羽交い締めにして押さえていた。
「けどっ、このまま見てられるかよっ! あの子ひとりが犠牲になるなんて間違ってるっ!」
「お前が動いてどうなるんだよっ! 勝てないだろっ!」
「そんなのやってみなくちゃ……っ」
「なんであの女が雑魚の盗賊たちを俺たちと先に戦わせたかを考えろっ!」
「えっ?」
「俺たちの強さを計ったんだっ! あの女は俺たちの戦いを観察して、デーモンアイの戦力で勝てるかどうかを計ったんだよっ! そして勝てると読んだから出てきたっ! 勝てないと悟っていたらとっくに逃げているはずだっ!」
「そ、そんなこと……」
「あるっ! 単純な戦力だけで軍隊の手を焼かせられるものかっ! 狡猾なんだよ奴らはっ! だから手強いんだっ!」
それを聞いてハシュバントは震える。そして思い出す。盗賊の強さは単純な武力による戦力ではなく、ずる賢い狡猾さ。そして真っ当な人間ならば忌避するような卑怯卑劣さであることを。
「い、いけない……。俺たちは騙されている……」
ハシュバントの小さな呟きは誰にも聞こえない。聞こえたところでどうしようもなかった。
「で、でもこのまま見捨てるなんてっ!」
「下手すりゃお前のせいで全員が殺されるんだぞっ! あの子の覚悟を無駄にする気かっ!」
「くっ……け、けどっ!」
「耐えろ。今は耐えるんだ」
必死に押さえて説得するライアスだが、彼自信も歯を食いしばってこの状況に耐えている様子だ。
なにもできない。なにもするべきではない。わかってる。しかし大勢の屈強な傭兵が盗賊の戦力に屈してなにもできず、少女ひとりに助けられるのだ。こんなに悔しいことはないという気持ちを抱いたのはヘイカーやライアスだけではない。他の傭兵らも思いは同じだろう。
皆が苦渋に顔を歪ませるなか、カナリアの足は進んでやがてピックラックの目前に立つ。
「さあ、どこへなりと連れて行きなさい。しかしいずれあなたがたには制裁が下ることでしょう。神は悪の存在を長く許したりはしません」
「ふふふ、気丈ですねぇ。立派ですよ。褒めて差し上げましょう」
ピックラックはパチパチと手を叩く。
「けど馬鹿ですね。あなたの仲間たちもみんなみんなお馬鹿さんです」
「えっ?」
背後から現れた身体の大きい盗賊がカナリアの身柄を拘束する。
「仕事は終わりです。あと処理をなさい」
「あ、あと処理……ですって?」
悪辣な笑みを浮かべながら盗賊らが武器を持ち上げる。
「へっへっへ、ようやく殺せるぜ」
「手足切り落として飾り物にしてやるぜ傭兵どもよぉ」
「なっ……」
盗賊らの声を聞いたカナリアは目を剥く。
「ど、どういうことですかっ!? 私が投降すれば他の傭兵には手を出さないと……」
「はあ? そんな約束をいつしましたかぁ?」
吐き気がするほどの醜悪な笑みに表情を歪ませてピックラックは言う。
「そ、そんな……騙したのですかっ!?」
「騙す? ふっふっふ、我々がなんだか教えてあげましょうか? 盗賊ですよ。人から奪い、人を殺すことを生業にしているんです。そんな人間の言うことを信じるほうが愚かでしょうぉ」
「く、ぐ……このっ……」
ピックラックの言葉は間違っていない。盗賊とはそういう連中なのだ。
「や、やっぱり……かっ」
ハシュバントにはこうなることがわかっていた。わかっていたが、だからと言ってなにかできたわけでもない。カナリアが投降しなくても、きっと結果は変わらなかっただろう。
「離しなさいっ! 私は……」
「逃れてどうなりますか? あなたが逃げてもここにいるお仲間が死ぬことに変わりはありませんよ」
「くっ……み、みなさんっ! 逃げてくださいっ!」
「逃がしませんよ」
周囲を囲む盗賊らが少しずつ距離を狭めて来る。
「なんとなくこうなる気はしてた」
剣を構えてヘイカーは苛立たしそうに言葉を吐く。
「しかしどうするヘイカー? これはまずいぞ。本当にまずい」
「俺はカナリアを助けてキキちゃんを捜してここから逃げる」
「馬鹿言うなっ。そんなことできるわけないだろっ」
「でもやるんだ。お前はハッシュを連れてなんとかここから逃げのびろ」
「お、お前なぁ……」
辟易とするライアスが目に映る。
ヘイカーが無茶を言っているあいだにも盗賊らはゆっくりと迫って来る。
すぐに攻めて来ないのはこちらの恐怖を煽るためだろうか? 恐らくそうだ。盗賊とはそういう奴らだとハシュバントは知っていた。
「んん? そういえばカートランドとピーシーアに任せた連中が見えないねぇ」
全体へ語りかけるようなピックラックの大きな声が周囲に響く。
「サボってどこかで盛ってるんじゃないっすか? あいつら仲良いっすから」
「ふん。私の命令に背くなんて良い度胸じゃないですか。あとで罰を与えてあげましょう。んふふふっ……」
どうやら盗賊の一部がここへは来ていないらしい。それでもこちらの不利に変わりはないが……。
「――カートランドとピーシーアってのはこいつらのことか?」
「えっ?」
どこからか女の声が聞こえた。それと共になにかがピックラックの足元に投げ込まれる。
「こ、これは……っ」
首だ。厳つい男の首と化粧の厚い女の首が2つ、ゴロンとピックラックの足元を転がった。
「カートランドっ! ピーシーアっ! これは……なんですかっ!? 何者の仕業ですっ!」
この場にいる全員が首の飛んできた方角に目を向ける。
木の上だ。太い枝の上に立っていたのは額の広い金髪の女であった。
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