第50話 黒い鎧のミルバーシュ
背の高い女性だ。彼女の髪は金髪で長く、表情は穏やかだがどこか凄みのようなものを感じた。
「ああ、おかえり」
「うん、ただいま。お客さん?」
女性の細い目が俺とナナちゃんを見る。
「ヘイカーさんの息子さんと娘さんだよ。前に話したことがあったろう」
「ああ、ヘイカーさんの」
俺に向けられる女性の目がニコりと笑う。
それからこちらへと右手を差し出してきた。
「ミルバーシュだ。よろしく」
「マオルドです。よろしくミルバーシュさん」
ミルバーシュの手を握る。
「ふふ、大きくなったね」
「えっ?」
「君が生まれたときに会ったことがあるんだよ。もちろん覚えてないだろうけどね」
「そ、そうなんですか」
「ナウルナーラじゃ。皆はナナと呼ぶ。よろしくの」
いつも通りドレスを摘まんで持ち上げ、ナナちゃんもあいさつをした。
「うん。よろしくナナちゃん」
朗らかな笑顔を向けながら差し出されたミルバーシュさんの手を、ナナちゃんは小さな手を広げて指だけ掴んだ。
「ふむ。女にしてはごつい手をしておるの」
「傭兵をやっているからね」
手を離したナナちゃんが俺の手を掴む。
なるほど傭兵か。
外見からして、それ以外に考えられない。
「話を聞いていてわかったと思うけど、私はハシュバントの娘だ。血の繋がりはないけどね」
「血の繋がりがない……あ」
それを聞いて俺は気付く。
目を向けると、ハシュバントさんは柔らかに笑んだ。
「まあだからなんだと言うこともない。私はお父さんを本当の親と同じに思っている。いや、本当の親以上かな。赤子だった私を捨てた本当の親なんかよりずっとお父さんのほうがいい。ずっとね」
「……」
俺はなにも言えなかった。なにも言えず、ただ黙っていた。
「そういえばそっちで寝てるのは?」
ミルバーシュさんの目がベッドの上で寝ているシャオナに向けられる。
「あ、えっと、友達です。眠ってしまって……」
「そう」
眠るシャオナを見るミルバーシュさんの視線はどこか訝しげだ。
まあ仮面を被って寝ているなんて異様であるからしかたないか。
「丁度、夕食を作っているんだ。少し待っててな」
「いや、いいよ。外で食べてきたから」
「そっか」
「うん。少し寝たらまた出掛けるね」
「なんだ、最近は忙しいな。難しい依頼でも受けたのか?」
「ちょっとね」
ミルバーシュさんは見るからに強そうだ。
この人が手こずるなんて、相当に難しい依頼なんだと思った。
「……お前は女なんだから、傭兵なんて危険な仕事に入れ込み過ぎないようにしてくれよ。父さんはお前が仕事へ出掛けるたびに心配でしかたないんだから」
「大丈夫だよ。私は強いから」
実際、強いのだろう。そういう雰囲気はある。
しかしだからと言って、ハシュバントさんの表情に安心は浮かばなかった。
「……じゃあ、寝るから。マオルド君、ナナちゃん、またね」
「あ、はい」
微笑んだミルバーシュさんが部屋を出て行く。
奥にある部屋の扉が閉まる音と同時に足音が消え、それから俺はハシュバントさんへ目を向けた。
「あ、あの……もしかして」
「……お察しの通りっす」
「やっぱり」
先ほどの話に出てきた赤子。若き日のハシュバントさんが親を殺し、拾った赤子はあのミルバーシュさんだったのだ。
話の中では赤子を育てるかまだ迷っていた若き日のハシュバントさんであったが、のちに決断をしたのだろう。
「立派な女性になったのですね」
「いや、まだまだ半人前の子供っすよ」
「でも傭兵として働いて自立しているのでしょう。一人前じゃないですか」
「それだけじゃ一人前とは言えないんすよ」
ハシュバントさんは俺の言葉をはっきりと否定する。
「一人前には他人を思いやる気持ちが必要なんす。あれにはどうも……そういう部分が欠けていて、自分が楽しければそれでいいという身勝手なところがあるんすよ」
「そうなんですか」
そういう風には見えなかった。
しかし親としてもっとも身近にいたハシュバントさんが言うのだから、この言葉に間違いは無いのだろうと思う。
「男手ひとつで育ててきましたからね。荒っぽく育ってしまって……。やっぱり子供がやさしく育つには母親の愛情が必要だったんすかね」
「いや、そんなことは……」
「あ、いえ、マオルドさんを悪く言ったつもりはないんす。団長は誰よりも他人を思いやる気持ちを知っている人っすからね。そういう団長から思いやりを学んだつもりだったすんけど、なかなか伝えるのは難しいっすね」
「でも親父って女たらしだったんですよね」
だいぶ多くの女性を泣かせたのではないだろうか。
「はは……まあ完璧な人なんていないっすよ」
「それもそうですね」
むしろそのほうが人間味を感じて好感を持てるかもしれない。
「ミルバーシュさんはさっきの話を?」
「いえ、知らないっす。いずれは話さなければと思っているんすけどね」
と、神妙な面持ちでハシュバントさんは言葉を零す。
「……差し出がましいとは思うのですが」
そこまで言って俺は黙り、少し考えてからふたたび口を開く。
「ミルバーシュさんには、真実を教えないほうがいいと思います」
そう言う俺の顔をハシュバントさんはやさしげな目で見つめる。
「そう思いますか」
「はい。だって、もしも真実を知ったらミルバーシュさんは……」
俺はその先を言えず、言葉を飲み込む。
「俺を恨んで殺す、かもしれないっすね」
「そ、そんなことは……」
「俺はそれでいいと思っているっす」
「えっ?」
少し悲しそうな表情でハシュバントさんは笑った。
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