第45話 ゾッとするような怖い女、キーラキル
前を歩くヘイカーの背中を見つめて、ハシュバントは草原を歩く。
腕の中の赤子はぐっすりと眠っていて、しばらくは起きる様子が無い。
「あんた、なんであんなところにいたんだ? 旅人か?」
「いや、故郷から出てきて王都へ向かっているんだ」
「故郷? 遠いのか?」
「ケアルト村だよ。知ってる?」
「ああ」
行ったことはないが場所は聞いたことはある。
遠くは無いが、王都まで行くなら馬が無くては大変だとハシュバントは思う。
「ずっと歩いて来たのか?」
「うん。歩いたほうが足を鍛えられるからね」
「あれだけ強いのにまだ鍛えるのか?」
「まだ強くないさ」
「まだ?」
それがどういう意味かハシュバンドにはわからない。
「強いって言うのは目的を成した者のことだ。俺はまだなにも成していない。強くなるのはこれからだ」
「目的って?」
「まずは王都へ行って傭兵になる」
「なるほど。傭兵になって名を上げたいんだな」
田舎の猛者が考えがちなことだ。珍しくも無い。
「名はどうでもいい。ただ守りたいだけだよ」
「守りたい? なにを?」
「俺の力で守れる全部さ」
うしろを歩くハシュバントへ振り返ってヘイカーは笑う。
「俺が強くなればなるほど、守れる人は増える。だから俺はもっともっと強くならなきゃいけないんだ」
はっきりと、強い声音でヘイカーはそう言った。
ハシュバントには理解できない考えだ。当然だろう。ただ自分が食べるためだけに生きてきたのだ。他人を守るなど無意味としか思えなかった。
「わからないな。他人を守ってどうなる? 意味はあるのか?」
「ある。誰かを守れば悲しむ人が減るだろう」
「いや、そうじゃなくて……」
自分に利益があるのか? それを聞いたのだが……。
「そうじゃなくて、なんだい?」
「あんたになんの得があるんだって、それを聞いたんだ」
「なんで俺が得をする必要があるんだ?」
「なんでって……」
「俺の力で誰かが笑顔になればそれでいいじゃないか」
「そう……なのか?」
変な奴。まるで良心の塊のような男だ。
「君はいつから盗賊をやってたんだ?」
歩く速度を落として隣に並んだヘイカーがハシュバントに聞く。
「えっ? ああ……最近だよ」
「どうして盗賊になったかを聞いてもいいかい?」
「食うのに困ったからだよ。うちは貧乏なのに兄弟が多いんだ。兄貴の俺は我慢させられるから、村を出て盗賊になった」
「そうか。兄弟のために家を出たんだな」
「違う。自分が食えないからだ」
「ははっ、まあ同じことだろう」
朗らかに笑ってヘイカーはハシュバンドの肩を抱く。
馴れ馴れしい。
だが悪い気はしなかった。
……
それからしばらく歩き、やがて目的地である王都へ着く。
と、丁度、目を覚ました赤子がふたたび泣き出した。
「腹が減ったみたいだな」
「わかるのかい?」
「下の兄弟が多いからな。泣き方でなんとなくわかる」
しかし困った。赤子の食事は母乳だ。当たり前だが、ハシュバントに用意できるものではない。
「誰かに母乳をもらわないと……」
ここは王都だ。人ならたくさん歩いている。
誰か母乳をくれそうな女をハシュバンドは探す。
「あ、あの人に頼もう」
「えっ?」
ヘイカーが見ていたのは短い金髪をオールバックにし、額を光らせるかなり若い女だ。
たぶん歳はヘイカーやハシュバントとそんなに変わらない。
「あんなに胸が大きければたくさん乳が出るはずだよ」
「いや、デカければ出るってわけじゃ……」
「すいませーん!」
話も聞かずにヘイカーは女に声をかける。
いかにも性格のキツそうな目をした女だ。
しかし美人である。腰に剣を下げているので、単なる娘では無いと思う。
「はあ? なんだよ?」
「あの、あなたの母乳をいただいてもよろしいですか?」
「死ね」
その一言と同時に、ヘイカーは顔面を殴られた。
「な、なぜ……?」
「いや、当たり前だろ」
泣き喚く赤子を抱いたハシュバントが呆れながら声をかける。
「俺は赤ちゃんに母乳をあげてほしかっただけなのに……」
「デカいから母乳が出るってわけじゃない。出るのは子供を産んだことのある女だ」
「あ、そうなんだ」
ヘイカーは強いが、物はあまり知らないようだった。
「おっと、よしよし」
赤子はますます大きな声で泣き喚く。
弱った。誰か母乳をくれる人はいないか。
「その赤ん坊に乳をやればいいのか?」
眼光鋭く、額の広い女はハシュバントに聞いた。
「えっ? も、もしかして出るのか?」
「あたしじゃない。けど出る女なら知ってる。ついてきな」
背を向け、女は雑踏を歩いて行く。
「よかった。行こうハッシュ」
「あ、ああ」
ヘイカーに促されて女のあとを追った。
……
やってきたのは宿屋だ。
そこのおかみさんに頼み、赤子へ母乳をもらうことができた。
腹が満たされて機嫌良く笑う赤子を腕に抱いて、ハシュバントはホッと一息つく。
「まあともかくよかった」
宿の食堂でヘイカーとハシュバントも食事をしていた。
「泊まっているあいだはおかみさんがその子に母乳をくれるそうだ。よかったなハッシュ」
「えっ? あ、ああ、まあ……うん」
この赤子を育てると決めたわけではない。
けど、ハシュバントはまるで自分のことのように安心をしていた。
「あんたの子か?」
先ほどの女がパンをかじりながら歩いて来て、テーブルの端に立つ。
見れば見るほど怖い目をした女だ。
恐ろしく美人だが、それ以上に恐怖という印象が強かった。
「あ、いや、俺の子じゃ……」
「じゃそっちの奴の?」
「いや、その子は彼が拾ったんだよ。たぶん戦災孤児じゃないかな」
「ふーん……」
女の目が赤子を見下ろす。
「拾ってきてどうするんだ?」
「どうするって……」
「お前が育てるのか?」
「……」
「まあ。そう焦らすことも無いよ」
答えに詰まるハシュバントを見かねたのか、ヘイカーが口を挟む。
「じっくり考えればいい。育てる気が無いなら、俺が預かるから」
「あんたが? 育てられるのかい?」
「育てるしかないだろ。他にどうするって言うんだ?」
「その辺に捨てるとか」
「なんで?」
本当にわからないという顔でヘイカーはキョトンとする。
「いや、だって、知らない誰かが産んだ赤ん坊だろう。育てる義理は無い」
「理由はある」
「理由?」
「親の無いこの子は誰かが育てなければいけない。そうだろう?」
「……変な奴だ」
ハシュバンドもそう思う。
なぜこの男はこんなにも他人を大切に考えられるのか?
理解できない。
「そういえば名乗ってなかったね。俺はヘイカー。こっちはハシュバントだ」
「あたしはキーラキル」
「キーラキルか。じゃあキララだな」
「勝手に短縮するな」
そうキーラキルは冷たい声で言う。
「短く呼びたければキキと呼べ」
「じゃあキキ、よろしく」
「ああ」
ニッコリ笑うヘイカーに対し、キーラキルは無表情で答えた。
「お前ら王都の人間じゃないな」
「よくわかったね」
「田舎臭いからね。お前ら」
「はははっ、田舎臭いって。言われてるぞハッシュ」
「いや、あんたもだよ」
しかし確かに2人は田舎臭い。
それを自覚していたハシュバントはただ苦笑った。
「田舎者が花の王都サルマになんのようで来たんだ?」
「君のような美しい人と出会うため、って言ったらどうする?」
「笑ってやるよ」
冷笑というのか。キーラキルはゾッとするような冷たい笑いを見せた。
しかし意外だ。
このヘイカーという胸やけするような善人にも、軟派な部分があるらしいことを知って、ハシュバントは初めて彼に親近感を得た気がした。
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